だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

お金をかけずにオシャレになる方法

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オシャレな格好をイメージしてみると、どうしても金額の高いものを買った身につけるという発想になりがちですよね。
しかし、オシャレな服=高い服という構図が出来上がってしまうと、収入の低い人はオシャレそのものを楽しめなくなってしまいます。

という事で今回は、お金をかけずにオシャレが出来る方法を考えていきます。

お金をかけずにシャレオツになる為には、まず、オシャレの定義付けをする必要があります。
世間一般で思われがちなのが、高い服を着ている人が御洒落だという発想ですね。
ですが先程も書きましたが、この構図を完成させてしまうと、御洒落にはお金がかかってしまいます。

その為、別の定義付けをする必要があります。

まず、このまま服についてのみに焦点を絞って考えてしまうと視野が狭くなる為、他の分野にも視点を移してみます。
服以外でおしゃれな印象を受けるのが、芸術の分野です。
休日に美術館にいくというだけで、なんとなくオシャレな感じがしますもんね。

この芸術ですが、昔は比較的理解しやすい物が多かった。
分かりやすい美しさや、目の前にある対象を、絵画の中でどのように表現をするのかといった事に労力が集中されていた為、誰が見ても凄さが伝わってきました。

しかし、近代に近づく程、芸術は理解し難いものとなっていきます。
この様な流れに変化していった理由は、諸説あるとは思います。
その中でも、私が知っている中で一番大きな影響を与えたのが、写真です。

写真は、見たままを映し出す機械である為、単純に目に見えるものをそのまま写すという分野では、早さや正確さで人が勝つことはほぼ不可能です。
では芸術家はどのような行動を起こしたのか。
写真で影現することが出来ない表現を求めて、個性を押し出していったわけです。

当然、写真で表現できる写実性からは離れていくことになるので、抽象的な表現になって行く。
ある人が抽象的な表現をすれば、他の人がそれを超える表現を行う。
表現競争の結果、それらの流れを知らない人からみると、理解し難いものとなってしまった。

そして現状はどうなっているのかというと、芸術家が生み出した発想の背景にストーリーを付け加え、それを大々的にプレゼンする事で、芸術が評さされるようになりました。
簡単に説明すれば、その辺りに落ちている石ころを拾って、適当な器に配置。
こうして出来た物を、芸術作品だとプレゼンして専門家に認められれば、こんなものでも芸術品となるわけです。

つまり構図としては、芸術=プレゼン力となる。

この様な構図は、実は芸術だけでなく、様々な分野で起こっています。
例えば、会社が新製品を売り出す際に重要となるのが、プレゼン力です。
どんなに優れた製品であっても、宣伝方法が悪ければ、皆に認められることはない。
逆に、アップルのジョブスさんの様にプレゼン力があれば、普通の製品でもオシャレで進んだ製品だと認められる。

この構図を、そのままファッションに取り入れてみると、この様になります。
ファッションセンス=プレゼン力

よくファッションショー等の映像をみると、どう見ても変人にしか見えない様な服が発表されていたりします。
普通の人があの様な格好をしたら、確実に変人扱いされます。
しかし、ファッションショーという現場で、デザイナーという演出家が作品に対してストーリー付けを行うことで、変態的な格好も芸術の域にまで昇華されます。

結論までが長くなりましたが、お金をかけずにオシャレになる方法とは、自分の格好にストーリー付をしてプレゼンする事で、相手を納得させればよいのです。
例えば、古着屋でビンテージでも何でもない90年台の服を1着数百円~1000円で購入したとします。
普通にその服を着ただけでは、ただの古い服を着ているだけの人になってしまいます。
しかし、その格好に、90年台の若者に心理状態や社会情勢といったストーリーを不可し、敢えてその服を選んで購入しているという設定にすれば、ただ単にダサいとは言われません。

ストーリーを上手い具合に組み立て、相手を完全に納得させれば、オシャレな人とすら思ってもらえるでしょう。

これを読んで、この様な方法に納得出来ない人も数多くいらっしゃるでしょう。
しかし、世界中の一流ブランドと呼ばれているメーカーが行っていることも、実は同じことです。
いくら良い生地を使って、腕の良い職人が作ったからといって、1着数十万という値付けには無理があります。
それを可能にしているのが、ストーリー付とプレゼンです。

この服の生地を選別するのに、一流の職人を使っている。
型をとって縫う職人は、その道数十年のベテランだ。
デザイナーは世界的に認められている有名なあの人だ。

数多くの理由を並べて付加価値を付けることで、通常ではあり得ないような値段に引き上げているだけです。
つまり、前身をブランド品で固めている人というのは、自分でストーリーを考えることが出来ないか、ブランド側のプレゼンに納得してしまった結果、ブランドが創りだしたストーリーに乗っかった人達です。
その乗車賃として、多額の金を支払っているだけ。
しかし見方を変えれば、この様な人達は裸の王様になる可能性もあります。
大して価値がないものに、『このセンスは、貧乏人には理解できないのです!』と力説され、意味も分からないまま買わされる。
そして、ゴテゴテのストーリーに装飾された服を着て、自分にセンスがあるように思い込む。

考えて見れば、哀れですよね。

その一方で、自分で頭を働かせ、自分の格好にストーリー付が出来るのであれば、そもそも多額のお金を支払う必要はないわけです。
他人が創りだした価値観では無く、自分の価値観で選択する。
たったこれだけで、お金を使わずにお洒落になれるんですよね。