だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

最近の笑いのレベルは落ちたのか

広告

ここ最近、『最近の笑いの何が面白いのかがわからない』といった話をよく聞く。
しかし、そういう人の意見を聞くと、『レベルが低い』とか『みんな、面白いと思ってるの?』という批判しかしていない。
そして次の言葉は次に、『昔見ていた笑いは…』といった昔話になる。

私はこの様な話を聞く度に、人間病院風にいうなら、自分の時代輝かせたい病を患っているんだろうなぁ…と思ってしまう。

誤解しないで欲しいのですが、流行について行けなかったり、現状で受け入れられている事に疑問を持つことが悪いと主張しているわけではありません。
しかし重要なのは、分からないなら分からないなりに調べたり、自分の中で考えをまとめて意見を持つことです。
それを、わからない・今の時代はおかしいとレッテルを貼ってしまうと、思考停止に陥ってしまうんですよね。

この症状を放置しておくと、数年以内に【老害】と呼ばれて避けられてしまうでしょう。
といっても実は、私にもこの様な部分は無いとはいえないので、先ほどの嫌ごとは私自身への戒めの意味も込めて書いているのですが。


最近の笑いが面白く無い、解らないと主張する人の大半が、テレビをつけた時に偶然目にした人達を観て、そう感じているのだと思います。
この様な人たちが、何故面白く無いかと感じてしまうのか。
結論から言うと、単純に面白くない!と主張している人が、番組のターゲット層から外れていたからです。

ここ最近のテレビは、漠然と面白いものを放送しているわけではありません。
ターゲット層を決めて、そこに向けて情報を発信しています。
そのターゲットから外れれば、面白く無いと感じるのは当然でしょう。

自分がターゲットとして認識されていないにも関わらず、面白さがわからないと愚痴を言う様子を極端な例で表現すると、小学生にも満たない事も向けに作られた番組を観て、『ストーリーの作り込みが甘い。シナリオが単純過ぎる』と批判するようなものです。
傍から観れば、滑稽にしか見えません。


では何故、公共の電波を使って放送しているテレビが、ターゲットを絞るということをしているのでしょうか。
これには、技術の進歩によってメディアが乱立したことが大きく関係していると思います。

そもそも、人を楽しませるためには、情報の共有が必須です。
常識も経験も全く違った人を楽しませるのには、相当な苦労が必要です。
その一方で、情報共有が完了している間柄では、内輪ノリで適当な事をいっても笑いを取ることが可能となります。
これには、笑いという現象の性質が関係しています。

笑いは、一般的な会話の流れから常軌を逸した行動を取る事で生まれる落差によって起こります。
これは、バカバカしい事も、一見すると非常識だが捉え方によってはそう考えられるといったものも含めます。
この状況を生み出すためには、一般的な設定をその場にいる人全員が認識する必要があります。

その為、どのレベルが常識なのかを、コンテンツ制作者側が知っておく必要があります。
しかし問題なのは、情報の供給過多で、その常識がクラスター毎に複数存在するのです。


この状態を理解するために、テレビも無い様な昔を想像してみましょう。
人々の情報源の大半は、新聞かラジオです。
この限られたメディアによって知識が共有され、常識が構築されていました。

その為、娯楽を作る際にも、その前提となる情報や常識を想定して作ればよかったわけです。
平たく表現すれば、新聞とラジオの情報だけをカバーしておけば、世間が想定している一般常識は知ることが出来たわけです。

しかし今では、新聞・ラジオだけではなく、テレビ等の影響力の大きなメディアが存在した。
これだけならまだしも、ネットの登場によって、国内のローカルなものや海外のニュース等も手に入る様になり、個人ブログを発掘すれば、更なる情報が得られる状態に。
他にも、SNS内の趣味コミュニティ等のマニアックな情報にも手を出せる様になり、その中から好きなモノをチョイスして得るという方式になると、一般常識というものが存在しなくなってしまいます。

もし常識があるとすれば、そのコミュニティやローカル内での常識が基準となります。
この様に情報が氾濫し、複数の常識が入り乱れている状態では、全員に受け入れられるようなコンテンツを作ることは不可能です。
スポンサーから資金をもらい、視聴率を撮ることを義務付けられているテレビ局などは、ターゲット層を決めてコンテンツを作るしかありません。


ではどの様にターゲットを絞るのか。
テレビの場合は、大まかな区分けを時間帯によってしているのでしょう。
多くの人が仕事を終えてテレビを観れる時間帯には、より幅広い年齢層に受け入れられるコンテンツを提供する。

子供から大人まで等しく観れる内容にしようと思うと、大人よりも子供に気を使った番組作りになる。
しかし、完全に子供向けの内容を流してしまうと、大人が番組を観なくなる。

これらの事を考慮すると、笑わせるのではなく笑われる様な芸や、リズム芸、見た目で笑わせる様なものになってしまうのも仕方がないでしょう。
何故なら、大人から子供まで幅広く、しかも結構な割合で存在する層が、自分は努力しないけど、他人を馬鹿にしたい人達だからです。

この層に対して、教養がないと楽しむことが出来ないコンテンツを制作したとしても、受け入れられることはありません。
こんなコンテンツを作るぐらいなら、大衆は無知だと決めつけて、無知でも楽しめるもの、もしくは、無知な人間でも理解出来る様なコンテンツを作っている方が数字が取れる。
そのコンテンツを偶然意識高い系の人が観ても、楽しめないのは当然でしょう。

では当対処すれば良いのか。
ただ単に、理解が出来ないと切り捨てるのも一つですが、どうせなら情報源として利用するほうが良いでしょう。
例えば、テレビは大多数の同じ価値観を持つ人達を想定してコンテンツを作っているので、コンテンツを見ることで、大多数の世論が何を考えているのかを逆算してみるとか。
理解できないと文句をいうよりは、建設的で良いと思いますが、どうでしょうか。