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【映画感想・考察】 ロッキー FIRST&FINAL 後編

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前作はロッキー FIRSTについて書きました。
今回は続きとなっていますので、読まれていない方は前回の回から読んで下さい。



最初に注意点ですが、このロッキー・ザ・ファイナル
正直、単品で見るものではありません。
少なくとも、1作目のロッキーを観てから観て下さい。

この作品ですが、大まかに表現すると、一作目との対比構造となっています。

1作目を振り返ると

  • 若くて体力は有るが、知名度も無く、貧しい生活を強いられていた
  • 何もない状態から、急にチャンスが舞い込んでくる
  • 時が進むにつれてエイドリアンとの中が深まり、充実した人生へ
  • 希望のある未来

これに対してファイナルは

  • 知名度もあって豊かな生活をしているが、年老いて体力も無い
  • 最愛の妻エイドリアンを失う
  • 生活は豊かだが、満たされない何かが燻っている
  • 満たされた状態から、時間が全てを奪っていく
  • 過去にすがって生きている

ロッキーの環境自体が対比構造となっている為、それ以外の環境は同じ。
それも、かなり意識して同じ様にしています。

1作目に出てきた建物や、エイドリアンと初めてあったペットショップ、初デートのスケート場等が映しだされ、時間の流れを実感させられます。
建物だけでなく、人物も同じ。
酒場のバーテンは、1作目に出てきてロッキーに言葉遣いについて説教された少女。
ロッキーの経営するレストランでご飯を奢ってもらっているのは、1作目の冒頭でロッキーと試合をしていた対戦相手。

環境が同じなのに、ロッキーの立場だけが逆転しているんですよね。
これを理解するためにも、是非、1作目を観て欲しい。


この環境でストーリーが進んでいくわけですが、私がこの作品を見て思ったのは、この作品はスタローンそのものなのではないか、って事です。
例えば、ロッキーと息子が対談をするシーンが有ります。

息子は、父親の偉大さの影にいつも隠れていて、誰も自分自身を見てくれない。
ロッキーという光が強すぎて、自分の存在なんて消し飛んでしまう。
皆は自分のことを見ず、いつもロッキーの息子として自分を見る。
と胸の内を打ち明けます。

この息子の意見は、スタローンのロッキーという作品に対しての意見なのではないでしょうか。
映画をそこまで見ない私にとっては、スタローンの名前よりもロッキーの名前の方が印象が強いです。
スタローンが別の映画をとったとしても、ロッキーの人が別の映画をとったという認識でしかありません。
肉体を活かしたアクション物をとっても、ロッキーのヴァージョン違いという認識を持っている人は、私以外にも大勢いると思います。

つまりスタローンにとって、ロッキーは自分をスターに持ち上げてくれた父親の様な存在であると同時に、ロッキーの印象が強すぎて、誰も本来の自分を見てくれないという心の葛藤があったのではないでしょうか。
その思いを、親子という関係でストレートに表現をした。
それがあの対談ではなかったのかと。


同じ様な対談は、他にも有ります。
ロッキーが高齢のために取り上げられたプロボクシングのライセンスを、もう一度取得するというシーンで、テストは全て合格したのに、ライセンスは得られないという状況で、ロッキーは抗議します。

『あなた方は、安全の為にライセンスは渡せないというが、何の安全なのか。
事故が起こった時に責任問題にならない為に、自分の安全を考えているだけなんじゃないのか。
俺にも権利があるはずだ。
幸せを追求する権利が。
その権利を剥奪するのか。
別に夢をかなえる為に何かをしてもらおうとは思わない。
挑戦しようとする人間を止める権利が誰にあるんだ。俺の邪魔はしないでくれ』と

ロッキー・ザ・ファイナルを制作する際、何かと苦労したという話を聞きました。
スポンサーからは

興行収入が少なかったらどうするんだ。
もう若くない、笑いものになるぞ。
君の事を思って忠告しているんだ…と

そんなスポンサーや世間の意見に対して、挑戦しようとする人間を止める権利が誰にあるんだ!と言ってやりたかったのでしょう。

そしてチャンプとの試合。
皆が、かなり早い段階でロッキーが負けると思い込んだ状態で観戦しています。
しかし予想外に奮闘するロッキー。
その姿をみて、ついさっきまで老体だと馬鹿にしていた観客が、驚くと同時に応援します。

試合後、ポーリーから『燻っていたものは消えたか?』と問われて返事をするロッキー。
この瞬間が、スタローンがロッキーという存在を受け入れた瞬間だったのではないでしょうか。

この考察はあくまで、私が勝手に考えたものなのですが、ロッキーという物語がスタローン本人の人生だと考えてみると、違った楽しみ方が出来るのではないでしょうか。