だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

株とオカルト (前編)

株ってありますよね。株式投資等の株。
ここ最近では、国が個人に株を買わせるために、必死で色んな制度を新たに作っていたりするので、興味をもたれているかたも増えているのではないでしょうか。
今回は、この株価について考えていきます。

そもそも株とは何なのかというと、会社そのものだったりします。
株というのは通常、複数発行されているため、株価と発行株式数をかけ合わせたものが、その会社の値段ということになります。
この会社の値段の事を時価総額と呼び、トヨタの場合は20兆円前後なので、20兆円あれば、誰でもトヨタを購入することが出来る径さんになります。
まぁ、実際にトヨタを買うとなると、買収を妨害するためや、自身が儲けを出すなど、様々な目的によって値段は跳ね上がる事が予想される為、単純にこの値段で変えることはないのでしょうが、制度としては現時点で20兆有れば購入できます。
トヨタの全てを欲しいわけではなく、実質的に一番偉くなりたいだけなら、トヨタの50%超の株を購入すればよいだけなので、必要資金は半減します。

よく、『会社は働いている私達のものだ!』なんて言ってる方もいらっしゃいますが、資本主義社会のこの世の中では、そんなものは与太話に過ぎず、会社は株主の所有物で、会社が産み出す利益、溜め込んだ資産の全ては株主のものです。
経営者というのは基本的には株主に経営を任されているだけのサラリーマンなので、会社の中で一番偉いわけではなかったりします。
何をするにも、株主にお伺いを立てなければならないのが、資本主義社会なんですね。

この、資本主義社会では結構重要な株式ですが、値段の付け方に注目してみると、結構、オカルト的な感じだったりします。

先程も書きましたが、株というのは会社そのもので、株価は会社の金銭的勝ちを表すのですが、何の物差しもないままに『トヨタいくら?』なんて聞かれても、返答に困ってしまいますよね。
そこで、株式市場には、株価を測るための物差しが沢山、用意されています。

一番よく利用されるのが、PER・PBRといった指標です。
PERは株価収益率の事で、PBRは一株辺りの純資産の事です。
資産運用に縁遠かった方などは、ややこしそうな印象を持たれるかもしれませんね。
ただ、これらの指標も、その意味を知ってしまえば、実は簡単だったりします。

株価収益率であるPERは、その会社が稼ぎ出す利益を、発行株式数で割ったもの。
一株当たり純資産であるPBRは、会社が持っている資産を全て売却した際の金額を、発行株式数で割ったものです。

先程も書きましたが、会社が稼ぎ出す利益も、溜め込んだ資産も、全ては株主のものです。
会社が稼ぎ出した利益は、株主に分配されますし、分配されなかったものは資産として溜め込まれます。
仮に、会社がある時点で解散した場合は、資産はすべて売却され、株主で分けることになります。

例を出して説明すると、1億円の利益を毎年上げている会社があったとして、その会社が発行している株が10000株あったとする。
この場合、1億円を発行株式数の1万で割ると1万円になる。
仮に、銀行金利が2%ぐらいだとした場合、元本保証で比較的低いリスクで稼げるリターンは2%という事になる。
価格変動リスクがある株の場合は、当然、これよりも高いリターンが無いと、投資する意味が無い為、3%ぐらいのリターンの上乗せを期待し、合計で5%のリターンが有れば価格変動リスクを受けても良いと考えた場合、この株の適正価格は20万円ということになる。
これが、PERを基準にした株価の計算方法。

PBR(一株当たり純資産)の場合は、もっと計算が楽で、持っている資産の一株あたりの価格と株価を単純に比べればよいだけです。
例えば、この株式会社が、製造機械や本社ビル等の資産を足し合わせ、20億円の資産を保有している場合、発行株式数1万株の場合は、20億を1万で割れば良い。
そうすると、一株当たり純資産が20万円ということが分かるので、20万円を下回っている場合は、その株を購入し、その時点で株主全員が解散を持ちかければ、株主は特をすることになる。
20万円を上回る価格の場合は、その時点で解散すると損が出るという具合です。

これらの2つの指標の場合は比較的分かりやすく、理解もしやすいと思います。

ただ、問題無のが、テクニカル分析という名のオカルト手法だったりします。
先程、紹介したPER・PBRといった指標は、ファンダメンタルズ分析と呼ばれるもので、企業の価値や収益など、実際の会社の活動の結果を見て分析するものなのですが、この手法の欠点としては、企業業績はそんなに頻繁に開示されないということ。
上場企業については四半期ごとに決算発表がありますが、逆に言えば3ヶ月ごとにしか判断材料が得られないという事にもなります。

しかし一方で、株価自体は毎日取引されている為、毎日どころか、それこそ秒単位で動いていたりします。
ではこの、秒単位で動く株価の動きを、どの様に予測するのか。
その指標になるのが、テクニカル分析なのですが… これが結構、胡散臭い。

例えば、テクニカル分析の基本となるのが移動平均線で、これは、一定期間内の株価の平均値を出したものです。
25日移動平均なら、終値が決定した最新の株価から25日前までの株価を全部足し、25で割ると平均値が出ます。
翌日になると、最新の株価が一日分進むので、それを繰り入れ、一番古い株価は切り離す。つまり、常時、最新から25日分の範囲が入るように、トコロテン式に範囲をずらして平均値を出していくということです。
これを連日続けると、過去25日の平均値が毎日更新され、それをつなげると一つの線になります。
これが25日移動平均線で、5日間の平均を取った5日移動平均など、期間を変えた平均値が沢山あります。

で、この移動平均線を使ったテクニカル分析で、ゴールデンクロスという考え方があるのですが、根拠が全くわからない。
ゴールデンクロスという考え方は、投資初心者が読むようなマネー雑誌に頻繁に取り上げられているので、知ってる方もいらっしゃるかと思いますが、簡単に説明すると、期間の長い移動平均と短い移動平均線を出し、長い移動平均線を短い移動平均線が下から上に抜いた時に書うという手法。
さっきの例でいうと、25日移動平均を5日移動平均が下から上に抜けば買いという事です。ちなみに逆はデットクロスで、売りのサインといわれている。
しかしこれが、全く根拠がない。
例えば、バブル前の様に、基本的に株価が上昇しかしない局面では有効な手法だったのかもしれませんが、上がったり下がったりしている状態では、役に立つどころか毎回損をする可能性も有る。
というのも、長い移動平均は、多くの日数を計算に組み入れているため、動きは鈍い。その一方で、期間の短い移動平均は、組入期間が短い為に動きやすい。
25日移動平均を、5日移動平均が下から上に抜くということは、株価は既に25日の平均値を5日程度は上回って推移している状態にある。
株価が一方方向のトレンド(向き)を示すこと無く、短い間隔で一定レンジを上下している場合、ゴールデンクロスの時が株価のピークで、デットクロスが底値ということが結構有る。

今回の説明では、5日と25日という短い移動平均で説明したが、マネー誌の多くは短期トレードではなく中長期を押しているため、使用される移動平均は13週移動平均と26週移動平均だったりする。
26週ということは半年なので、期間が伸びれば伸びるほど、株価の上限・下限の幅は広くなるため、大損する可能性が出てくる。

じゃぁ、株価が一定のトレンドの状態の時なら役に立つのかといえば、そうでも無い。
大抵の場合、株価は上昇するよりも下降するスピードの方が早い一方で、移動平均線の動きは遅いため、デットクロスが出ているのを待っていると、儲けが全部なくなっているなんてこともかなり多い。
というか、こんな簡単な方法で儲けが出るのであれば皆やっている。
ちなみにこの投資手法、外れて損失が出たとしても、『いまのは騙しだから、騙しかどうかを見極めないと』という魔法の言葉で、この手法自体の間違いは無かったことにされる素敵な理論だったりする。
騙しかどうかを見破れるなら、株価が上がるか下がるかも分かるため、そもそもこんな投資手法に頼らなくても良い。

…と、書いている間にヒートアップしてきたのですが、結構長くなってきたので、続きはまた次回に。
kimniy8.hatenablog.com

【本の紹介】 機械との競争 (後編)

今回の投稿は前回の続きとなっています。
まだ読まれていない方は、そちらを先にお読みください。

      

前回までで、経済指標は回復しているが、大半の庶民の所得は減少している事について書きました。
その主な理由は二極化で、テクノロジーの進歩によって新たな富が生まれても、その富の100%以上は一部の人間によって吸い上げられているからです。
この本では、3つのパターンで二極化について説明してあり、その内2つは前回に紹介しました。

最後のケースは、CEOと労働者との関係です。
結論からいえば、このケースでも二極化は起こり、CEOがボロ勝ちとなります。
1990年では、CEOと労働者の所得格差は70倍程度でしたが、現在では300倍にまで拡大しています。
300倍ということは、一般労働者の所得が200万だとした場合、その企業のCEOの所得は6億ということになります。

これらの事から分かることは、二極化は確実に起こっているという事。
これを読んで、『自業自得だろ!』と思われる方も多いかもしれませんが、そう笑っていられるものでもありません。
というのも、最初の『スキルの高い労働者対スキルの低い労働者』の対決ですが、これを更に具体的に観ていくと、面白いことがわかります。

世間一般で、低所得・底辺とされている方の求人需要は減っておらず、その一方で、プログラマー等の最新技術を持つ人の求人も減ってはいない。
減っているのは、その何方にも属さない、中間部分のスキル層。
簡単にいえば、ホワイトカラーと呼ばれる方達の仕事です。

考えれば分かることなのですが、例えば、介護施設のケースで考えてみましょう。
介護施設では、介護職員が行う仕事は多岐にわたります。風呂に入れたりオムツを変えたり食事の手伝いやなど、その他にも様々な事が一人の人間によって行われているわけですが、これらを全て機械化しようと思うと、相当な量の機械が必要となります。
当然、そのコストは莫大なものとなるので、施設の経営者は簡単に投資を行うことは出来ません。
様々な機械を大量に購入するリスクを考えると、人を雇って複数の仕事を行わせるほうが、低リスクです。
コンビニ店員なども同じです。レジ打ち、品出し、配送受付などなど、一つひとつの作業は単純作業ですが、行う仕事べき大量に有ります。
ここ最近のニュースでは、レジ打ちのみ自動化するような店舗も出てきましたが、レジ打ちが無人で出来るようになったからと言って、人がいらないのかといえば、そうではありません。

その一方で、デスクワークしている会社員はどうでしょう。
例えば経理ですが、昔はソロバンなどで計算して、いちいち紙に書いて帳面をつけていたので、大きな会社であればそれなりの人数の経理係が必要でした。
しかし現在では、自動計算してくれるコンピューターが存在し、それらは全て、ネットによってつながっている。
この環境を利用すれば、社員一人ひとりが支出や売上を入力することで、殆どの作業を自動化する事が可能です。
その為の設備投資も安価で、それぞれのコンピューターにソフトを導入するだけでよい。
プログラムも単純な計算結果を残すだけのものなので、複雑なものではなく、この分野では既に価格競争に突入し、個人商店レベルなら無料で使えるソフトなども出てきている。
また、自社の帳面を記帳するだけでなく、税金計算も行ってくる為、税理士も不要になってくる。
こうなって来ると、これらの分野の仕事がそもそも必要なくなる為、この分野の人達は仕事を失うことになる。

これは、その他のホワイトカラーも同じです。
例えば、情報を右から左に流しているだけの役職の語って、結構いますよね。
部下から上がってきた仕事を上に伝えるだけだったり、得意先から入ってきた仕事を下請けに投げるだけの人。
これらもソフトによって自動化、または、直接伝えることが出来るようになる為、存在理由が無くなる。

その一方で、この世にない様なサービスを思いついて形にする人や、様々なものを自動化するためのプログラマーといった分野の人は、これまた需要が高くなる。
この分野の人は世界レベルで求められる為、人材獲得合戦になっている事からもわかります。

前にも書きましたが、この本はアメリカの著者によって書かれた本なのですが、この傾向はは日本でも当てはまりますよね。
日本でも、コンビニ・飲食店・介護・保育士といった分野の人間は常に需要が高く、優秀なプログラマーなどは海外に吸い取られていて人が足りない状態ですが、中途半端なホワイトカラーの需要はそこまで多くない。
ただ日本の場合は、解雇が他の国に比べてしにくい為、これらの人達は保護され、結果的に効率化が出来ないままに更に人を雇うということを行っているため、企業の生産性が下がり、世界から置いていかれている感はありますけどね。
ちなみに、機械化しにくい為に人を雇っている分野は、消極的な理由での需要増加なので、賃金が上昇していくことはありません。
これは消費者側が、『このサービスにそこまでの金額を払いたくない』と潜在的に思っていて、結果として支払う金が少なくなり、それが労働者に跳ね返っているのかもしれませんが。
以前にも書きましたが、資本家は一定レベルの儲けがなければ事業を起こす意味が無い為、儲からなければ起業しませんし、儲けが減れば経費を抑えてでも自分の利益は確保しようと思います。
結果として、低スキル労働者の場合は、需要は高いが賃金は抑えられる傾向にあり、高スキル労働者は人材獲得合戦になる為、給料は上昇する。
その一方で大半の管理職は、必要とされなくなるという事。

では、これらの状況が良いのかといえば、当然、そんなことはありません。
この本では、自動車メーカーのフォードのCEO、ヘンリー・フォード二世と、全米自動車労働組合のウォルター・ルーサーの会話が取り上げられています。
(以下引用)
『ウォルター、ここにいるロボットたちから、どうやって組合費を徴収するつもりだい?』
それに対して間髪入れずにルーサーは、高切り替えします『ヘンリー、ここにいるロボットたちに、どうやって車を買わせるつもりだい?』

消費社会というのは、消費者がお金を使うことで社会が循環するわけですが、効率化に寄って労働者から仕事を奪い、資本家が儲けを独り占めしてしまうと、大半の人達は消費するためのカネがないために、消費活動が起こりません。

ここまで読むと、結構リアル寄りで書かれている本にも思えますが、この本、何故か、終盤になり、機械と人間が争うのではなく、協力しあった時が一番パフォーマンスが高いという話が出てから急に、ものすごいポジティブ思考になります。
テクノロジーをより進化させ、世界中のアイデアを自由にすることが出来る状態になると、仕事が圧倒的スピードで増加していくといった感じ。
世の中のアイデアは、基本的には既存のアイデアと他のアイデアとの組み合わせなので、一人の人間がたくさんの情報を知ることが出来ると、指数関数的にアイデアは増え、新たなジャンルが生まれる…
大量のジャンルが生まれるので、そのジャンルでの勝ち組であるスーパースターもジャンルごとに誕生し…云々といった感じ。

ただ、最後の最後でリアル寄りに戻り、世の中を良くするための20の提言を行っていて、その中には個人的に納得できる部分もあったので、結果から見ると、それなりに良い本だったように思えます。
本は2センチ近くとそれなりに厚いのですが、1ページ毎の厚さも厚いので、ページ数自体は170ページ程。
アメリカで書かれた経済系の本の割には、翻訳が読みやすい感じだったので、苦もなくサラッと読める感じも良かったです。
情強の人なら知っていたり考えれば分かる情報ばかりかもしれませんが、データなども掲載されているので、もっていて損はない本だとも思えます。

【本の紹介】 機械との競争

今回は、本、『機械との競争』の紹介です。

      

この本を簡単に説明すると、テクノロジーの進化によって、経済がどのように変化していくのかについて書かれている本です。
タイトルからも分かる通り、産業革命以降、機械と人間とは仕事を奪い合う状態にある状態なのですが、ITが進歩し、更に競争が激化したように思われる現状で、具体的にどのような変化が起こったのかを、詳しい数値を出しながら説明してくれています。
著者がアメリカ人の為、語られる経済の状態は基本的にアメリカの事ですが、日本人の我々が呼んでも共感できる内容となっています。

私達の社会を見渡せば、確かに、ITの進歩により、実際に多くの職が奪われています。
Amazonの登場で、実店舗の本屋はドンドンと減少していますし、本の電子化やゲームのダウンロード飯場によって、ブックオフ等の中古販売店も苦境に立たされている。
本屋に限らず、価格コムのように参入の簡単なサービスによって、実店舗を持つリスクなんてものも出てきています。
ネットをみれば、『後10年で消える職業』なんてニュースは定期的に出てきますし、今まで人を介して行ってきていた職業が、物凄いスピードで置き換わっています。

資本主義社会では、お金を稼がなければ生きていく為に必要な物資を手に入れることは出来ませんが、お金を手に入れる為には、働かなければなりません。
働く為には仕事が必要なのですが、その仕事が機械やテクノロジーによって奪われている状態。
この本では、この様な現状は、経済的な悪影響はないのかといった単純な疑問から始まります。

疑問を解決する為に、先ずは発表されている経済指標を観るところから始まります。
アメリカでは、2008年にリーマン・ショックという経済的ショックがありましたが、経済指標的には、アメリカ経済はショックを乗り切り、企業業績も過去最高を叩き出す企業が多くなってきました。

これは、日本でも同じですよね。
バブル期を超える決算を発表している企業は多数ありますし、株価も順調に上昇してきています。
2017年4月時点で、景気回復期間も戦後3位の52週間の継続と、日本は不況から立ち直っているとも考えられる経済指標がドンドン出てきています。
私には、全く実感はありませんが。

この『実感がない』と考えているのは私だけではなく、アメリカでもそうらしいです。
では実際には何が起こっているのかといえば、二極化です。

この本では、1983年から2009年までに創造された富の100%以上が、所得上位20%以上の方に流れ込んでいるといると示しています。
サラッと読み飛ばしてしまいそうですが、結構、ショッキングな内容です。なんせ、100%以上なんですから。
これは、26年間に創造された新たな富の全ての金が上位20%に流れただけではまだ足りず、下位80%の人の富が減り、減った分が更に上位20%に流れ込んだ事を意味します。
つまり、指数的には経済が成長しているにも関わらず、下位80%の富は減少し、上位20%の人間が吸い尽くしているということ。

大部分の人間にとっては景気回復は実感できず、むしろ自分達の生活は苦しくなっているのだが、全体としてみてみると、景気は回復しているから、何の問題もないという矛盾。
これは、所得のようなフラクタル構造のものに平均値を導入してしまったことによる間違いですね。
例えば、年収が200万円の人が100人集まると、平均値は当然200万円になります。
ここから一人抜けて、代わりに年収が2億の人が入ってきた場合、この100人の平均年収は倍近くに跳ね上がります。
残り99人の年収が100万円に減少しても、年収2億の人の所得が3億に増えれば、平均値は維持されることになります。
平均値というのは、たった一人の規格外によって、いとも簡単に意味をなくしてしまいます。

この本では、グラフなどを利用して現状を浮き彫りにしているのですが、それらのデータが指し示しているのは、二極化です。

では、二極化は具体的にどのように起こっているのかを、この本では3つのケースで考えています。

1.スキルの高い労働者対スキルの低い労働者
2.スーパースター対普通の人
3.CEOと労働者

最初の、高いスキルを持つものと持たない者との勝負ですが、こちらは高いスキルを持つものが勝ちます。
スキルを持たない人間の仕事の大半は単純労働の為、テクノロジーの進化によって、機械に仕事を奪われることになります。
その反面で高いスキルを持つ職人の仕事は、機械に置き換える事が難しい為、結果として人を使うほうが効率的になります。

次の、スーパースターと普通の人の場合は、スーパースターの圧勝となります。
一応、説明しておくと、スーパースターというのは芸能人だけではありません。それぞれの業界のトップで活躍している人や業種を含みます。
歌手などのケースで考えると、テクノロジーが無い頃の歌手は、ライブ中心で、観客の数は劇場の大きさが限度になっていました。
通信手段がないので、どれだけ有能な歌手であったとしても、噂が広がるのは隣町ぐらいが限度でしょうし、知名度もそこまで上昇しません。
しかしテクノロジーの進化によって、情報は瞬時に世界に広がることが可能になり、CDやダウンロード等の販売手法の増加により、観客の上限はほぼ無くなりました。
その一方で、他に選択肢がないから選ばれていたような普通の人は、スーパースターの商品がいつでもどこでも買えることが出来るようになる為、選ばれなくなります。

また、有名だから有名になるという現象も起こります。
ある分野でトップに君臨する人は、新規顧客が現れた時に、真っ先に選ばれがちです。
その分野に詳しくない新規顧客は、選択肢が多くなれば多くなるほど、どれが自分にあっているのかが分からず、とりあえず売れているものに手を出します。
これは製品でもコンテンツでも同じ。スマフォの機種の中でiPhoneが強いのは、性能が良いからというだけでなく一番有名だからで、有名で売れるから更に有名になるというサイクルが生まれます。

次に、CEOと労働者ですが…
長くなってきたので、続きはまた次にでも書こうと思います。

【おすすめPodcast紹介】 大好き・旅気分!!奈良発・ペルペルペルーサです!!

私の独断と偏見のPodcast紹介コーナー。
第122回。

過去に書いた投稿
タイトル紹介はこちら
エピソード紹介はこちら

今回は、【大好き・旅気分!!奈良発・ペルペルペルーサです!!】

です。


今回紹介するwebラジオは、【大好き・旅気分!!奈良発・ペルペルペルーサです!!】

番組の簡単な説明ですが、公式サイトの説明文がまとまっていて分かりやすいので引用すると
『元バックパッカー、45歳♂が、社会と家庭の責任を果たし、再びバックパッカーへのカムバックを目指す実録ドキュメント!!たまに脱線?もありますが、それは、旅好き・怪しい好きパーソナリティーのご愛嬌。。。時には、ゲストの方に来ていただき、海外事情、旅のこだわり、思い出話をお聞きします。どうぞよろしくお願いします。』
といった感じで、配信されている方はタイトルにもある通り、ペルペルペルーサさんです。
ここ最近の放送はゲスト回が多めで、バックパッカーへのカムバックといった雰囲気は余り感じ取れない感じですが、普段生活していると接することが出来ない情報を聴けて面白いですね。
ゲストとして呼ばれる方は複数人いらっしゃるのですが、全ての人を1度に呼ぶわけではなく、呼ぶ場合は1人づつ、1体1の放送になっています。

知った経緯としては、色んな所でペルペルペルーサさんの名前を拝見していたからです。
私がPodcastを本格的に聴きはじめた頃は、旅々プロジェクトやトリカゴ放送といった、旅をテーマにしているPodcastが多く、そのオフ会などにも参加していた為、facebookTwitterなどで同じ人と繋がっている場合が多く、頻繁に名前だけは拝見させて抱いてました。
そんな状態だったのですが、当時はPodcastを聴きたてで、トリカゴ放送や旅々プロジェクトの過去放送を掘り下げていた最中で、時間が無かったという事もあって聴けていませんでした。
その作業も一旦、落ち着き、時間が出来てきたということで、この番組を聞き始めました。

更新頻度は週に1~2回。
レギュラー回が1回と、競馬で大きなイベントが有る際は、その前日に予想回が更新されます。(2017年現在)

実際に聞いてみた感想としては、日本を出たことがない私にとっては、興味深く聞く事が出来る番組ですね。
ゲストとして呼ばれる方は複数人いらっしゃいます、ここ最近だと、タイ在住のシュールさんや、BTLGの方の結婚事情・南米を旅行中の方々等など。
何を持って普通というかは置いておいて、普通に日本で生活していると経験できないし、経験した人とも簡単に知り合えないような体験をしていらっしゃる方の話が聞けるので、未知の世界を覗けるような感覚で、楽しんで聴けます。

この様な雰囲気を保ち続けていられるのも、配信者のペルペルペルーサさんの好奇心があってこそなんでしょうね。
私の個人的な偏見も有ると思いますが、元・現に限らずバックパッカーは、普通の人よりも好奇心が強いと思います。
強くなければ、他人が行かないような場所や、避けるような安宿に泊まろうと思いませんもんね。
人とつながる事にも貪欲だと思うので、様々な価値観を持った方と知り合うことが出来たんでしょう。

そんな多種多様な方がゲストとして登場する番組なのですが、そんな中でも、個人的に一番おもしろいと思う話をされるのが、通称『モハちゃん』の話。

『モハちゃん』なんて可愛い感じのあだ名で気軽に書いてますが、おそらく私よりも年上の男性で、話し方や話題などからも、社会的な地位もしっかりとした方だと想像できる方です。
この方の話なのですが、インドネシアに在住ということなんですが、観光客どころか日本人では絶対に行かないような場所に出かけた上で体験談などをしてくれます。
時には下の話なんて事もありますが、そういうのに特化しているわけでもなく、日本を離れて住んでいるからこそ感じる日本経済の話。株・為替を交えたグローバルな話なんかもされ、引き出しの多さが半端じゃありません。

グローバル経済の話は、日本にいても検索をすれば手に入るだろうと思われる方も多いとは思いますが、日本の情報というのは日本というフィルターを通って入ってきて、報道機関の都合の良い用に加工されて入ってくる為、日本に住んでいると情報は偏るんですよね。
『じゃぁ、インドネシアは偏ってないのか!』という反論をされる方も多いと思いますが、インドネシアインドネシアで、当然、偏っているでしょう。
世界のニュースもインドネシアの価値観に変換された形で理解されますし、インドネシアに住む人達に聞こえの良いように加工されるでしょう。
報道が権力側に擦り寄っていると、それを踏まえたフィルターを通した伝え方になることは、容易に想像できます。

ただ、この様な偏った情報であっても、多方面から観ることで、ある程度のフィルターを取っ払うことは可能です。
一方方向から見ると歪な情報でも、4方向からみれば全体像がある程度、浮き上がってくる。
見る視点を更に増やすことで、より正確に理解できるようになる。

視点は増やせば増やす程、物事を理解する助けになるわけですが、日本に住んでいる状態だと、どうしても日本のフィルターがかかった情報が多くなってしまう。
今はネットなどがあり、日本に居ながらにして海外ニュースを拾うことは出来ますが、それもでも、現地の情報をそのまま手に入れようと思うと、英語を理解する能力が必要になってきます。
この様な状態なので、海外に住んでいて、フィルター余りかかっていないフラットな見方をする方の意見は、非常に価値が有るんですね。
そんな視点を定期的に与えてくれるというだけで、聴く価値があります。

ゲストもコロコロ変わり、話される内容も結構違いが有るので、今回メインで紹介した方の話の内容が気に入らないという方も、他の方の話だったら興味深く聞く事が出来るかもしれません。
この辺りが、ゲストが変わる番組の強みですよね。

ゲストによって番組の色が結構変わるので、飽きにくいというのも良い点だと思います。
興味を持たれた方は、試しに聞いてみてはいかがでしょうか。

木村、Podcastはじめるってよ

タイトルの通りなのですが、Podcastを始めることになりました。

私は何年間か、ブログを通して自身の考えや思ったこと、勉強したことや体験したことの感想などを発信し続けてきました。
この活動はこのまま続けるつもりなのですが、この『ブログを書く』という作業をしている時に、何回かに一度は、『喋ったらもっと楽なんだけどな。』と思うことがあるんです。

というのも、文字での更新というのは、思っている事をそのまま伝えづらい場合が結構あります。
文字では、熱が伝わらないというんでしょうかね。単なる情報になりがちで、感情などが表現しにくいんです
その為、『文字で読んだら、誤解するんだろうな。』といった事も結構あり、それを避ける為に、別の表現に置き換えた結果、ニュアンスが変わったりと、微妙に不便なんですよね。
『もっと文章の書き方を勉強しろ。』といわれれば、その通りなのですけどね。

後、制限も結構有るんですよね。
例えば、理解を進めようと詳しく書いたり例を出したりしていくと、結構な長文になっってしまう。
私が読者の立場なら、長文の時点で読む気をなくすので、私なら読めるレベルの長さにしようとすると、ある一定の文字数でまとめなければならない。

また、前後の文脈なんかも考えながら書いていくと、『思ったように書けない』と思うことが、それなりに有るんですね。

でも、これが音声の場合は変わってきます。
文字のように、頻繁に読み返すような事が出来ない為、その時々で話したい事が話しやすい。
例えば、テーマに関係のない余談でも、『余談ですが』と一言挟むだけで、本編に余り関係がない事でも発信しやすい。メインテーマに戻りたければ、『脱線してしまいましたね』と言って、戻れば良い。

ニュアンスなども、熱が伝わりにくい文字よりも、音声の方が、より、伝えやすい。
私が発信するコンテンツは一人喋りなので、感情豊富に話すわけではないのですが、それでも、文字だけよりかは情報量が多くなると思います。

その他の理由としては、利用者層の違いでしょうか。
文字のみのブログと、何かをしながらでも聴ける音声コンテンツとでは、利用の仕方そのものが変わる為、利用者層も変わってくると思います。
どうせアウトプットをするのであれば、幅広い層に伝えたいという事で、今までとは違った場所にも出ていこうと思ったわけです。

そんなわけで、文字のみのブログ『だぶるばいせっぷす』の補完的な感じで、音声ブログを発信していきます。
コンテンツ名は、ブログ名と同じ『だぶるばいせっぷす』

基本的には、過去に書いたブログからネタを拾う形での配信になると思います。
興味の有る方は、是非、聴いてみてくださいね。

【本の紹介】 史上最強の哲学入門 (後編)

この投稿は前回の投稿の続きです。
まだ読まれていない方は、まずは、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

      

この本の理解をより進める為に、に第一ラウンドの真理の『真理』を簡単に見てみましょう。

最初の出だしは、プロタゴラスから始まります。
彼は相対主義を掲げ、絶対的な真理はこの世には無く人それぞれの見かたが有るだけだと説きます。
それに対し、カウンターを放つのがソクラテスです。
相対主義とは、人それぞれの考え方を尊重する、一見すると大人な意見なのですが、見方を変えれば思考停止ともとれます。
何故なら、他人が自分とは違った意見を主張しても、『それは貴方の意見でしょ。私には私の考えがある』と開き直れるし、逆に、他人の意見が自分と違う場合『私は、そんな考えはしない』と簡単に反論ができる。
根底に『絶対的な真理はなく、存在するのは人それぞれの考え方が有るだけ』という世界では、意見の違いから討論したとしても、その労力が無駄となり、最終的には『貴方の考え方と、私の考え方は違う』という結末に落ち着いてしまう。
考え方は人それぞれで、善も悪もそれぞれの考え方次第という世界では、どんな議論もプロレス化してしまい、目立つことを言った者勝ちになってしまう。それが政治の世界にも蔓延し、政治の世界はパフォーマンス合戦になってしまった。
現代と通ずる部分がありますよね。

そんな世界に対してソクラテスが起こした行動は、パフォーマンスを行っている政治家に対して、質問を投げ続けることでした。
質問をされた政治家は、最初は『そんな簡単なこともわからないのか?』と上から目線で説明をしてくれるのですが、その説明に対して『何で?何で?』と質問をし続けると、最終的には答えられない壁にぶち当たってしまう。
政治家は、自分では知っているつもりで持論を展開していたのにも関わらず、根本的なことを何も分かっていなかったことに気がついてしまう。
これが有名な『無知の知』ですね。
ソクラテスは、好奇心の原動力は自分が無知であることを自覚するところから始まると考え、無知の知を広める為に行動をし続けたのですが、赤っ恥をかかされた政治家に仕返しされる形で処刑されてしまいます。

しかし、ソクラテスの主張によって目を覚ました若者たちは、その後、真理を追い求めて知識を探求することになっていきます。
その中の一人に、プラトニックラブで有名なプラトンなんかも居るのですが、プラトンの主張は、ソクラテスの主張やそれが浸透した世界とバッティングしない為、この章では登場しません。

代わりに登場するのが、デカルト
ソクラテスの主張で目を覚ました若者は、一生懸命『真理』について考えるのですが、そんなものは簡単には手に入りません。
ノーヒントの真理の探求は、地図を持たない砂漠のど真ん中で、針を探すような作業。
では、何らかの前提条件を考える事で、探しやすくしようとしたのがデカルトです。
前提条件とは、数学でいう定理のようなもので、『平行線は交わらない』『三角形の和は180度』といった感じのもの。
この様な前提条件を付けることで、探しやすくしようとしたわけです。では、その前提条件とは何かというと『我思う故に我あり』です。

定理とは、絶対に正しい事である必要があり、絶対に正しい事を探そうと思うと、一度すべてのものを疑う必要が有る。
こうして疑い続けると、最後に残ったのは、全てのものに対して疑っている自分だけになってしまったという考えですね。
『考えている自分しか残らないの?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、現状でも『世界5分前仮説』が否定できない状態なので、仕方のないことなのでしょう。
このデカルトですが、『考えている自分は、確かに存在している』という定理から、何故か、『私が確定しているのだから、私が明晰に理解・認識しているものは確実に存在する』『何故、私の責任が正しいのかというと、それは神様が私を作ったから。』という論理の飛躍をします。

これに反論したのが、懐疑論者のヒューム。
デカルトが、最初にに定理をおいてから、それを拡張する方向で考えをしようと考えたのに対し、ヒュームは『我思う故に我あり』という定理を更に掘り下げて、『我って何?』と疑い続けます。
そしてヒュームは、『我・自分というのは、観る・触れる・聴くといった近くの集合体というだけだよね』と、『我』の範囲を極限まで狭めてしまいます。
その懐疑はとどまることを知らず、科学や神といった禁断の領域にまで達してしまいます。
今ある科学は、皆が経験した事を、一つの法則にして理論立てているわけですが、誰かが落としたリンゴが地面に落ちないだけで、今までに構築された理論の多くは破綻してしまいます。

徹底的に世界を疑い続けたヒュームですが、疑うだけでは何も生まれません。
それに対して抗ったのが、純粋理性批判でお馴染みのカント。

カントは、『人は経験によって物事を感知しているだけだが、人が経験によってインプットするのは、時間的・空間的といった共通の形式に則って行っている。』とし、経験に共通の受け取り方があるのであれば、理論を構築するのも可能としたようです。
『共通の受け取り方が有るから共通の認識が生まれるので、それによって法則が生まれても良いよね。』ということらしい。
しかし、これはあくまで人間に限定したこと。種が人間から別の生物に変化すると、経験の受け取り方も変化する可能性がある為、心理があるとしても、別の生物と人間とで同じ心理に到達するとは限らない。
これが、かなり凄いコペルニクス的転回のようです。
というのも、真理とはこの世を貫く唯一の法則と考えられてきたわけですが、この考えによると、真理とは受け取る種族ごとに存在することになります。
そして人間に到達できるのは『人間の心理』だけであって、他の生物の真理には到達することは出来ないという限定された『真理』に変化しました。

ヒュームの理論では全てのものが疑わしいため、真理の存在も疑わしかったわけですが、カントの登場により、変化はしましたが『人間にとっての真理』は有ることになりました。
しかし、在るとされた『人間にとっての真理』は、どのように見つければよいのか。その方法がわからない。またフリダシに戻ってしまいました。
そこに現れたのがヘーゲル
彼は『弁証法』を武器に、人間にとっての真理を見つけ出そうとします。
弁証法とは、簡単にいえば、数ある思想・理論を議論を通じて戦わせることで、進化させようという手法。
主張Aに対して反論Bをぶつけることで、Aの理論の矛盾点や不明な点が浮き彫りになるので、この部分を更に改良したり、別の視点を加えるなどして発展させていこうという考えです。
この様な討論を長期間繰り返し続けることで、いずれは真理に到達するのではないかという考え方です。

中々ごもっともな意見なのですが、この弁証法という方法論そのものに反論をぶつけてくる哲学者が存在しました。
それが、実存主義キルケゴール
彼は、弁証法のやり方では、真理が見つかるのは相当、先になってしまう。未来の人類に真理を託し、心理を知らないままで自分が死んでしまうのなんて嫌だとし、『自分にとって真理と思えるような真理。その為になら命を賭けられるような真理。そんな真理を見つけることが重要。』と言い出します。
まぁ、気持ちは分からなくもないですよね。
人類という種が、いずれは真理の到達するかもしれないって言われても、自分の人生は自分が死んでしまったら終わりですし、自分の人生の主人公は自分なので、自分で真理を感じたいと思うのは当然でしょう。

この意見を受けて、哲学者サルトルは、『じゃぁ、人類の歴史に積極的に参加して、その動きを加速させればいいじゃないか。その為に人生を賭けてみよう。』と主張。

しかし、この主張を受けて、構造主義の祖 レヴィ=ストロースは、『歴史って加速させた後に、どこかに到達するようなものなの?』『歴史って、一方方向に進むようなもの?』と異論を唱えます。
というのもこの人物は、本職が人類学者で、世界各国の民族や国のシステムや考え方について研究していた人物。
弁証法によって考え方が改良されていけば、いずれは素晴らしい世の中になるというのは西洋的な考え方で、住む地域や環境が違えば、その考えも変わってくるというのを知っていた。
例えば、アジアでは時代は巡っていくものとされ、長いスパンで観ると人間は同じ間違いを起こすので、似たような現象が繰り返され続ける。
歴史が何処かに到達する一本道なら良いが、同じところをぐるぐる回っている円であるなら、スピードを速めたところで、サイクルが早くなるだけでどこにも到達しないことになります。

この後、更に3人ぐらいが登場し、真理の形なども変わってくるのですが、それを書くと結構長くなってきたので、このあたりで振り返りは終わろうと思うのですが、この様な感じで、主張に対して反論をぶつけるという弁証法のような感じで進んでいきます。
これが4ラウンド続き、最後に総括で終了します。

哲学書は非常に読みにくく、ハードルが高い分野なのですが、それを誰にでも伝わる言葉で短くまとめてくれている点が、非常に良いとお見ます。
ただ、物凄く長い主張を短いページ数でまとめている為、『ん?』と思うような部分もあったりします。
ですが、これは入門書。
表層的な部分を知って興味を持たせることが役割。
これを読んで興味をもった人が、ここに登場した人物が書いた本などにチャレンジしてみるようと思わせることが出来れば仕事は終わりなので、祖いう観点から観ると、非常に優秀な本だと思います。

サッと読める本なので、興味をもった人は是非、購入してみてください。

      

【本の紹介】 史上最強の哲学入門 (前編)

今回紹介する本は『史上最強の哲学入門』
表紙イラストを漫画『グラップラー刃牙』を描いている板垣氏生が手がけ、文を飲茶さんが書いている、哲学入門書です。

      

この本を知ったキッカケは、岡田斗司夫Podcastという番組のオープニングトークで取り上げられていたからです。
知ったキッカケはそうなんですが、買おうと思った切っ掛けは違っていて、購入動機は、飲茶さんの文章が読みたかったからです。
そう、飲茶さんという方は、結構昔から知っていたんです。

私がインターネットを利用するようになって、20年近くが経つのですが、当時は、今のように様々なサービスが充実しているわけではなく、ネットの遊びは限定されていました。
SNSなんかもメジャーでは無かった時代だったので、フラッシュを観るとか、個人が運営する文字主体のテキストサイトを巡回するというのが、私の主なネットでの過ごし方でした。
テキストサイトは、メジャーなものだと『侍魂』とか『Mチカ伝説』など。ブログとは少し違い、日記というよりは本に近い感じ、目次などもあり、コンテンツを読む順番なんかが決まってるサイトもある、ウェブ上の文字主体のコンテンツです。

そんなテキストサイトの一つに、『哲学的な何か あと科学とか』というサイトがありまして、私はそのサイトのファンだったんです。
当時は、暇さえあればサイトを訪問し、気になる投稿を読んでいました。

サイトの説明を簡単にすると、タイトルに有る『哲学』『科学』、そして科学に関連する『数学』についての解説が行われているサイト。
これだけ聞くと眠たくなりそうな感じですが、このサイトの凄いところは、難しい理論や数式などを使用せずに、私の様な高卒にでも分かるように、難しいことを簡単な日本語で説明してくれているところです。
現在でもサイトは無料で閲覧できる状態になっているので、興味の有る方は読んでみてください。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/www.h5.dion.ne.jp

この様な感じで、元から飲茶さんのファンだったという事と、そもそも哲学に興味があったということで、この作品を購入してみました。

読んでみた感想ですが、やはりというか、非常に読みやすい上に楽しめる作品となっています。
哲学入門書を読んだことがない方にとっては以外かもしれませんが、哲学入門書というジャンルで読みやすくて楽しめるというのは、かなり画期的なことです。
私は過去に何度か哲学入門書を読もうとチャレンジしたことがありますが、全て挫折して終わっています。
哲学入門書というジャンルは、最後まで読ませることが出来た時点で成功だと思います。それぐらい、読みやすいというのは重要です。

タイトルに『史上最強』とありますが、この元ネタは、表紙イラストを書かれている板垣さんの作品『グラップラー刃牙』のオマージュでしょうね。
グラップラー刃牙では、史上最強を決める為に、東京ドームの地下にあると言われている地下闘技場でトーナメントが開催されるのですが、ここで選手入場の際に簡単な紹介をされます。
この本では、そのノリを完全にパクって、哲学者に置き換えた哲学者紹介から始まります。

例えば、本家で
『虎殺しは生きていた!!更なる研鑽を積み人間凶器が甦った!!!武神!!愚地独歩だァーー!!!』
という紹介が
『神殺しは生きていた!!更なる研鑽を積み人間狂気が甦った!!!超人!!ニーチェだァーー!!!』
という感じ。
こんな感じで哲学を語ってくれるので、面白くないわけがありませんよね。

選手入場が終わり、本編に突入するのですが、本編は4ラウンドあり、それぞれテーマが変わります。
第1ラウンドは真理の『真理』
第2ラウンドは国家の『真理』
第3ラウンドは神様の『真理』
第4ラウンドは存在の『真理』
それぞれのラウンドで出場者が変わり、総勢32人が登場します。

それぞれのテーマにそって哲学者が登場し、独自の理論を展開していくのですが、これもタイトル通り、対決形式で行われます。
基本的には時代に沿った主張がされる為、最初に古代の哲学者Aが主張を行い、その主張が浸透した世界に対して、別の哲学者Bが反論を唱える。
哲学者Bの主張が浸透した世界に対して、哲学者Cが反論し、その主張に対してDが…といった感じで進んでいきます。

一人の哲学者に対しての解説は、5ページ前後。
1ラウンドが終了する度に、作者の飲茶さんが全ての意見を総括する形で、自分なりの考えなどを述べていきます。

この方式ですが、非常に分かりやすい。
哲学者の主張だけでなく、その主張を受けて世の中がそのように変化したのかも書いてくれている為、大まかな歴史の流れも分かるようになっています。
哲学者がそれぞれの環境の中で、どの様に考えたのかということを、物凄く噛み砕いて簡単に書いてくれている為、非常に理解がしやすい。
そして、次の登場人物が前の人物の主張と、それを受け入れた世界の問題点を指摘してくれている為、一方的な見かたではなく、多方面的な味方ができるような作りになっています。

より理解をする為に、簡単に第1ラウンドを振り返ってみたいと思うのですが…

それを今回書いてしまうと物凄く長くなってしまうので、それはまた次の機会にしたいと思います。
kimniy8.hatenablog.com

      

PSVRが買えないので 簡易VRゴーグルを買ってみた

先日のことですが、スマホを利用した簡易VRを購入しました。
本当は、PC周辺機器で頭一つ出ているviveやPSVRが欲しいのですが、viveの場合はVRが動かせるスペックのPCから揃えなきゃ駄目なので、30万近くかかってしまう。

PSVRはこれよりも安いが、現状、転売ヤーから買わなければ手に入らない状態。
とはいっても、4月29日の追加販売では、抽選販売にも関わらず全員当選とか、それで捌けないので店頭販売しているなんて話も聴ます。
5月は体験会+予約も開始され、その発送が5月30日っぽいので、その時に同時に追加販売されるでしょうし、遅くともその次の追加販売で、需要と供給が釣り合いそうな雰囲気ではありますが。
価格コムでも、価格が急降下中ですしね。

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転売ヤーは、ここ2ヶ月ぐらいで在庫を売りきらないと、損する可能性が高いでしょうね。まぁ、転売ヤーが地獄をみたところで、痛くも痒くもないんですが。

この様な感じで、現状、ちゃんとしたVR機器を購入するのがかなりハードルが高いということで、個人的なガス抜きの為に、簡易のVRゴーグルを購入してみました。
それがこちら。

    

私が購入した時点では、お値段3300円とかなり安い。
これよりも更に安いモデルなんかは、1000円以下で購入可能。先日、Twitterで発見したTweetによると、ドスパラでは実店舗で限定数個だけ500円で販売していたなんてこともありました。

普通に買えば5万や10万するようなVR機器が、何故こんなにも安いのかというと、VR機器の複雑な部分は全てスマートフォンに丸投げしているからです。
最近のスマートフォンには、スマホの傾きや方向を感じ取るセンサーが取り付けられているので、これによってスマホの状態を感知し、それに合わせた画像を映し出す機能が備わっています。
それを応用したのがこの商品。商品自体は、スマホの画面を拡大するためのレンズと、それを頭に固定するためのバンドがついているだけ。
人によって目の間隔が違うので、それを調整するための機構などが備わっているだけ。
ディスプレイや、各種傾きセンサーなどはスマホに丸投げしている為、低価格化が可能になったんですね。

購入してみた感想としては、3000円にしては結構良い買い物って感じですね。
私は目が悪く、視力が0.04とかなので、VRの際に気になっていたのが、眼鏡をかけての装着ができるかどうかでした。
しかし、実際の商品を試してみると、そもそも眼鏡が必要ない。

VRゴーグル自体が視力矯正を出来るような構造になっている為、両目0.04の視力しか無い私でも、メガネ無しでの体験が可能でした。
気になった点としては、視力矯正の際には耳付近についているダイアルを回すのですが、左右の何方か一方を回すと両方の第あるが回ってしまう仕組みになっている点。
私の場合は、両目共に0.04と同程度の悪さなので問題はありませんでしたが、視力が左右でばらつきのある人にとっては、余り意味のない構造だったりします。

次に良かった点は、ヘッドホン内蔵という点。
ゴーグル部分にスマホを入れるのですが、その部分にイヤホンジャックがついている為、それを差し込むだけで、ヘッドホンから音が聞こえます。
安いVRゴーグルの場合は、ヘッドホンがついていない場合が殆ど。
360度の立体写真をみるためだけに買うのであれば、ヘッドホンなしの低価格版も良いとは思いますが、音声付きの動画などを見たい場合は、ヘッドホン付きの方が良いと思いますね。

では、VRゴーグルを購入すると、どんなコンテンツが体験出来るのでしょうか。
一番簡単に体験する方法としては、スマホのアプリストアで『VR』と入力すれば、VR対応コンテンツが出てきます。
有名なのだと、ジェットコースターの体験アプリなどですね。

有名で手軽なのは、youtubeアプリ。
検索で『360 VR』と入れると、対応コンテンツが出てきます。
設定からVRゴーグルを選ぶ事で、左右に分割された映像に変換できるので、これでVR体験が出来ます。

他に有名で面白いのが、グーグルのストリートビューアプリ。
google map とは別のアプリで、ストリートビューを独立させたようなアプリなのですが、このアプリで、ユーザーが世界中で撮った360度の写真を見ることが出来ます。
地図をタップすると、その地域の写真がピックアップされる為、瞬時に色んな場所の景色を体験することが出来ます。

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色んなコンテンツを体験してみた感想としては、3000円にしてはコスパが高く、楽しめる商品ですね。
ただ、一つ問題が有るとすれば、画質ですかね。

VRは、PSVRですら画質が問題視されていますが、スマホをベースにしているVRゴーグルは、更に画質が悪いです。
スマホを2分割し、更に視野いっぱいまで拡大するわけですから、当然といえば当然ですよね。
よくみると、ドットが見えるぐらいの画質の悪さ。一昔前のVHSぐらいといえば、分かりやすいかもしれませんね。

次に、これも当然のことなんでしょうが、多くの作品が、首の動きには対応していますが、自身が歩いたり座ったりと、動き回ったところで、画像に反映されることはありません。
多くの作品が360度カメラを固定した状態で撮影している為、じっとしている状態で周りを見渡せるだけだったりします。
その為、高価なVR商品に比べると、没入感は控えめになっています。また、価格が安いものであれば有るほど視野角も狭いようなので、低価格モデルを購入した場合は、狭い場所から覗いているような感じになり、更に没入感は抑えられてしまうようです。

ただ、500~3000円という安さを考えると、このマイナス面を考慮したとしても、楽しめる商品だとは思いますけどね。
ちょっと検索するだけで、大人な使い方なんかも出てくるので、興味の有る方は購入してみてはいかがでしょうか。

【ゲーム紹介】 ドラゴンクエスト ビルダーズ

少し前から、色んな所で、とあるゲームの話を耳にする用になりました。
そのゲームの名は、Minecraft
サンドボックス系の火付け役として有名で、どこかの国が自分の町並みを再現したなんて話も聴くほどの人気が有るようです。
そんなわけで興味をもっていたのですが、個人的な感想なのですが、このゲーム。グラフィックが好みではない。

ドット絵で、昔懐かしの…といえば聞こえは良いのですが、PS4のオープンワールドをプレイしている私からみると、どうしても、古臭く見えてしまう。
でも、サンドボックス系には何となく興味があるので、なにか良いのはないかなと探していた所、タイミングよくPS storeでこの作品が半額セール。
元々が、ベスト版になったことで安くなっていたのにもかかわらず、更に半額で2000円程度で販売されていたので、購入してみました。


      

先程、名前を出したMinecraftですが、こちらは単に街づくりや冒険を楽しむゲームらしいのですが、このドラクエビルダーズにはストーリーが有ります。
オープンワールドをそれなりにプレイし、楽しみ方が分かってきたとはいえ、やはり何もストーリーがない状態で世界にポンッと放り出されるのは不安。
でもストーリーが有れば、少なくともストーリークリアーまでは楽しめそうなのも良いですよね。

実際プレイしてみた感想としては、ストーリーが結構面白い。
子供向けということで、難しい設定などは特に無く、話が深いわけではないのですが、それが逆に肩の力を抜いた感じで楽しめて、息抜きに丁度よい。
また、昔、ドラゴンクエストをプレイしていた人達が、思わず『ニヤッ』と出来るようなネタや、子供ならなんとも思わないんでしょうが、年を重ねてからプレイすると笑えるネタなどが織り込まれているのも良いです。

例えば、物語が一定毎に進む度に、主人公が眠った際に夢をみるのですが、その夢の内容が、昔の勇者の記憶のような夢だったりします。
その内容ですが、ドラクエのストーリーを知ってないと笑えないようなマニアックなものではなく、何となく知っているだけで笑えるようなもの。

一つ例を出すと、自分が武器屋に入って商人と会話しているという設定で、商人がこんなことを言い出します。
『武器をなにか買っていきませんか? どんなものでも結構ですよ!』
『道で拾った金で武器を買うなんて、貴方だけに許された特権なんですから!』
商人は嫌味でもなんでもなく、竜王を倒すという名目で旅をしている勇者を特別視し、純粋に勧めているようなのですが、これが結構笑える。

昔のドラクエの主人公といえば、魔王を倒す勇者という立場がある事を良いことに、人の家に不法侵入してはタンスから荷物を盗み、壺の中の力の種を拝借し、価値の有りそうな小さなメダルをくすねるという有様。
シリーズによってはツボ破壊なんて事もしていて、一部の村民にとっては魔王よりも被害を被っているんじゃないかという程の暴れっぷり。

このドラクエの主人公は、後に初代PlayStationで発売したmoonや、最近までテレ東で放送していた『勇者ヨシヒコ』なんかで、ネタにされていますよね。


このノリを、公式がやってる辺りに、ニヤニヤしてしまいます。

システムとしては、最初からフリービルドモードで遊ぶことは出来ません。
ストーリーが1~4章まで有り、最低でも1章をクリアーしなければ、フリービルドモードの選択自体が出来ません。

では1章だけクリアーすれば、フリービルドモードで好きな建築ができるのかといえば、そうでも無い。
このゲームでは、レシピを思いつかなければアイテムが制作できません。
そのレシピを思いつく為には、ストーリーモードをプレイしてクリアーする必要が有ります。

1~4章で作るものや作業台、レシピが違う為、ある程度のアイテム・家具を作ろうと思うとも、最低限、1~4章をすべてクリアーしている必要が有ります。
『ある程度のアイテム』と書いたのは、全てのアイテムレシピを見つける為には、各章に設定されているチャレンジをクリアーする必要が有るからです。
例えば、クリアーまでにレベルMAXまで上げる、ゲーム内時間で◯◯日以内にクリアーしろといったものが設定されており、その条件を満たした上でクリアーすると、特別なレシピが開放されるという仕組み。

攻略サイトなどを見ずにプレイした所、一通りクリアーするのに20時間程度かかったので、この辺りが面倒くさいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
そんな方は、Minecraftの方が合っていると思います。

個人的には、このストーリーモードも、各章で分断されていて1章毎が短いので、苦にはなりませんでした。
というか、建造物やクエストアイテムを一つ作る度に住民が駆けつけ、拍手しながら褒めまくってくれるので、結構楽しんでプレイできました。
これがFallout4なんかの場合は、住民は基本的に苦情しか言わず、時には『あんたの違った一面をみたよ。あんたがここにいる理由が、俺の命でないことを祈るよ』的な嫌味を言われて終わりですからね。

結果として、それなりに楽しめるゲームだったのですが、一つだけ問題点を挙げると、主観モードがないことでしょうかね。
少し離れたところにカメラが設定してある為、建物に屋根をつけたり、2階建てにするなどして上から見えない状態にしてしまうと、途端に操作がしづらくなります。
一応、カメラ操作で視点を下げていくことで主人公目線に近い状態まで持っていくことは出来るのですが、部屋が扉で区切ったりされている場合、扉が閉まったら何も見えないなんてことも有ります。

その点Fallout4のクラフトの場合は、基本が主観視点の為、ドアに入ったら見えなくなるなんてことはありません。
冒険で見つけて拾ったアイテムも自由に配置できる為、街づくりという点ではこちらの方が楽しめました。
ただ、Fallout4でのクラフトの問題点としては、容量制限が有ること。
オブジェクトの描画が凄い為、家具やアイテムの設置をしまくっていると、ゲームがフリーズして動かなくなってしまいます。それを避ける為に容量制限が存在し、ある程度の家具や建築物しか建てることが出来ません。


一方でドラゴンクエストビルダーズの方は、基本はキューブを積み上げて制作するだけ。その為、大雑把なものしか作れないですが、処理落ちなんてのはなさそう。
その為、フリービルドモードでは、時間さえかければ好きな街を自由に作ることができる。

どのソフトも一長一短なんですが、サンドボックス系を遊んだことがなく、急に世界に放り投げられても困るって方は、ストーリーによって導いてくれるドラゴンクエストビルダーズは入門編としては良いのではないかと思いました。


      

【ゲーム紹介】 Horizon Zero Dawn

今回紹介するゲームは、Horizon Zero Dawnです。

      

この物語は、地球の文明が崩壊した後の世界。ポストアポカリプスとでもいうのでしょうか。
文明崩壊から1000年以上の時が経っている為、人類の生活はは原始時代まで後退。
弓矢や槍といった原始的な武器を手に、その日を生きる為に狩猟を行う、狩人が主人公です。

大自然が美しいオープンワールド系で、動物たちを狩猟して素材を手に入れ、それを元に装備品をアップグレードしていく。
エストクリアや敵を倒すことで経験値をえて、その経験値を得ることでスキルポイントを得て、それを割り振ることで自身を強くしていく。
MAPは、最初は全体が見えないように隠れているが、特定のポイントで高所を制圧することで、マップデータが更新される。
傷などを負った際には、その辺りに生えている薬草を使用して体力回復し、薬草がないときに備え、素材を集めてクラフトで薬を作る…
ここまで読むと、ゲーマーの方なら薄々感じているかもしれませんね。
まんま、『ファークライ プライマル』だと。

そう、このゲーム、雰囲気からシステムまで、正に、『ファークライ プライマル』と同じなんです。
ただ、唯一違う点が有ります。それは、この地上を制圧しているのが動物ではなく、機械だということ。

この世界に存在する動物は、大型のものでもイノシシ程度のもので、その他は、うさぎ・ネズミ・キツネといった小動物ばかり。
ファークライプライマルに出てくる、人を襲うような大型の肉食獣は出てこないんです。
そのかわり、それを模した機械が存在し、地球は彼らによって制圧されています。

人々は機械から逃れるように隠れながら住んでいる状態で、機械と戦って居住地を増やす戦力はなく、なんとか今住んでいる居住区を守るのが精一杯の状態。
そんな世界で、物語は繰り広げられます。

その他の違いはというと、ファークライプライマルがストーリーが薄く、単純な拠点制圧ゲームになっているのに対し、こちらの方はしっかりとストーリーが作り込まれています。
機械が何故、我が物顔で地上を闊歩しているのか。
倒しても倒しても数が減らない機械は、どこからやってくるのか。
これらの疑問をストーリーを進めることで解き明かしていく為、単純な人類の勢力争いであるファークライプライマルとは、ストーリーの重厚さが違います。
また、FPSかTPSかというのも、結構大きな違いですね。

それに加え、画質の違いも大きい。
こちらの作品は、PS4proが発売されてから出された作品で、これに対応したハイクオリティーなモードが用意されています。
私はpro所有で4Kモニターを持っているので、この環境でプレイしてみた所、ここ最近では体験したことがない程の美しい世界を体験することが出来ました。
同じ環境でプレイできる方は、その画質を体験するためだけに購入しても良いかもしれませんね。

ストーリーや世界観についての感想を書くと、原始的な世界とハイテクな古代文明とのギャップがかなり面白い。

この世界での古代文明は、私達が現在体験している技術よりももう少し進んだ世界。
一方で、主人公が属する部族、ノラ族は、古代文明との接触を固く禁じ、独自の原始的な生活をしています。

こんな環境で暮らしている主人公は、ちょっとした事故から、フォーカスという現実を拡張して情報を得ることが出来る耳飾りのように小さいAR機器を手に入れることになります。
主人公はフォーカスによって様々な情報を得る事で、ノラ族の中では一風変わった女性に育つのですが、その主人公とノラ族の長老とのやり取りなどが面白い。

部族の掟により、ハイテク機器のことを全くわからない部族の長老は、様々な異変は神の仕業と考え、何処かから聴こえる不思議な声は天啓のようなものだと考えているのですが、情報機器を身に着けている主人公にとっては、不思議な現象も神の御業では無く、単に機械やそれが何らかの原因によって誤作動を起こしていると分かる。
突如として聴こえる声も、天啓ではなく機械による音声ガイダンスと知っている為、対応も変わってくる。

同じ現象でも、知識のない人間から見るとオカルト現象なのに、知識のある人間から見ると科学的に起こり得る出来事。
古代文明をタブー視して接触を絶ってきた部族の人達には、主人公がとる先を見据えたような行動は、時にはシャーマンのように見え、時には『選ばれし者』のように見えるが、実際には情報機器からの情報を得ているだけ。
プレイヤーは、このギャップを客観的に見比べることが出来るのですが、これが結構楽しく、プレイヤーに新たな視点を与えてくれる感じがします。
例えば、現在、解明されていない事なども、科学が進んで実態がわかってしまえば、なんてことはない現象なんじゃないかなんて感じで。

前半部分でファークライプライマルと比べましたが、私個人の感想としては、ファークライプライマルは拠点制圧の繰り返しで中盤以降は飽きてしまった一方で、こちらの方はストーリーや世界の謎が気になる為、最後までクリアーしたくなる感じ。
システムが同じとは書きましたが、ストーリーとシューティングのどちらを重視するかという違いによって、全くの別ゲーになっている印象でした。
オープンワールド系では有りますが、しっかりとしたストーリーによって迷うこともないので、オープンワールドFPSが苦手な人でも、楽しめる作りになっていると思います。

これを読んで興味を持たれた方は、是非、プレイしてみてはいかがでしょうか。

      

【イベント潜入】 『どこでも毎日ハレご飯』『落としたパンと茜雲』公開収録

少し前のことになりますが、私が聴いているPodcast『落としたパンと茜雲』の公開収録に行ってきました。
このイベントは、これまた愛聴している『青春あるでひど』という番組の告知で知りました。

単独イベントというわけでは無く、『青春あるでひど』の、ぶっちょカシワギ氏の新番組『どこでも毎日ハレご飯』の公開収録との抱き合わせイベント。
開催場所は、いつもの大阪難波味園ビル。開始時間も、仕事が終わってから向かえば間に合いそうな時間だった為、さっさと仕事を終わらせて、大阪まで行ってきました。

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イベントは、『どこでも毎日ハレご飯』から開始。
このイベントは、主催の ぶっちょカシワギ氏が日本全国を訪ねて食べ歩き、その経験を元に、『旅に行ったら、とりあえずこれを食え!』というものをランキング形式で発表する番組。
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日本や関東といった広い地域ではなく、都道府県別という比較的狭い地域に焦点を当てていることが特徴です。
ただ発表するだけでなく、実際に現地に赴き、その際に面白そうなものを買い込んで会場の客に振る舞い、皆で食べながら進行するという参加型イベント。
その収録模様を後日、ラジオという形で販売するという、イベントとラジオが融合した番組です。

このイベントの面白いところは、単純に『美味しい』とされるものを紹介しているわけではないという事。
どちらかと言うと、『旅の思い出』『土産話』に最適な食べ物が紹介されています。
思い出や土産話に焦点が当てられているので、その料理の周辺情報なども語られます。

正直、単純に『美味しいもの』であれば、日本のどこにいても食べに行けます。
現在はネット時代なので、旅先でスマホ食べログを開いて、☆が多いところを探していけば、簡単に美味しいとされる料理を出す店に行くことが出来ます。
しかし、普段行かない様な遠いところまで行って、美味しいからという理由で入る店がイタリアンや中華料理だったら、何の為に遠出をしているのか分かりません。
また、その土地がイタリアや中国と歴史的に深いつながりがあった上で料理を提供しているのであれば、まだしも、そんな背景が一切無い状態での出店であれば、旅先で入店する必要はなく、自分が住む街で美味しいとされるイタリアンや中華料理を食べれば良い。

わざわざ出かけるのだから、味はこの際二の次。歴史や周辺情報を踏まえた上で、本当の意味での地域密着型の食を追求しようというスタイルで行われているのが、このイベントなのでしょう。

これだけでは少し伝わりにくいと思うので、具体的な例を挙げると『蘇』という食べ物の紹介をされていまいた。
『蘇』は、牛乳をひたすらに煮詰め、煮詰め…煮詰めることで水分を飛ばし続け、これを固形になるまで続けたものが『蘇』です。
味的には、特に何かを加えたわけでもない牛乳を、ただただ煮詰めただけなので、ご想像通り、特に美味しいという訳ではない。
美味しいものを食べるという体験からいえば、もしかしたらハズレなのかもしれません。しかし、他人に話すネタとしては、最高の食材だったりします。

こういった食べ物の情報を、全都道府県1周する事が当面の目標のようで、現地食材や旅費を入れると、イベント的には完全に赤字であることが容易に想像できる内容で、その分、観客から見るとコスパが非常に高いイベントとなっています。

このイベントが終了した後に行われたのが、Podcast『落としたパンと茜雲』の公開収録です。
内容は、先取紹介した『どこでも毎日ハレご飯』と、若干、被るような内容で、Podcasterの おとし太さんが、自身が住んでいる長野県のお土産物の1位を決定しようという、名付けて『第一回長野ご当地おやつ王決定戦inなんば紅鶴』というイベント。

司会の おとし太さんが、既に独断と偏見でお土産物を10個程度に絞っておき、それをイベント会場に持参して皆で試食した上で、1位を決めてしまおうという企画です。
タイトルに『第一回』と書いてあるところに、第二回以降があるかもしれない可能性を感じさせますね。
音声部分だけですが、Podcastでも配信されていますので、興味の有る方はお聞きください。
ただ、イベントではパワーポイントを使って図で説明している部分が非常に多かったので、音声だけを聴いて十分に楽しめるかどうかは分かりませんが。
http://otopan.seesaa.net/article/449034226.htmlotopan.seesaa.net

イベントは、単純にお菓子の食べ比べで終始するわけではなく、先ずは、長野県が日本の何処にあるのかという基本的な説明から始まります。
私は恥ずかしながら日本の地理に詳しくなく、有名な県や自分の住む周りの県を知っている程度だったので、このイベントで初めて、長野県周辺に隣接している件のことをしりました。

話は位置的なものに留まらず、県民性がどのような感じで、周りの地域に対してどの様な印象を持っているかなどに発展。
前のイベント『どこでも毎日ハレご飯』に出演していた、花鳥風月 緒形さんが隣接している新潟出身ということで、この部分だけでもかなりの盛り上がりを見せていました。

個人的に興味深かったのは、長野は山が多いので、山を超えた先にある地域のことは、同じ県でも知らない場合が多いという話。
食文化なども違い、あるところではローメン。違う場所ではジンギスカンと、一部地域でしか食べられていない食べ物なども多いそうです。

地域の紹介が終わった後は、メインのお菓子食べ比べコーナー。
10個+補欠の試食タイム後に、自分のお気に入りTOP3を決めて手を挙げ、多数決で上位3位を決めた後で、決選投票を行うという方式。
選ぶ基準は自由なので、単純な好みや、手に入れにくさ。話のネタにしやすい等、個人で自由に考えながら手を上げていきます。
私の場合は、代替品が無い事、食べ続けても飽きない味、その地域が感じられて話題にしやすいものという基準で選んでみました。

そんな感じでアンケートを取った所、司会の おとし太さんが『有名だけど、地元の人は食べ飽きていて、出てくると残念なお菓子、雷鳥の里』と言いながらも、有名だからと補欠に加えていた『雷鳥の里』が健闘していたのが面白かったですね。
ちなみに私のTOPは、雷鳥の里だったりします。

こんな感じでイベントは終了。結果として、最初のイベントから合わせると3時間を超えるような長丁場となり、それでお土産物屋特産品まで食べられて、1000円+ドリンク代という値段は、本当にコスパが高いイベントですね。
『どこでも毎日ハレご飯』の方は、定期的に開催されているようなので、時間が合う方は、参加されてみてはいかがでしょうか。

マルクス青年期の草稿を読んでの考察 (後編

今回の投稿は、『経済学・哲学草稿 マルクス』を読んでの考察の続きです。
簡単な本の説明はこちらでしています。
kimniy8.hatenablog.com
今回は前回投稿の続きとなりますので、そちらを読まれていない方は、まず、そちらから読んでいただければ幸いです。
kimniy8.hatenablog.com

前回までの投稿では、崩壊した共産主義国の行動とマルクスの主張は関係がない。いってみれば、マルクス擁護で書いてきたわけです。
では、マルクスが主張する通りの社会になれば上手くいくのかについて、もう少し考えていきます。

結論からいえば、前回の冒頭に書いた結論通りになるのですが、実践したくても実践できないのが現状でしょう。
その理由は、人間はマルクスが考えるよりも遥かに愚かだからです。

マルクスの主張を実行するためには、全ての人々が客観的な目線を元に、社会に何が足りていないかを感じ取って、需要を埋める必要が有ります。
しかし人間は愚かなので、例え求められていたとしても、辛いことはしたくない。
多くの人が、大した努力をしなくても、周りからチヤホヤされて自己承認欲求を満たせる仕事をしたいと考えるでしょう。
結果、人気の有る労働と無いものに分かれてしまう。
労働の成果をを評価する側が労働内容を熟知していて、人気が無く、面倒くさい仕事ほど高評価を示すような社会であれば、人気の偏りも徐々に修正されていくのでしょう。
ですが、そこまで考える人も現状では少ない。

これは、人々が客観的目線を持たないことによって、やりたい仕事と求められている仕事の間にミスマッチが起こっているということ。
マルクスが主張するような社会になる為には、人が自分の欲望に正直になって職業を選ぶのではな、客観的な目線で自分の価値を見直し、社会に必要とされていて、且つ、自分が出来る事を選択する必要が有ります。
また評価する側も、その労働の価値を知る必要があり、大変な仕事ほど評価をして尊敬できる社会にならなければならない。

しかし現状をみると、有名になりたいという一心で芸能界を志す人は多いし、もっと手軽に人気ものになる為にyoutuberになる、多くの人がそう考えて底辺youtuberが大量に生産されている状態で、まだyoutuberになりたい人も多い。
その一方で、コンビニ店員などの、覚える・実行する業務が多い割に薄給という職業の人は見下されがちです。
どちらが社会の重要度が高いかを客観的に考えれば分かることなのに、人はテレビに出ているというだけで芸能人をチヤホヤし、低賃金労働者を見下す行動を取る。

つまり、労働の選択と評価を人の自由にさせてしまうと、結局のところは人気の偏りが出て、労働のミスマッチが起こってしまう。

その一方で資本主義の場合は、生きる為に労働が強制される為、儲からない人は市場からドンドン淘汰されていきます。(もちろん、それでもしがみつく人はいますが。)
仕事にあぶれた人は、人が嫌がるような仕事を引き受けなければ生きていく為のお金が手に入れる事が出来ない為、結果としてミスマッチが解消されて上手くいってしまいます。

では、資本主義は優れているのかといえば、そうでも無い。
前回も書きましたが、仕事が強制される世の中で供給過多の状態が生まれれば、労働者の立場に比べて圧倒的に資本家の立場が強くなります。
資本家は圧倒的な立場の差を利用して労働者からの搾取を強める事で、その差は更に広がって決定的なものとなります。

先日発表されたニュースでは、世界でTOP8人の資産総額が、下位36億人の資産総額と同じになったようです。
www.mag2.com
つい1年前は上位62人と下位36億人が釣り合っていたことを考えると、格差はより広がったことが分かるでしょう。

資本主義による競争社会では、資本家と資本家が争うことで優劣を決め、負けた方は資産を失い、そこで働いていた従業員も職を失います。
その人達が新たに労働市場に供給されることにより、労働者は供給過多の状態になり、資本家にとっては有利な状態が生まれます。
これが繰り返される事で、勝者の資産はより高く積み上げられ、労働者の生活は、より、厳しくなります。

ノブレス・オブリージュって言葉を資本家が知った上で実践してくれていれば問題はないのですが、資本家は自分達の資産を増やすことにしか興味が無いので、格差は広がる一方になる。
今は上位8人と下位36億人で資産額が釣り合っていますが、数年先には1人の資産家と下位36億人が釣り合うことになるのでしょう。

こうして考えると、マルクスが考える理想的な社会を実現するのは現状では無理で、人間はもっと精神的にも成長する必要がある。
ただ、人間の精神的な成長などは紀元前から議論されていることですが、いまだに実現していないことを考えると、この先も難しいと考えるのが妥当。
資本主義の場合は、社会の一部となって労働することが強制される為に、社会自体は成立しやすい状態にあるが、労働者を使う資本家は自分の利益を伸ばす為に行動をする為、結局のところ格差が広がってしまう。
格差は少しなら競争心を呼び起こして原動力にすることが可能だが、差が決定的に広がると労働意欲が削がれてしまう為、最悪、システムは止まってしまう。

解決策としては、本来であれば社会貢献しなければならない資本家が役割を果たさないのだから、その資産家の財産が再分配されるシステムをつくっていくことなのでしょう。
具体的には、資産家により重税を課すような累進課税の実行なのでしょうが、競争社会ではこれも簡単なことではなかったりします。
何故なら、課税も競走対象になるからです。

仮に日本で所得税や事業税の大幅な増税を行った場合、自分のことしか考えない資産家達が行う行動は、日本を捨てて税金の安い国に逃れることです。
逆に、他国よりも安い税金を提示することで金持ちを誘致することが出来れば、労せず税金を得ることができる。
競争社会では全てが勝者である資本家に有利に働くため、根本解決は資本家が精神的に成長し、自らの意思で再分配を行うしか無く、再分配された人々が心からその行動を評価して尊敬することしか無いのでしょう。
ただ、先程の繰り返しになりますが、精神的成長は紀元前から指摘されていることなのに、数千年経った現在でも出来ていない。

人間は、行き着くとことまで行って、また、戦争や革命が起こって全てが御破算になるのを繰り返す事しか出来ないのかもしれませんね。

マルクス青年期の草稿を読んでの考察 (前編

前回は、マルクスの経済についての主張について紹介しました。
今回は、マルクスの思想を下敷きにした共産主義国家が、何故、失敗したのかについて考えていきます。


      

マルクスを読んだことがない多くの方は、共産主義の失敗はマルクスの考え方が間違っていたからと考え、間違った思想など勉強する必要はないと決めつけているかもしれません。
しかし前回見てきた通り、マルクスの資本主義批判は的を射ていて、実際に主張通りに労働者の賃金と商品価格は下がり、デフレへと突き進んでいます。
kimniy8.hatenablog.com
こういうことを書くと、批判的意見を主張する方の中には、『だったら何故、共産主義は破綻したんだ!主張が間違ってないなら成功しているはずだろう!』と癇癪を起こす人も出てくるでしょう。

結論から書くと、現実社会での共産主義は、マルクスが目指していたものとは違ったものだったから破綻したんです。
では、主張通りに実践すれば成功していたのかというと、実践できれば成功するのでしょうが、実際には実現が不可能。

というのも、マルクスが想定する人間は精神的にかなり成熟していて、自分の外に客観的な目線を持ち、社会にとって良いと思えることを実践できる事が前提となっています。
しかし、いざ人間を観察してみると、これを書いている私も含めて人間は基本的に自分のことしか考えられません。
そういう人間たちでは、この主張を正確に実践する事は不可能なのでしょう。
ちなみに資本主義も、大前提として多額の利益を得る資本家層が、客観的な視点を持ち、社会に貢献することが前提となっています。
しかし現実に目を向けてみると、資本家は自分たちの私腹を肥やすことしかしない為、システムに不具合が出ていたりします。

少し話題がずれてしまったので軌道修正をし、マルクスの主張からみてみましょう。
前回も書いたことですが、私はマルクスが青年期に書いたものを訳した『経済学・哲学草稿 マルクス』しか読んでおらず、資本論は読んでおりません。
そのことを踏まえた上で、お読みください。

共産主義の失敗の原因といえば、全員が公務員で、一生懸命働いてもサボっても同じ給料しか貰えないため、皆がサボった為に生産性が下がり、経済的に破綻したといわれています。
では何故、全員、公務員なのかというと、資本下層を一掃したからです。そして所有を禁じ、全ての資産は国のものとしました。
当然、企業も国のものとなる為、そこで働く人たちは全員、公務員となるわけです。

ではマルクスは、全てのものを国のものとすべきと主張しているのかといえば、先程紹介した草稿では、そんなことは言っていなかったりします。
確かに所有が悪だという考えはありますが、だからといって全ての資本は国のものとは主張していない。
というか、全てを国のものとしてしまうと、結局は国が『所有』している状態になっている為、所有が悪という考えとは矛盾します。
国が土地や企業などを所有し、国が全員公務員として労働を強制するというのは、結局のところ資本家が行う搾取構造と何ら変わらない。

誰かが資本を所有をする事で、所有できない人間を奴隷のように扱っている状況に異を唱えたのがマルクスなので、国がすべての資産を所有するという状況は、共産主義国家の指導者が、自身に都合の良い様にマルクスの主張を曲解して作ったと言っても良いのでしょう。
労働者にとってみれば、資本家も国も労働を強制するもの。資本家は自身の利益を最優先し、他の資本家に負けない為に、労働市場を使って労働者の条件をより厳しくする事で稼ぎやすい状況を作るが、共産主義国家では国が唯一の資本を持つものである為、競争も起こらない。
当然、労働市場もない為、矯正される仕事を行っても行わなくても報酬が同じであれば、多くの人は働かなくなる。

では、マルクスは何を主張していたのかというと、人間が人間である為に必要なのは、『労働』としています。
しかし資本主義社会での『労働』は、本来の『労働』からは疎外されて別のものになっている。
そのため市民は、本当の意味での『労働』を取り戻さなくてはならないと主張しています。

労働が疎外されて別のものになっているとは、どういうことか。
資本主義社会では全ての問題をお金で解決する為、衣食住など最低限のものを揃えて生きていく為には、お金を稼がなければならなりません。
資本家は投資によって財産を得ることが可能ですが、資本を持たない人間は労働者にならざるをえず、他に選択肢はありません。
選択肢のない状態で労働する事を強制させられる為、当然のように、やりたくない仕事を嫌々せざるを得ない人達も出てくる。
生産性の上昇のためには、分業が必要になる為、嫌々やる仕事は増える傾向にあり、それを矯正させられるというのは本来の労働からはかけ離れているということ。

例えば、個人でパン屋を経営する場合は、自分で材料を仕入れてパンを作り、それを販売することで対価を得ることが出来ます。
自分の作った商品を喜んで買ってくれる方達をみる事で、精神的な喜びも感じることが出来るでしょう。
もし何らかの失敗をした場合も、社会から何らかの反応を受けることで、社会の一部であることが実感することが出来ます。

しかし、これが、パンを製造する大企業の場合はどうでしょう。
大量生産する為に業務は分業化され、倉庫から材料を運んでくるだけの人・材料を混ぜ合わせるだけの人・生地をこねるだけの人・形を整えるだけの人・焼くだけの人・パンを売り込む営業をするだけの人・不良品があった際にクレームを受けるだけ人…
この様に、それぞれの業務が細切れにされる事で効率は大幅に上がるのですが、分業化されて単純化されることにより、社会とのつながりは立たれることになります。
細切れにされて単純化された労働は自分ひとりがいなくても成り立ちますし、自分の替えはいくらでもいる状態になります。
製造チームは単純化された作業を強いられる為、製造機械の一部のように振る舞わなければなりませんし、営業は自分が作ったものでもないものを他人に売り込まなくてはならない。
クレームを受ける人は、自分が作っておらず売ってすらいないものの文句を、ただ、ひたすらに聞かされる。
この様な労働には、労働そのものが持つ喜びや楽しみが奪われている為、本来の労働からはかけ離れているということです。

マルクスは、人は社会を形成する生物とし、人が社会の一部と実感して受け入れられて生きていく為に欠かせないのは『労働』だとし、人々が客観的な目線から社会には何が足りていないのかを考え、自ら社会に対して貢献する為に労働すべきだとしています。
地域に食料が足りてない状態がわかっていて、土地を耕して作物を作りたい人がいれば、作れば良い。この場合、土地を誰かが所有しているとその行動がとれない為、所有せずに成り立つ社会を目指していたのでしょう。
また、この様に国民が客観的な目線から、社会が何を必要としているかを感じ取り、その需要を埋めるように自発的に動けるのであれば、そもそも貨幣という概念すら必要ないし、更にいえば国も必要ないかもしれない。
社会貢献の為に相互に助け合い、それによって社会とのつながりを感じて幸福感をえれるのであれば、そもそも財産を所有する意味がなくなります。

では、崩壊した共産圏では、このような事を考慮して国家運営が行われていたのでしょうか。
当然、されていません。すべての財産は国が所有し、国が職場を斡旋し、強制的に労働させていた。
この状態で、働いても働かなくても給料が同じとなれば、サボる人も出てくるでしょう。

つまり崩壊した共産主義国家は、二極化が進んで少数の資本家と大多数の貧民層に分かれた国で、共産党が支持を集める為に資本主義に反対しているマルクスの名を出し、『搾取してきた資本家から、自分たち労働者のもとに財産を取り戻そう!』と主張した結果、多くの人達に支持された。
支持を得た共産党は、資本家から取り上げた財産を自分達のものとして、唯一の大資本家として振る舞ったという事で、マルクスは直接は関係ない。

では、マルクスが主張する社会は実現可能なのか。
長くなってきたので、この話はまた次回。

【本の紹介】 経済学・哲学草稿 マルクス

久しぶりの本紹介。今回紹介する本は、『経済学・哲学草稿 マルクス』です。


      

共産主義の父と呼ばれているマルクス
資本主義者からは批判されることも多く、『マルクス』という名前を出すだけで、一部では極左扱いされる感じの方ですが、具体的にどんなことを主張されているのかを知らなかったため、今回この本を読んでみました。

訳された方が当時の話し方や原文を忠実に訳そうとされているからか、途中、非常に読みにくい部分なども多々あり、学がない私が理解出来ているかどうかは分からず、誤解して解釈してしまっている部分も多くあるとは思いますが、そんなことは気にせずに、簡単な感想や内容を書いていきます。
この本では、賃金・土地といった経済的なことから哲学的なことまで書かれていますが、今回は経済を中心に書いていきます。

マルクスといえば、冒頭でも書きましたが、アンチ資本主義で共産主義の父なんて呼ばれている方で、経済方面で有名な哲学者。
経済といえば、現在は世界中に失業者が溢れ、失業率が低いと言われている日本では二極化が進み、貧困層の収入がより下がる悲惨な状態になっています。
この様な現状を前に、テレビの経済系コメンテーターなどは、『デフレなんて現象は教科書に乗ってない異常な状態!』なんていってますが、この本を読めば、これらのコメンテーターやアナリストが単なる無知・勉強不足であることがよくわかります。
というのも、マルクスは今から170年も前に資本主義の矛盾に気づき、デフレ経済になって二極化が進み、貧困層がより貧しい生活を送らなければならないことを指摘していたからです。

マルクスが指摘する資本主義の矛盾を、簡単に観ていきましょう。
まず大前提として資本主義社会では、資本家が資金を投資しなければ事業が起こらないわけですが、その資本家が『投資をする』という判断を下すのは、儲けが出る時に限ります。

例えば、金利が6%の場合。(今でこそ超低金利だが、金利6%は高金利ではなく通常の金利
資本家は何も行動を起こさなくても、金融機関にお金を預けるだけで6%の利益を得ることが出来ます。
この資本家が投資をして事業を起こす判断を下す場合、最低でも6%より多い利益を出さなければ、投資する意味がありません。
事業の失敗などのリスクを考慮した場合、最低でも10%超の利益がないと事業を起こす意味が無いということ。
仮に、1億円の資金を投資して事業を起こす場合、投資家が手にする利益は最低でも1000万円以上でないと意味がない。当然、利益は多ければ多いほど良い。
これが大前提。

次に、事業を起こした場合、実際に作業を行う人間を雇わなければなりません。
この際、当然のように人件費が発生するわけですが、この人件費は、考えられる限りで最低の値段に抑えられることになります。
というのも、投資家が受けとる利益は、売上から材料費やその他諸々の経費を差し引き、そこから人件費を差し引いたものであるため、資本家が最大の利益を手にしようと思えば、人件費は最低の額に抑えなければならない。
当然、引き下げすぎると必要な人員が集まらない為、必要な人員が集まるギリギリのラインというものは存在するが、そのギリギリラインに給与額は落ち着くことになります。

この様に資本家は、必要な経費をより低くする事で自身の利益を最大化出来るわけですが、この資本家の間でも競争が起こります。
需要と供給の関係で、市場に供給するものが少なくて需要が多い場合は問題ないですが、供給が勝る供給過多の状態になった場合、似たような商品間で販売競争が起こります。
大抵の場合は値段の勝負になる為、自社の商品のシェアを伸ばすためには、商品価格を引き下げなくてはなりません。
商品価格を引き下げる為に必要な事は原価の削減。材料費などをは大量購入する事である程度は安くなりますが、それでも限界は有る。となると、経費削減対象は最も高い固定費である人件費ということになります。
製造機械の導入や、賃下げ・サービス残業の強要などで製品価格を引き下げる事で市場シェアを奪い、資本家は他の資本家に勝とうとする。

この一方で効率化によって起こることは、従業員の価値の低下です。
今まで、1個制作して5000円の手間賃を貰っていた従業員がいたとしましょう。
これを、生産工程を細切れにして効率を高める分業によって5倍の生産が可能になった場合、商品1個の制作に対する手間賃は1000円以下に引き下げられます。
単純作業を機械によって自動化し、機械に出来ない部分を人間が補うことで更に10倍の生産が可能になった場合、商品1個辺りの手間賃は100円以下にまで引き下げられる。
この様に、効率化・合理化が進めば進むほどに労働者が制作するものの価値は下がり、労働者は技術を持つ職人ではなく、生産設備のパーツとなり下がる。
資本家は上手く動かないパーツは他のバーツと入れ替えることで最高の生産体制を手に入れようとし、その一方で労働者は『いくらでも変えのあるパーツ』となる。
これは、人が、労働市場で売買されるパーツという商品に変わるということです。

当然のように、資本家間の戦争で不利に立たされた資本家は、より、労働者に過酷な条件を突きつけて働かせることになる。
従業員はこれに逆らうことが出来ず、従うしか無い。
何故なら、自分が属する資本家がその戦争に負けた場合、資本家は投資した資本を失うだけだが、労働者は収入源を失うことになるからです。
資本主義社会では、あらゆるものがお金によって取引される為、生存する為に、お金を手に入れ無ければならない。
資本を持たない人間は投資によって稼ぐことが出来ないため、お金を手に入れる為には労働せざるをえない、選択の余地はない。
選択の余地がない人間は資本家によって安価で買われ、資本家間の戦争の兵隊とされる。

唯一、労働者が資本家に対して強く慣れる環境は、供給不足で人員の獲得合戦が行われている状態だけですが、この状態も『効率化』によって、直ぐに解消されてしまいます。

資本家間の戦争に負けた資本家は、一部の資本を失ってしまう。撤退時期を見誤った資本家は資本全てを失い、生存する為に労働者とならざるをえない。
小資本家は中資本家に食われ、中資本家は大資本家に食われ、そして大資本家同士の戦争となる。
負けた資本家とその奴隷である労働者は、再び労働市場に投入される為、需要と供給の関係から労働者の価値はドンドン下がっていく。
その一方で戦争に勝った資本家は安価な奴隷を買い放題となる為、その環境を利用して更に収益を高めることが可能となる。

結果として世界は、大多数の貧困にあえぐ労働者と、一握りの資本家の二極化状態になる。

今の先進国の状態を箇条書きで説明しているかのようですが、冒頭にも書きましたが、これは170年前にマルクスによって指摘されている資本主義システムの欠陥です。
その指摘方法も、需要と供給という経済において最もシンプルで分かりやすいもので批判されていて、かなり分かりやすい。

こんな風に絶賛した感じの感想を書くと、『社会主義国家はことごとく悲惨な運命を辿っているだろう!』なんて指摘をドヤ顔でカマしてくる人間もいるのでしょうが、この本でも書かれている『労働』についての記述をみると、崩壊の原因はマルクスの主張が間違っているというより、マルクスの主張の中から自分たちにとって都合のいい部分だけを取り上げて改造して採用したからでしょう。
長くなってきた為、そのことを踏まえた感想はまた次回という事にさせて頂きますが、ここまで読んで興味をもった方は、一度読んでみることをオススメします。

【MHXX】 ソロ攻略 G4 そしてハンターランク開放へ

今回はG4のソロ攻略について書いていきます。

G3以前の記事はこちら。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com
集会所【下位・上位】の攻略は、前作のMHXのソロ攻略を参考にしていただければ幸いです。
【MHX】 モンスターハンター クロス ソロでハンターランク解放への道 前編
【MHX】 モンスターハンター クロス ソロでハンターランク解放への道 中編
【MHX】 モンスターハンター クロス ソロでハンターランク解放への道 後編

G4に上がると敵の強さも当然上がっているので、当然、対策が必要になってきます。
G3の緊急クエでの報酬で上手く行けばラオシャンロン素材で作れる武器がレベルアップできるので、しっかり強化しておきましょう。

では、この武器を担いで最後まで行けるのかと言えば…
プレイヤースキルが高い人は行けるんでしょうが、私の力量では難しい。
という事で、これを担いで新たな武器制作に取り掛かりました。

制作するのは、ベルターアームズから派生する【31式飛竜鎮圧用盾斧】を限界突破して作る【コンポジットボーダー】です。
スペックは、攻撃力330 水属性24 防御力25
匠+2で紫が出ます。
f:id:kimniy8:20170413000139j:plain
他の属性武器のように、Xまでの最終進化系をいきなり作ることは出来ないようで、ベルターアームズから地道に進化させるのが必要のようで、若干面倒くさかったりします。
また、最終進化させる為にはG級の獰猛化パブルポッカを狩る必要があるのですが、それでもこの制作を進めるのは、これが有るのと無いのとでソロ攻略の難易度が変わってくるからです。
回復などを基本的に一人で行うソロの場合は、クリアタイムが縮めば縮む程、生存確率は上昇します。
そのために必要なのが攻撃力。
G1・G3で作ってきた武器をレベルアップさせたとしても、G4に上がったばかりの状態では攻撃力は290とか320ぐらいまでしか上がりません。その上、白ゲージが殆ど。
しかし、この武器は330で匠+2で紫ゲージになり、その上、水属性までついています。
G4のキークエで2体同時狩猟クエでは、2体とも水属性が弱点クエもある為、ハンターランク解放を目指す上で、是非、欲しい装備ですね。

武器を手に入れた後は、防具制作をはじめます。
作るのはG級ディノバルド素材で作れる、ディノX。
ディノバルドは水属性が弱点なので、先程作ったコンポジットボーダーと相性が良い相手。
基本的に側面に回るようにし、尻尾叩きつけの後のスキに攻撃を打ち込むようにすれば楽に勝てるので、乱獲して素材集めをしましょう。
装備製作にはドスマッカオの素材も必要なので、モンニャン隊でドスマッカオが出た際は、円とモンニャン隊の色を合わせて派遣するようにしましょう。
それでも足りない場合は、G1の『不潔者の大集合』クエを受けましょう。
MAPに2体のドスマッカオがいるので、両方狩ったら、サブクエクリアー(ドスマッカオ1体の狩猟)で抜けると効率が良いです。

この装備は、装備だけで匠+2が付く為、先程作った武器との相性が良い。その上、砥石使用で1分間切れ味が落ちない剛刃研磨も付きます。
チャージアックスは、防御や属性解放で切れ味がドンドン落ちますが、このスキルによって切れ味が紫で保ちやすくなる為、火力を維持し続けることが出来ます。
また、回避性能も4pついてるので、お守りなどで底上げすれば回避性能も付けられます。
末永く使える装備ですね。

続いて、モンス別の簡単な攻略。
ディアブロスは、突進でツッコんでくる時はリスクが高いので、適当に回避などでやり過ごす。
角でかち上げた時はスキが出来るので、攻撃しても良い。
適当にやり過ごしているとバテて動きが止まるので、ここぞとばかりにラッシュを繰り返すと簡単に倒せます。

ディガレックスも同様、怒って走り回っている時は無理せずにやり過ごし、止まった時に攻撃を当てるようにすれば楽に倒せる。
被ダメが高くないため、難易度的には非常に楽。

イビルジョーは股下が安置なので、股下の安置を維持出来るように立ち回りながら攻撃を当てていく。
防御DOWNを付けられた用に、忍耐の種は必須。起こった状態が面倒くさいなら、マップい移動してやり過ごすのも良いが、やりすぎると時間が足りなくなる。
基本的に攻撃が大振りなので、回避性能を付けて注意深く立ち回っていれば死ぬことはない。

ラージャンは、ガンナー用装備を整えているのであれば、ガンナーの方が楽かもしれない。(ビームとローリングアタックを避けれる前提で)
近接の場合は、素早い上に振動によって攻撃が遮られるので、耐震が有ると少し楽。
基本は斜め後ろから攻撃し、深追いはしないようにすることで、生存率が上がる。

斬鉄の剣、不壊の鎧(ディノバルド,グラビモス)は、地底火山での同時狩猟。こやし玉は必須。
両方、水属性が弱点の上、2体同時なので体力も大したことはないので、余裕を持って1体づつ対処しましょう。
地底火山は移動が楽なので、モドリ玉を調合分も含めて持っていくと、回復薬が無くなるなんて事がなくて良いかも。

戈と槌は相いれず(アグナコトル,ドボルベルク)は、闘技場での同時狩猟。
真ん中にある策で2体の敵を分離した状態で戦うことを意識しましょう。
このクエストもモンスターの体力は低めなので、焦って柵を起動させる必要はないので、ちゃんと見極めて柵を使う事を心がければ、難しいことはないでしょう。

そして最後の【緊急】蠢く墟城(アトラル・カ)戦
私は2回目の挑戦で何とかクリアーしましたが、薬的・時間的にギリギリの戦いでした。
この敵は、通常状態+障害物・巨大ロボ状態・通常状態+障害物+槍・巨大ロボ・通常状態+障害物+槍+車輪の5段階で戦います。
巨大ロボ状態の時は金糸野部分しかダメージが通らないので、そこに攻撃。
変形する毎に攻撃力が上がっていく感じなので、薬をがぶ飲みしているとあっと言う間に薬がなくなる。
秘薬・回復薬Gは必須で、調合分も持っていく方が良い。それでも足りない場合は、スキルに『キノコ大好き』を付けてマンドラゴラ10個持っていくと良いかも。

砥石使用や、回復のスキに攻撃を受けるのを避けるため、モドリ玉を調合分も含めて持っていくと、結果として薬の使用回数を減らせます。
こいつを倒せば、晴れて、ハンターランク解放です。
お疲れ様でした。