だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【本の紹介】 ウェブ社会のゆくえ

今回紹介する本は、http://amzn.to/2lf1v0L




この本は、TBSラジオで放送されている『文科系トークラジオ LIFE』という番組でメインパーソナリティを勤めている、チャーリーこと鈴木 謙介さんの著書です。
どんな方かというと、テレビやラジオにも結構出演されいる社会学者の宮台真司さんの弟子のような方?で、この方も社会学者をされています。

知ったキッカケは、ラジオ(Podcast
私の趣味がラジオ・Podcastを聴くことで、『文科系トークラジオ LIFE』も人気でランキング上位だった為、このラジオをPodcastで聴いていました。
(今はTBSラジオの前番組がPodcastから撤退した為、別アプリのラジオクラウドでしか聴けない。)
その番組の中で、自身の本という事で頻繁に名前が出ていた為、試しに買ってみたというわけです。

本の内容は、前半と後半で書かれている内容が結構変わります。
前半部分は、ウェブの中でも特に人と人のつながりに関係するSNSやIT技術についての解説や、それにまつわる問題。
その他に、サブタイトルになっている『多孔化』についての解説となっています。

SNSにまつわる問題とはどのような物かというと、SNSを通して個人情報を抜かれるという問題。
ソーシャルメディアは、人と人の繋がりによって成り立つメディアなので、その構造上、人間関係が明らかにされる。
また、何処でどんな食事を食べたなどの情報を写真付きでアップロードするということは、その人物がどんな趣味趣向を持ち、どんな行動を行っているのかが筒抜けになります。
多くのSNS運営は無料で行われていますが、運営側はこの様な情報を元に効果的な広告を載せるなどの手段で利益を出す為、結果としてSNSは無料で使えるのではなく、個人情報を売却した対価として使えている云々。
その他には『携帯依存』『SNS疲れ』といった、利用者視点の問題の解説なども行われています。

多孔化とは、感覚として様々な場所に窓が空いている状態。
現代は、スマートフォンという機器が生まれて、いつでもどこでもウェブに繋がれる状態になっています。
例えば、人と会うという状態を考えてみましょう。一昔前では、人と会う状態では会っている人と同じ空間・時間を共有するしている感覚が強かった。
しかし今では、例え人と有っていたとしても、facebookTwitterといったSNSにアクセスする事が可能となっています。
この状態では、人と会っている状態でありながらWeb上の人達と繋がる事が可能になる。

言い換えるなら、人と会うというのは限定された空間を共有している為、一種の部屋に入っている状態ともいえます。
多孔化するとは、その部屋に数多くの窓が空いている状態。人と一緒の空間を共有しながら、窓を通して他のものとも繋がれる状態ということらしいです。

しかしこうなって来ると、現実としての空間の意味や役割といったものが薄れてしまう。

身近な例でいえば、現実社会で同じ空間を共有している状態。具体的には、デート中などで二人っきりの空間なのに、しきりに携帯電話を気にする・見るという行為。
携帯電話が無かった時代であれば、2人で同じ空間にいる時には、相手と話すぐらいしか選択肢がない。
しかし現在では、スマホという様々なつながりに瞬時にアクセス出来る機器が身近にある為、そちらの方に気が取られてしまう。
携帯に気を取られる度合いは人それぞれでしょうが、仮に注意を30%取られているとすれば、二人でいる空有間の意味は70%にまで低下してしまう。

これは当然で、昔は合わなければ近況報告すらまともに出来なかったのが、今ではSNSで気軽に出来る。
この為、昔に比べて話さなければならない事が圧倒的に少なくなる。
『この前、こんな事があって~』と話しはじめた所で、『facebookに書いてたよね』といわれて会話が終了してしまう。
またSNSは、多くの人ができるだけ多くの人から『いいね』を貰おうと、一生懸命、頑張って写真を取り、文章を考え、時には事実を盛ってまで注意を惹こうとしている為、そこそこインパクトの有る投稿が並ぶことになる。

しかし実際に会って話す場合は、目の前の人物しか聞く人がいない。
同一空間を共有している目の前の話し手は普通のテンションで話すので、聞き手はその会話に特に魅力を感じない。
この様な空気では、話し手もテンションが上がらないし、聞き手も退屈。SNSを見てる方が、まだ、面白いとなってしまう。
話し手側は、相手に聞き手という役割を押し付けているわけだが、聞き手はSNSに夢中になって役割を放棄する為、怒りが生まれる。
現実で会っている人物のどちらかに、SNSの投稿では伝わらない様な話し方や話題が有れば現実空間の意味も保てるのでしょうが、大半の人はSNS以上の話題も話術もない為、こんな事になってしまう。

これと同様に、空間やシチュエーションの意味や役割というのは、新たな機器や時代によって変化して変わっていく。
例えば観光旅行なども同じで、ネットで大量に情報が得られる現在では、観光はより消費職が強くなる。
旅行前に事前に行きたい場所をピックアップし、旅行ではそのスケジュールをひたすらこなし、移動時間で更なる情報を得る為に、スマホにかじりつく。
旅ではなく、体験を消費しに行く事に置き換わり、『旅』が持つ意味はどんどん薄れていく。

これだけでなく、昔から続く儀式なども、時代を重ねる毎に役割や意味合いは薄れていき、その儀式の存在も薄れていく。
では、意味や役割の象徴でもある昔からある文化などは、どんどん時代から切り離されていき、存在意義を失ってしまうのか。

この解決策が、後半に書かれています。
詳しい説明は本に書かれいますので、詳しくは本を読んでいただきたいのですが、簡単にいえば、意味の上書きです。

様々な行動が生まれたのには、それなりの理由と役割が有ります。
それが時代が進むに連れて意味合いが薄れるのであれば、その意味を現代に合うように上書きすれば良い。

これまた、言うは簡単だが実行するには色々難しそうな解決手段。
著者である鈴木さんの意見は色々と書かれていますので、興味を持たれた方はそちらを読んでいただきたいのですが、私が勝手に解釈したものを先程のデートの際の携帯チェックの例に当てはめてみると、モンハン等が解決策になるのかもしれません。

二人っきりのデートなのに会話が弾まずに携帯から目が離せないのは、そもそも二人でいる事に刺激がないから起こる事。
じゃぁ、二人で居る意味をそこに付け加えれば良い。
モンハンというのはモンスターハンターの略で、巨大なモンスターを狩るゲームなのですが、ゲームの難易度が高くて一人で倒すには限界が有ります。
そこでこのゲームには、皆で集まって最大4人で協力プレイを行うことが可能です。
このゲームをプレイするという名目で集まれば、少なくとも、片方が携帯に夢中でもう片方が取り残されるなんて事は無くなるでしょう。

『携帯は見なくても、互いにゲーム画面ばかり見るんだから同じでしょ。』と思われるかもしれませんが、全く違います。
というのも、携帯の場合は多孔化により生まれた窓の先を見ているので、一緒にいながら意識は別のところに飛んで行くため、片方が取り残されるという現象が起こります。
しかしモンスターハンターのような協力ゲームの場合は、片方が窓の先に行くのではなく、常に共同作業を行っている状態なので、同じ目標を達成するために声を掛け合います。
困難な敵に何度立ち向かっても勝てない場合、ゲームを一旦側において、どうやったら勝てるかなどの会話も生まれるでしょう。

何度も書くようですが、片方が携帯を見るなど他の窓に逃げるのは、現実にいる空間がつまらないと考えているから。
共通の話題もないし、互いが知りたいと思うこともないから起こる現象です。しかし共通の目標を設定することで、現実空間に意味が出てきます。
コミュニケーションを取らなければならない理由が生まれます。
今の社会では、単に集まって近況報告をするのに実際似合わなければならない意味なんてありません。その空間を意味有るものに変えるためには、2人の共有空間に意味を付与するしか無いということなんでしょう。

私の読解力がなさすぎて、理解できていない所や間違った解釈をしている部分もも多々あるとは思いますが、全体として書かれていることは、web社会の登場によって社会が多孔化した事。
多孔化する事により、それぞれの空間の持つ意味や役割が変化、もしくは薄れてしまった。それを解決するためには、それぞれの空間の持つ意味を時代に会ったもので上書きして今日こにすべきって感じのことが書かれてます。

本の方では、この様な狭いブログスペースではなく多くのページ数を割いて解説されているので、興味をもたれている方は一度目を通してみてはどうでしょうか。

【ネタバレ ゲーム感想】 Fallout4 (フォールアウト4)

一年前の正月に購入したまま放置していたフォールアウト4(Fallout4)ですが、やっとメインクエストをクリアー(1周目)できたので、今回はその感想を書いていきます。
kimniy8.hatenablog.com
ネタバレ前回で書くため、興味はあってやってみたいと思ってる方は、読まないことをオススメします。
既にプレイ済み、または、プレイする予定は無いが内容に興味があるといった方は、そのまま読んでいただければ幸いです。


      

この物語は、1人の子供を持つ夫妻が、核シェルターの入居手続きをするところから始まります。
入居手続きとはいっても、世界は平和そのもので、まさか本当にそこに移り住むとは思っていなかった主人公。
しかし、契約を済ませて数分後、世界は核の炎に包まれます。
ニュースを見て、一目散で核シェルターであるボルト111に逃げ込む主人公一家ですが、除染ポッドに入れと促されて入った先が冷却ポッド。そのまま冷凍睡眠状態で保存されることになります。

そして、次に目覚めた時は、誰だか知らない人が配偶者と子供の入った冷却ポッドを開け、配偶者を殺して子供をさらう姿。
その直後に、また冷却が開始され、主人公は眠りにつくことになります。
次に目覚めた時は、Vault111は自分以外の人間は全て死に絶えている状態。そこから何とか抜け出した主人公は、初めて核戦争後の世界を目にすることになります。
戦前、ボストンと呼ばれていた場所は核戦争から200年たった今では連邦と呼ばれ、北斗の拳やマッドマックス的な世界へと変貌していました。

この世界、少し物語を始めると分かるのですが、人々はインスティチュートと呼ばれる都市伝説的な組織を恐れています。
インスティチュートは文明が崩壊した後にも科学力を保持しており、人間と見分けがつかないほど精巧な人造人間を作り、地上に派遣しています。
その派遣の仕方が問題で、街にいる人を拉致し、その人間と全く同じ外見の人造人間を作って入れ替えるというもの。
目的も不明で、人々は、ある日突然、知っている人間が人造人間に変わってしまうかもしれないという恐怖に怯えながら暮らしています。
日本の漫画でいうと、デビルマン寄生獣のような状態でしょうかね。

このインスティチュートと敵対する形の組織が、B.O.Sとレールロード。
B.O.Sは文明が崩壊した後も過去にあった科学技術を集め、その技術力を結集して軍隊をつくっています。
一応、連邦の平和を守るという名目で武装強化をしているので人々を守る行動を取るのですが、その人々からは胡散臭く思われている軍団。

レールロードは、インスティチュートがつくった人間に非常に近い第三世代人造人間の中で、自我に目覚めた人間を保護して救おうと考えている社会運動組織。
元ネタは、アメリカの南北戦争時代に、依然として黒人を奴隷として扱っていた南部から奴隷解放をした北部に黒人を逃がすという運動をしていた地下鉄組織のようです。
人造人間を製造して道具のように使い、自分達の意に沿わない動きをする人造人間を回収して再調整するインスティチュートに対して敵意を抱き、インスティチュートから人造人間を開放する為に地下で活動を続けています。
行動理念としては立派なのですが、取る行動が基本的にスパイやテロといった荒っぽい方法だったりします。

この他の組織としては、ミニッツメンが存在します。
普通にクエストを進めると一番最初に出会うであろう民間人のガービンが、ミニッツメンという団体の最後の生き残り。
この人物との交流を経て、ミニッツメンに加入できるようになります。ミニッツメンは、簡単に言うと農家の互助会の様なもの。
この世界では、北斗の拳のように『ヒャッハー!!』な人達が、食料や水を求めて近くの農家を襲う事件が頻発しています。
そんな無法者(レイダー)から身を守る為、自分が襲われた時には助けてもらえるが、仲間がピンチの時には助けに行くという協定を結んだ者達の集団です。
基本的にミニッツメンはインスティチュートを気持ち悪くは思っていますが、自分たちには直接関係がないので放置している状態。
ですが、メインクエストを勧めていってミニッツメンの規模が大きくなるとインスティチュートが人造人間を送り込んで戦争を仕掛けてくるので、ここで完全に敵対してインスティチュートの壊滅を目指します。

主人公は、インスティチュート・BOS・レールロード・ミニッツメンのどれかのメインクエストを進めることで、その派閥でのクリアーを目指すのですが…

これが、非常に良くてきている。
これらの組織は高い能力を持つ主人公を勧誘する為に、基本的に自分たちに有利な情報のみを主人公に伝えてきます。
敵が如何に極悪で、自分たちはその敵に打ち勝つ為に、どれほど苦労しているのか等。
裏表がないのは、ミニッツメンぐらい。

このゲーム、全ての組織と関わり合いにならなくてもクリアーできる為、ゲームを初めて間もないプレイヤーは一番最初に出会った組織の話を鵜呑みにして、その派閥クエストを進めてしまいがち。しかし、全ての組織に潜入して事情を聴いていくと、各組織がそれぞれ色んな問題を抱えています。
抱えてないのは、これまた主人公が最初の段階で将軍(パシリ)という最高位につける、単なる農家の互助会であるミニッツメンぐらい。

レールロードは、人造人間の開放のみに集中している為、その後の政治や連邦の行方などには特に興味はない。
また、救い出した人造人間が住み辛い連邦に絶望し、市民に迷惑をかけるレイダー(ヒャッハーな人達)のリーダーになったとしても、知らんぷり。

BOSはどうかというと、人間以外は全て抹殺対象なので、人造人間や連邦中に生息している放射能の影響を受けて変異してしまった人間であるスーパーミュータント(ハルクみたいな緑の巨人)や、グールという、ゾンビではなく全身が焼けただれた姿をしているが、実際にはゆっくりと老化しているだけの生きている人間なども抹殺対象。
しかし主人公が旅をしていく中で、放射能によって変異しても人の心を失わないグールやスーパーミュータント達と出会い交流していくと、『全員抹殺しても良いのか?』と疑問が湧いてくる。

では、連邦中の人達から敵視されているインスティチュートはどうなのかというと、都市伝説でも何でもなく、正体は単に地下で住み続けているCIT(MITがモデル)の科学者達。
戦前の発達した科学を保有し、より発達させてきた人類の未来という事を知る。
じゃぁ人類の味方なのかというと、大まかに言うと人類の為に行動をしているのだが、インスティチュートが考える人類は汚染されていない地下で暮らす自分たちだけで、汚染されて崩壊した地上は対象外。
ただ、特定の勢力が大きな力を持ってしまうと自分たちに被害をもたらすかもしれないから地上の情報収集もするし、情報操作や人造人間によって勢力の調整もするという感じ。
ナウシカでいうところの王家の墓みたいな存在といえば分かりやすいのかも。
そして一番重要な事なのですが、インスティチュートの代表である60歳を超えるファーザーは、主人公の誘拐された赤ん坊が成長した存在だということ。
この地上で唯一の肉親が属している勢力は、連邦中の人達から敵視されている組織。

全員から嫌われている組織には、自分が探し求めてきた子供が所属し、その組織は連邦を見捨てようとしている。
しかし、その子供は生後何ヶ月、もしくは1年程で誘拐され、次にあった時は自分よりも年上の老人になっている。そしてそれまでの過程で主人公に力を貸してくれている存在は連邦の人達。
物語の都合上、主人公は連邦の民か自分の息子が守ってきたモノのどちらかを切り捨てる必要が有ります。
私は結婚もしてないし子供もいないので、子を持つ親の気持ちは理解しきれないのですが、子を持つ人はこの決断でかなり悩むんじゃないでしょうか。

インスティチュートに敵対する場合は、残りの3つの派閥のどれに肩入れするかで物語が変わってくる。
人造人間の開放を掲げているレールロードと、人類以外全て抹殺のBOSとは相容れないので、このどちらかを選ぶと残りの一方からは敵視される。

ミニッツメンを選ぶと、残りの2つとは敵対せずに仲良くやれるが、ミニッツメンは基本的には農家の集まりにすぎない。
基本戦力が治安維持をするには足りない感じで、過剰な権力や大き過ぎる組織を得た場合は、組織内の派閥や権力争いなどが起こる可能性も否定できない。現に、主人公が最初にミニッツメンと接触した際にはミニッツメンは内部崩壊していて、一部がレイダー化していたわけです。
しっかりとした指揮系統も規律もない為、将軍の求心力が落ちれば、いつ崩壊してもおかしくはない状態で、かなり不安定。

レールロードはそもそも社会運動家の集まりで秘密組織なので、政治には無関心。
となると…残りはBOSしかないが、これは先ほどから書いている通り、人類以外は認めないという一種の選民思想的を持つ集団。

何も知らない状態で最短でメインクエストを勧めた場合は、何も知らないがゆえに簡単に派閥を選んでエンディングまで進めるのでしょうが、世界設定やそこに住む人達と交流すればする程、決断が難しくなっていくゲーム展開は、正に人生そのものといった感じで非常に面白くも有り、悩ましくもあります。
私はアマちゃんなので、1週目はとりあえずミニッツメンルートで終わらせましたが、全ルートでエンディングを観ると、感想もまた変わってくるんでしょうね。

長くなってきたので、一周目の感想はこの辺りで。
また全ルートをクリアーした暁には、全派閥の言い分や方向性を踏まえた上で、感想を書いていきたいと思います。

ヤマト運輸 一部時間指定停止の件は Amazonと消費者が悪いのだろうか

最近、ヤマト運輸が一部の時間指定受付を止めるということで、少し騒がれましたね。
これを受けての世間の反応は、『ドライバーさんが可愛そうだから仕方がない。』といったものが多く、中には、通販に依存している自分たちを戒める人達まで出てきています。
多くはサービスを利用している私達が諸悪の根源の様な捉え方なのでしょうが、個人的にはこの考え方がよく理解できません。

という事で今回は、このニュースについての私の考えを書いていきます。

そもそもこの件に関しては、私達消費者は全く関係ありません。
その為、行動を改める必要もなければ、反省する必要もありません。
というのも、これらのサービスは私達が強要したわけではなく、会社側がサービス合戦の中で自ら作り出したサービスで、問題があるとすれば、無茶なサービスを安価で提供すると決定した経営陣です。

また、この件に関してAmazonを批判している方も見られますが、それも見当違いでしょう。
というのも、Amazonとヤマトの契約は双方の合意のもとに行われている為、嫌なら佐川のように受けなければ良いだけです。
『送料無料で届くことが異常!そのしわ寄せが、低賃金で働かされる配達員に行っている!私達、消費者も運送コストを負担すべき!!!』なんて言っている人もいますが、大抵は定価の方にそのコストが含まれています。

例えば、定価の決まっている家電などをヨドバシなどの実店舗で買うことを考えてみましょう。
大型量販店というのは、販売するためにレジや営業などの人員を配置しなければなりませんし、土地を借りているのであれば、その土地の賃貸料も必要です。
売り場をきれいに保つための費用や水道光熱費も必要なので、実店舗での販売は相当な経費が必要です。
しかし、ネット通販の場合は、その様な費用がかからず、必要なのは倉庫代と配送手続きをするスタッフだけになります。
実店舗のように駅前に店舗を構える必要もなく、誰も住んでいないようなタダ同然の安い土地を購入して倉庫にすることも可能です。
つまり、ネット通販の方が販売にかかる経費は遥かに少ないので、実店舗と同じ価格で販売したとしても、経費の差額分は儲けが増えることになります。
その増えた儲けの中から送料を捻出している為、実質無料と謳っているだけで、送料負担を運送業者に押し付けているわけではありません。

つまりヤマトの問題は、Amazonから安すぎる契約で仕事を受けてしまったという経営陣の責任であって、ネット通販を楽しんでいる私達には何の責任もありません。

こういうことを書くと、『では、今まで通りドライバーに負担をかけて良いのか!』なんて見当違いな反論をする方もいらっしゃるでしょうが、先程から書いている通り、これはヤマトの経営の問題なんです。
まず、この表を見てみましょう。
東洋経済オンラインの2015年1月の記事です。
toyokeizai.net

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これによると、ヤマト運輸の役員の平均年収は4360万円。従業員平均給料は838万円となっています。
年収200万以下のワーキングプアーが増えてきている現状では、相当な高給ということがわかります。
しかし当然のことですが、ヤマトで働く人全員が838万円も貰えているわけがありません。
本社勤務の人間と、実際に配達しているドライバーでかなりの差はあるでしょう。

別サイトによると
heikinnenshu.jp
ヤマト運輸の本社は入社したてで500万近い給料をもらい、係長で900万近く、部長になると1300万円とかなりの高待遇。
このサイトによると、先程紹介した平均年収838万円という数字は平成25年のもので、27年度は886万円と48万円増加していることが分かります。
また、ヤマトの公式サイトによると、ヤマトは2013年から連続増配中。
株主還元の方針・配当状況 | ヤマトホールディングス株式会社

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『人が集まらない!』『ドライバーに人間らしい生活をさせたい!』と主張するヤマトホールディングスだが、配達員の仕事が年々厳しくなる一方で、本社勤務の人間の待遇はかなり改善されていることが分かります。
ここから分かる事は、本社勤務の社員や役員の待遇を強化し、その上、株主配当を増額。
それらの財源は、会社の中でも底辺層のドライバーや請負業者から搾取する事で調達していたという事です。
まさに、雇われ経営者の鑑の様な行動ですね。

何度も書きますが、これは経営の問題であって、依頼主であるAmazonの所為ではなく、当然のことながら宅配便を利用している消費者が原因でもない。

ドライバーや請負に携わる数は多いので、ここの人件費は上げたくない。
しかし、このままの状態を放置すれば、大量離職やストライキが起こりかねないので、サービスを削るという、客側に負担を強いる方法を会社側が採用したというだけなんでしょう。

で、今回の経営者の対応が上手くいくのかというと、私は甚だ疑問です。
というのも、時間指定というのは見方を変えれば、荷物の受け取り側が『この時間なら家にいますよ』と教えてくれるサービスです。
それを一部の時間であっても止めるという事は、単純に客が家にいない確率が上昇するだけなので、再配達の数が増えるだけなんでしょう。
再配達時に別途料金を請求するというのなら話は変わってきますが、今まで通り再配達が無料の状態では、配達通知を見てから時間指定されて終了。
結果として、ドライバーの負担はそれ程変わらない、むしろ悪化するかもしれません。

経営者の仕事というのは、単に業績を伸ばすだけでなく、業務の効率化や労働環境の改善なども含まれているはずですが、今回の件は経営陣が業績のみに注視した結果起こってしまったことなのでしょう。
経営陣からすれば、業績を維持・もしくは伸ばせば自分たちの給料を増額する言い訳にもなります。
この決定に、唯一、上から文句を言えるのは株主だけですが、そこから文句が出ないように、株主の取り分である配当を増額する事も大切なことだったんでしょう。
結果、上層部と株主が潤って、現場で実際に動いている人間が犠牲になっているだけ。

要約すれば今回の件は、資本主義には良くある上層部による搾取でしかありません。
しかし、今回、悪質と思われるのは、その原因が上層部による搾取にも関わらず、会社側が顧客であるAmazonと最終顧客である我々に原因があるかのような言い方をしたことでしょう。
批判されるべきはヤマトの経営陣であって、顧客であるAmazonでもなければ買い物をしている私達でもないはずなんですが、それでも自分たち消費者を戒めようとする意見が多く聴かれるのは、自身が死ぬまで働く国民性のせいなのかもしれませんね。

モテるとはどういうことかについて考えてみた

私が愛聴しているネットラジオ『BS@もてもてラジ袋』にて、モテる方法といった感じのエピソードが公開されました。
このラジオを全く聴いたことがない方にとっては、『BS@もてもてラジ袋』なんて名前なんだから、モテ情報ばっかり更新してるんじゃないの?と思われるかもしれませんが、実際の放送内容は社会派な感じだったりします。
そんなラジオで語られる『モテ』についてなので、色々と考えさせられる内容となっていたりします。
http://moteradi.com/20170218amoteradi.com
という事で今回は、モテについて考えていきます。

『モテ』や『人を好きになる・好きになる』については、私自身も今までに何度も何度も考えたことは有ります。
ただ、自分で考えるというのは、あくまでも主観の問題。客観的な目線がかけるわけですが、他の人の意見も聴くことで、見えてくるものがあったりもしますよね。

単純なモテについて考えると、余程の事がない限り、異性からモテまくるなんてことはありません。
余程の事というのは、芸能人・有名人であったり、多額の金を持っている・生み出せることであったり、容姿がズバ抜けて良い。等々。
人は差異を求め続けるなんて言いますが、これらの存在はレアである為、世間から求められ続けます。
当然のように、これらの能力が高ければ高い程にレア度が上昇していく為、モテるようになります。

その一方で、私の様な一般人はどうかというと、基本的にモテることなんてありません。
当然といえば当然。一般的過ぎて差異が無い為、レア度も無い。
ではこんな私の様な一般人がモテようと思った場合はどうすれば良いかというと、差異をつけるしか無い。

差異の付け方は人それぞれで、一生懸命に努力する人もいるでしょうし、楽して差異をつけようとガラの悪い人間のように振る舞い、ある人は変なバイクで暴走するなんて人もいる。
世間一般から見て変わっている人などは、無意識に差異を求めて行動する。その先に何を求めているのかといえば、異性との交流なんでしょう。
フロイトという人は全ての行動を性欲に結びつけて考えたといわれていますが、差異が無いと異性を惹きつけられないのであれば、これらの行動も納得の行くものなんでしょう。

しかし、差異というのは世間からズレる行動を取る必要が有るため、社会性の有る人間の多くはそんな行動を取れるわけもない。
そこで、差異ではなくコミュニケーションを駆使して解決しようと考え出されたのが、『モテ術』なんて呼ばれているものなんでしょう。

モテ術には様々な方法がありますが、基本的な部分で共通しているのは、声をかけること。
先ほど紹介したラジオ内でも語られていますが、バッターボックスに入ってバットを振らなければ、ボールを打つことは出来ません。
バットを振ったからといって確実にボールを打ち返せるわけでは有りませんが、少なくとも、打ち返せる確率は0%ではなくなります。
どんな下手な人間でも、何万回もバットを振り続ければ、まぐれ当たりでバットに当たるかもしれない。
しかし、バッターボックスに入らずに様子見を決め込んでいる人は、バットを振る機会が無いんだかから確率は永遠にゼロというわけです。

ラジオ内では、『こんな男は持てない』という記事が紹介され、女の人が実際に受け取ったメールの返信を例に話されていました。
その内容は、気のない男とのメールのやり取りが終わらない状態で、女性が『今からご飯』といった内容を男性に送信した所『じゃぁ、ご飯を消費しに行こうか?』というメールが送られてきたという話。
女性にしてみれば、メールを打ち切りたいからと送ったメールなのに、男性側が空気を読まずに『今からご飯を食べに、家に行っても良い?』と返ってきたのが鬱陶しく、『こんな男はモテ無い』と判断し、その内容が記事になったようです。。

しかしラジオ内でのパーソナリティーのお二人の見解は違い、むしろこの男の行動こそがモテ術。
というのも、この男はバッターボックスに立っている状態なので、この女に愛想を尽かされたとしても、他の女に同じメールを送った場合は別の反応が返ってくるかもしれない。
仮に100人の知り合いにこんなメールを送れば、その内1人ぐらいは『じゃぁ、今から来る?』って返すかもしれない。

先日、NHKの『ねほりんぱほりん』という番組で、ナンパ塾に通っている人がゲストで話されていましたが、ここでも方法としては同じでした。


片っ端から声をかけ、ダメだったら次に行く。重要なことは拒絶されても折れない心で、拒否されることを前提で数を撃つのが基本。
重要なのは、拒否されても折れない心で、それを鍛えるのが授業内容のようです。

先程の差異の話を踏まえて考えると、基本的に人間は差異がなければ相手から振り向いてくれることはないし、異性を引きつけるために差異を見に付けたいと思って入るが、それは困難な道なので大半の人間が諦めている。
大半の人間には差異がない。しかし、差異のない一般人からすると、声をかけられるという事は特別な体験になりうるわけで、声をかけられる自分には自分には気がついていないだけの差異があるのかもしれない、と思える。
そして、『自分には気が付かない差異を発見してくれた【この人』は私にとって特別な人。』と思う人間は一定数存在する。『そんな人間が引っかかれいいなぁ』と思いながら、バットを振り続けるのは、異性を見つけるという点では正論なんでしょう。

しかし、ここで私のようにバッターボックスに入るかどうかを迷っている人間は考えてしまうわけです。
『誰でも良いのか?』と・・・
私のように、バッターボックスに入れない人間の大半は、好きな人と恋愛関係になりたいと思っているわけです。誰でも良いわけではありません。
一般人の私でも、繁華街に行って朝から晩まで目につく異性に片っ端から声をかけ続ければ、一緒に食事に行ってくれる人ぐらいはその日の内に見つかるでしょう。
声をかけている内に慣れてきて、精神的苦痛も少なくなってくるでしょうし、次に同じ事をしようと思えば、更に効率良く出来るでしょう。
ですが、ここで思うわけです。『追い求めていたものはこれなのか?』と。
ゴールが単に一緒に寝ることであれば、『誰でも良い』のかもしれません。しかし目的が、『一生を添い遂げること』だったとしたら?
たまたま振ったらボールが当たった様な人で良いのでしょうか。

こういうことを書くと、ナンパ術の実践者やリア充の人は、『そういうのはボールが当たってから精査すれば良い』なんて答えるのでしょう。
しかし重要なことは、そのナンパ術を実践する段階で、自分の中で価値観の変化が起こってしまうことです。。
先ほど紹介した『ねほりんぱほりん』の動画に登場したナンパ師は、運命の人と呼ばれる人間が登場したのにもかかわらず、自身の仕事で転勤になった際、その女性をアッサリと切り捨てて別れてしまったようです。
出会いを求めてナンパ塾にまで通った人が、何故、あっさりと別れたのかというと、『転勤先でまたナンパすれば良いか』と思ったからだそうです。
また、ナンパをして一晩寝るまでなら自分を演出できるが、長期間にわたって演じきるのはストレスが溜まる為、高速回転している方が気が楽といったニュアンスのことも仰ってました。

つまり、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる作戦は実用的だし、実際に出会いのチャンスも飛躍的に増えるのですが、その一方で、鉄砲から打ち出された弾の一発一発に想いは込められなくなるし、把握も難しくなるということです。
人間関係は表面的になりますし、不都合が生まれれば関係を切り、次に向かうような考えになってしまいます。

それを求めているのかという話です。

またこのように考えていくと、金持ち・容姿が良い・有名人等の差異を持った人間でも、最終的には同じような疑問にぶち当たります。。
自身のレア度を高めていく事で、確かにモテる事は飛躍的に多くなるでしょう。しかし寄ってくる人間が、自分という人間を求めて来ているのか、自分が持つ差異のレア度に引き寄せられているのかの判断がつかなくなります。
少なくとも私が求めているのは、色んな要素を差し引いた素でいる状態の時に、受け入れてくれる人間だったりします。
そして相手に求めることも、相手が素の時に受け入れられるかどうかを重要視します。

ただ、こういうスタンスの場合、結局はバッターボックスに入らずにボールの行方を見守る事になる為、良い球が来たとしてもバッターボックスに入って無いので打つことも出来ない。
ではどうすればよいのかというと、『妥協』するしか無いのでしょうね。
とりあえずバッターボックスに入り、全ての球を振るのではなく、見逃し三振まで想定した状態で良さそうな球が来たら振っていく。
来る球全部を振るよりかは確率は一気に下がりますが、バッターボックスに入ら無いよりかは遥かにマシという状態を作っていくしか無いのでしょう。

PS4PROを買ってみた (テレビのアップデート PS4のデータ移行の話など

先日のことですが、2016年の11月に発売されたPS4Proを購入しました。
購入を決めた一番大きな理由としては、今年(2017年)の正月にHDR対応4Kテレビを購入したからです。
kimniy8.hatenablog.com
最近のゲーム、特に洋ゲーは、ゲーム内に出てくる本やメモ・スマホといった細かい文字を見刺されるケースが多くなってきました。
元がPCゲームという事もあるのでしょうが、この細かい文字をテレビで見るのが結構つらい。そんな思いから、テレビを購入したんです。

テレビを購入すると、次に気になるのがゲーム機。
丁度、私が現在プレイ中のフォールアウト4や、DLC全部同梱して新たにリメイクされた、Skyrim Special Edition。
現在買おうと思っている、Horizonなどが4kのproに対応したという話も聴き、非常に気になっていたんです。


            

気にはなっていたけど、決して安い買い物ではない。
という事で、リサーチしまくった所、以下のことがわかりました。
私が調べた所、一番多くて深刻な問題は、テレビとの相性が悪いと4kもHDRも使えないというもの。ちなみに私の持っているテレビ(UH6500)は、微妙に対応してないっぽい。
折角購入するのに、一番の売りである部分が使いないのは、正直辛すぎる。
また、実際に購入しようとしても、Amazonなどでは品薄なのか定価で買えない状態になっている。
ただでさえ高い買い物なのに、転売屋に更にプレミアム料金上乗せしてまで書いたくない。
結果、一旦、様子見を決め込むことになりました。

しかし、様子見を決め込んでいる間も気になって、ネットに繋いでいる時は常に『ps4 pro 比較』などで調べてしまう状態。
『これは色んな意味で、購入しないと駄目だな。』と思い、前向きに調べてみると、テレビの方でps4proに対応したシステムアップデートソフトを配布しているという情報をキャッチ。
早速、LGの公式サイトに行ってみると、本当にソフトウェアが更新されている。
しかしテレビの方でバージョンアップをかけてみると、アップデートが出来ない。
どうやら、アップデートの為のソフトは配布しているが、自動アップデートには対応できていない様子。
USBで接続出来る記憶媒体が有れば手動アップデートが可能とのことなので、、早速、手動でのアップデートに挑戦。

ソフトウェアの入手方法は、LGの公式サイトに行って、右上の【サポート】という項目をクリック。
すると、新規窓でサポート項目がズラっと出てくるので、一番左下の【ソフトウェアダウンロード】をクリック。
製品の型番を入力する画面になるので、そこに型番を入れればOKです。

最初は、『ダウンロードしたzipファイルを入れたusb機器を差し込めばよいだろう。』と簡単に考えていたのですが、これではアップデートは不可能。
ネットで検索するも、方法は自動アップデートの方法しか出てこない。
そこでダウンロードしたzipファイルを解凍、その後、アップデートファイルっぽいものだけを取り出してテレビに認識させるも、不発。
途方にくれていると、ダウンロード画面にはシステムファイルだけでなく、pdfもあることに気がつく、しかし、それを開くと、全部英語…
『無理やん』と脱力感に襲われるも、注意深く見ていくと、全部英語ではなく、全部違う言語で書かれているっぽいことが分かる。
『これは、探せば日本語があるかも!』と思って下の方にスクロールすると、見事に日本語ページを発見。

それによると、zipファイルで配布されているシステムファイルを回答してusb記憶媒体に書き込むわけですが、この際、記憶媒体の方に新規フォルダを制作し、フォルダー名を『LG_DTV』にする必要が有るようです。
この手続をしないと、外部ストレージを接続しても、写真や動画閲覧の選択肢しか出てきません。

何とか無事にテレビの方のアップグレードも済み、残りは買えるかどうかだけ。
先程も書きましたが、ただでさえ高いものをプレミアム料金を払ってまで書いたくないんです。
しかし、Amazonでは一向に定価販売にはならない。
そこで、ダメ元で近所の古本市場に行ってみると…普通に在庫がある!何台も!

ps4proは、品薄とはいってもPSVRまでではないようで、普通に店舗に行けば在庫はあるっぽいですね。
これで、テレビの相性問題と購入問題が解決してしまったことで、買わない理由がなくなってしまいました。
格言でも、『買わない理由が値段なら買え』というものがありますし、このまま買わずにいた場合、proに買い替えたらどれほど改善するのかを検索し続けるんでしょうし、その時間も勿体無いということで、購入しました。

後、私のようにノーマルからproに買い換える人の為に注意点を書いておくと、ps4とproは、繋げればデータ移行も簡単!との触れ込みでしたが、私の場合は同じネット回線につなげてもデータ移行は出来ませんでした。
症状としては、新しいps4の方でネットワークに繋がった旧ps4を見つけられないというもの。
説明書によると、旧ps4をpsnにログインした状態で立ち上げ、その後、ps4proを立ち上げてデータ移行を選べば問題なく出来ると書いてありましたが、実際にはネットワークに繋がったps4は見つけられず。
また、一度データ移行の作業を行うと、proの方でもpsnにログインしてしまうようになり、その度に旧ps4psnからはじき出される為、旧ps4psnにつながっている状態を維持できない状態になるんですよね。

ただ、私の場合はps plusに加入していた為、セーブデータはオンラインストレージにアップロードされていた為、proの方にプレイしたゲームをインストールすればセーブデータはダウンロードできる為、プレイする上で支障はないんですけどね。
データ移行の場合は、1時間ぐらい本体を放置すれば全ての作業を自動でやってくれる一方で、こちらの方法はソフトを手動でインストールしなければならない分、手間はかかりますけどね。
PS4のシステムは今後アップデート予定で、外付けHDDにゲームのインストールやセーブができるようになるらしいので、そうなると、移行はもっと楽になるから、この点は気にしなくて良いかもしれませんが。

実際にプレイした感想ですが、劇的に改善しているのかといえば、そうでもない感じがします。
プレイ画面を間違い探しのように、目を皿のようにして比較しまくれば違いは見つかるんでしょうけども、普通にプレイしている感じでは、『描写が全く違う!』って印象は受けませんでした。
ただ、遠くのオブジェクトまで描画できるようになっているようで、より『そこに居る感』は増したような気がします。
また、事ある毎に『綺麗だなぁ。』と景色やシーンに見とれることも有るので、かなり綺麗になっているのかもしれない。
その他には、ノーマルps4では建物が多くて人口が多いところなどは、カクカクなる事も有ったのが、そんな事は一切なくなった感じでしょうかね。
これから発売されるソフト、特にAAAと呼ばれるソフトは、pro用にハイレベルなグラフィックを使ったソフトを出してくるでしょうし、今から新規で買う人がいれば、proをオススメしますね。


       

現金は必要なのだろうか

こんなタイトルで投稿を書くと、このブログをずっと観ている方(そんな人がいるかどうかは知らないが)は、『また、脱資本主義とか左系の記事だよ』なんて思われるかもしれませんが、今回の内容は少し違います。
今回テーマになる『お金』ですが、概念やツールとして必要ないとか脱却すべきなんてことを主張したいわけではなく、実物としての現金が必要があるのかという話です。

こんなことを考えるようになったキッカケは、少し前に放送されていたWBSという経済ニュースです。
どんなニュースかというと、北欧の(確かスウェーデン?)では、国民が現金を全く使わないので、中央銀行としても通貨を刷らない事も検討しているというもの。
誤解して読み解く人も出てくると思いますので、もう少し丁寧に書くと、経済が停滞して国民が消費を出来ないという話ではありません。
電子決済の普及により、現金決済が必要無くなったという話です。
日本では絶対に起こらないようなことも、北欧のような小さな国では容易く実行できてしまうのでしょうか。ともかく現金決済がなくなり、ほぼ全てと言って良い経済活動が、電子決済に移行したようです。
txbiz.tv-tokyo.co.jp
これって、かなり凄いことですよね。日本は現金主義で、基本的な取引は、ほぼ、現金で行われます。
しかし冷静になって普段の生活を振り返ってみると、その現金主義が非常に面倒くさいことに気が付きます。
そして更に発展して考えると、現金決済には様々なデメリットも存在します。
という事で今回は、キャッシュレス社会について考えていきます。

日本に住む私達は現金決済に慣れていて、基本的な決済は現金で行います。
しかし現金決済を行うためには、結構な準備が必要になってきます。

売店を例に考えてみましょう。
店側は、客が毎回きっかりと払ってくれるわけではない為、『お釣り』の為の小銭を用意する必要が有ります。
その『お釣り』を用意する為に、開店前の忙しい時間に銀行に両替に行くという手間がかかります。
客の立場の場合、1万円を出して嫌な顔をされるのが嫌な場合は、事前に千円札でお金を用意していく必要が有ります。
現金決済をしている所為で、面倒くさい作業や気遣いが必要になってきます。

またこの小売店が食材を売っているような業態の場合、決済の為に汚いお金に触るのも、小さいながらもリスクです。
お金というのは、色んな人から人に渡ってきているもので、どんな人がどんな扱いをしているかわからない代物です。
地面に落ちたこともあるでしょううし、トイレに行って手を洗わずに扱う人もいるでしょう。財布に入れず、長期間選択していない服にそのまま突っ込んでいる人もいるでしょう。
そんな状態で何十人、何百人、下手をしたら数千・数万回も人から人に渡ってきているものです。
良く、パソコンのキーボードは便器より汚いなんて言いますが、お金はそれ以上に不衛生なものでしょう。
そんなものを、食材を扱い店が取引の度に触るというのは、結構、不衛生です。

その他には、犯罪面からも危ない。
現金決済ということは、その店の売上は一定期間は店のレジに保管されます。
店に多額の現金が絶えずあるということは、強盗被害のリスクも有ります。常時一人で営業させるワンオペで有名な牛丼屋は、強盗の格好の的になっていましたよね。
また、店から金融機関に運ぶ際に襲われるということも有ります。

外からの強盗が無かったとしても、多くの人が入れ替わりでレジを担当するような店だと、従業員・バイトがお金を盗むという事件も有るでしょう。
従業員のモラルが高く、レジから金を抜く人間が全くいなかったとしても、レジ担当のミスによって売上と現金が合わないなんて事は有るでしょう。
しかし全てが電子決済化されれば、金の受け渡しミスが無くなる為、こんなミスも少なくなるでしょう。

別の例で簡単に書くと、タクシーでの現金支払いです。
客として乗り込む場合、財布に1万円しか無い状態だと、事前にコンビニなどで買いたくもない小物を買って崩す必要が有ります。
この際、下手をするとコンビニ定員にも嫌な顔をされる可能性が有ります。にも関わらずこんな行動を取らなければならないのは、タクシーで1万円を出すと、もっと嫌な思いをするからです。
またそのタクシーは、現金を絶えず持っている上に運転手一人で営業ということで、絶えず強盗の危険と戦わなくてはなりません。

こうして一つ一つ考えていくと、現金決済というのはIT技術が進んだ現代では、かなり面倒くさい上にリスクの高い決済方法だったりします。

その一方で、電子決済の場合はどうでしょう。
電子決済なので、店側がお釣りを用意するなんてことも必要ありませんし、客側も『1万円札しか無いよ』なんて事は考えなくても良い。
また、店に売上金が貯まることもない為、強盗が入る心配は激減します。何故なら、店には現金はないんですから。
当然、現金を扱わないため、不衛生な現金に触る必要もありません。

この他にも、全てを電子決済で行うことで、何を購入したかという明細が簡単に確認できるようになります。
これにより、家計簿ソフトなどと連動させれば、簡単に月の収支を知ることも出来ます。
事業の場合は会計ソフトと連動させる事で、税金関係の帳面作成などが飛躍的に楽になることで、更なる恩恵が得られるでしょう。正に会計士要らず。

完全に電子決済化した状態でマイナンバーと口座を結びつければ、金の流れがほぼ完全に把握できる為、マネーロンダリング等の不正もしにくい。
そもそも裏金や、その洗浄なんてものは実物としての現金が有るから行いやすいわけで、金の流れがクリアに見渡せるようになれば、この手の犯罪も減るでしょう。
国としても、今まで不正によって未納だった税金が回収できることになり、これによって貧困層に対する負担が大きい消費税なども廃止に出来るかもしれない。

また、中国などではATMから偽札が出てくるなんて事も結構あるようですが、電子決済によって実物の現金が無くなると、偽札の心配もなくなります。

客観的な立場から冷静に今のシステムを見てみると、不正や犯罪・ミスは決済に現金が絡んでいるから起こっているようにしか見えません。
電子決済を導入することで、様々なリスクや不正を減らすことが出来、より効率的な社会になるように出来るのではないでしょうか。

勿論、電子決済ならではのリスクも出てくるとは思います、しかし、だからといって、古いシステムにしがみついて良いということにはなりませんよね。
新たに出た課題は課題として解決していく必要は有りますが、より進んだシステムがあるのであれば、それに移行していくほうが効率的で良いのではないでしょうか。

【働き方改革】年間の労働時間720時間は妥当なのだろうか。

先日ニュースを見ていたら、『働き方改革会議』という話し合いで、時間外労働時間の上限を決めるという話が報道されていた。
ここで話されていた内容としては、月の上限を60時間にする方針だが、企業側は繁忙期の事を考えて、100時間超を希望している云々という話。

この話を聴いた私の正直な感想としては、『繁忙期だけ極端に忙しい業種とか有るから、企業側が求める100時間も分かる気がする。』といった印象でした。
ただ話し合いの結果、月の上限は60時間と決まったようで、これを聴いても『妥当かな。』という印象しか受けませんでした。
しかしこの後、『月の時間外労働時間を60時間とするので、年の時間外労働時間の最大は720時間とします。』という発表を聴いて、『は?』と思ってしまいました。
これ決めたやつ、小学生かと。

という事で今回は、労働時間について考えていきます。

私の考えを書くと、1日8時間労働として、月の残業時間が60時間や100時間になるのは、仕方のないことなのかなと思います。
しかし、年トータルで考えると残業は無しを理想にすべきだと思います。

月の残業は認めるが年の残業は認めないというのは矛盾する事なので、もう少し詳しく書いていきましょう。

私は京都に住んでいて、観光に関連する仕事をしています。
京都の観光客は春と秋に集中する為、関わり合いのある業者は春と秋は残業をしているところも結構多い。

京都に限らずとも、日本は4月に人の移動が集中している為、引越し業者や不動産屋などは、2~4月に売上が集中する。
これに伴って家電の売上なども変わってくるでしょうし、メーカー側も、この時期に新作を発表する為に企画・開発などを行うでしょう。
また、経理部門などは決算期には忙しくなりますし、上場企業だと4半期ごとに忙しい時期が来ることも理解できます。

それぞれの業界や部門によって繁忙期と閑散期がある為、『繁忙期は仕事が沢山有るから、残業してでも片付けて欲しい』という企業の思いは理解できます。
人を雇えという反論もあるとは思いますが、配達などの単純労働の場合は人も入れやすいでしょうが、専門技能が必要な業種の場合は人を入れるのもかんたんでない場合が多い為、『一定期間だけ頑張って働いて!』という要望は、仕方のないことだと思います。
これらを考慮すると、月に60時間とか100時間の時間外労働を求める気持ちも、解らなくもない。

しかし、年間720時間というのは何なんでしょうか。
誰が観てもわかると思いますが、720時間という時間は単純計算によって出された時間です。
『1ヶ月60時間で、1年は12ヶ月あるんだから、60×12=720で、年間720時間ね。』
この数字を見た時、『掛け算を覚えたての小学生か!』と思わずツッコんでしまいましたよ。

先程も書きましたが、多くの業者が繁忙期と閑散期が有り、繁忙期だけ人数を増やすことが困難な場合は、『その期間限定で時間外労働をしてね』という言い分は理解できます。
しかし、年720時間という時間設定は、毎月60時間の残業をすることを前提の数字。
毎月60時間の時間外労働が必要なのであれば、それは単純に人が足りてないので、経営者は人を雇うべきなんです。それが、経営者の仕事です。
冷静になって考えてみてください。時間外労働というのは、割増料金が支払われます。
慢性的に時間外労働が必要なのであれば、業務を効率化することで仕事量を減らす。限界まで仕事を減らしているのに時間外労働が必要なのであれば、人数を増やして仕事を割り振ることで、経費を削減することが可能です。
10人のスタッフを雇って毎日3時間の時間外労働を全員に強いて、残業代として2割増しの料金を支払うのであれば、4人の新スタッフを雇って仕事を割り振って全員が定時で帰る方が、2割増しの残業代分の経費が浮くことになります。
少ない人数で慢性的に時間外労働を強いるというのは、固定費の観点からみても非効率です。

これを考慮すると、『毎月60時間の時間外労働』というのはあり得ない事が理解できると思います。
ですから、60時間×12ヶ月=720時間というのは、考え方が根本的におかしい。
繁忙期と閑散期が半年づつと仮定して、年の時間外労働時間は360時間とかなら、まだ理解できる。

しかし個人的には最初に書いた通り、年間の残業代はゼロを目指すべきだと思います。
ゼロを目指すとはどういうことかというと、繁忙期には残業するんだから、閑散期には早く帰らせろという話です。
繁忙期に毎日12時間働くのであれば、閑散期の労働時間を4時間にすれば、年平均で観るとバランスが取れます。

この考えは正確に書くと、時間外労働を何時間に設定するかという話ではなく、一年間の労働時間の上限を決めろという話です。
年間200日働くとして、基準となる労働時間を1日8時間に設定する場合、年間で働く労働時間の上限を1600時間に決める。
こうしておけば、繁忙期に12時間や、それ以上働いて会社で寝泊まりするなんて期間が一定期間続いたとしても、繁忙期さえ過ぎてしまえば、長期的な休みや一日4時間労働なんて素敵な日常が待っていることになります。

現在の日本は大手企業ですらもブラック化し、長時間労働が増えて自殺者なんて出ている状態ですが、人が死ぬまで追い詰められるのって、ゴールが見えない状態で酷使されるからなんですよね。
明確にゴールが決まっていれば気持ちに余裕も出来てきますし、少々厳しい状態だとしても、期間限定とわかっていれば耐えられるケースって少なくないでしょう。

というか、社員を死ぬまで働かせないと利益が出ない時点で、経営者として失格です。経営者の仕事は組織を効率よく動かす事。
今はIT技術も進んできているので、社内向けの余計な書類制作なんて業務はITの導入によって省くことが可能。
他にも効率化出来る部分は非常に多くなってきているわけで、新たな使えそうな新技術を導入することで仕事量を減らし、同時に不必要な経費も削減していく。
これらの努力を一切せず、膨れ上がる仕事を社員の労働時間の引き伸ばしという手段でしか解決出来ない時点で、無能と自ら主張しているようにしか聞こえない。

こんな無能な経営者たちと、世間の常識から外れた感覚の政治家が会議をしているから、『年間の時間外労働時間720時間』なんて意味不明な数字が出てくるのでしょうね。
このブログでは何度も書いてますが、可処分時間が増えないと消費も増えません。経営者の怠慢で時間外労働を増やせば増やすほど、自分たちの首も絞めていることに気付くべきです。
年間の労働時間の上限を決めるということは、社員のライフワークバランスを整えるだけでなく、消費を増やす視点からも必要だと思うのですが、どうでしょうか。

【ゲーム紹介】 Fallout4 (フォールアウト4)

今回紹介するゲームは、今更感が結構強い『Fall out 4 (フォールアウト4)』です。


      

この作品、2015年の年末に発売し、私は2015年中に購入したのですが、今更の紹介です。
何故、1年以上も紹介が遅れたのかというと、単純に、面白さに気がついたのが最近だったからです。

先ずは、簡単にゲームの舞台設定を紹介していきましょう。
舞台となるのは今から200年先の未来の話。主人公は、1970~80年台ぐらいの古き良きアメリカと、未来のロボット技術が織り交ざったような環境のアメリカ・ボストンに住んでいたのですが、そのアメリカで内戦が勃発。
各地に核爆弾が落とされる事になります。
爆弾投下直前にVault-Tec社が運営する地下シェルターに家族(配偶者と赤ちゃん)と共に逃げ込めた主人公は、そこで冷凍睡眠状態にされ、200年間の眠りにつきます。

そして次に目が冷めた直後に見たものは、何者かが自分の配偶者を撃ち殺し、自分の赤ちゃんを誘拐する姿。
その後再び冷凍状態にされて眠りにつき、ようやく目が冷めて地下シェルターから抜け出した主人公が目にした姿は、荒廃した文明が崩壊した世界。
日本で例えるなら『北斗の拳』 映画で例えるなら『マッドマックス』の様な世界に突然、放り出された主人公は、その世界で何とか生き抜き、自身の子供を取り戻すために奮闘する。という話です。

舞台となる荒廃したボストンの作り込みや描写は素晴らしく、そのデータ量はPS4でも処理が重くなるほど。
設定の作り込みも非常に細かく、ゲームをプレイする時間が増えるに比例して没入していく作り。
非常に素晴らしい作品です。

何故、こんな素晴らしい作品に、発売から1年も経過してから熱中し始めたのかというと、このゲームの作りが非常に不親切で、面白さを発見する前に1度挫折してしまったからです。
不親切というか説明不足で、物凄く単純で基本的な操作の説明すら殆どない為、本当に探り探り。
発売当初は攻略サイトも充実していなかったせいか、本当に自分自身で操作を体感して覚えていかなければならないのですが、その作業が面白くない。

例えば、このゲームでは拠点開発をする事が出来、家や家具などの構造物を自分で作ることが可能です。
そのチュートリアルの様なクエストが初期にあるのですが、チュートリアルなのに説明不足で分かり辛い。
最初のチュートリアルを乗り切ったとしても、どのアイテムにどんな効果があるのかの説明や使用方法の説明がない為、チュートリアル以外の応用の仕方がわからない。
結果として、クラフトの楽しさを知る前に拠点開発を諦めてしまう。

次に難易度。
このゲーム、基本的にはFPSなのですが、初期に出てくる虫等の敵が結構小さい上に動き回るので、攻撃そのものが当て辛い。
FPSが苦手な人向けに、時間の流れがゆっくりになって特定部位を指定して攻撃するVATSというシステムがあるのですが、これはスタミナを使う為、連発が出来ないにも関わらず、敵はかなりの量で攻め込んできたりする。
結果として、すぐに死ぬ。
また、このゲームはオープンワールド。初期の状態から全てのマップに行くことが可能なのですが、変な場所に足を踏み入れると、いきなり強い敵に囲まれて蜂の巣にされる。
序盤を乗り切り、ある程度自由に動くためには、適切なレベル帯のクエストを受けて完了する必要があるのですが、そのクエストが何処で発生するかもわからない。

まとめると、操作の説明が不親切なうえ、オープンワールドで何処にでも行ける(逆に何処に行ってよいかわからない)ので、基本的に探り探りで試行錯誤しなければならないにも関わらず、序盤は装備も能力も低いので、とにかく死にまくる。
こんなゲームの為、購入してある程度ゲームを勧めた所で飽きてしまい、放置してたんです。

ですが、1年も放置を続けていると、他の人達は既に遊び尽くしている状態。自分のプレイや実績などをブログや動画で紹介する人達も増えてきました。
攻略サイトも充実し、『最初にやるべきこと』といった記事も増えてきた為、『折角だし』とそれらの記事や動画に目を通してみる事に。すると、その中のクラフトを使った拠点紹介の動画や画像にハマってしまい、『自分でも思い通りの作りたい!』と思ったが最後、むくむくと創作意欲が湧いてきて、再プレイに突入してしまいました。
ただこのクラフトによる拠点づくり。クラフトで最初から作れるアイテムは意外と少なく、自分の目当ての物を作ろうと思うと、マップ中に散らばるクラフト用雑誌やパークと呼ばれるレベルアップ時に貰えるポイントを振り分けて身につけることが出来るスキルを持っていないと作れないものが多数。
これらのクラフト品を開放する為に、レベルを上げたりクエストをこなしたりしている内に、『もっとこの世界のことが知りたい!』と思い、ドンドンのめり込んでいくことに。

此処から先は、正に泥沼に足を突っ込むが如く、ズブズブとFallout4の魅力にハマっていくことになります。
レベルが上ってスキルを身につけることで、どんどん強くなっていくのが実感できる。
そしてクエストをこなす度に、『このスキルがあったら、もう少し楽ができるようになるのにな』なんて思うようになってくる。
必要なスキルを全て身に着けるためにはレベルがどれ位必要なのかを逆算することで、とりあえずのゴールも見えてくる。

やるべき事とやりたい事がドンドン積み重なっていき、気がついたら自由になる時間はずっと、Fallout4をやっている状態に。
そして、プレイすればする程、ゲームの世界観がつかめてきて、『この世界の中でどんな人生を過ごしたいのか』を考えるようになってきます。

少し具体的に書くと、このゲームには4つの勢力が存在します。
市民たちが相互に助け合う形で組織化された自警団的な『ミニッツメン』
文明崩壊前に作り出されたハイテク危機を集めつつ、人間以外の勢力を全て殲滅して平和を取り戻そうと考えている『B.O.S』
インスティチュートが作り出した人造人間の中で、自我に目覚めたものを助け出し開放する為に動いている『レールロード』
そして、すべての勢力から敵対視されている、都市伝説化している正体不明の組織『インスティチュート』

メインストーリーは、これら4つの組織の中から自分の考えと合う組織を見つけ出し、最終的には特定勢力に加担するわけですが、各勢力の考えていることがかなり複雑。
その為、各組織の考えを見抜く為に、各組織に関わり合いながら、それぞれの組織の本心を見極めていく必要があるのですが、それぞれの組織はそれぞれの正義のもとに動いている。
正義と悪の戦いなら選択は楽なのですが、皆が『自分たちのやっていることは正しい!』と信じて行動している為、本当の意味での正解はなく、プレイヤーの価値観に委ねられることになります。

各組織の人達は、それぞれの立場からプレイヤーに対して様々な問題を投げかけてくるのですが、その問に答えていく内に、ゲームをとして自分自身の性格が浮き彫りになっていく感覚が非常に面白いです。
ゲーム自体のボリュームが凄く長時間楽しめる為に、そこが逆に社会人にとってはハードルが上がってしまってる感のある作品ですが、プレイする時間があるのであれば、是非、試してほしい作品ですね。
時期的に、DLC全部込みバージョンとか出そうですが、それが出た場合は、買って損はない作品だと思いますね。

フレーム問題 ~サイコパス・コミュ障は治るのか

最近、『サイコパス』とか『コミュ障』について、悶々と考えていました。
『そもそも思考の仕方が違うんだろうな』と漠然と思っていたのですが、そこに随分昔に読んだ事がある『フレーム問題』を当てはめると、何となく説明がつきやすくなったので、今回はサイコパスやコミュ障をフレーム問題から考えてみます。

私は専門家ではないので、『フレーム問題』についての詳しい説明は出来ませんが、簡単に説明すると、『人が行動できているのは認知できている範囲(フレーム)があるから』というもので、人工知能を適切に動かすには、フレーム問題を解決しなければならないというもの。
フレーム問題 - Wikipedia

例えば、人工知能搭載のロボットが有ったとして、そのロボットにあるもの(A)を取ってくるように命令する。
その(A)にはセンサーが付けられており、動かすと爆弾が起動して爆発してしまうとします。

ロボットに何の条件もつけずに、ただ『取ってくること』だけを命令した場合、ロボットは何も考えずに(A)を取り、センサーが反応して爆発してしまいます。
これでは困るので、対策としてロボットに、『(A)を正常な状態で持ち帰ってくること』という条件を付けたとします。
するとロボットは、(A)に取り付けられている爆弾は勿論のこと、それ以外のあらゆる出来事にも反応してしまう。
例えば、爆弾のセンサーを取り外そうとした際に発動するトラップはないか、(A)がある場所までに落とし穴はないか…など、考えうる全てこの事に反応してしまい、結果として命令を実行できずに動けなくなってしまう。

この問題を解消する為に、ロボットに『必要最低限の警戒をしろ』という命令を書き込んだとしても、今度は『何が必要最低限なのか』を計算してしまうため、これまた動けなくなってしまう。
人工知能の場合は、可能性の視野が無限にある為、何が重要なのかを理解することも絞り込むことも難しいというのが、フレーム問題。
人間の場合にはフレームが有り、可能性の視野が限定されている為、細かい可能性を無意識で無視するために動けるということ。

この考え方って、人間にもそのまま当てはまると思うんですよね。
結論から書くと、サイコパスとコミュ障の違いは、人が持つフレームの大きさに関係しているのではないでしょうか。

具体的には、サイコパスの人間は元々のフレームが小さい。
視野が極端に狭いため、目の前に自分の利益を確認した場合は、それしか認知できず、その利益を手に収めた場合やそれまでの過程で『周りの人が困る可能性』については全く見えていない。
その為、自分の利益に最短距離で全力疾走で進むことが出来る。こんな人が経営者になった場合、我先にと利益に飛びつく行動を取る。
資本主義の世界は、誰も行動していない時に行動できるかどうかが成功出来るかどうかに繋がる事が多い。
経営者にはサイコパスが多いなんて話も有りますが、こう考えると納得もしやすい。
president.jp
ただ、フレームが小さいということは、先程も説明したとおり認知できている『可能性』が殆ど無い状態。
その為、『この職場環境で従業員は満足だろうか』『こんな真似をして、迷惑がかかる人はいないだろうか。』といった視点は全く抜けている、というか見えていない為、ブラック経営者になりがち。
この他に、自分の考え出したものでもないのに、話題になったり有名なワードで商標登録を出願して、利益を得ようと思うような人も同類だったりする。
全てのベクトルが『自分の利益』に向いていて、それ以外が見えていない状態なので、自分の行動で人が傷つこうが嫌な思いをしようが、それが『見えていない』ので躊躇なく行動を起こせるし継続することが出来る。

これが悪い方向に転び、『人が死ぬ姿を見たい!』と思ってしまった場合も、その行為に伴う被害・損害などは見えてないので、躊躇なく行動を起こすことが出来てしまう。

コミュ障はこれとは逆で、フレームが大きすぎる為に行動を起こせない人たちのことでしょう。
私も自覚できる程のコミュ障なのですが、よく他人から『考えすぎだ』と言われます。
他の人からすると考える必要もなく、普通に行動すれば問題は起こらないと思われることも、私の場合は考えてしまう。
その結果、いざという時に行動が起こせなかったり、テンポが明らかに遅れたりしてしまう。

例えば人と約束があるときなどは、どんな話題を話そうかを考える。
それもただ考えるだけでなく、自分が話した事で相手がどんな返答をするか、その場合はどのように返答するかなんてことを綿密にシュミレーションしたりする。
この時点で結構なストレスになっているので、他人から誘われて『行く』と返答している場合は、その約束を破るということはしないのですが、自分から『誘おうかな?』と考えている場合などは、シュミレーションをしている内に面倒くさくなって結果的に誘わないなんてこともしばしば起こる。
他人に誘われて行った場合も、シュミレーション通りに会話が進むことなどはなく、その場その場で臨機応変に対応を求められるわけですが、いざ家に帰って会話内容を反芻すると、『あのときの返答はあれでよかったのだろうか。』『あの伝え方では誤解をされてないだろうか』なんて事を考えてしまい。悶絶してしまう。

人と会いに行こうが行くまいが、結果的に物凄くストレスが貯まってしまう為、そういう機会からは遠ざかってしまう。
これがコミュ障なのでしょう。

もっと視野を狭くし、『他人が何を考え感じたとしても、自分には関係ない。』『自分が楽しければ、それで良い。』と考えれば、ストレスも軽減されるし、もっと人と会う行動その物を楽しむことも出来るのでしょう。
純粋に人と合うことが楽しめれば、その雰囲気は相手にも伝わるため、相手も『この人と一緒にいると楽しい』と感じることが多く、結果的に人と会える回数も増えていく。
リア充と呼ばれる人は、『今の社会に適応した丁度良い大きさのフレーム』を持っているため、その様な行動を取れるのだろう。

このように考えると、世の中でうまく生きていく為に必要なのは、適切なフレームを見極め、自分のフレームを最適化することなんだと思います。
極端にサイコパスだったりコミュ障だったりする場合は、矯正するのは難しいようにも思えますが、サイコパス気味・コミュ障気味程度であれば、自分の認識を変えてパラダイムシフトを起こすことで、改善も可能の様に思えます。
この様な矯正に必要なのは、自分の起こした行動とその結果を真摯に見つめ直すことです。

人間の認識とは結構適当なもので、人は見たいものを見て聴きたいように聴いています。
同じ事実を見たとしても、捉え方は自分が捉えたいように捉えるということです。
コミュ障の人は、自分は他人から見ると対して面白くないと自分を捉えますし、サイコパスの人は自分の都合の用意ように解釈してしまいます。
これはつまり、世の中を見ている人ごとに事実があることになるわけですが、その事実を主観から客観的なものに変えていく作業が必要なのでしょう。

客観的に物事を見つめ直した結果、自分が考える事実と客観的に観た事実との間に差を見つけ出すことが出来れば、その時点でパラダイムシフトが起こり、考え方や行動が根本的に変えることが可能になってくるでしょう。
ただ、自分以外の視点を持つというのは自分ひとりではかなり難しいため、コミュ障を解決するために他人と積極的にコミュニケーションを取らなければならないという矛盾したことも起こってくるわけですが。
まぁ、性格を変えるなんてことは簡単に行えるものではないので、地道に少しづつ、焦らずに視点の差を埋めていくことが継続して出来るかどうかが重要になってくるんでしょうね。

トランプ氏の指摘通り 日本は為替操作国なのだろうか

先日トランプ氏が、『日本と中国は為替操作国だ!』って感じのことを発言したようですね。
トランプ氏の様々な言動には同意できない部分も多いですが、今回の『日本は為替操作国』という点については、個人的には『そう思われても仕方がないよね。』と思ってしまいます。
という事で今回は、日本は為替操作国なのかについて考えていきます。

この話を理解するために、先ず知っておくことは、貿易と通貨の関係です。
貿易や通貨は、本当に正しく理解をしようと思うともの凄い細かいところまで勉強する必要が有るので、今回は全体的なイメージを掴むため、簡単に表層的な部分についてだけ書いていきます。

貿易というのは、通貨とモノ・サービスの交換のことです。
例えばA国とB国が、それぞれ100の通貨を発行していると仮定します。A国・B国が発行する通貨は、それぞれ別の通貨とします。
1年間でA国は、B国に対して70通貨分のものを輸出して、50通過分のものを輸入した場合、A国は差し引き20通貨分の輸出超過となり、この20通貨分が貿易黒字になります。
逆にB国は、20通貨分の貿易赤字となります。

1年経過後のお互いの通貨の状態は、A国が120通貨を所有しているのに対し、B国は80の通貨しか保有できていない状態になる。
翌年も、そのまた翌年も同じような取引をした場合、B国の通貨は毎年20通貨分減少していき、単純計算で5年で底が尽きてしまいます。
では実際の経済の場合も5年でB国の通貨はゼロになるのかというと、実はそうでも無い。
というのも、A国の通貨とB国の通貨が違う場合、両者はそれぞれの価値が変化します。

A国の輸出業者からすれば、輸出品と交換でB国の通貨を貰ったとしても、B国が破綻してしまえば、B国の通貨は使えなくなってしまうかもしれない。
また輸出品を作るためにA国の従業員を雇ったりA国の業者から仕入れを行っているのであれば、人件費等の支払いはA国の通貨で支払わなければならない為、B国通貨をA国通貨に交換しなければならない。
どちらの場合も結果として起こるのは、B国通貨を売ってA国通貨を買うという為替取引が起こります。

通貨に限らず、不動産・株式・債権等どんな市場でも、価格は需要と供給で決まります。
A国通貨が欲しいという人(需要)が増えるが、A国通貨を売りたい人(供給)が増え無い状態だと、A国通貨の価値は上昇しやすくなる。
逆に、B国通貨を売りたい人(供給)が増えて、B国通貨を欲しいという人(需要)が現れない状態では、B国通貨は下落しやすくなる。
結果として起こるのは、B国通貨が下落するのに対してA国通貨が高騰する現象です。

しかしここで面白いのが、『市場』というシステム。
A国通貨が上昇してB国通貨が下落すると、B国の人からするとA国製品は値上げされているのと同じになる為、買い辛くなる。
例えば、元々は1:1の交換比率だったものが、A国通貨が値上がりし、『これからは1A国通貨に対して2B国通貨払ってもらわないと交換できないよ。』という1:2の交換比率になったとする。
そうすると、B国通貨の人に取ってみるとA国の商品は2倍に値上がりすることになるので、コスパが悪くなる。
逆に、A国通貨の人から見るとB国の商品は半額に値下げされたのと同じなので、少々品質が悪くても買おうというインセンティブが働く。
また企業からすると、A国で人を雇うよりもB国で人を雇ったほうが人件費を半分に節約できる為、設備投資をB国で行いやすくなる。

結果、B国の輸出は伸びるので、貿易赤字の関係が逆転する。
このような流れを『神の見えざる手』なんて呼んだりして、これを盲信している人が『人が手を加えずに市場に全てを任せよう!』なんて主張したりします。
『神の見えざる手』が万能かどうかは今回は置いていて、本題に戻りましょう。

先程の例の場合は、A・B国共に、通貨は最初に発行した100通貨ずつしか持っていないという設定でした。
しかし、最初に貿易黒字を出していたA国が、通貨を新たに発行し続けたらどうでしょう。
先ほど説明した通り、貿易黒字を出すと、回り回って黒字国の通貨の需要が高まり、市場で供給量を上回る状態が続く為、結果として黒自国は通貨高になりやすいわけですが、A国が印刷機を回して紙とインクが原材料のお札を供給しまくったとしたら?
当然、通貨高は需要と供給で決まるため、供給が増えて需要と釣り合いがとれてしまえば、価格変動はなくなる。
供給量が更に増えれば、価格が下がるという現象が起こります。

この、『紙とインクでお札を供給している』のが、今の日本です。
日本の中央銀行である日銀は、年間80兆円レベルで日本国債を購入しています。
日本国債というのは、簡単に表現すると政府の借金。国が、手持ちのお金が無いけど金を使いたい場合、国債という名の借用書を印刷して販売することで、使いたいお金を手に入れ事が出来る代物。

日銀は、その借用書である国債保有高を年間80兆円ペースで増やしていく政策をとっている。
では、国債を買う財源はどこからくるのかというと、紙とインクでお金を刷っている。
つまり今の日本が行っていることは、政府が紙とインクで借用書を刷って、その子会社の日銀がが紙とインクで刷ったお金で購入している。
それで金を得た政府が、日本円をバラ撒いている状態。

物凄く簡単にいえば、紙とインクを使って国がお金を毎年80兆円分刷ってバラ撒いてるってことです。
問題は、そんな事をして市場に影響を与えないのかということ。

通貨というのは、先ほど説明した需給関係以外にも、別の要因で価値が上下します。その別の要因は何かというと『信用』です。
『信用が高い』通貨は高い価値を保てますし、『信用が無い』通貨に価値はない。

通貨を発行している日本が、毎年80兆円分の信用力を何かしらの方法で得ているのであれば、通貨の信用力は保たれるでしょう。
しかし、特に信用力を高めていないのであれば、水増しされた通貨はその分だけ価値を下げてしまいます。
現在の日本の場合はどうなのかというと、特に信用力を高めることなく、数値目標で通貨を供給し続けているだけす。

何故こんな政策を行っているのかというと、単純に『円安にしてインフレにする為』です。
単純な話で書くと、今までアメリカから1ドル(100円)で仕入れていたものが、2倍の円安になれば、同じ商品が200円と2倍の価格に跳ね上がります。
日本は資源の多くを輸入している為、円安に誘導する事で輸入品の価格を引き上げることが出来、結果的に物価を上げることが可能です。
日銀は年率2%のインフレ目標を掲げていますが、これを達成するのに一番簡単な方法は、毎年2%ずつ通貨を下落させれば良い。
この毎年80兆円ずつ通貨を増やすという量的金融緩和により、信用不安による通貨の価値の希薄化。つまりは、水増しと、需給関係の両方の面から通貨安に誘導することが出来る。

こんなことを何年にもわたって行い続けているわけですから、『日本は為替操作国だ!』と言われても仕方のないことなんですよね。
確かにトランプ氏は、問題のある行動や発言を行う人物かもしれませんが、だからといって、全ての発言が間違っていると決めつけると、何も見えなくなるような気がします。

インフレに出来ない日銀

数年前に黒田日銀総裁に変わり、『インフレ率を2年で2%!』を掲げた日銀ですが、それから2年以上経過したのにもかかわらず、全くといって良い程、日本のインフレ率は2%に上がっていません。
そもそも、物の溢れている供給過多の状態ではインフレは起こりにくいということが大前提としてあるわけですが、それとは別に、日本独自にインフレには出来ない要因がある様に思えます。

その理由とは、『インフレになると日本が破綻する』
この様な少々極端なことを書くと、終末論者とか反日とかDisれられそうですが、前回に紹介したマネーショートを観ると、どうしてもそんな不安がよぎってしまうんです。
http://kimniy8.hatenablog.com/entry/2017/01/24/121710
http://kimniy8.hatenablog.com/entry/2017/01/27/124514

マネーショートといえば、不動産バブルの崩壊によって全世界が経済危機に巻き込まれた『サブプライム問題』『リーマンショック』を解説した映画なのですが、その映画の中で銀行家がとっている行動が、今の日本の銀行がとっている行動と変わらないんですよね。
日本はリーマンショック以前にも、バブル景気とその崩壊を体験しているわけですが、また似たような行動をとっているところに、非常に不安を覚えるんです。
似ているといっても、その前提条件は若干異なるんですけどね。
アメリカのサブプライム問題が生まれる根底に有ったのは、不動産価格が下がらないという不動産神話。その一方で、日本の現状の問題の根底にあるのは、『低金利が将来にわたってずっと続く』という予測ですが。
根本的な原因こそ違えど、起こる結果は似たようになると思われるので、少し不安なんですよね。

具体的な例で見てみましょう。
今日本中で巻き起こっている、マンション・アパートの建築ラッシュ。
私の住む地域は、京都の中でも中心地からは少し外れ、比較的落ち着いた感じの地域。閑静な高級住宅街というわけでもなく、土地価格も比較的安くて安定していた地域でした。
しかしここ1~2年で、物凄い数のマンションが乱立し始めました。
徒歩5分圏内だけでも6棟のマンションが建ち、建設予定の空き地がまだ控えている状態。
はっきり言って、異常。

私の知り合いが銀行の融資部門に配属されたそうなのですが、どう考えても供給過剰の地域に、まだ『マンションを建てたい!』と融資の客が頻繁に訪れる程。
配属されたばかりで良心的であった私の知り合いは、その地域がいかに供給過剰かということを親切丁寧に説明したようですが、客はそれでも『建てたい!』と訴えかけてくるようです。

不動産業者に聴いた話によると私の知り合いの様な人間は稀で、大抵は、不動産業者と銀行の融資部門はズブズブの関係で、そんな助言は一切せず、何なら、土地を持ってる顧客には営業をかける事もあるそうです。
当然審査も結構ゆるい。CMなどを見ても、『土地がなくてもアパート経営できます』なんてものが頻繁に流れています。

何故こんな状況になっているのかというと、日銀が採用している低金利政策が原因です。
需要喚起の為にゼロ金利政策を行い、日銀当座預金の利息も新規分はマイナス金利適応までしたことで、その思惑通りに不動産市場で需要は喚起されて建築ラッシュが起こったわけです。

マネーショートで描かれたサブプライム問題は、『住宅市場は未来永劫上昇し続ける』という思い込みで、返済不可能な人にまで貸出を行ってしまった事が原因で起こった悲劇。
何故、不動産神話が誕生してしまったのかというと、アメリカは基本的に移民で作られた国だから。年間200万人レベルの移民を受け入れ、人口も上昇傾向。
家を少々建て過ぎたとしても、後に流入してくる移民が購入してくれる為、いずれ需給は安定する。
この背景を素に活況を呈していた不動産市況ですが、悲劇に繋がる直接的な切っ掛けは、金利引き上げ。
サブプライムローンの借り手は金利が4%の場合だとギリギリ返済可能だけれど、8%に上昇すると途端に返済できなくなり、ローンが焦げ付き始める。
これを合図に不動産価格の上昇が止まり、止まる事によって不動産神話が崩壊。結果として、大火傷を負う羽目になってしまった。

日本の場合は、少子化で且つ閉鎖的な為、基本的に人口は減少傾向。現時点で首都圏で空室率が30%なので、当然、将来の不動産市場も暗い見通し。
にも関わらず銀行が緩い審査で融資をしている背景は、アメリカの様な将来的な不動産市場の上昇ではなく、超長期的に続くと予想している『ゼロ金利政策』です。

日本は世界的に見ても独特で、新築の不動産に目がありません。
木造建築が基本で、40年経過すると無価値になってしまうのが原因なのでしょう。
その為、賃貸物件でも新築の場合は空室率を低い状態で保つことが可能。
これを利用し、最初の3~4年の収益分を銀行に返済させれば、その後は、不動産オーナーが破綻しても担保にした物件を差し押さえれば損失は免れるという計算なのでしょう。
3~4年分の期間だけ回収できればリスクは下げられるので、審査が多少緩くても問題ない。

しかし、何らかの原因で金利が上昇したらどうでしょう。
そもそも、首都圏で空室率30%の不動産市場というのは、完全な借り手相場の状態です。
新築だからといって高い家賃を設定できるような、甘い世界ではないでしょう。当然のことながら、上昇した金利分を稼ぐために家賃を上げるなんて選択肢は選べません。
家賃を上げても、その分空室率が上昇すれば損益としてはマイナスですからね。

金利は賃貸業にとっては経費みたいなものですが、経費の増大を価格に転嫁できないのであれば、事業としての旨味は薄れます。
金利の上昇幅にもよっては、下手をすれば不動産オーナーの利益が初年度から吹っ飛ぶという事態も考えられます。
『固定金利だから大丈夫。』と思われている方もいらっしゃるでしょう。しかしこの場合は、損失分は実質的に金融機関が背負うことになります。
国全体で観ると、危ないことには変わりがありません。

また、金利上昇によって賃貸業に旨味がなくなった場合、当然、新規の不動産需要は落ち込むことになり、不動産相場も下落すると予測されます。
不動産市況の悪化は、『転売できない。出来たとしても、価格が低い』という点において、事業として不動産を持ってるオーナーにとってはマイナス。
この不動産を担保として押さえている金融機関も、担保に対して貸し出しが多い状態となる為、賃貸向けのローンが焦げ付く可能性が出てくる。
バブル崩壊以降の、銀行の不良債権問題の再来というわけです。

アメリカ・日本。銀行が融資基準を緩める理由こそ違えど、結果的に金利の上昇によって破綻することは同じです。

この様な現状になっている現在、日本は危機を回避するため、金利を低い状態で保ち続けなければなりません。
金利を低い状態で保ち続ける為には、日本はデフレの状態を維持し続けなければならない。
デフレ解消のための長期的な低金利政策が、結果として、インフレに弱い現状を招いてしまったことになります。

金融政策というのは、導入するのは簡単ですが、その政策を止める方法。出口戦略を考えていなければなりません。
そういった意味では、『何もやらなかった』と罵声を浴びせらている、前日銀総裁の白川氏は、量的金融緩和に意味が無いことも、一度行ってしまったら止めることができなくなるのも分かっていたから行動に移していなかっただけなんでしょう。
日銀は既に打つ手なしの詰んでいる状態ともいえますが、今後、どの様な政策で現状を打破するのか、注意深く観ていく必要がありそうですね。

【映画紹介】 マネーショート 後編

前回は用語説明だけで終わってしまい、映画のことが殆どかけてない状態だったので、今回は映画の話中心で書いていきます。
前編を読まれていない方は、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com


      


という事で物語です。

不動産市場の異常性に気がついたマイケル・バリーが、銀行にCDSを用意させるところから物語は始まります。
ここからはじまるので、『この人が主人公?』なんて思いがちですが、そうではありません。
この映画は誰かを主人公に据えた話ではなく、不動産市場の異常性に気がついた人達と、気がつかない呑気な人達との戦争です。

呑気な人達は、不動産市場は未来永劫続くと思っていますし、それを元にしたCDOも絶対的なものだと思っています。
だって銀行は、ギャンブルの種銭を貸しているのではなく、住宅ローンを貸しているわけですから。ローンの返済が遅れれば家は取り上げられるわけで、それを望む人なんていない。
皆が一生懸命になってローンの返済を行うので、信用不安なんて起こるはずがないと思い込んでいる。

その為、不動産担保証券が破綻する方に賭けるCDSなんて、銀行にとっては美味しすぎる話。
例えるなら、『200歳まで行きた時、経済的に不安なので、200歳になったら毎月生活費が貰える保険を掛け捨てで入りたい』と客の方から持ちかけてくれているようなもの。
人間が200歳まで生きることなんて無いから保険料支払いの心配なんて無いのに、掛け捨てで保険料をくれるなんて、タダでお金をくれますよと言っているようなもの。
銀行は『カモが来た!』とばかりにCDSを発行して売りまくります。

次にスポットライトが当たるのが、CDSを作った人。ジャレド・ベネット。
この人物はCDSを作る過程で、不動産市場を一度洗い直してみると、市場は既に崩壊し始めていることに気が付きます。
そこで、とある投資家にセールスに行くことになります。その投資家が、マーク・バウム。

ジャレドはマークのオフィスに行き、CDOの元になっている不動産市場が如何にボロボロかということを力説します。
内容は、現在金利4%の状態でも既に延滞や利息支払いが滞るといった起こっており、これが金利8%になると拍車がかかって手がつけられなくなる状態に陥る。
この危なそうな不動産ローンを担保にしたCDOの内訳を見てみると、CDOの格付けはAAAになっているが、その資産内容は大半がBBB以下の、本来なら投資できないような劣化した資産で構築されている。




ジェンガに例えると、土台部分の殆どはB・BB等のリスクの高い商品で構成されていて、上辺部分にだけA・AAといった安心できる資産が積み上がっている。
しかしCDOは債権をバラ売りしているのではなく、1つのパッケージとして売り出す商品。土台部分が脆いと、構造的に全てが崩れる仕組みになっている。
そして既に、土台は腐り始めている。
『今はまだ、気づいているものはいない!CDSの価格も安い!今後、不動産バブルは崩壊する!買うなら今だ!』

あの手この手でセールストークを行うジャレドだが、投資家チームはいっこうに信じない。
何故なら、不動産神話はそれほとまでに深く浸透し、日常化していたからです。
しかしチームリーダーのマークだけは違っていました。何故なら彼は、あらゆるものを疑い、徹底的に調べずにはいられない性分だったからです。
そんな性格である為、ジャレドの言葉も疑っていましたが、それ以上に盤石と皆が疑っていなかった不動産市場に疑念を抱き、調査することになります。

そこでマークの投資家チームは、信じられない光景を目にすることになります。
このあたりは、実際に映画を観てご自身で感じ取ってもらいたいのですが、本当に酷い状態が不動産市場を蝕んでいます。
この映画だけを観ると、アメリカの銀行や投資家の余りのマヌケっぷりに唖然としますが、日本のバブル絶頂期も、こんな感じの事が起こっていたのでしょうね。
歴史は繰り返すというかなんというか。欲に目が眩んだ人間って、学習しないもんですね。

しかしその後、不動産市場が下落する方に賭けた人達が窮地に立たされることになります。
何故って、不動産市場は破綻の方向に一直線に進んでいるにもかかわらず、CDOの価格は下がらずにCDSの価格も上昇しなかったからです。
このあたりの展開が非常に面白い。

市場というのは、本来であれば価格は適切な値段で落ち着こうとします。『神の見えざる手』とも呼ぶ現象で、供給が増え続ければ価格は下落しますし、需要が強ければ価格は上昇する。
にも関わらず市場が機能していない。

何故こんな事が起こっているのか。疑問に思ったマークは、CDOを作った人間にインタビューをします。
そこで分かったことが、またまた面白い。
前編で、CDOは不動産ローンを担保にした証券だと解説しましたが、実際の金融市場で流通しているCDOは、それよりも更に歪な状態で出回っていました。
具体的には、不動産ローンをベースにしてCDO『A』を生成、しかしこれが売れ残った場合などは、次に生成するCDO『B』に組み込む。その次に生成するCDO『C』には、CDO『B』が組み込まれている。
つまり、最後のCDO『C』には、CDO『A』と『B』が組み込まれている。
この状態をそのまま書くと、CDO『C』には、不動産ローンを担保にして作られたCDO『A』を担保にした証券であるCDO『B』を担保にした商品ということになる。
A・B・C全てのCDOの担保は、元を辿れば同じ不動産ローンにたどり着く。別の言い方をすれば、元の不動産は3つの別々の金融商品の担保になっている。

映画の中では、カジノでブラックジャックを楽しむ夫妻を例にして説明されています。
妻の方が馬鹿ヅキで、ディーラー相手に勝ちまくっていたとします。余りに調子が良いので、妻は今まで買った金を使って大きな勝負に出ました。
それを観ていた周りの観客が、『次も、あの夫妻の妻がディーラーに勝つかどうか』で賭けをはじめます。
そのかけを見ていた他の人が、『妻に勝つ方に賭けた人間が勝つかどうか』について賭けはじめ、それを見ていた人が『妻が勝つ方に賭けた人が勝つと賭けた人が勝つ方に…』という感じで賭けを行い続けます。
最終的には、実際に夫妻の妻がディーラーとの勝負で賭けた金額の20倍が、それを周りで見ていただけの人によって賭けられていた。

話を元に戻すと、仮に5000億円の住宅ローン市場が証券化されてCDOになった場合、CDO市場が5000億円なら計算は合います。
しかし、CDOにCDOを組み込むという無茶を推し進めた結果、5000億の不動産ローンを元にしたCDO市場は、20倍の額の10兆にまで膨らんでしまっている。

先程のブラックジャックの例でいえば、『妻が勝つ方に賭けた人が勝つ方に賭けた人が…』とどこまでも続け、最終の掛け金が大きくなってしまったとしても、実際の賭けの相手も予測がハズレた場合の損失額も理解できている為、まだ、損害は限定的といえます。
しかし現実のサブプライムローンの場合、保険商品のCDSを売却していた金融機関は、皆、『不動産市場は絶対的なもの』だと信じて疑ってはいませんでした。
その為、保険料は激安で、手厚い保証を確約してしまっていたのです。
こんな状態で、不動産市場で誰もが予測していなかったクラッシュが起こったとしたら?
売った保険に対しての保証を支払えない金融機関は、破綻待ったなし!の状態にまで追い込まれます。

にも関わらず、実際に市場に何の影響も無かったのは、その市場参加者の大半が、自分たちが購入している商品の内容を全く理解していなかったから。
内容が全く理解できていないわけですから、当然のことながら、危険性なんて認識できるはずがありません。
危険性に気づいている人も少なからず存在はするのですが、その人達は不動産ローン市場が大きくなり過ぎていて、仮に破綻した際には大勢が不幸になるので、気づかないふりをしている。
危険性が認識出来ておらず、認識ができている数少ない人達も、市場崩壊を恐れて見て見ぬふりをしている。こんな状態では市場参加者はCDOを売らないので、需給関係は悪化せずに値崩れは起こさない…

圧倒的な馬鹿達に窮地に立たされるショート側! 彼らは一体どうなってしまうのか!
結末は作品を見て確認してください。

映画紹介と言いつつ、経済の小難しい話を2回にわたって書いてきましたが、この作品のメインテーマは、実際に起こった金融危機の裏側が如何に馬鹿げていたのかというのを説明する為の映画なので、経済用語の解説が内容の大半を占めていたりします。
では、難しい話で理解に苦しむのかといえば、そんなことはありません。デットプールよろしく、メインキャラクターのほぼ全員が、第四の壁をぶち破ってカメラに向かって丁寧に説明してくれます。
経済用語が映画内の解説だけでは理解できなかったとしても、問題ありません。というか、サブプライム問題に関与した殆どの人が仕組みを理解していなかったので、専門外の視聴者が理解できなかったとしても当然でしょう。
先程も書きましたが、この映画は金融市場で大きな金を動かしていた人達が如何に馬鹿で、自分の尻も自分で拭けない人達というのを理解するための映画です。
そういった目線でみると、店舗も良く、程よく笑えるコメディータッチで描かれているので、幅広い方々に見てもらいたい作品となっています。

お薦めです。

【映画紹介】 マネーショート 前編

今回紹介する映画は、『マネー・ショート 華麗なる大逆転
公開された時に興味津々で観に行きたかったのですが、何となく機会を逃してしまっていたところ、Netflixで公開されたので、ここぞとばかりに観てみたので、感想と共に紹介をしてみようと思います。





題名にマネーとついているところから想像できる通り、経済系の話題をテーマにした映画です。
原題は『The Big Short』で、Shortは空売りという意味があります。つまり『The Big Short』は巨額の空売りという意味で、何を空売りするのかというと、サブプライムローンです。
邦題は『マネー・ショート 華麗なる大逆転』で、こちらのショートは、電気回路などがショートするという意味合のショートを使い、金融市場がショートするという表現で付けられているのでしょうか。ショートの意味が変わっているようにも感じますが、相場を張った事がない人に『ショート』なんて言葉を説明するほうが面倒くさそうですし、イメージとしてはマネーショートの方が日本人には伝わりやすそうで、良いタイトルになっていますね。

今回のこの映画の紹介なのですが、今更ですがネタバレ有りで書いていきます。
原題が巨額の空売りの『The Big Short』で、邦題が『マネー・ショート 華麗なる大逆転』。普通に考えると、巨額な空売りをして劣勢に立たされた人が華麗に大逆転する映画なんだなと想像できると思いますが、ネタバレを一切受け付けない人は、読まないように注意してくださいね。

簡単なストーリーとしては、日本にも余波がきて大きな損害を受けたリーマンショックを映画を通して解説するという、実話ベースの映画。
数年前に実際に起こったリーマンショックをテーマにし、その元凶となったサブプライムローン空売りした人達の視点から語られる物語で、一見すると難しそうなテーマを扱ったとっつきにくい映画のようにも思えますが、実際には然程知識がなくても見れる構造になっています。
というのも、この映画はそもそも金融危機が何故起こったのかを一般レベルの人にも分かりやすく説明するために作られているような映画で、リーマンショックやそれにまつわる専門用語の解説に多くの時間が割かれています。

映画の冒頭部分で、この様な名言が語られます
『やっかいなのは、何も知らないことではない。
実際は知らないのに、知っていると思い込んでいることだ。』
数年前、テレビのニュースで『リーマンショック』という言葉が頻繁に放送されましたが、おそらく殆どの人が何が起こっているのかを知ることなく、『何となく酷い金融危機が起こったんだろう』と分かった気になっていた。
いつしか、『サブプライムローン』や『リーマンショック』という言葉が独り歩きし、深く意味を知らないのに『リーマンショックの影響で…』なんてわかった気になって喋ってた人も多いと思います。
そんな人達に対する警鐘という意味合いも込めて作られている映画だと思いますので、むしろ知らない人にこそ観て欲しい映画ですね。

物語は、一人のメタル音楽好きの投資家が、不動産市場の異常性に気がつくところから始まります。
バブルが起こり、それが崩壊して金融危機が起こる際には、様々なサインが合図を送る。不動産市場と不動産関連詐欺の相関関係も、そんな合図の一つ。
これを切っ掛けに、アメリカで起こっている不動産神話に基づいた経済システムの崩壊を読んだマイケル・バリーは、マイケル・バリーは、不動産市場の空売りを思いつく。
しかし、不動産ローンの空売りなんて事は行うことが出来ない。そこで思いついた手が、CDS

CDSクレジット・デフォルト・スワップ)は、一種の保険商品。
例えば1億円の不動産があり、そのまま売れば1億円で売れるが、仮に火事になって建物が燃えてしまえば、価値は不動産価値だけになってしまう。
場合によっては、燃えた不動産の撤去費用などもかかる為、大きな損害を被ってしまう。
しかし、火災保険に入っていればどうでしょう。家事になっても燃えた資産は保険料という形で戻ってくるので、損失は限定的になる。

CDSは、これをCDOという資産に適応しようという話。
ここでまた、新たな言葉が出てきましたね。CDOとは日本語で『債務担保証券』の略。

わかりやすくする為、私が100万円をAさん・Bさん・・・って感じで、100人に対して変動金利年4%で貸したとします。
100万円を100人に貸すので、合計額は1億円になり、変動金利ではありますが、契約時は年4%の利息が手に入ります。
私は借金の回収と金利受取でもでも一定額の利益を得られますが、更に設ける方法が有ります。それは、この100人に対して1億円の貸出を担保にして、新たに年利3%程度のの証券を作ることです。
適当に格好の良い名前をつけて綺麗にラッピングし直し、『最新の金融工学を利用して生み出した、資産運用方!』って感じで宣伝して、格付け会社にAAAの格付けをつけてもらい、1%程度の販売手数料で売り出します。
格付け会社がAAAの格付けを付けるのを断ったら? その時は、『こちらの格付け会社でAAAを付けてくれないなら、ライバル会社に持ち込んで付けてもらうよ。そうなった場合は、オタクとの取引は今後一切しないけど。』って圧力をかければ大丈夫。
投資家は格付け会社が付ける評価を盲信している為、AAAで3%も貰えるのであれば簡単に飛びつきます。
これが、簡単に言えばCDO。

このCDOの価格に対して保険をかけるのがCDS
これを詳しく知る為には、オプション市場を理解したほうが良いかもしれません、オプションは権利の売買を行う金融派生商品です。
具体的には、【売る権利】と【買う権利】のそれぞれを、特定の値段で売買します。

例えば、資産価格が変動する1万円の証券が有ったとします。
この証券を1万円で【買う権利】と【売る権利】を販売するのが、スワップ市場です。
仮に資産価格1万円の状態で同じ価格の1万円で【買う権利】と【売る権利】が100円で販売されていて購入した場合、資産価格が5000円に減少したとしても、スワップの1万円で【売る権利】を行使すれば1万円で売ることが出来ます。市場で5000円で取引されている証券を100円のスワップ料金で売る事が出来るわけですから、4900円の利益になります。
逆に1万円で【売る権利】を売ってしまった側は、1万円で売らなければならない義務が発生します。では1万円で【買う権利】の方はどうなってしまうのか、市場で5000円で販売されているものを1万円で買わなければならないのかというと、そうではない。【買う権利】を購入した側は、権利を放棄することで、損失をスワップ料金の100円に抑えることが出来ます。
つまり【権利】の売買は、買った側は権利を得ることが出来ますが、権利を売った側は、相手が権利行使をした場合には取引に応じなければならない義務が発生するというわけです。
この仕組みを上手く使うと、スワップの元となる証券を時価である1万円で購入し、購入金額と同じ市場価格で売却できる『売る権利』を購入すると、オプション料金という保険料はかかりますが、元本は保証されることになります。

この仕組を応用したのが、CDSクレジット・デフォルト・スワップ)です。
クレジットは『信用』で、デフォルトが『破綻』。
CDSとは、CDOの信用が破綻して価格が下落した時に、CDSの売り手が元本の値段で買い取ってくれる。つまりは信用破綻が起こった時に利益が得ることが出来る商品の事です。
元になっているCDOと同時に購入すれば、価格下落リスクに対応できる保険商品になりますが、CDOを買わずにCDS呑みを購入する事で、実質的にCDOの空売りを行うことが出来ます。


最初の例でまとめてみましょう。私は100人に対して100万円づつ、合計で1億円を4%で貸し付けていますが、その貸出を担保にして新たに作ったAAA格付けのCDOは、別の投資家が買ってくれます。
これによって私の手元にはCDOの売上金である1億円が戻ってきて、且つ、販売手数料の100万円を手に入れている状態になります。
この1億円を元に更に私が貸出をする。そして、その貸出を元にCDOを更に作り…って感じで繰り返せば、理論上、私からお金を借りたいという人全てに貸出を行うことが出来、それをCDOとして販売する度に、販売手数料が手に入ることになります。
ちなみにCDOは証券なので、株式のように市場というものが有って売買されており、需要と供給のバランスをとるために値段が変動しています。
つまり、CDOに需要があって値段がついて安定・上昇している限り、私もそれに合わせてCDOを発行して、無限ループを繰り返せるという仕組みです。

ただこの仕組は、私が100万円の貸出をした100人が、全てお金を返してくれるという前提のシステムです。
仮に、利息支払いが滞ったり返済が行われないことになると、CDOの信用も傷つくことになり、最悪の場合は信用が破綻して証券に値がつかない状態になります。
この保険となるのが、CDSという保険商品です。
CDSはオプションの仕組みを利用し、保険料を支払うことでCDOの元本を保証するという商品ですが、CDOを持っていない状態でCDSだけ保有すると、CDOを空売りしているのと同じ状態になります。
この状態で、CDOの信用不安が起こると、CDSだけを持っている人が大儲けできるということ。

この例の、『私』を『銀行』に。『100人に100万円づつ貸した1億円』を『不動産ローン』に置き換えると、サブプライム問題が何となく見えてくると思います。

【続く】

Amazon Go と ローソン無人レジ

ここ最近のAmazonの行動が凄いですね。動きが早いというか先手を打っているというか。
その中でも、最近発表された『Amazon GO』という試みが、個人的には、かなりびっくりしていたりします。

Amazon Go』は、簡単にいえば無人スーパー。
利用者は、入口に入る際にIDチェックを要求され、Amazon IDをチェックされます。
客が行う手間はこれだけ。後は、店内にある商品を自分が持ってきた袋に詰めて出口から出るだけという優れもの。
レジでの精算もなく、購入したものはAmazonの購入リストに記載され、登録してあるクレジットカードから自動で引き落とされます。

では、商品のチェックはどのようにして行っているのかというと、店のアチラコチラにあるカメラやGPS機能を使い、店内では人物とAmazon IDを絶えず紐付けしておいて、その人物が棚から商品を取ったことが確認できたら、AmazonIDの買い物かごに商品が入った状態になり、そのまま店を出たら生産されるという仕組み。
『商品を一度手にとって、その後棚に戻した場合はどうなるの?』と思う方もいらっしゃるとは思いますが、その際もカメラが自動的に認識して、元の棚に返した場合は買い物かごから出る仕組みになっているようです。

この仕組がどれぐらい凄いのかというと、同時期に導入が検討された日本のコンビニ『ローソン』と比べてみればわかります。

パナソニックと共同で開発したらしい『無人レジ システム』だそうですが、このシステムは、客が店内にあるバーコードリーダーがついている専用カゴを持ち、1商品毎に自分で商品バーコードを客が読み取り、それを無人レジに自分でもって行って料金を生産するというシステム。
現代のようなネットの時代では、『1クリック多い』というだけで操作が煩雑と叩かれて使われなくなり、姿を消すサービスが非常に多いのですが、このローソンの無人レジシステムの場合は、客がやらなければならない事が非常に多い。
Amazon Goの話を聴いた後だと、何世代前のシステムなんだろうと思ってしまう程に古臭いシステムに感じます。




私は昔、株式投資にハマっていた時期があり、その時にラジオ日経等の経済ニュースを頻繁に聞いていた時期があるのですが、5年以上前に報道されていたシステムでも、もっと先を進んでいたのですけどね。
ちなみにそのシステムというのは、商品の全てにICタグを入れるという仕組み。
ICタグはバーコードリーダのように1個づつ赤外線で読み取らなければならないという事がないようで、客は商品を適当にかごに入れた後、指定の場所に置くだけで全ての精算ができるという代物でした。

このICタグは商品の精算だけでなく、在庫管理にも使えます。
商品棚にICタグの読取機を付けておくことで、どの商品がどれだけ並んでいるのかということが、いつでもどこでも確認が出来る。
自分の在庫がリアルタイムで確認できるということは、どの時間帯にどの商品が売れているのか、また、どのような傾向の商品が好まれているのかが簡単に把握できる為、発注作業が楽にもなる。というか、契約によっては自動化も可能。
これらのデータは端末さえあれば手軽に入手できて扱えるため、複数店舗を持つ会社などは、リアルタイムデータを本社に集約させることも出来るし、データを上手く使うことで地域の消費傾向を予測し、その地域のニーズに合った商品を取り揃えると行った地域ごとのローカライズも可能となります。

数年前に、IT技術生産現場に取り入れた会社(多分、靴下メーカーのタビオ)が取材されていましたが、その時は、更に進んでいました。
この会社の場合は、全国の店舗の在庫とレジ売上のリアルタイムデータを工場に集約し、商品在庫が少なくなったものを自動で生産するシステムを確立していました。
見込み生産ではなく、実際に売れて在庫が少なくなった商品を補充する形で商品を製造するこの方式は、品切れによる機会損失や見込みが外れることによる過剰在庫のリスクを減らせます。

今回あげたICタグによる精算や在庫管理技術は、数年後にこんな事が出来たら良いなという未来の話ではなく、既に開発されたり導入されているシステムです。
マスコミを使って大々的に発表するのであれば、ローソンにはこれらの既存技術を超えるシステムを発表してほしかったところですが、実際に発表されたシステムは、先程も書いた通り自分でバーコードを読み取ってレジに持っていくという、地方の大型スーパーで既に導入されているような旧式のシステム。
従来の部分と違う部分があるとすれば、半自動で袋に詰めしてくれる部分だけでしょうか。

省略される作業はバーコード読み取りの手間だけで、代わりに袋詰の時間を待たなければならない。
混雑時には結局レジに並ぶことになりそうです。

更に付け加えるなら、この方式だと万引きが手軽にできそうですよね。
今まではバーコード読み取りは店員が行う為、万引きするには商品を何処かに隠すという作業が必要だったわけですが、このシステムの場合はバーコードを読み取らせない事で、堂々とカゴに入れた状態で万引きできそうです。
この万引き防止の為に監視員を雇うと、コンビニオーナー的には経費削減につながらない、というかむしろ、人件費の増大にも繋がる可能性が有りますね。
まぁ、日本のコンビニの場合は、オーナーからどれだけ搾取するかが利益を伸ばすポイントですから、自動レジの導入によって設備投資を強制し、さらにフランチャイズオーナーから搾取出来るシステムを作りたかっただけと考えれば、旧型のシステムでも何でも良かったのかもしれませんが。
その点、Amazon Goの方は、入店の時点でIDと人物を紐付けて、商品を棚から取ったかどうかで判断する為、棚から取った商品をどこに隠そうが、料金自体は徴収できるために万引きが起こりにくい。本屋などの場合は倒産理由に万引きが挙げられる程に深刻な問題なので、これを防止できるというのはかなり凄いですね。

当然のことながらレジがない為、そもそもレジの混雑なんてことにはならない。
そして全ての決済がクレジット決済なので、店に現金が貯まらないというオマケ付き。
店に常にお金が無い状態を作れるということは、現金目的の強盗などがやってこないことを意味します。
レジの混雑がない上に万引き防止が出来、強盗まで寄せ付けない上に見た目がスマートと、かなり先進的な印象を受けますね。

また、Amazon Goの入店時にアカウントを提示させられるというシステムも、地味に凄い。
接客業にとって頭を悩ます要因の一つが、自身のことを『お客様』と名乗る、自称神様の暴君です。
事ある毎にクレームを付ける客は、利益を生まない一方で人員を割かれる為、迷惑でしかない。
しかし、入り口でIDチェックがあるという事は、迷惑な客はアカウントを剥奪してしまえば、入店拒否が出来てしまう。

これにより、クレーマー対応という売上につながらない無駄な作業が、最小限まで減らせることが出来ます。
また、店側にアカウント剥奪というカードがあるとわかれば、客側は『変なクレームや嫌がらせをすると、入店できなくなる』と思い、そもそも迷惑行為を行わなくなるでしょう。

こうして見比べてみると、同時期に発表されたニュースであるにも関わらず、まぁAmazonの進んでいる事。
そもそも人が要らずに最低限の人員で営業できるとなれば、バイトのやりくりや本部への支払いで悪戦苦闘しているフランチャイズ契約のコンビニオーナーは、Amazon Goが正式に稼働しだしてフランチャイズ募集をしだすと乗り換えるかもしれませんね。
大半のフランチャイズオーナーがAmazon Goに乗り換えて、街のあちこちにAmazon店が出来る様になると、この店舗をアマゾン倉庫としても活用できるでしょうし、本業とのシナジー効果なんかも期待できそう。
こう考えると、数年先のコンビニ業界は、Amazonに喰われている可能性も有りますね。

まぁ、Amazon帝国の住人である私としては、それで便利になるのであれば歓迎すべきことなんですが、日本のオワコン化がドンドン進んでいきそうで、少し寂しさを感じたりもしますね。

【ゲーム紹介】 GRAVITY DAZE (グラビティデイズ)

今回紹介するゲームは、『GRAVITY DAZE (グラビティデイズ)』。
タイトルに含まれるのかサブタイトルなのかは分かりませんが、正式名はGRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において彼女の内宇宙に生じた摂動という、非常に長く小難しいものになっております。



      

この投稿の日付近辺では、続編である『GRAVITY DAZE 2 (グラビティデイズ2)』が発売されているので勘違いされる方もいらっしゃるかもしれないので念を押しておきますが、今回紹介するゲームは『グラビティデイズ』の方です。

      

『2』が出るにも関わらず、何故いまさら無印の方である『1』の紹介を書いているのかというと、私自身が今になってようやくプレイ&クリアーしたからです。

この作品ですが、元々はPSVitaで発売後にPS4に移植。その後、去年の9月の半ば~10月のはじめにかけて、PS plus のフリープレイ対象になっていた為、その期間にダウンロードして無料で手に入れていました。
その後、すぐにプレイをしたのですが、チュートリアルが終わったぐらいで飽きてしまい、プレイしないままに今年の初めまで放置していた状態でした。

理由としては、最初の段階では主人公は世界に放り出される感じで情報不足な為、世界観に入り込みづらい印象だったのと、周りを取り囲むキャラクターが結構身勝手。

一番最初に重力嵐と呼ばれる災害っぽいことが起こり、巻き込まれた少年の親に頼まれて子供を助けることになるのですが、子供を助けた際にアクシデントが起こって、その子供と親が住んでいるコンテナが無くなってしまったんです。
当然、家がなくなるような災害ですから、主人公も結構危ない目にあっている状態で、何とか少年を助けるのですが、助けた後、親と子供は礼を言う事もなく、『家を弁償しろ!』と罵詈雑言を浴びせかけるんです。
こちらとしては、見知らぬ場所で突然目覚めて、右も左も分からない状態で知らない人間から『息子を助けてくれ!』と無理難題を吹っかけられ、命からがら助けたら罵詈雑言の嵐。
その後の話も、家の修理代を稼ぐ為に金持ちの家にメイドとして売られるような状態になり、メイドとして働くが、雇い主の婦人の性格が結構キツく、何人ものメイドが辛くて逃げ出しているという結構な職場。
そんな雰囲気にプレイしているこちら側も、落ち込んだりムカついた気持ちになり、放置状態になってしまったんですよね。

そんなゲームを何故、再プレイしたかというと、今年の正月休みが異常に長かった上に何もやることがなかった為というネガティブな理由。
しかし再プレイをしてみたら、途中まで勧めた辺りから非常に面白くなり、一気にクリアーしてしまったんです。

ジャンルとしては、プレイヤーは重力姫であるキトゥンを操作し、敵を倒したり問題を解決するアクションゲームなんですが、移動手段が他のゲームと変わっています。
他のゲームの場合、街を移動する為には単純に歩いたり走ったり、他には車を使ったりワイヤーを出してスパイダーマンぽく動くと言った感じですが、このゲームでは基本的には落下することで移動します。
主人公であるキトゥンは、別名『重力姫』という異名を持ち、その名の通り、重力操作の能力を持っています。

ボタンを押す事で無重力状態になり、もう一度ボタンをおす事で、画面中央に向かって落下していきます。
一度落下し始めると、カメラアングルを変えても落下方向は変わらないので、カメラの向きによっては空を自由自在に飛んでいるようにも見えます。
方向転換の際には再度、無重力→落下ポイント設定を行います。
つまり、無重力状態でカメラアングルを真上に向けて落下ポイントを設定すれば、真上に向かって落ちていくという現象が起こります。

他人から見ると飛んでいるようにも見えるんですが、実際には重力の方向を操作しているだけなので、上方向に重力を設定すると、今まで見上げていた天井が床になりますし、横方向に設定をすると壁が地面になる。
頻繁に重力設定を変える事で頭が混乱し、自分が今どちら側に向いているのかすら分からなくなったりするという、不思議な体験ができたりします。
この他にも、重力設定を敵にする事で強力な蹴りを放つ重力キックや、重力設定を自身の斜めしたに設定することで平地でも滑りながら進む事が出来る重力スライダー等、重力を操ることによる移動が楽しさの全てと表現しても過言ではない作品となっています。

ゲーム内のMAPの方も、重力操作による移動を前提として作られており、飛び回るのが楽しい設計になっています。
このゲームでの街は空に浮いている形なので、現実の街だと土の中に埋まっているような基礎部分の裏側などを見れたりもします。
また、重力操作ができると空を移動しがちなのですが、地面を歩いていないと見つけられないような通路やトンネルなども作られていて、街自体は洋ゲーオープンワールドなどに比べるとかなりコンパクトには作られていますが、限られた空間内での作り込みが凄いといえば良いでしょうか。
当然、先程から書いているとおり重力操作が出来る為、いつも観ている町並みでも横方向に重力設定をして壁に立つと、いつもとは違った見え方がします。
少々ネタバレになりますが、メインストーリーで重力荒らしによって千切れて飛んでいった街の区画を取り戻すことになる為、一番最初はマップが非常に狭いですが、後に4倍程広くなったりもします。

街の雰囲気ですが、一番最初にプレイした時は『色が少なくて地味なマップだな』なんて思ったのですが、ストーリーを進めたり他の街を取り戻したりしていると、描写が変わるわけではないのですが、印象が少々変わったりしてきます。
というのもこのゲーム、ストーリーや会話部分がコミック雑誌を読んでいるような感じで進んでいきます。
最初にページが映し出されて、その後に一コマづつのアップになってセリフが吹き出しで出てくる感じです。
私の場合は、これを頻繁に見せつけられることで、『この世界はコミックや絵本の中の世界なんだ』と思えるようになり、色の少ない町並みも『そういう個性』と捉えることが出来るようになってきました。
そして、絵本やコミックの世界という認識が出来ると、次の興味が『この世界』の世界観に移ってきて、自然とゲームに没入することが出来ました。

最初に、『ある程度までストーリーを進めないと良さがわからなかった』と書いたのは、この様な理由ですね。
こんな感じで世界観に興味をもってゲームを進めると、MAP自体も、移動して楽しいというだけではなく、世界観を表現する為にも気を使って作り込まれていることに気がつくようになります。
『都市の上層部に住んでいる人は比較的裕福そうなのに、下層で住んでいる人は貧困っぽいなぁ』等々

その他にも、各マップに『時空の旅人』という2人のNPCが配置されているのですが、この夫妻から聴ける話によって、この世界の謎や成り立ちを想像できたりもするのですが、それが結構興味深い。
このゲームのメインテーマは重力なのですが、実際の科学で重力と時間についての関係なんてことが議論されたりしますよね。
重力を自由自在に操れる人物が存在するこの世界では、時空の歪みもあるっぽいんですよね。
この存在によって、単なる『そういう世界があるんだよ』というS(少し)F(不思議)ではなく、サイエンス・フィクションになってたりするのも興味深い。

ゲームのヴィジュアルやストーリー、主人公の性格なんかをみると『低年齢層向け?』なんて思いがちですが、大人でもガッツリ楽しめる作りになっています。
この作品は2012年 日本ゲーム大賞を受賞したようですが、ゲームの雰囲気や操作感、体験を踏まえると納得ですね。

近日発売になる『2』はこの作品の続編に当たるため、『2』に興味をもっていて、まだ無印をプレイしていない方は、プレイしてみては如何でしょうか。