だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

『空気を読む』という文化は必要なのだろうか

日本には、『空気を読む』なんて言葉がありますね。
何年か前には、空気が読めない事を略して『KY』なんて言葉も流行りました。

しかし、そもそも空気を読むって何なんでしょう。
wikiなどを調べてみると、結構詳しく書いてあるのですが…
場の空気 - Wikipedia

私の頭が悪すぎるのか、読んでも分かったような分からないような…
そもそも、主観でしか物事を理解できない人間に、空気を読むなんてことは出来るのでしょうか。
という事で今回は、『空気を読む』について考えていきます。

普通に暮らしていると、『空気を読む』って言葉を結構な割合で聴きます。結構耳にするということは、幅広い人達に認知されている行動のはずです。
他の人がどの様な意味合いでこの言葉を認識して使っているのかは分かりませんが、私個人の考えとしては、他人の迷惑にならない様に、または、他の人が過ごしやすいように気を使うことだと思います。
皆が他人のことを思って、空気を読んで行動しているのであれば、世の中は非常に暮らしやすい状態になっているはずだと思います。
しかし実際には、そんな状態にはなっていない。
なんなら、この『空気を読まなければならない空気』のせいで、世の中が暮らしにくくなっているような気がします。

例えば、呑み会の席などにいった場合のケースで考えてみましょう。
私はビールを注文する場合が多いのですが、これが瓶で出てきた場合は、量を呑むことを強要されるケースが結構多い。
正直な話、お酒は自分の好きなペースで好きな量を呑みたいのですが、大抵の場合はコッブのビールがわずかでも減っていると酌をするという名目で注いでくる。
酷い時には、こちらのお酒が全く減っていないのに、別の人の酌をする為にビール瓶を持ったからという理由で、『あんたも呑んで注ぐスペースを開けろ』と言わんばかりに圧力をかけてくる。

向こうは気を使っての行動なんだろうけれども、こちらからすれば迷惑行為以外の何物でもない。
そんな迷惑行為をされたのにもかかわらず、こちらは空気を読んで、『注いで貰ってありがとう』と、笑顔で伝えなければならない。

この様なことは、カラオケなどでも存在する。
私は個人的に、歌うという行為がそこまで好きではありません。
その為、積極的にはカラオケには行きたくないわけですが、空気的に行った方が良い場合などもあり、行くときも有ります。
私は歌うのは好きではないのですが、人が楽しそうに歌っているのを見聞きするのは嫌いではない為、カラオケに行ったからと言って不機嫌な顔をするわけでもなく、一応、楽しそうな雰囲気を出すようにはしています。
しかし、ここでも登場するのが『空気読んでますよアピール』の人。

このタイプの人は、『自分は楽しい雰囲気作りをする為に、絶えず、周りの人のことを観察してますよ』と言わんばかりに、『貴方、さっきから聴いてるばっかりで歌ってないじゃない。歌って!』等と言ってきます。
ただ私は気を使って歌いたい気持ちを我慢して歌ってないのではなく、本当に歌いたくないから歌ってないだけなので、この手の行動は迷惑でしかありません。
ですが、『空気を読む』という行動の存在の所為で、私は本気で嫌がっているにも関わらず、この人の目には『遠慮して歌ってないだけ』としか映らない。
その後、散々『歌って!貴方の歌を聞いてみた!』なんて事をいわれ、こちらも空気を読んで渋しぶ選曲して歌い出すと、『歌って!』とせがんでいた当の本人は、『仕事が終わりました』とばかりに選曲すべく端末を見て、こちらの方を見もしない…
別に良いんですよ。 私は歌が上手い方ではないですし、人が集中して聞く程のものではない事は熟知してますから。
でもね、こっちは歌いたくないのに空気を読んで、そちらの都合に合わせて行動を起こしたんですよ。それでその仕打ちですか。
おそらく歌うように促した人の中では、『この人は歌いたいのを我慢してたけど、私が頑張って歌わせてあげた。 私って偉い!』ぐらいに思っているのでしょう。

もう一度言いますが、この行動は一定割合の人たちにとっては、迷惑以外の何者でもありません。

では何故、こんな迷惑な余計なお世話が一般に浸透してしまったのでしょうか。
私が思うに発祥したルーツとしては、クレーマー対応なのでしょう。
クラブやキャバクラといった所は私は行ったことが有りませんが、テレビ等で、酒が減れば注ぎ足し、タバコを取る仕草をすればライターをつけて待機するなんてシーンを観ます。
世の中に一定数存在すると思われるそんな風に偉ぶりたい人たちは、会社の呑み会などで部下に対してその様な『気の使った行動』を暗黙の内に強要する。
暗黙のプレッシャーが分からない鈍感な人に対しては、『教育』という名の罵声が飛んで来る。
部下からすれば、会社の上司の誰がそんな行為を必要としているかが分からない為、全員に対して『気の使った行動』を行わなければならない。
こんな行動を望んでいない心優しい上司は、『部下が気を使って取ってくれた行動』に対して気を使って応えてしまう。

結局のところ、声のでかい他人の事を考えない人間の要求が通り、その状態に普通の人が合わせなければならない状態になってしまっている。

これは、コンビニで不良ぶった未成年が煙草や酒を買い、それが見つかると、法律を犯した本人ではなく売ったコンビニ側が叩かれてしまう。
コンビニ側はクレーマー対策として、レジ前に『年齢確認ボタン』を表示させて押させ、全く関係ない法律を守っている人たちが割を食う。
迷惑な客やクレーマー対策をした事によって、一般客が被害を受ける状態に似ているのかもしれない。

他人の事を考えない声のでかい、サイコパス気質の人間は企業トップに多いようで、この人達が『デキる人間』と認識する人の多くは『空気を読める』とされる行動を多用するため、サラリーマンの間でこれが一般常識化してしまった。
president.jp
toyokeizai.net

これが一般人が行う普通の呑み会でも導入され、結果として、空気を読める行動を押し付け合うという状況になってしまったのでしょう。

こうして冷静に見てみると、日本人が大切にしている『空気を読む』って行動は、『空気を読んだ行動をとっている私って凄いでしょ!』という間接的な自己承認欲求を押し付けているようにもみえる。
そしてそれに付き合わされる方は、相手が気を悪くしないように行動を心がけないといけない為、結構精神を消耗してしまう。
考えれば考える程、要らない文化なんじゃないかと思ってしまう。

こんな文化は、いっそ捨ててしまった方が、世の中生き易くなるのではないでしょうか。

【おすすめPodcast紹介】 境目線引

私の独断と偏見のPodcast紹介コーナー。
第120回。

過去に書いた投稿
タイトル紹介はこちら
エピソード紹介はこちら

今回は、【境目線引】

境目線引

境目線引

  • 境目鶴丸と線引屋コレキヨ
  • レジャー
  • ¥0
です。


今回紹介するwebラジオは、僕と◯◯の境界線。【境目線引】
このPodcastは、世の中にあふれている線引かれていない事、『どこからが浮気なの?』『女湯に入ってよいのは何歳まで?』みたいな曖昧な物に、境目鶴丸さんと線引屋コレキヨさん のラインマン2人がビシッ!と線を引く、線引Podcastです。

番組の簡単な説明としては、メインテーマは『世の中の曖昧なもの』について、独自の目線で線引をする内容ですが、それとは別に特別企画のような感じで、『ドラマ太郎』『東京太郎』『SNSポリス』といった、特定のジャンルを掘り下げる企画も行われています。
タイトルで差別化されているので、聞き手にとっては非常に分かりやすく、『線引を期待して聴いていたのにドラマの話しかしてない!』なんて事故が起こりにくい作りになっています。
この辺りは、Podcastに対して一家言も二家言も持っている、独自のPodcast論を持つ方々の配信という事で、しっかりしていて良いですね。

放送時間は30分前後と、気軽に聞くには丁度よい時間。
更新間隔は基本的には週1の日曜日更新で、たまに平日にも更新されています。


個人的な感想を書きつつ、紹介していきましょう。

パーソナリティーの1人、線引屋コレキヨさん は、名前や相方を変えつつ様々なPodcastを配信されています。
世の中から消されたコンテンツを探る番組とか、犯罪者の生い立ちを辿る番組とか…
それらを全て聞いている私の感想としては、この番組が一番、気軽に楽しめる番組ですね。

他の番組はテーマが重く、面白いけど聞く前に軽い覚悟が必要だったりするのですが、それに対しこの番組は、テーマや話題がより日常的で、とっつきやすいからかもしれません。
その他の理由としては、私は配信している方々に直にあったことがないので全くの憶測ですが、仲が良さそうな雰囲気が音声を通して伝わってくる感じが、聞きやすく心地よい耳障りに繋がっているのかもしれません。

これだけを読むと、テーマが身近で配信者2人の仲が良いだけの番組なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、これは結構凄い事だと個人的には思うんですね。

というのも『テーマが身近』『配信者の仲が良い』という条件を満たす番組の場合、大抵は底が浅く内輪ノリになってしまうからです。
内輪ノリにならず、配信者の存在を絶えず意識しつつ、その上で仲の良い雰囲気を演出して流れるように会話をしていくというのは、前提となる知識も持ち合わせていなければなりませんし、それをタイミング良く会話に織り交ぜる為には、相当、頭の回転も早くないと無理だと思うんですよね。
それを平然とやってのけるところは、シビれ、憧れてしまいます。

これを書いている段階での最新回『サブカルの境界線』では、「いとうせいこう」さんと「みうらじゅん」には足を向けて寝られないと仰っていましたが、あの二人に影響を受けたなら、あのトーク力にも納得といった感じ。
私は、Podcastでも配信されている『いとうせいこう×みうらじゅん ザツダン!』という番組を聴いているのですが、この2人のフリートークも、良い意味で『頭がオカシイんじゃないか』と思うぐらい凄い。
ちょっとした話題や言葉尻から別のテーマに流れるように変化し、話が二転三転して『何でこんな話になってるの?』って思うようなところに着地しているのに、面白い。
しかも一連の話を聞き終わった後、ちょっとした勉強をした気にすらなれるぐらいの雑学が手に入ったりする。
ちょっとした勉強が出来る程のしっかりをした話をしているのに、決して堅苦しくはなく、終始笑って聴けるコメディー番組っぽい仕上がりになっています。

この番組と同じ様な雰囲気を、【境目線引】からも感じるんですよね。

一見すると一つのテーマについて『線引』してるだけの様にも聴こえるんですが、よくよく聴いてみると、会話の至る所に、映画やドラマ、音楽や漫画などの情報が散りばめられていたり。
他には、昔、社会現象になったことや時事ネタ等の話題も入り、これを聴いているだけでかなりの雑談力が身につくんじゃないかと思う程です。
じゃぁ、『文科系トークラジオ Life』みたいな堅苦しいお勉強ラジオになってるのかというと、そんな事は決して無い。
肩肘張らずに終始笑って30分過ごせるのに、そこそこの情報が詰まってるといった感じ。
このクオリティーで、本当に素人なのかと疑ってしまう程。

後、これは個人的な事なのですが、お二人が興味をもって時間を割いている事が、私と少しズレている点も良い感じ。
例えば私は、海外テレビドラマはネット動画サービスを使って観るのですが、その一方で、日本のドラマは範囲外だったりします。
その為、日本ドラマの情報には疎いんですが、この番組のお二人は結構な数のドラマを追いかけてられて、話の端々に織り交ぜて楽しそうに話してくれて、今まで興味のなかった私にも興味を持たせてくれます。
また、『ドラマ太郎』という専門の企画でも話してくれるので、そこまで興味のないドラマでも教養として抑えておく、興味がある場合は観てみるなんて行動も取れる点が、非常に良いです。

何気に、日本の現在放送中のドラマをテーマにしたPodcastネットラジオが少ないので、その意味でも貴重な番組かもしれません。

長々と書いてきましたが、まとめると、メインとなるテーマの線引は、普通の人が生活していれば一度は疑問に思ったり、理解できる内容となっていて、前提知識な無くても誰でも楽しめるようになっているので、人を選ばずに楽しめることが出来るでしょう。
また、日本の放送中のドラマが好きな人や興味がある人にとっては、貴重な日本ドラマをテーマにした企画がある番組となっています。
番組の雰囲気も良く、番組で出しのテンションの高い境目鶴丸さんの挨拶を聴くだけでも疲れが吹っ飛ぶ明るく元気な番組となっていますので、幅広い方に聴いて貰いたい番組ですね。

オススメです!!

合法的詐欺に気をつけろ

ここ最近ずっと続いている不景気・デフレのせいか、情弱の人から資産を搾り取るという手口の話が目立ってきているようなきがする。
オレオレ詐欺やなりすまし詐欺など、定期的にテレビなどで警告されていますよね。
ただ、これらの詐欺は頻繁に警告されていますし、認知も結構進んできています。
注意していれば大丈夫でしょうし、犯罪なので警察も相談にのってくれるでしょう。

ですが、個人的に特に悪質だと思うのは、不動産やコンビニのフランチャイズ等の、合法的で且つ、関わっている人達が犯罪とも思ってないようなケースの場合。
これらのケースは、テレビ業界のスポンサーになっているせいか、警告どころかCMを流しまくって、むしろ推奨していたりするしまつ。
当然、引っかかる人も多いと思うので、今回は警告の意味も込めて書いていきます。

先ず不動産ですが、これは少し前に記事を投稿したので、興味の有る方は読んでみてください。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com

不動産投資についてですが、現在は銀行の貸出先がないせいか、非常に低金利で簡単に融資が出来る状態に有ります。
その為か、私の住む京都でも至る所でマンション建設が始まっています。
しかし、冷静になって考えてみましょう。日本は現在少子高齢化で、人口が減ることが確実となっています。
この状況を言い換えれば、不動産市場は将来、確実に需要が減少する市場ともいえます。
普通に考えて、需要が減少すると家賃相場は下がるので、不動産投資をする上では厳しい局面に立たされます。
そんな環境の中でバカスカ建物を立てて供給を増やせば、相場は更に崩れて事業としては成り立ちません。

ちなみに、今現在の不動産の状態が今年半ばぐらいに報道されましたが、その内容は衝撃的なもので、東京23区でも空室率は30%超。
事業として成り立つレベルではありませんし、当然、参入すべき事業でもありません。
今現在建築中の建物は、近日中に次々と完成していくわけですが、これから先の日本は毎年の様に人口が減っていきます。
空室率が50%なんて事になったら、不動産投資で儲けるどころか、マンション建築と土地取得に関わる借金も返済できずに破産する人たちが増えてくると思われます。
www.nikkan-gendai.com

では何故、不動産屋・ゼネコン・銀行は、こんな斜陽事業をテレビ広告を使ってまで推し進めるのかというと、自分たちだけは儲かるからです。
不動産屋は土地を売却した時点で手数料が手に入りますし、ゼネコンはマンションを立てた時点でお金を貰えます。
銀行はというと、土地とマンションを担保にお金を貸しているので、金利と不動産の値下がり分のお金さえ回収が出来れば良い。
不動産は、新築は新しくて綺麗なので空室が埋まりやすく、家賃も高い状態を維持できます。しかし、時間が建てば集客出来ないようになり、資産価値も下がっていきます。
その為、最初の数年でマンション価値の値下がり分と金利をマンションオーナーに稼がせておいて、空室が出始めて家賃が下がり始め、事業として成り立たなくなり、返済が滞りはじめた所で銀行が担保として預かっていた土地をオーナーから奪い取り転売。
これで、不動産屋・ゼネコン・銀行の3者は見事に、不動産投資という甘い罠に引っかかった投資家から資産を搾り取ることが出来る。

『家賃保証が有るでしょ!CMで10年保証とか言ってるし!』と思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、契約書の目立たないところに小さな文字で『家賃保証契約は、管理会社とオーナー、双方の合意が有ったときのみ』って一文が書かれていたりするんです。
そしてある日、不動産管理会社の営業が家に尋ねてきて、『1室あたり10万円を保証するって契約でしたが、空室出てきたので5万に下げますね。』って言ってくるんです。
これを聴いて、『え?そんな急に困るよ。家賃が半額になったら赤字になるから、条件を飲めないよ。』と反論すると、『え?オーナーさんは合意できないんですか?じゃぁ、双方の合意が無理ということで、契約は打ち切りにさせて頂きま~す』っていわれて終了ですよ。
その後の管理業務は自分がやるか、代行してくれる他の管理会社を探すしか無い。新築でもない物件で家賃保証なんてしてくれる業者は見つけにくいでしょうし、見つけたとしても足元を見られ、物件オーナーは厳しい局面に立たされます。

この段階になってオーナー側は、自分がお金を儲けるつもりだったのが、自分が食い物にされていることに気がつくんですよね。
自分が儲けつるつもりだったのに、自分が搾取対象になるケースは、結構、色んな所に転がっています。
その中でも酷いと有名なのが、コンビニのフランチャイズでしょう。

google検索で『コンビニ フランチャイズ 詐欺』等で検索すると、オーナーの悲痛な叫びや、足を踏み入れないように警告するサイトが結構出てきます。
コンビニというと、飲食物や日用品の販売だけでなく、振込や銀行引き出し・チケット販売・通販の荷物受け取り・荷物の発送など、様々な事が出来て生活の一部になっている人も多いと思います。
テレビでも頻繁に広告を見かけますし、認知度も高くて信用できそうな気がしてきます。
しかしコンビニは、客で利用している分には便利で良いですが、オーナーとして自分が店をするとなると、地獄となってしまいます。
『コンビニオーナーは現代の奴隷』と表現しているサイトは、1つや2つではありません。

何故こんな事になってしまうのかというと、儲けが出ない仕組みになっているから。
先程書いた不動産投資の件と同様で、コンビニ本社はフランチャイズ契約をしたコンビニオーナーから搾取するシステムを採用しています。
これは、客にとっては便利だが、オーナーにとっては地獄というわけです。

例えば仕入れ。スーパーの場合は売れ残った分を割引して売り切ってしまうといった工夫を行いますが、コンビニではこの様なことは基本的にありません。
売れ残ったものは基本的に廃棄です。何故こんな勿体無いことをするのかというと、商品はフランチャイズ店オーナーが本社から買い取る仕組みになっている。
廃棄による損失の殆どをフランチャイズ店側が負担するので、本社からしてみれば、発注時点で利益が確定するので売れようが売れまいが関係ない。損失を補填するのはフランチャイズのオーナー。
値下げして売られるよりも捨ててもらった方が次の注文が入る為、好都合という状態になる。

その他は、定期的な店内改装の義務。
コンビニは、何年か毎に改装することが義務付けられています。その改装費用はオーナー負担ですが、工事を請け負うのはコンビニ本社の子会社だったりするので、本社はここでも利益があげられる。

この2つを聴いただけでも利益が出ないであろう事は容易に想像できるわけですが、オーナーはそれ以外にもリスクを負います。
それは、固定費支払い。個人で雑貨屋を営むのであれば、開業時間は自分で勝手に決めればよいのですが、コンビニとなると話は別で、24時間営業しなければなりません。
常時2人勤務の場合、時給900円としても一時間辺り1800円の人件費が発生する。これに加え、水道光熱費。そして土地が自分のものではなく借り物の場合は、テナント料も発生する。
これらを全て計算に含めると、一日で最低限売らなければならない売上が出てくるわけですが…
その売上を達成することが非常に困難であることは、容易に想像できます。
売上が減ることは収入が減ることを意味するので、それを防ぐ為には道は一つ。バイトを雇わずに自分たちが長時間、店に立ち続けるしかありません。
その上、大手コンビニ本店のマニュアルでは、1店舗の月の売上がある一定以上を上回ると、その近所に同じコンビニを建てる事が決められています。
つまり、必死になって好立地のところを探し営業努力をして売上を伸ばしても、実際に売上が上がれば隣や正面に同じコンビニが建つということ。
これで儲けろという方が、無理な相談です。

ネット検索で『コンビニオーナー 自殺』で検索をかけてもらえればわかりますが、オーナーの自殺者は増えているようです。
何故こんな状態になるのかというと、先程も書きましたが、コンビニのフランチャイズというのは、そもそもがコンビニオーナー志願者から、資産を削り取る為に生み出されたシステムだからです。
一般消費者は、デフレや不景気の影響を受けて動向が変化してしまうため、安定して搾り取ることが難しい。そこで白羽の矢が立ったのが、コンビニ開業が出来る程の資産を持ったオーナー志願者です。
ここから全財産を搾り取る方が安定的だし、簡単というわけでしょう。

正直な話、コンビニオーナーになるぐらいなら、コンビニでバイトしてた方がマシといえるかもしれません。


今回、問題として挙げたものは詐欺同然ともいえる行為ですが、これらの業者がマスコミの標的になることはありません。
何故なら、彼らはマスコミの大手スポンサー。大切なパトロンの悪口を吹聴するメディアなんてありません。

では、こういったことから自身の身を守る為にはどうすればよいのか。
これは簡単なことで、『儲け話をわざわざ自分のもとまで持ってきてくれる人間は居ない』ときっちり認識することです。
マンションもコンビニの経営も、本当に設けることが出来る楽な仕事であれば、わざわざ人を募集したりしません。
情報を持ってる人たちだけで、甘い汁を啜ろうとします。
それを敢えて赤の他人である貴方の耳に届くようにお金を使って宣伝するのは、『自分たちではリスクが高すぎてやりたくないから』です。
高リスクな事は、欲の皮の突っ張った他人に丸投げし、自分たちは安全な所で欲の突っ張った馬鹿から搾取すれば良い。

やってることは、『裕福な老人からならお金をとっても良い』と犯行におよぶ、オレオレ詐欺の若者と同じレベル。
リスクを投資家に丸投げし、自分たちだけは確実に利益を確保する手法なので、安易に美味しい話に飛びつかず、投資の際は一度立ち止まって、もう一度ゆっくりと考える事が重要ではないでしょうか。

【ゲーム感想】 FINAL FANTASY 15

発売日に購入し、時間を見つけてはプレイしていたファイナルファンタジー 15(FINAL FANTASY 15)をクリアーしたので、今回はその感想を書いていきます。
クリア後の感想ですので、ネタバレ要素も含みます。
ストーリーをそのまま書くといった事は行いませんが、人によっては結構なネタバレと思うことも書いていますので、未プレイ・未クリアの方で極力、情報を入れたくないという方は、読むのを控えて頂くようにお願いします。




まず感想を一言で言うと、面白かったです。
というのも、私は面白くないと思った作品はクリアーできずにやらなくなります。最後までクリアーできたという点で、面白い作品と言って良いでしょう。

背景のグラフィックは、まるで自分がその世界にいるような錯覚する程に美しく、情報収集やサブクエストをこなすことで、世界観が薄っすらと分かってくる。
単調になりがちなバトルもスピーディーで、操作も楽しく、JRPGで苦になりがちなレベル上げも簡単にできて、ストレスもなく楽しめる。
プレイ時間も既に50時間に達し、呑みに行くといった他の遊びと比べても圧倒的にコスパが良く、買って後悔するなんて事はないのですが、不満が全く無いかといえば嘘になるって感じの作品でした。

ということで、不満に思った点を挙げてみます。

先ず、ストーリーが薄い。
私は発売日に購入し、攻略サイトなどをみること無く、好きなようにゲームを勧めていました。
ゲームの楽しみ方としては、正しい楽しみ方だったと思います。

ゲームをプレイし始めて、右も左も分からない状態から操作を覚え、イベントによってマップの行ける範囲が増えていく。
最初の間はワクワクドキドキが止まらない感じで、非常に楽しめていたんです。
新しい休憩所に行ったらレストランで情報を集め、自分のレベルと相談しながらモブハントを引き受けてお金稼ぎ。
エストがあれば受注して、お金と経験とを同時に稼ぎながら、世界観を理解していく。
日が暮れたら宿やキャンプ場を探して一息入れ、その日に撮った写真を皆で見ながらワイワイする。
釣り場を見つけたら釣りをしてまだ見ぬ魚を釣り上げ、キャンプでそれを料理して皆で食べる。
仲の良い仲間と一緒に旅行している感覚は、新鮮で非常に『楽しい!』と思えるものでした。

そんなゲームプレイから20時間ほど遊んだんでしょうか。
最初の大陸で行うサブクエストも少なくなり、レベルも50付近になった所で、新大陸に向けての船出。
私の脳内では、FF3のように最初の大陸は新大陸から見るとかなり小さい浮遊大陸みたいなもので、船出をしてからが本番だと思っていました。
『序盤の最初の大陸でレベル50までは、上げすぎちゃったかも?』なんて思いつつ新大陸に到着すると、かなり嫌な予感が・・・
というのも、船が到着するのはオルティシエって街なんですが、ワールドマップを開いても、オルティシエのマップしか記されてないんですよ。
『もしかして新大陸って、この街だけ? 新たな土地での冒険は??』

そんな事を思いながら数時間後、気がついたらラストダンジョンをクリアーしてました…

まさかね、新大陸に向かったが最後、一本道でラスボスの前まで連れて行かれるなんて思わないじゃないですか。
この一本道もね、すんごい一本道なんですよ。
なんてったって、目的地まで列車で運んでくれるんですから。主人公は列車に乗ってるだけです。
フィールドなんて歩かない。列車の駅がある所がダンジョンなんです。

そしてラストダンジョンもね、最初に武器と仲間を奪われて攻撃手段が無くなった状態でのスタート。
敵に見つからない様に隠れながら進んだり、見つかったら全速力で逃げたりと、お化け屋敷のアトラクションの様な全くの別ゲーに。
こんなダンジョン探索が、セーブポイントもない状態で2時間ぐらい続く。。

そして、気がついたら最初のハンマーヘッドって街に戻ることになって、そこから出ようとすると
『最後の戦いに向かいますか?』って感じの警告文。
も…もうラスボス戦!?

…いや、ストーリーは良かったですよ。
エンディングも詳しくは書きませんが、前半部分の仲間との旅が楽しければ楽しい程に泣けるような仕組みにはなってますし、宿泊の度に見せられた写真も、効果的な使われ方がされてます。
宣伝用の映画やアニメで設定を詳しく知っていれば、余計に泣ける感じのラストにはなっていたと思います。
でもね、なんか違う感が…

私の勝手な都合ですが、私はFF13やオンラインは未プレイなので、初代PSやPS2以来のFFなんですよ。
広大な世界の中に有る、様々な幻想的な場所やダンジョンを探索し、ファンタジー世界にあるいろんな国の文化なんかを見て、武器や防具を買い揃え、物語終盤では飛空挺を手に入れて、好きな場所にいつでも瞬時に行くことが出来る。
十分に強くなった状態で、初期の頃に訪れたダンジョンなんかに入って、『昔は結構苦労していたなぁ。』なんて思いつつ宝箱回収なんて事が出来るJRPGを期待していたんですよ。

でも実際には街は2個で、店売りで購入できる武器も少なく、最初の大陸で店売り最強武器が変えたりする。
一度新大陸に戻ったら最後、物語はラスボス手前までノンストップ。
確かにね、最初の大陸から出る時に『しばらく戻ってくることが出来ませんが良いですか?』って感じで警告されますよ。
でも、次に戻ってくるのがラスボス戦手前なんて思わないじゃないですか。

一応書いておくと、新大陸に渡った後は、宿屋に泊まった際に『アンブラを呼ぶ』という項目が追加され、いつでも過去の世界に戻ることが出来る状態になる為、旧大陸には渡れます。
でもね、そうじゃないんですよね。持ってるアイテムやレベルを維持した状態で過去に戻れても、町の人達の状況も過去に戻ってるわけで、その後、街に訪れる未来が変わるわけじゃない。
ただ単に、楽しかったあの頃に戻れるだけで、現実に戻ると酷い現状が待ってたりするんですよ。
私が期待していたのは、徐々に世界が崩壊に向かっていく状態で、町の人達の会話がどのようにしていくのかといった王道的な展開を期待していたのですが、実際にはある地点で急に10年後に飛んで、世界崩壊間近の世界を見せつけられる。

また、クリアー後のやりこみ要素もなんかね…
クリアーすると、クリア済みセーブデータとなり、ラスボス直前の状態まで引き戻されます。
この状態で宿泊地に戻ってアンブラを呼び出して過去に戻ると、サブイベントが開放されます。
そのサブイベントが結構 酷い。

『ルシスに眠る脅威』という高レベルクエストが解禁になり、何の前情報もなく一番近場のダンジョン『スチリフに眠る脅威』に挑戦してみたのですが…
どこまでいっても有るのは敵と戦う広間と下に降りる階段という単調な作りで、コピペしてつくったんじゃないのかと疑う程。
そんなダンジョンを30階分程クリアーした所で、『何かフラグを立てそこねているのでは?』と不安になり、極力見ないようにしていた攻略サイトを見てみると、何の仕掛けもなくダンジョンが100階有るという衝撃の事実を突きつけられる・・・
このダンジョンのクリアーに4時間かかりました

事前に、『やりこみ要素を入れると100時間プレイも可能!』なんて情報を見た事があるのですが、こんなプレイ時間稼ぎダンジョンで『やりこみ要素』なんていわれてもねぇ。。

と、長々と不満を書きましたが、前半の20時間は文句なく楽しめたので、勝って損したということはないんです。
洋ゲーなんて、20時間でクリアーできてしまうなんてものも多いですしね。
でも、なんか違う感が所々で沸き起こってくるんですよね。
これも、小学生時代からプレイしているFFというタイトルを過大に期待してしまったからなのかもしれませんが、ちょっと残念だったなというのが素直な感想かもしれませんね。

客の利便性を考えない日本メーカー

私が愛聴しているとあるネットラジオで、こんな発言が行われました。
日本製品は、極力買いたくないよね。』
この言葉を聞いてマイナスのイメージを抱く方もいらっしゃると思うので、何の番組かは言いませんが、これを聴いて私は『ハッ!』としてしまいました。
私が最近購入した製品や、欲しいと思う製品の殆どが外国製品で、日本製は選択肢に入ってなかった事に気付かされたからです。

何故、『日本製品は買いたくない』と思うようになってしまったのか。
色々と考えてみましたが、辿り着いた結論は、メーカーが買う人間の事を考えていないからという結論に至りました。

普段、頻繁に使う製品にとって一番重要なのは、使いやすさや操作の理解のし易さだと思います。
この使いやすさ、解りやすさを全く考えていない商品に、日本製が多い。
これを読んで、『日本製品て、そんなに使いにくい? サポートとかしっかりしてて安心じゃない?』と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

そこで、具体的な例として、この画像を見ていただきたい。

これは、AmazonのFire TVという商品と、そのリモコンです。
その一方で、私が持っているレコーダーのリモコンがこれ。
f:id:kimniy8:20161214212429j:plain
一目瞭然ですが、ボタンの数が全く違います。
Amazonの方はボタンが十字キーと他6個しか有りませんが、東芝レコーダーのリモコンは、PCのキーボードよりも多いんじゃないかと思ってしまうほどにボタンが多い。
で、どちらが使いやすいのかというと、ぶっちぎりでAmazonの方が使いやすいんですよね。

ここで疑問なのが、何故こんなにもボタンを付けたのか。

メーカーとしては、慣れれば便利な様に設計しているつもりなのかもしれません。
しかし、リモコンにこんなに沢山ボタンを付けられれば、目的のボタンを探すだけで一苦労。
また、そのボタンを正しいタイミングで利用する為には、2~3センチ程有るマニュアルを読まなければならない。
そして、何らかのタイミングでボタンを押し間違えて変な画面になって、それを戻すのに結構な時間を使ってしまう。
どう考えても、多すぎるボタンが邪魔にしかなっていない。

では、こんなにも沢山のボタンが本当に必要なのかというと、そうでもない。
というのも、このレコーダーを使用して10年近く経つのですが、触れてもいないボタンが半分以上有るんです。
何故、こんな事になってしまっているのか。
理由は、一つのボタンに対して一つの機能が割り当てられている、つまり、機能の数だけボタンが有るわけですが、画面中央付近に有る『クイックメニュー』というボタンを押せば、リモコンの専用ボタンがなくても、テレビ画面に映し出された選択肢を選ぶことで、それぞれの機能を実行できるからです。
f:id:kimniy8:20161214213233j:plain
ここで思うのが、『じゃぁ、クイックメニューボタンがあれば、ボタンを削れるよね』って事。
ただ、『クイックメニュー』を押して呼び出すメニュー画面が結構面倒くさい。
クイックメニューを押すと、その画面で行える操作一覧が出てくるのですが、これを十字キーで選択して決定ボタンを押さなくてはならない。
ボタンでいうと3~4回押すことになる。
その煩わしさを解消する。もしくはこれに関するクレームを回避する為、言い訳として、数ある機能毎にボタンを用意するという非効率的な事を行っている。
もしくは、コスト削減の為に、昔ながらのリモコンのデザインをずっと使い続け、機能が増えるとボタンを1個ずつ追加するというマイナーチェンジの結果のようにしか思えない。
例えるなら、旅館が大規模なリフォームをしたくないが為に、建て増し建て増しを行った結果、出来上がったのが迷路といった感じ。

でも素人目に考えても、改善する方法はそこじゃないだろうと思うわけです。
クイックメニューを押した際に表示されるユーザーインターフェースを、見やすく直感的に使いやすいように改善したほうが良い。
その方が機能をより使いやすいし、リモコンのボタンも減らせるし、説明書も薄くなって皆ハッピーになれる。

実際に海外の製品はこの思想で発展してきていて、説明書は出来るだけ薄く、下手をすれば無い。
ボタンの数も極力減らされ、iPhoneなどは、ボリュームやマナーモード切り替えを含めても5個ぐらいしか無い。
肝心の使い勝手はどうなのかというと、使いやすい。

しかし日本メーカーは、この真逆を突き進んでいる。
家電を買うと今だに分厚い説明書と分かりにくい操作を強要される。
PCやタブレットを買うと、馬鹿みたいに大量のソフトやアプリが、使いもしないのに最初からインストールされていてストレージを圧迫している。
ユーザー視点ではなく、自分の都合で製品を作って客側に負担を強いているようにしか思えない

これじゃぁ、『日本製品は、極力買いたくないよね。』といわれても、買う選択肢から外されても仕方がないですよね。
日本国内のテレビ放送では、いまだに『日本の技術力は凄い!』を連呼していますが、こんなことを続けていたら、全世界のユーザーから見放される日も近いのかもしれません。

就社とジョブ型

日本は、生産性が低いといわれています。
ブラック会社で低賃金で長時間働かされている人は、『こんなに一生懸命働いているのに?』なんて疑問に思うかもしれませんが、とにかく低いです。
ランキングでいえばOECD加盟34カ国中第21位。
頻繁に危機を起こし、ワイドショーなどで散々バカにしていたギリシャよりも順位的には低いのが日本だったりします。

日本の労働生産性の動向 | 調査研究・提言活動 | 公益財団法人日本生産性本部
(データ元)

では、何故こんな事になってしまったのでしょうか。
これは、日本の雇用契約に問題があるからと考えられるでしょう。
以前にもブログで投稿したことがあるのですが、日本の雇用は、一部で就社と呼ばれる雇用形態で雇われます。

そして私が思うに、日本の仕事に関する様々な問題は、この『就社』というシステムにある様に思えます。
では就社以外には、どの様なスタイルがあるのかというと、アメリカでは『ジョブ型』が主流のようです。
『就社』と『ジョブ型』の違いは、就社が会社という組織に属するのに対し、ジョブ型は依頼された仕事をこなしていくという違いが有ります。

具体的な違いとしては、就社は会社に仕えていて基本給を貰う雇用形態。
その為、営業として雇ったけれども製造部門に配置転換されることも普通。
職務内容が特に決まっていない為、与えられた仕事が終了した場合、他の人の仕事を手伝ったりすると行ったことも当然のように行われます。
日本でよく採用されているシステムですね。

その一方でジョブ型は、事前に任される仕事内容が契約で決まっていて、その仕事を行うというもの。
例えば、『この工場でこの作業をしてください。』という契約で就職した場合、その作業が終われば自分の仕事は終わり。
ですが、仮に工場が取り壊しとなった場合は、契約に記されている工場が無くなるわけですから、配置転換などは行われずに解雇という事にもなります。

『就社』と『ジョブ型』は何方も一長一短で、メリットもデメリットも存在するのですが、今国が掲げている『同一労働同一賃金』『生産性の向上』等を達成するためには、『ジョブ型』の方が合っているように思えます。
というか現在の日本では、『就社』の悪い面ばかりが出ているようにも感じられます。

例を出してみましょう。
就社というのは、先程も書きましたが『会社に仕える』という事は決定しているのですが、業務内容が決まっているわけではありません。
これを企業側が悪用すると、際限なく仕事を振り続けて社員を奴隷化する事が可能です。
先日、週刊誌記者が潜入した有名なアパレル企業でも、過労死者を出した大手広告代理店でも、公表している業務内容は労基に則ったちゃんとしたものだったりするのですが、実際には『やる気のある人はこれぐらいやって当然ですよね』といった感じで、自主的にサービス残業をする雰囲気を作っていると噂されていましたよね。
『出世したいなら、やる気見せないと。』『他の人が頑張ってるのに、お前は帰るんだ?』『この程度の仕事も、今日中に終わらすことが出来ないの?』『その程度の能力じゃ、左遷だな』等、様々なプレッシャーを掛けて、半ば強制的に『自主的』という名目で働かせる。
いわゆるブラック企業ですね。

このケースで闇が深いのは、実質的には強制的に長時間拘束して働かせているにも関わらず、企業側は『社員が勝手にやった事、会社側としては強制もしてないし、早く帰る事を推奨してますよ。』と被害者に責任をなすりつけている事。
また企業的には、『社員が勝手にタイムカードを押した後に居残って、サービス残業をしているだけ』なので、お金も支払う必要はない。
いくら仕事を振り分けても人件費が増えることがないのであれば、会社としては際限なく社員に仕事を押し付けることが出来る。
本来であればIT化や最新の技術の導入で効率化出来るものも、社員がサービス残業で無償で働いて穴を埋めてくれるので、設備投資も改善も行わなくて良い。
一方現場では、上層部の怠慢で増えた仕事をこなす為に、際限なく労働時間が増えていく。

これとは逆に、会社側に余裕が有り、社員に対して圧力も何もなく、体外向けではなく社員に向けてもサービス残業などは控えるように通達している企業が有ったとします。
こちらの場合は、会社の状態を社員が悪用して、社員主導で残業が行われる場合も有ります。
製造業のように作業が目で見て分かるような職種では少ないでしょうが、知的労働で、作業の進展が分かりにくいものや、仕事を新たに作ろうと思えばいくらでも自分で作れてしまう仕事の場合は、残業代目的で長時間労働が行われる場合が有ります。
残業代込みで給料を考え生活費を計算している場合は、仕事が無くても残業をする必要が出てくる為、勤務時間内は人の目を盗んで極力サボり、就業時間が終わってからが本番なんて事もあったり。
これを回避しようと思う場合、会社は業務を真面目に行っているかどうかを監視する人間を別に雇わなくてはなりませんが、監視者自体は利益を生み出すわけでは無い。

前者の場合は、非効率的で時間がかかっている部分を、社員がサービス残業で労働時間を伸ばして対応する為に効率が悪くなりますし、後者の場合は、本来、短時間で終了する業務が引き伸ばされることで長時間になり、非効率となる。
何方の場合も、生産性の向上という観点から見ると、マイナスでしょう。

これが、ジョブ型の場合はどうでしょうか。
海外式のジョブ型は、雇用される時点で業務内容が細かく契約によって決められます。この方式であれば、契約で決められた仕事が終わった時点で、仕事は終了します。
これは言い換えれば、契約で決められた作業を決められた日時までに終了させる必要が有るので、サボることは出来なくなります。
仮にサボった事で契約内容が守れない事が続けば、契約不履行という事で解雇されてしまいます。
その一方で労働者の能力が高く、仕事が短時間で終了すれば自由時間が増えますし、余った時間で更に別の仕事をこなすことで、収入アップも狙えます。
逆に、ライフワークバランスを考えて自由時間が欲しいと思えば、時間を手に入れる事が出来ます。仕事さえ効率的に行えばね。

また会社の方には、無意味な仕事を増やしてしまうと社員に対して支払う給料が増えてしまう為、極力、余分な仕事を増やさずに合理化を進めるというインセンティブが生まれます。
社員と会社の双方が合理的に動くことが出来れば、質の高い仕事が出来ます。

少し前に紹介した本『国家はなぜ衰退するのか』によると、システムが進化するのか衰退するのかの差は、そこに関わっている人の動機付けが重要という事が書かれていました。
kimniy8.hatenablog.com
簡単にいえば、やる気のある人達が多いシステムは持続できるが、そうでない人たちが集合しているシステムは衰退して破綻するというもの。
その為、システムを衰退させずに発展させるために重要になってくるのは、如何に人をやる気にさせるかという事になってきます。

この観点からみると、『ジョブ型』の方が社員のやる気を奮い立たせ、生産性を向上させる事が出来ます。
『就社』と『ジョブ型』を比べた場合、どちらが『やる気』が出やすいかといえば、『ジョブ型』ではないでしょうか。
また、『同一労働同一賃金』という観点から見ても、ジョブ型の方が優れています。
というのも、ジョブ型の場合は仕事に対してお金が支払われているので、同じ仕事の場合は同じ金額での契約という事になります。
同じ仕事なのに、正社員と非正規という区分で基本給が違うという事が起こりにくいので、非常に分かりやすい。

この様に、経済という観点からみると、現代ではジョブ型の働き方の方が適応していると考えられます。
ジョブ型にデメリットが全く無いわけではなく、雇用が流動的になりやすい、つまりは解雇されやすいという事はありますが、その辺りの社会保障は再分配能力が有る国がなんとかする事でしょう。
どちらにしても、会社の拘束時間が長過ぎて死ぬとか、とても先進国とは思えないようなことが起こっている現状よりは、こちらの方がまだマシの様に思えます。
また長い目で見れば、多くの人から搾取する構造になっている現状では衰退する未来しか見えないので、寿命を伸ばすためにも、ジョブ型への切り替えが必要なのではないでしょうか。

【ゲーム紹介】 FINAL FANTASY XIV (ファイナルファンタジー 15)

今回紹介するゲームは、『FINAL FANTASY XIV (ファイナルファンタジー 15)』です。




ファイナルファンタジーシリーズ最新作。
元々はFF13の派生作品として開発されていたもののようですが、製作に時間がかかったためなのか、その際に方向性が変わったのかは分かりませんが、独立したナンバリングタイトル『15』として発売されました。
この作品。開発段階の映像がネットなどで公開される度に、『主人公がホストw』なんて感じで馬鹿にされていました。
そんな評価ばかりを読んでいた私も感化され、『今作は駄目なんだろうな』なんて思い、特に興味も持っていなかったのですが、発売前に公開された体験版をプレイしてみた結果、かなり興味が出てしまいました。

その後は、世界観を理解する為に事前に公開されていた映画『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』と、アニメ作品『BROTHERHOOD | FINAL FANTASY XV』を鑑賞し、発売日に向けてプレイしたい気持ちを高めていきました。





www.jp.square-enix.com

そして、いざ 発売。
事前にAmazonで予約していましたので、発売日に購入してプレイ。
という事で今回は、そのプレイした感想を踏まえつつ、紹介を書いていきます。

FFといえば、ドラクエと並んで日本のRPGを代表する作品で、世界観も、現代の地球とは違った世界で繰り広げられるストーリーとして有名な作品です。
良くも悪くもJRPGの代表作のような作品で、基本的に一本道で、ムービーを見る為に決められたハードルをクリアーしていくというスタイルのゲーム。
そんな作品が、今回はオープンワールドとして発売。『いったい、どんな感じになるんだ?』と思っていたのですが、実際にプレイしてみると、JRPGとオープンワールドが丁度よい感じで融合していました。

FFは、広大なフィールドの様々な場所に、街や都市、洞窟などが点在しているといった世界観ですが、それが3DCGで見事に再現されています。
それも、パッと見では実写なんじゃないかと思えるぐらいの作り込みで、すんなり世界観に没入できます。
オープンワールドといえば、最近では広大なマップを移動する為に車が必須といった感じで、多くのゲームで車が導入されていますが、FF15でもレガリアという車が導入されています。
マップの様々な場所に拠点などの車を止めれるパーキングが設定されていて、一度でも訪れたパーキングにはファストトラベルが可能。
このシステムの為、かなり広いマップにもかかわらず、移動が楽になっています。

ちなみに、この車移動ですが、オートドライブ機能がついています。機能というか、仲間の一人が運転してくれるんですけどね。
これが、非常に便利。
海外製のオープンワールドゲームだと、何かというと運転を強いられてしまいますが、個人的に車の運転が好きではない私は、そのシステムが結構、不満だったんですよね。
特に、音声がローカライズされておらず、日本語字幕で流れるゲームの場合、目的地の確認の為にミニマップを観て、運転の為に画面中央に注意を払い、字幕まで読むなんてのは無理ゲーだったりします。
また、最近のオープンワールドゲームは作り込みの凄さもセールスポイントの一つだったりしますが、『自分で運転することを強いられる』せいで、作り込まれた背景をゆっくり観てられない。
結果として、作られた世界をゆっくり堪能する為に、車を使わず徒歩で探索することもしばしば。
その点FF15では、仲間が目的地まで勝手に運転してくれる為、その間、ゆっくりと風景を楽しむことが出来ます。
このシステムは、他のオープンワールド系ゲームでも採用して欲しいもんですね。

ただ、私にとっては非常に便利なシステムですが、従来のオープンワールドに慣れていて、街を猛スピードで走り抜けたい欲望を持っている人にとっては、規制が多すぎて非常に物足りないかもしれません。

次にゲームの雰囲気ですが、これもファンタジーっぽくて非常に良い。
私が最近プレイした『ウィッチャー3』や『GTA5』『マフィア』などのクライムアクション系は、結構、血生臭さい雰囲気なんですよね。
とくにウィッチャー3などは、中世ヨーロッパの時代をリアルに再現しようとしたせいか、大半の人間が搾取されて極貧生活を送っていて、『こんな世界には行きたくないな』と思わせるような世界観。
その一方でFF15は、Chapter6までプレイした感想としては、そこまで貧しい生活をしている人は見かけない。
皆が普通に困らずに生活できている感じの世界観で、景色も綺麗なので『こういう世界に行ってみたい』と思える世界観に仕上がっているところも良いですね。

ゲーム全体の雰囲気としては、『旅』をテーマにしているだけあって、旅行している感が凄い。
システム上、敵の討伐やクエストの消化で経験値を得たとしても、宿泊施設で一泊しないとレベルが上がらない仕様になっているので、頻繁に泊まることになります。
その際、仲間の撮った写真を皆で鑑賞してお気に入り写真をを保存したり、キャンプだと仲間の一人がご飯をつくってくれる等、仲間と一緒に旅行している演出がこれでもかというぐらい挿入されます。
フィールドを歩く際も同様で、適度に仲間が話しかけてくれるのでリア充の雰囲気を味わうことが出来ます。

レベル上げに関しては、今のところは非常に楽です。
というのも、フィールドの様々な場所でサブクエストが発生するのですが、それをクリアーしていくだけでレベルがドンドン上昇していきます。
今作では、バトルで敵を倒してもギル(お金)が手に入らない為、装備などを購入する為にはサブクエストをクリアーしていく必要があるのですが、そのクリア報酬として手に入る経験値がかなり多い。
ちなみにクエストのクエストの難易度ですが、クリアーする為の目安となるレベルが表示されています。
大半のものには期限なども無い為、とりあえず受けておいてクリアー可能なものからこなして行くだけで、レベルもお金もドンドン貯まっていきます。
私は最初の大陸で、サブクエスト中心で進めているのですが、既に現在Lv50。
メインクエストの推奨レベルがLv30とかなので、レベル上げの為にひたすら敵を倒し続けるなんて事はしなくて良く便利ですね。

ストーリー等に関しては、映画の方がかなりシリアスだったのに対し、ゲームの方は王都で何が起こったかを全く把握していない王子一行が主人公のためか、中盤まではのんびり雰囲気で進んでいます。
ただ、背後では様々な腹の探り合い的なことが起こっていそうで、シナリオのシリアスさと主人公たちの旅行気分のギャップが、個人的には好きな雰囲気で良いですね。

今のところ、システム的にも雰囲気やストーリー的にも文句はなく、勝って損は無いと思える作品。
こういう作品は旬な時にプレイした方が楽しみも増えると思うので、少しでも興味がある方は、話題になっている間に買ってプレイしてみては如何でしょうか。
お薦めです。

【おすすめPodcastエピソード紹介】 もてらじ 川柳さん回 『日本人の大半は軽いメンヘラ』

Podcast紹介コーナー。
第119回。

過去に書いた投稿
タイトル紹介はこちら
エピソード紹介はこちら

私の独断と偏見で紹介するPodcastのエピソード紹介コーナー。

今回は ネットラジオ BS@もてもてラジ袋

http://moteradi.com/20161118a

です。

今回は、川柳さんという方が久しぶりに復活し、ラジオを通して主張を行うという内容でした。
私は『ネットラジオ BS@もてもてラジ袋』(通称もてらじ)を聴き始めたのが2014年の5月ぐらいからでしたが、川柳さんは名前は知っていましたが、話されているのを聞いたのは初めてだったので、それ以前に出演されていた方だと思います。
この川柳さんの主張が、結構、日本人の真理をついていたような気がしたので、今回紹介させて頂くことにしました。

どのような主張だったのか、簡単にまとめると誤解されそうですが、それを恐れずにいうのであれば、『日本人の大半は軽いメンヘラ』といった内容でした。
主張の出だしは、川柳氏がラジオに出演しなくなってから、普通の人と飲みに行く機会が増えたというところから始まります。
出演者一同は、『普通の人』のところに結構食いついておられましたが、エピソードを全て聞き終わった後に考えると、『人前で話すことを意識せずに話している人たち』ということなんでしょう。
自分でPodcast(ラジオ)をやろうという方々は、基本的にはリスナーにどの様に聞こえているか、聴き手はどう感じるかというのを意識しながら話します。
聞きやすいように出来るだけ話をまとめようとしますし、その中に矛盾がないように心がけます。

ですが、普通に生活している一般人は、そんなことを考えて話しませんよね。自分が話したい事を、ただただ垂れ流します。
話す人間としては、『この話をしたらウケるはず!』と、よく分からない確信をもとに話すのでしょうが、その内容が大抵はドン引きするものだったりする。
川柳氏は、この行動を言葉の自傷行為と名付け、そういった空気に晒された時にどのような行動を取るべきなのかという事を考え、主張されていました。

分かりやすいように具体例を挙げてみましょう。
呑み会の席などで大人数で呑む場合、大抵の場合はターン制で一人の人が話し、周りの人が聴く。
時には茶々を入れつつ話を聴き、一人の人間が話し終えると次の人が話すなんて流れで会話が進む場合が多い。(時には、一人の人間が延々と話し続ける場合もありますが…)

ここで話す内容として結構出てくるのが、『昔は悪かった自慢』や、受けたサービスが気に入らなかったので、『クレームを入れてやった』というような、話した所で自身の格が下がるだけで、話した側も聞いた側も何の利益もない話だったりする。
これを聴いている人達の素直な感想としては、『そんなチンケな犯罪を自慢してるの?あなたは、そんな簡単なルールも守れない人なのね』だったり、『その程度でクレーム入れるんだ…厄介な人だね』といったマイナスのもので、基本的にはドン引きするわけですが、場の空気を崩さない事を優先する為に、笑顔で接待する。
すると話し手は、『俺の話がウケた!この話は鉄板だな』と思い、次回の呑み会でも同じ話をしようと決意する。
ここで重要なのは、聞き手側はドン引きする話を目の前でされたのにも関わらず、次に自分が話すターンになると、似たような自分の格が下がるような話をしてしまう。

結果として呑み会で起こるのは、みんなで知らず知らずのうちに自分の格を下げ続けるという行為だったりするわけです。
これが、言葉の自傷行為と呼ばれるもの。
この行為をしてしまう根底には『私を見て!』という願望が有るのでしょうが、行っている事は自分を貶める行為でしか無い。『私を見て!かまって!』とリストカットするメンヘラと構図は同じ。
大部分の人の会話が言葉の自傷行為で成立しているのだとすれば、『日本人の大半は軽いメンヘラ』という事になってしまうという事。これを書いている私も含めてね。

ここまで読んで『そんなこと無いでしょ!』なんて思ってしまう方も多いかもしれない。
そんな人は、週末などにカウンターの有る飲食店に入って、周りの話を聴いてみると、よくわかるかもしれません。
話されている会話は、大抵は『軽い犯罪自慢』『ギャンブルの話』『職場や友人の悪口』『こんな出来事が合ったので、相手にキレてやった』といったもので構成されています。
『ギャンブルで勝った』話をされても、こちらは『パチンコなんかやってるんだ』と思うだけだし、職場や友人の悪口を聴いた場合『自分の悪口も、他の人に話されてるんだろうな』と思うだけ。
しかし、自分のターンが回ってくると、自分の話は他人が話しているような自傷行為ではないと思いつつ、自分の格を下げ続ける自傷行為を行ってしまう。

話せば話す程、互いに評価を落としていく為、客観的に見ればマイナスのスパイラル構造にしかなっていない状態。何故こんな事になってしまうのでしょうか。
この話題を聴いて、私自身、少し考えてみた結果、原因は聞き手と話し手にそれぞれ有ることがわかりました。

聞き手側の要因は、日本特有の『空気を読む』という事。
空気を読むという行為は、場の雰囲気を崩さないように注意する。周りに対して気配りが出来る人が行うような行動のように思えますが、実際には違います。
その行動の先に有るのは、自分自身が変な目で見られない為の自己中心的な防衛手段に過ぎません。
例えば、誰かが明らかに間違ったことを主張した場合、長期的に観た場合は間違いを指摘した方が良い。しかし、指摘したことで場の雰囲気が悪くなった場合の責任が採れない為、間違ったことでも同調する。
皆がこの行動を取ってしまうと、これが常識になり、同調圧力が生まれてしまう。

呑み会の席でいえば、ドン引きする様なくだらない話だったとしても、それを指摘して雰囲気が悪くなった際の責任が取れないから言わない現象が起こる。
仮に指摘した人がいたとして、それが原因で空気が乱れると、指摘した人を避難する。
この様な状態が続くと、自傷行為を聴いたとしても指摘することが出来ず、雰囲気に合わせて同意するしか無くなります。

話し手側の要因としては、皆、自分が普通で常識的だと思っている点でしょう。
そして世の中には、皆が共有する常識が有ると思いこんでいる。
しかし実際の世の中には万人が共有する常識なんてものもなく、普通なんてものも存在しない。人々は、それぞれに自分の価値観と考え方から成る『常識』を持っています。
世の中に70億人いるとした場合、70億通りの常識があるといっても過言ではないでしょう。
その状況下で、自分の常識や正義を元に皆が賛同してくれるだろうと、普段起こった事や考え、ちょっとした自慢話をするわけですが、その内容は聞き手の常識や普通とはズレている為、聞き手側の立場でみると自傷行為に見えてしまう。

議論の場合は、共通認識がズレていることが前提で、言葉の定義から摺り合わせを行いますが、呑み屋で行われる議論の多くは、この様なことは行われない。
この、聞き手と話し手の要因が合わさることで、不毛な議論が延々と続いてしまう事になるのでしょう。

この対応策として川柳さんが考えた方法は2つで、この負のスパイラルを意識し、そちら側に行かないように心がけて一定の距離を離すか、逆にそちら側に飛び込んでしまうかの二択。
後者の意見は一見すると後ろ向きのようにも思えますが、カラオケのようなものと思えば、すんなり納得も出来る。
カラオケの場合は、皆で盛り上がる曲を摺り合わせ、一体感を持って楽しむと非常に楽しいですが、実際に行われているカラオケの大半は、皆がそれぞれ好きな曲を歌い、聞き手は聴いているふりをしつつ次に歌う曲を探したり、携帯いじってたり、ヒソヒソ関係ない話をしたりしますよね。
そのカラオケに対して『つまらない!』なんて声を上げても空気を壊すだけなので、自分も周りのことを考えずに好きな歌を歌い、そういう状況を愉しめば、ストレスが貯まること無く逆に発散できたりする。
同じ出来事でも、捉え方次第でどうにでも感じられるという、かなり為になる助言だと感じましたね。

ラジオの方では2時間近くかけて話されてますので、気になってもう少し知りたい!なんて方は、一度聴いてみては如何でしょうか。

同盟と具体と差別 2

今回の投稿は、前回の続きです。
まだ読まれていない方は、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

今回の話は、アメリカ軍の基地が日本に有ることは、日本にとってプラスなのかという問題について考えていきます。

戦後、日本はアメリカによって軍隊を取り上げられたので、その代わりにアメリカが日本を守るということで、日本にアメリカ軍の基地が作られました。
アメリカが日本を守るわけですから、もっとも重要なのは、アメリカと日本との同盟関係という事になります。

この同盟関係ですが、何方か一方が主張していれば成立するものではありません。
双方が同意して初めて同盟関係が成立するわけです。そして、成立すれば未来永劫続く関係でもありません。
過去の歴史を振り返れば、同盟の一方的な破棄なんて事は普通に行われています。
これは、同盟関係が一番重要になってくる戦時中でも同様で、同盟破棄からの裏切りなんて事は、一度や二度ではありません。

このことを踏まえると、同盟関係を常に維持し続ける為には、双方が相手にとってプラスになる事を提供し続けなければなりません。
では、日米関係では互いに何を提供しあっているかというと、アメリカは軍隊で、日本は軍用地やお金という事になります。

今のところはバランスが取れているかの様に観える関係ですが、よくよく観てみると、結構危なっかしい関係になっていたりします。
その要因となっているのが、中国の経済成長。

先程も書きましたが、同盟関係というのは双方にとって利益がなければ成り立たない関係だったりします。
アメリカは軍隊を提供し、日本がお金を提供することで成り立っていた関係ですが、中国が成長して日本以上に経済的に重要になってくると、このバランスは崩壊してしまいます。

中国は現在、人口が日本の10倍いるということで、GDPで観ると日本を抜いて2位の立場です。
バブルが弾けそうで経済的にも失速してきているとはいっても、一人当たりGDPで観るとまだまだ低い。これは、別の観点からみると、まだ成長の余地があるとも考えられます。
中国が経済成長して人々の平均年間所得が2万ドルぐらいになると、物を販売する市場として非常に魅力的な存在になります。
その一方で、日本では格差が年々拡大し貧民層は年々増加。国自体が衰退していっているとも思える常態です。
中国が成長して日本が衰退するという状態が継続すると、近い将来、中国がアメリカの一番の得意先になる可能性も十分考えられます。

この様な常態になった場合、何が考えられるのか。
ネトウヨ・右翼と呼ばれる方は中韓が嫌いで、何かというと敵対視しますが、本当に中国と日本の仲が悪くなって敵対してしまった場合。
中国が、日本以上にアメリカに対して利益をもたらすことが出来るとなれば、アメリカが一方的に同盟を破棄して中国と仲良くするという可能性も出てきます。

『今までの関係が有るんだから、そんな事はない!』なんて方もいらっしゃるでしょう。
しかし、自分が薄情な事をしないからといって、相手も行わない確証なんて無いんです。

アメリカは世界の警察なんて表現をされたりしますが、彼らの行動を観てみると、一貫して自国の利益の事しか考えていません。
今回の大統領選でも、アメリカファーストを掲げるトランプ氏が次期大統領に内定してますよね。
環境問題にしても、話し合った結果、自国の利益にならないと判断して京都議定書からは脱退しています。
軍事行動でいえば、とりあえずイラクを叩きたいからと『イラク大量破壊兵器が有る』と難癖をつけて戦争を吹っかけましたよね。実際には大量破壊兵器なんてありませんでしたが。
そもそも論としてイラクアルカイダも、元々はアメリカが自国の立場を有利にする為に武器を渡して育ててきた組織だったりするわけですけどね。

昔っから、後先考えずに『今が良ければ良い』と現在の利益を最優先に動いているのがアメリカだったりします。
そんなアメリカ。中国の成長によって、日本と組むより中国と組む方が利益が大きい状態になったらどうなるのか。
過去の行動をみると、迷うこと無く、日本を捨てて中国と組むと考えるほうが自然です。

仮に、そんな常態で日本と中国との中が悪くなり、争いが起こったとしたら?
中国と組んだアメリカが日本を占領するのなんて、簡単ですよね。
何故かって、日本には既に大量の米軍基地が有り、武器も武装した軍人もいるわけですから。
こんな極端な事が起こらなかったとしても、アメリカは中国と日本を天秤にかける仕草を見せるだけで、日本に対して圧力をかける事が出来ます。
こうしてみると、米軍基地が有るから日本が守られているというよりも、米軍基地が有るから日本が色んな要求を突きつけられている。
経済的にも外交的にも、日本が自由に考えて行動を起こす為には、米軍基地が邪魔だとも考えられるわけです。

『米軍基地が撤退したとして、じゃぁ日本の守りはどうするのか』という話に関しては、個人的には日本が独自で防衛できる軍隊を持つ事も考える必要があると思います。
『日本が軍隊を持つと、戦争を行う!』って主張も有ると思います。しかし、米軍が駐在していてアメリカの主張が強い現在は、南スーダン自衛隊を送らなければならないような圧力をかけられるわけです。
このままなし崩し的にドンドンと憲法解釈を変えていき、派兵する実績を積み重ねていけば、いずれはアメリカが起こす戦争に追随せざるをえない状況に追いやられる可能性は十分に考えられます。

こうしてみてみると、沖縄の人を差別までして基地を受け入れさす必要が本当にあるのかどうかが疑問に思えてきます。
ネトウヨと呼ばれる方やテレビで右翼と言われているコメンテーターは、何故か中韓が嫌いなので、このような事を書くと左翼とレッテルを張られるのでしょうが、個人的にはアメリカと距離を取り、中韓を含む東・東南アジアと仲良くし連携を強めていく方が、日本にとってはプラスのような気がしてなりません。
というか、東アジアが仲が悪くて一番 得をするのって、存在感が増す立ち位置にいるアメリカなんですよね。

アメリカもトランプさんが次期大統領に内定し、米軍の費用を全額負担しないと撤退なんて言い出しているので、これを機に、米軍に撤退してもらうってのも一つの案だと思うんですけど、どうでしょうか。

同盟と軍隊と差別 1

今年に入ってから、沖縄のヘリパッドの話を聞くようになったなと思ったら、それからしばらくして、機動隊による『土人』発言。
その後、トランプ氏が次期大統領になると騒がれてから、米軍が沖縄から撤退か?なんて騒がれ、日本の基地問題にまたスポットライトが当たるようになってきましたね。

この問題は、政府を積極的に支持すると『右翼』というレッテルを貼られ、基地受け入れに消極的だと『左翼』といわれてバカにされたりする為、結構扱いづらい話題だったりしますが…
個人的に思うところも有るので、今日は思い切って、自分の思っていることを書いていこうと思います。

まず、反対している人を叩くという現象について。
米軍基地に関しては、日本の国防の問題が絡んでくるということも有ってか、国の方針に逆らう人間は反日と判を押され、叩かれる傾向に有ります。
反対派の人間に対して『嫌なら出て行け』だとか『自分のことしか考えていない』『反対してるのは本土からのプロ市民で、お金貰ってやっている』と、確かめたわけでもないのに叩きたい放題。
日本人特有の『空気を読む』という行動の悪いほうが全面に出て、『皆が叩いているんだから自分も叩いて大丈夫』と、特にこの件に関して詳しくもなく、真剣に考えた事もない人間が、ネットやテレビやラジオで過激なことを言う人の意見を鵜呑みにして、現地の人を叩いているという構図になっています。

しかし、よくよく冷静になって考えてみれば、軍事施設というのは国にはなくてはならない施設なのかもしれませんが、迷惑施設であることに変わりはありません。
その迷惑施設が自分たちの近所に来た場合、『嫌だ』と思うのは、沖縄の方に限らず普通の考えではないでしょうか。
これに対して『耐えろ!』と上から目線で主張し、反対する人間を反日勢力とひとまとめにしてしまうのは、乱暴な議論のように思えます。
しかし実際には叩かれ、差別的な発言まで行われていたりします。
では、本州で同じようなことが起こった場合、文句も言わずに受け入れるのでしょうか。
他人を蔑んで差別的な発言をするのであれば、少なくとも自分たちは、国や地域のことを考え、行政が進めることに関しては積極的に受け入れるという決意が必要だと思います。

では、軍事施設に限定すると例が出しにくいので、『迷惑施設』と呼ばれる他のケースについて、本州ではどの様な反応をしているのかを観てみましょう。

少し前のことですが、東京で保育園が新設されるという話が有りましたが、住民の反対によって、この話はなくなるという事がありました。
反対の理由としては、子供の声がうるさく、また、送り迎えで近所の通りが車で渋滞するというものでした。
国としては一億総活躍社会を目指していて、女性の社会進出を積極的に推し進めていく方針。
その一方で、少子化で悩む日本では子供を作る事も推奨されています。
この2つを両立しようと思えば保育園の新設は必要なのですが、近隣住民にとっては迷惑施設でしか無いため、反対ということです。

他の例を挙げてみましょう。
土人発言』をした機動隊員と、それを擁護した大阪を例に挙げてみましょう。
大阪に、元々は農業用水として使用するための溜池があるのですが、その地域では農業が衰退してしまい、溜池の管理も行われなくなってしまいました。
これを放っておくと、溜池が溢れて様々な問題が出る為、定期的に除草作業などをして川に流すための水路を確保しなければなりません。
しかし、この溜池は私有地にあり、国や市の管理下にはありません。当然、税金を投入して管理することは出来ません。
溜池を埋め立てるという手段も考えられますが、その溜池はダムのような役割も果たしていて、雨水などを一度溜池に貯めて、その後、徐々に川に流すというという事を想定して、周辺の河川の幅や堤防を設計していました。
その為、溜池を埋め立ててしまうと、雨が降った際に一度に川に雨水が流れ込む為、反乱の危険が出てきてしまう。

そこで解決策として、溜池の水面にソーラーパネルを浮かべ、そこで発電した電気を売ることで溜池の管理費用を捻出するという方法を考え出し、実践したようです。
しかし、この行為に近隣住民の怒りが爆発。太陽光パネルに光が反射して、家の中が眩しくなる可能性があるとして、クレームが相次いだようです。
『眩しくなる可能性』というのは、太陽光パネルが設置されている現在は、そのような被害は一切ないのですが、夏になって太陽の軌道が変わると、『もしかすると眩しくなるかもしれない』としてクレームを入れているんです。
正直な話、反射したとしても一時的なものだし、音が発生するわけでもないから、カーテンを閉めていればどうにでもなる問題のように思えるのですが、近隣住民からすると、怒らずにはいられない出来事のようです。

この2つに比べたら、沖縄の基地建設と、その後の時間を問わないヘリコプターを使った訓練のほうが遥かに日常生活を送る上で害が多く、そのヘリが操作ミスから墜落してしまったら、命の危険すら出てきます。
しかし本州に住む人間は、自分の住居の近所に保育園が建てられるのも、ソーラーパネルが設置されるのすら嫌だけど、沖縄の人に対しては、生活が困難なほどの騒音を受け入れろと強要するんですよね。
これらを客観的に観ると、迷惑施設というのは何処かにないと駄目だから候補地の人間は受け入れるべきだけど、自分の生活範囲内には作るなという自分勝手な考えにしか観えないのは、私だけでしょうか。

また、この自分勝手な意見を他人に押し付けて、それに反論する人間を皆で攻撃対象にするというのは、イジメの構図にも似ていますよね。

ネットなどで、沖縄を叩く空気だから、自分も叩く。
何なら、叩くことで賛同してくれたり賞賛してくれる人間がいたりすると、自分がヒーローにでもなったかのように錯覚してしまい、発言を更にエスカレートさせてしまう。
『国防のためには、そこに基地がないと駄目だろ!常識で考えてわからないのか?』『中国に攻め込まれるぞ?』『反対している奴らは反日で、中国が大好き。』
もっともらしい事を並べ立てて、現地の人を批判し罵倒し、これが日常化していくと、『あの人たちに対しては何をいっても良いんだ』と勘違いして更にエスカレートしてしまう。
構図的には子供のイジメと同じ構図なんですが、質が悪いのは、このイジメを行っているのが本来イジメを止めるべき大人だという点ですね。

『迷惑施設というのは何処かにないと駄目だけど、近所にあると迷惑』という認識があれば、候補地の方に対して高圧的に、上から目線で罵声を浴びせるなんて事は、心を持った大人には出来ないことだと思います。
どうしてもその土地でなければ駄目なのであれば、『申し訳ないけれども、受け入れてくれませんか』と下手に出てお願いするのが普通の対応ではないでしょうか。

しかし実際には、『受け入れたくない』と必死になって抗議している人に対して『土人』と発言し、発言した機動隊員を政治家が庇うという現状。
この状態が常態化していき、『沖縄の人たちには何をいっても良い』なんて事になっていくと、地域差別といわれても仕方ないように思えます。

ちなみにこの問題は、日本に米軍基地が有ることが日本の国益につながる事が前提になっている出来事なのですが、これも本当にそうなのか?と疑問符がついてしまう。

【続く】

日本に馴染まない資本主義 3

この投稿は前回・前々回からの続きとなっています。
まだお読みでない方は、まず、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com

前回までの話を簡単に振り返ると、日本が世界に誇る『もったいない精神』と『おもてなし文化』が、資本主義の観点から見ると成長を引っ張っていますよという話でした。
これらの文化がどの様に発生したかは分かりませんが、日本人は良くも悪くも、行動に関しては無料だと考えている人が多いからでしょう。
行動というのは自分で行えば無料ですからね。それを他人が行ったとしても、無料で当然と考えてしまうのでしょう。
しかし、この考え方自体が経済学の考え方からズレています。

経済学の世界では、自分で行った場合でもコストがかかると考えます。
例えば、ある用事を3時間かけて自分で行ったとします。この場合、必要となる道具などが必要なく経費が無い場合でも、人件費が発生すると考えるのが普通なんです。
『自分で行っているのに、何故、人件費がかかるの?』と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、経済学の考え方では、その3時間の間、自分がバイトや仕事に充てた場合、どれほど稼げるかを考えるわけです。
その人が本業で稼ぎ出す金が時給換算で2000円の場合、3時間で6千円かかってしまう。それをプロに委託した場合の値段が3000円なら、プロに委託して空いた時間で本業を行った方が良いという考え方ですね。
それぞれの人間が本業での技術や知識を高め、能力を特化させて仕事を行うことで、より効率的に共同体を運営することが出来るというわけです。

経済学は、人々の行動を金銭という数値に置き換えて、その数字をみて判断する。
数字に歪みが出れば、その歪みを修正するような理論を作り、それを政治などで実践していく。
サービスに対してお金を払うという海外の思考は、経済学のこの考え方に近い考え方と考えられるのかもしれません。

しかし日本の場合は、人が行う行動を金銭に変換するということを余り行わない。
というか、日本人の場合は行動は行動で返すものであって、金銭に変換するようなものではない。
金銭に換算しない為、行動の価格は0円となり、人に頼むなら自分がやればタダで出来るという考えになりがちです。

このことがよく分かるような例え話を株式関連の番組で聴いたので、紹介します。

ディーラーを生業としている高給取りのアメリカ人と日本人の男が、話をしながら歩いていました。
その男達の進行方向に目をやると、靴磨きの少年が客待ちの為に道端に座っていました。
少年を発見したアメリカ人は、早速、少年に靴磨きを頼み、その仕上がりに満足をしたのか、たっぷりとチップを渡しました。
そして日本人の男に向かって『お前も磨いてもらったら?』と声をかけてきました。
しかし日本人の男は『靴磨きぐらい自分でやるよ。勿体無いし。』と返答。

それを聴いたアメリカ人は『俺達のような高給取りは、人に仕事を頼んで報酬を渡す義務が有るんだ。金持ちがお金を溜め込んだら、一体誰が使うんだ?』

この例え話は、資本主義の構造を上手く表していますよね。
日本人からしてみれば、靴磨きなんて自分でやればタダなんだから、そんなことにお金を使うのは勿体無い。または、自分でできるような事を金を払って他人に任すのは、世間の目が気になると思ったのでしょう。
日本の場合は行動に対して金を渡すのも要求するのも、余り良しとされない。
なんなら、お金のことを口にだすのも毛嫌いされる。極端な表現でいえば、お金に汚れのようなイメージすら持っていたりする。
そんな共通認識が有ると、お金を渡すのも要求するのも後ろめたい感じになってしまう。
金持ちは、お金を持っていると変な目で観られる為、極力資産を隠して保管し、表面上は慎ましい生活を送っているように見せかける。

しかし西洋の考え方は、基本的にはお金は行動に対する評価なので、多くのお金を稼ぎ出す事は尊敬される。
一部のキリスト教の考え方では、天国に行けるものは生前から神に愛されているはずだから、この世でも恩恵を受けられるはず。
その物差しとなるのが、数値として分かりやすい金銭なので、お金持ちは徳が高く良い人で天国に行けるという信仰すら有るようです。
金持ちが良い人という認識が広がると、金持ちは良い人として振る舞おうとするので、慈善事業や寄付なども積極的に行う。
結果として金持ちの持つお金は再分配されることになる。

まとめると、日本人の行動は金銭へ換算されない。人から受けた恩や借りは行動で返そうとするので、経済の数字としては出てこない。
また、お金を持っていると色眼鏡で見られるため、資産は極力隠すために、再分配もされずに一箇所に集中しがち。

その一方でアメリカなどは、お金を持っていることは悪いことでも恥ずべき事でも無く誇らしいことなので、隠すことはない。
しかし、自分だけ大量に溜め込むことは良しとされない社会なので、圧力から寄付や慈善事業にお金が使われることになり、一定の再分配が行われる。

ここ最近の経済を見ていると、日本はバブル期以降、一貫して不況なのに対し、アメリカを始めとした欧州では景気が良くなる場面も有るのは、この文化の違いが有るのではないでしょうか。

勘違いしないで欲しいのは、私はこの投稿を通して『日本もアメリカのような文化に変わるべき!』と主張しているわけではありません。
日本は日本で良いところも有るし、そもそも、このような考えや行動が日本文化といっても良いので、これをすべて捨て去ってアメリカ文化になる必要もないと思います。
しかし、欧米の文化にカスタマイズされたような資本主義をそのまま受け入れようとすると、これはこれで無理が出てくると思うんですよね。

そもそも、お金に対する考え方が根本的に違うんだから、そのままの経済理論を輸入するのではなく、日本文化に合うようにローカライズしていく必要があると思います。
しかし日本の場合、何かというと、アメリカの経済学者の理論を持ち出したりするんですよね。
そろそろ日本は周りの目を気にせずに、自分なりの理論を考えて実践していくべきだと思うんですけどね。

日本に馴染まない資本主義 2

このブログは前回の投稿の続きとなっています。
まだ読まれていない方は、先ずはこちらからお読みください。
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前回は、『もったいない精神』と資本主義は合わないということについて書きました。
続く今回は、『おもてなし』と資本主義の関係について考えていきます。

お・も・て・な・し。 おもてなし』は、オリンピック誘致の際にもスピーチで使われましたし、単純に日本の誇るべき文化の一つとして捉えている方も少なくないと思います。
消費者をお客様と崇め奉り、丁寧に接客してくれる様子は、消費者としてサービスを使う場合には非常に気持ちのよいものでしょう。
私の場合などは、基本的に気が弱くて気を使いがちな性格の為、店員が余りにも低姿勢過ぎると逆に気を使ってしまうなんて事も有りますが、高圧的な態度よりかは随分マシで、大抵の場合は気を悪くする事もなくサービスを受けれる場合が多い。
こういった意味では、『おもてなし』文化の良い点を享受しているともいえます。

この『おもてなし』文化ですが、店側がサービスの一環として主体的に行っているのであれば、これはこれで非常に良いことだと思います。
しかし実際には、客側の意向。クレーム対応の一環として行われています。
というのも日本には、三波春夫が発言した『お客様は神様です』という言葉を自分の都合よく解釈し、『神様が店に足を運んでやってるんだから、しっかりとサービスせい!』と言わんばかりに、横柄な態度を取る人間が結構な割合で存在します。
そんな人間に対応する為に発達したのが、現在のサービス業の形態でしょう。
www.minamiharuo.jp

クレームというのは、対応するだけで人が取られる為、長期化するとそれだけで経費がかさんでしまいます。
このクレームも、サービス側に問題が有り、それをやんわりと指摘する形で行われる程度であれば、店側も意見を取り入れる事で集客力を上げることが出来るかもしれませんし、有益なことでしょう。
しかし、言いがかりや逆恨み、自分の勘違いで大きな声を出し、途中で自分が悪いと気がついたけど引っ込みがつかなくなってゴネるのは、店にとって害悪でしかありません。
このような人たちは客ではないので、早々にお引き取り頂き、二度とサービスを利用していただくことがないように出禁にした方が良いわけです。
外資Amazonなどは、問題行為を頻発する人間のアカウントを凍結し、取引できないようにすることで業務を円滑に進むようにしているようです。
しかし日本は、この人達に頭を下げて丁重にもてなすんですよね。
その結果、生み出されたのが日本の『おもてなし』と考えられます。

ここまでの話を読んで、『クレーマーの対処として経費がかかるんなら、さっきのゴミを散らかしたまま帰る人達と同じで、雇用を創造してるから良いんじゃないの?』
と思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、実はそうではないんです。

クレーマー対応で、全てのサービス業の接客対応が向上して均一化したとしましょう。
そうなると、サービスによる差別化が難しくなるため、価格は商品の品質とボリューム・価格のみで比べられることになります。
商品の品質を見極めるのは知識や審美眼などが必要となる為、結構ハードルが高い。
となると、多くの人は量と価格のみで判断していくことになります。
つまり、より多くて安いものが良いものとなるわけです。これは正に、デフレ的な考え方ですよね。

例えば、飲食店で客単価2000円の店でも5000円の店でも、全く同じサービスが受けられるのであれば、客単価が高い方の店側は、提供する料理の質を上げるか量を増やすことで差別化するしかありません。
しかし、倍の量を提供しても食べきれない事が多い為、無駄になる。そうなると、質の方を上げてバランスを取る必要があるのですが、高品質なものを理解する為には、客側に質の違いを理解する力量がないと駄目です。
この力量がない場合、価格と量で判断せざるを得ない為、2000円の店の方がコスパが良いと判断されてしまいます。
そして、客単価2000円の店は1000円の店と比べられ、1000円の店は500円の店と比べてコスパが悪いといわれる。

その一方で、これらの飲食店で働く人の待遇はどうなるでしょうか。
飲食店で使用する食材の価格は、とてつもない差があるわけではありません。当然、客単価が下がれば下がる程、原価率は上昇してしまいます。
単価が低いという事は大人数を相手に仕事をしないと売上が上がりませんが、原価率が高いと、そもそも利益が出にくいわけですから、支払える賃金の上限も自ずと決まってきます。
そうすると、忙しいけど給料は低いという状態に追い込まれてしまいます。
こんな状態なのにもかかわらず、接客態度は完璧なものを求められます。なんといっても、相手をするお客様は神様なんですから。
結果として、業界はブラック化していきます。

では、日本以外ではどうなのか。
アメリカなどに目を向けると、チップ文化なんてものがあります。
チップとは、レストランで食事を運んできてくれたり、タクシーで居心地の良い空間を提供してくれた事に対して『ありがとう』という意味を込めて、お金を渡す習慣です。
何故、商品代金と別で、サービス料金までは渡す必要が有るのでしょうか。
これは簡単な話で、商品価格とは商品を手に入れる為の価格だからです。レストランで言うなら、料理の食材料と調理料が代金であって、それを自分のテーブルまで運ぶ料金は含まれてないんです。
タクシーの場合は、客を目的地まで運ぶ料金と、目的地まで話し相手になってくれるサービスの料金が分けられているということです。

人に何かを頼む際には、サービス料金としてチップを払う。本来自分が行うことを他人に頼むわけですから、その手間賃を払うというのは納得できますよね。
この考え方の場合は、客がサービスが悪いと感じればチップを減らせばよいし、満足できるサービスを受けたと思えばチップをはずめば良いわけで、収入を増やしたい人は自発的にサービスを強化するし、やる気のない人は収入が低くなって辞める確率が高くなるので、自然淘汰される。
チップを払ったり受け取る度に、サービスには金がかかることが実感できるし、チップの支払いのない売店で店員の態度が悪かったとしても当前ということになります。
チップのレートが安い店で接客を受けて気に入らなければ、よりサービスの良い店に行こうという動機付けになりますし、資本主義的とは相性の良い考え方ともいえます。

逆に日本では、神様であるお客様に出来る限りのサービスを無料で提供するのは当然だという考えが浸透しているせいか、客ですらない人間が横柄な態度を取り始めています。
私自身は製造業で、知り合いにも製造業の人間が多いので話を聞く機会も多いのですが、見積もり無料は当然で、試作品の制作費まで無料で済ませようとする輩が多いこと…
金を払った客ならまだしも、『客になる可能性』をチラつかせて一銭も支払ってない人間は客ですら無いわけですが、それでも神様気取りだったりします。

この空気感が普通となっている日本のような構造では、お金が支払われる機会そのものが少なくなる為、資本主義との相性は悪いと言わざるをえないでしょう。
【続く】
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日本に馴染まない資本主義 1

最近、『日本的な考えは、資本主義と相性が悪いんじゃないか。』と思うことが結構有ります。
今回は、なぜそう思うのかについて、掘り下げて考えていきます。

日本が世界に誇る考え方って、どのようなものが有るのかなと考えてみると
・もったいない精神
・おもてなし
この2つが思い当たります。

『もったいない精神』は物を大切にしようという考え方で、大量消費社会に対するアンチテーゼ。
地球に有る資源が有限である以上、考え無くてはならない素晴らしい考えです。
『おもてなし』も、私達消費者からすると、低コストでハイレベルな待遇が受けられる為、客としては有り難い考え方でしょう。

しかしこの2つの考え方は、『資本主義』とは根本的に相容れなかったりします。
(誤解のない様に最初に書いておきますが、今回の投稿はこの2つの考えを否定するものではなく、資本主義とは合わないという話です)

一つ一つ、順番に観ていきましょう。

『もったいない精神』は、一つのものを大切にし、使えるものは長く使おうという精神です。
一つのものを買い換えずに長く使う為、消費者の財布にも優しいですし、丹精込めたものを大切に使ってもらえる為、生産者にとっても良いことのように思えます。
生産者にとっても消費者にとっても良い。一見すると素晴らしいものの様に思えますが、本当にそうなのでしょうか。

先日、関西地区で放送されている『ちちんぷいぷい』で、トランプ大統領が登場するせいか、アメリカの生活事情についての特集が行われていました。
そこで、モミの木を生産している農家の方が、木を出荷する為に10年の時間をかけて丹精込めて育てているというVTRが流れました。
この話を受けてパネラーの女性の方が、こんなことを仰っていました。

『私は前にニューヨークに住んでいたことが有りますが、クリスマス時期になると皆、モミの木を購入するんです。
そして、クリスマスが終わると同時に、全ての人が廃棄するんです。
私も現地に住んでいた時には、この行為は当然だと思って真似してましたが、木の生産にこんなに手間ひまかけてたんですね!
当時の自分が恥ずかしい…』
一度聴いただけなので、一言一句間違わずに引用という訳にはいきませんが、このような発言を目を潤ませて行われました。

この考え方は、『もったいない精神』に照らし合わせれば当然の事でしょうし、これを読まれている方の中にも、受け入れられる方が多いのではないでしょうか。
しかし、冷静になってこのケースを考えてみましょう。
このVTRを観て、生産している人の労力を知った結果、物を大切に使おうとモミの木を捨てずに置いておいておき、次のクリスマスシーズンまで水をやって大切に育てて再利用したとします。
結果、この行動によって翌年移行はモミの木を買わなくても良くなりますし、ゴミとして廃棄されるはずのものが捨てられないので、ゴミも減る。
生産者も、自分が育てたモミの木が大切に使われることで、心が温まる。

まさに、win winの関係で、素晴らしい!

しかし実際に起こることは、モミの木の生産者の売上が1本減るという現象です。
もし仮に、全てのモミの木の購入者が廃棄せずに、よく年以降は自分たちで育てるという決断をした場合、モミの木生産者は廃業に追い込まれます。
そうなんです。モミの木の生産者にとっては、翌年も同じ売上を維持するためには、モミの木はクリスマスシーズンが過ぎたら捨てて貰わなければ困るんです。
更にいえば、クリスマス後に大量廃棄されるモミの木を収集するゴミ処理も必要がなくなる為、ゴミ処理業者がクリスマスシーズンだけ臨時バイトを雇ってた場合は、この職もなくなります。

ちなみにですが、私自身が本業が製造業で捨てられることが前提となる製品を生産しているため、業者の気持は良くわかります。
私の場合は小さな工場での製造業で、売上が直接収入と関わってきます。そんな立場の私から言わせてもらえれば、使い終わったものは捨てて貰わないと困ります。

この様な観点から観ると、『もったいない精神』は資本主義と非常に相性が悪いんです。
発展形としては、別のケースも考えられます。
どの大会だったかは忘れましたが、世界的なスポーツ大会が開催された際、日本の観覧席は日本人が自分で出したゴミを持ち帰り、他の国の観覧席はゴミが散乱していたというとこが有りました。
このニュースを受け、多くの人達が『さすが!日本人!』と、胸を張ったと思います。
その一方で、空港などで製品の外装を破ってその辺りに捨てる中国人に対して見下し『民度が知れるw』なんて事を発言したりします。

しかし、資本主義経済の観点から見てみるとどうでしょうか。
スタジアムというのは、汚れることが前提で清掃員を雇っています。
もし、スタジアムに訪れる客全員が、極力、施設を汚さず『立つ鳥跡を濁さず』の精神で掃除して帰ったとしたらどうでしょう。
清掃員は仕事がなくなり、全てではないにしろ、結構な割合の人間が解雇されることになります。
逆に、空港を汚す中国人の行動は、清掃員の数を増やすことに繋がり、仕事を創造しているともいえます。
資本主義的ににいえば、どちらが良いかといえば後者ということになります。

自分で出来る範囲の事は自分でやるというのが日本の美徳なんでしょうが、結果として起こっている現象を見ると、人の職を奪う事につながっていたりします。

【続く】
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日本はなぜ衰退しているのか

先日、『国家はなぜ衰退するのか』という本を読み、このブログでも紹介させて頂きました。
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今回は、この本にかかれていた内容を踏まえて、何故、現在の日本が成長しないのかについて、私なりに考えて書いていきます。



この本によると、国家が衰退する理由は『収奪的システム』だそうです。
簡単に説明すると、昔のように王様が国を治めていた時には、国のものは王の物。
その下にぶら下がる貴族は、領地で生産されたものを搾取し、搾取側は裕福な暮らしをする一方で、庶民は苦しい生活を強いられていました。
つまり、王を頂点としたピラミッド構造が作られ、下から上に搾取される形になっていたわけです。

貧民層からしてみると、自分たちがどれだけ労働したとしても成果物は全て領主に取り上げられる為、頑張っても頑張らなくても結果は同じことになります。
結果が同じであれば、労働時間を増やしたり投資をして生産性を上げるなんて事をしても、自身の生活には何の影響もないので行う意味がない。
このような制度ではモチベーションも上がらず、全体としての生産性は上昇しないし、技術も発展しない。

つまり国家は衰退していく。

その一方で、労働者階級には不満が溜まっていくため、それが爆発すると一揆や革命などが起こってしまう。
衰退した国家にはそれらの暴動を止める力もないので、古いシステムは倒され、新たなシステムが生まれていく。
歴史を見てみると基本的にはこの流れの繰り返しで、一極集中していた権力を、より分散するシステムを作れた地域が発展してきました。

日本の場合を観てみると、この流れが起こったのは敗戦でしょう。
長く続いた、将軍が天下統一して政治を行うという封建制度は、明治になって中央集権に変わったのでしょうが、そもそも市民革命では無い為に貧富の差等も継続して続いていました。
しかし敗戦後、財閥解体や農地改革によって富の再分配が一気に進みました。
資本主義において富とは権力と類似した効果を持つため、これが再分配されるということは、権力の再分配と似たような効果を発揮したと考えて良いでしょう。

その結果として起こったのが、戦後復興からの高度経済成長時代。

財閥などが解体されて権力や富の集中がなくなった事に加え、敗戦によって多くの土地が被害を受けて復興需要が盛り上がった事もあり、やらなければならない仕事が山のようにあった。
仕事をやる気さえ有れば職につけて、お金を得ることが出来た時代。
このような環境では、人々のモチベーションは常に高く、また需要不足である為、生産性を上げる為の投資なども積極的に行われました。
正に、資本主義の黄金期と言っても良い状態だったのではないかと思います。

では、現状はどうなっているのか。
バブル絶頂期のGDPは400兆程度で、今現在の日本のGDPは500兆と100兆円も増加。
上場企業の業績も、過去最高益を出す企業が少なくなく、企業が保有する資産もドンドン増加。
一方で、年収200万円程度のワーキングプアー層や正社員になれない派遣が増え、格差が広がっている状態。

この状態は、簡単に言えば富の一極集中が起こっているわけで、システムとしては『収奪的システム』に逆戻りしてしまっているという事でしょう。

実際にテレビで経済番組などを観ると、トヨタ式の改善策が偉業のように褒め称えられているのをよく観ます。
しかし、実際に行われていることは経費の節約。
『経費』とは、別の味方をすれば誰かの『利益』。従業員給与は従業員の利益ですが、会社から見れば経費。仕入れ価格は経費ですが、納入業者からすれば利益につながる。
それを削減して自分の儲けにしているわけですから、二極化して当然ともいえます。

この流れを具体的に説明すると、『改善』を行って仕入れ業者から部品を安く買い叩くとします。
今まで購入していた価格よりも安く購入できるわけですから、当然、『改善』を行った企業は経費削減効果によって利益が得られます。
一方で、安く買い叩かれた側は、本来なら得られるはずだった利益が得られなくなるわけですから、業績は悪化します。

『無理な値下げ要求には応えなければ良い。』という反論も有るでしょう。
しかし、現状は供給過多の世の中ですので、要求を断ることで得意先が無くなってしまえば、事業自体が廃業してしまう可能性も大いに有ります。
人間は、余裕のある時は冷静な判断が出来ますが、後がない状態で圧力がかけられれば、無理な条件でも受け入れてしまうものです。
『じゃぁ、廃業すれば良いじゃないか。』と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、日本のように労働市場流動性がない状態だと、転職するのも難しい。
そもそも供給過多が原因なので、同業他社で雇って貰える確率が低い上、全く新しい分野だと一定年齢以上は募集すらされていない状態。
正に崖っぷちの状態で圧力をかけられるわけで、崖から飛び降りる決断を出来る人間は少ないでしょう。
これに加え、事業で借金があると更に余裕はなくなります。日本の銀行は事業にお金を貸すのではなく、個人にお金を貸します。
中小企業の借金の大半は、社長に連帯保証人の判子を押させる為、事業が破綻すると自分の人生の破綻に繋がります。
結果として、選択肢は有るが一択の状態で値下げを受け入れることになり、利益は大企業に搾取されることになります。

では、大企業に務める従業員は安泰なのかといえば、そうでもない。従業員給与も会社から見れば経費なので、削減対象になります。
業務を細分化・マニュアル化して、少数の社員に多数のバイトや派遣を管理させて回転させるなんて事は、今も進んでいますし、これからも進んでいくことでしょう。
純化してマニュアルが用意された仕事は簡単に替えを用意できる為、企業は個人の能力に固執しません。重要なのは、低賃金で雇えるのかというだけ。
その結果として増えているのが、ワープア層。

そして貯め込まれた利益はどうなるのかというと、会社の資産として積み上がり、その一部が配当金として資本家に支払われる。
つまり現在の日本は、資本家が搾取する『収奪的システム』が完成している状態ともいえます。
当然ですが、生きるのに最低限のものだけ残され、利益は全て搾取される状態では、労働者のモチベーションも上昇しません。
この結果起こっているのが、今の『衰退』の状態なのかもしれません。

こう考えると、今の日本に必要なのは一極に集中している資本を、再分配させることになるわけですが…
そもそも市民革命を起こしたこともなく、デモ行進自体がダサいと笑われる日本で、こんな事が可能なのかというと…難しいのかもしれませんね。

【本の紹介】 国家はなぜ衰退するのか 権力・反映・貧困の起源 上

今回紹介する本はこちら『国家はなぜ衰退するのか 上』
上下巻の上巻の紹介です。(下巻はまだ読んでないため)




世界の歴史を紐解いてみると、国家という共同体はそこかしこで生まれ、そして衰退して滅亡しています。
この書では、なぜこの様な現象が起こっているのかについて解説されています。

まず最初に、先進国と発展途上国がなぜ生まれているのかについて焦点が当てられます。
この問題についてよく考えたことがない私の様な人間は、『後進国の人たちはやる気がなかっただけでしょ。』なんて短絡的なことを考えてしまったりします。
私の他にもこの様に短絡的に考える人は多いようで、本書では後進国が何故、発展できなかったのかについての世間一般で囁かれている説が紹介されます。

一つは国民性。
国民自体にやる気がなく、現状で満足しているため、文明の進化が起こらなかったという説。
他に有名な説は、地理的な問題。
発展している国の多くは、交易の中心となったり交易しやすい、農作物が取れやすい等の地理的に恵まれていて、発展していない地域は恵まれていなかったという説。
その他の説としては、無知説。
様々な問題を解決する手段や商品が既にあるのに、後進国の指導者が無知な為、それらを導入しないからという説。

どれも、パッと思いつく上にそれなりの説得力がありそうな説ですが、実際のところはどうなのか。この本では一つ一つ焦点を当てて考えてきます。
その結果、これらの説は全て間違いである事が分かってきます。

では最大の問題は何なのか。結論を書くと、国が採用している『システム』という事になります。
地域に住む住人が、やる気を起こさないような収奪的システムが構築されると、国民性・地理・知識に関わらず、国民はやる気を無くして生産性は著しく落ち込みます。
国としては、生産性を上昇させて経済力を高めれば、国民の生活も楽になりますし国としての発言力も増えます。
にも関わらず、収奪的システムによって財産やモチベーションを搾取するのは何故なのかというと、『破壊的イノベーションに対する恐怖』
大きな変革が起こることによって権力者が力を奪われることに恐怖し、その結果、文明の進化そのものを阻止する為に全力を尽くしてしまう。
結果として新たな技術が導入されず、国としては後進国のままになってしまうということ。

もう少し具体的に書くと、アフリカで鋤(すき)等の農具を使わずに農作業を行っている国が現在も有ります。
その国に住む人達は、無知である為に農業の生産性を上昇させる鋤などの農具の存在を知らないから導入していないわけではありません。
また、遺伝子レベルで怠け者であるため、頑張らないというわけでもありません。
国が採用しているシステムが収奪的で、農家の人は生きていくために最低限の食物だけを残し、残りの全ての収穫物は国によって没収されてしまうからです。
このようなシステムの下では、農機具に投資して生産性を上昇させたとしても、その収穫物は最終的に搾取されてしまいます。
一生懸命働いても働かなくても、最終的に手にできるのは生きていくために必要な最低限の食料だけなので、新たな技術の導入などの投資を行うインセンティブが働かないからです。

では地域差はどうなのかというと、これも過去の歴史を振り返ってみると分かるのですが、関係ありません。
先進国と呼ばれるまで成長できた場所が地理的に良かったのであれば、その地域は昔から発展しているはずですし、後進国と呼ばれるところは昔から遅れているはずです。
しかし実際に文明が起こった場所を観てみると、エジプトやインド。北米に比べて劣っているとされる南米も、マチュピチュなどの古代遺跡などからも分かる通り、昔は技術レベルもすごく繁栄していました。
昔は進んでいたのに、何故、追い抜かれて差がつけられてしまったのかというと、これも理由はシステムだったりします。

では、なぜ指導者は、より発展するようなシステムを採用することができなかったのでしょうか。
それは、自分の権力を維持し続けたいからです。
国がより発展するためには収奪的制度を止め、働いたら働いた分、国民に還元される世の中にならなくてはなりません。
この行為は、絶対的な権力者から一般人への一部権力の移譲を意味します。
というのも、このような社会にしてしまうと、富を蓄えて力を持つ人達が出現し、その人達が権力を持つことになるからです。

このような新たな権力者は、既存の支配層の敵に成る可能性も大いにあります。
新たな権力者に討たれる可能性の芽を摘むためにも、権力は極力、自身に集中させておきたいというのが、絶対主義者である王のコンセンサスです。
また、貧しさに耐えかねて市民が一揆を起こす可能性も有ります。
そんな市民から、一揆を起こす元気も気力も根こそぎ奪う、仮に反乱を起こしたとしても、軍によって簡単に制圧できるような状態を保つためにも、生きていくために最低限の食事以外は全て搾取するという収奪的制度を継続するわけです。

ただ、こんな制度を続けたとしても、国家を維持し続けることは出来ません。
収奪的制度では、国民のやる気も搾取してしまうため、全く発展する事が出来ず、最終的には衰退の道を辿ります。
国家はいずれ自滅するか、他の体力のある国に制圧されて滅亡していくというわけです。

今回は、私が理解できた範囲での作者の主張の部分をメインに、各項目をザッと書いてみましたが、実際の本では、世界史で実際に起こった出来事を引用する形で、300ページ近くにわたって丁寧に解説されています。
また、最初の部分の『先進国と後進国が生まれたのか』についても、今回は3つ程の説を取り上げて簡単に説明しましたが、この本ではもっと多くの説を取り上げ、一つ一つ丁寧にデータを元に反論を行っています。
世界史の知識が必須なため、正直、私は読むのに結構苦労し、本に書かれている事を本当の意味で理解できているかも疑問ですので、この投稿を読んで興味を持たれた方は、是非、本を手にとって読まれてみては如何でしょうか。