だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

可処分時間と若者の◯◯離れ

最近生活していて、ふと思うことが有ります。それは、時間つぶしににお金がかからない事です。
テレビに出ている学者さん達は、様々な小難しい理由を挙げて『若者の○◯離れ』やデフレについて解説してますが…
実は理由はもっと単純で、暇つぶしや情報収集にお金がかからなくなった事と、可処分時間が減少したことではないかと思います。

ここ最近、私はネット系のサービス積極的に使っているのですが、生活水準を落とさずに…というかむしろ、昔よりも多くのサービスを利用しているにも関わらず、お金が殆どかかっていません。
これは、私が不正行為に手を染めているとかそんなことではなく、正規のサービスを利用しているにも関わらず、お金が殆どかかってないんです。
具体例を挙げると、雑誌・マンガ・ゲーム・本・音楽・映画などについては、お金が全くかからないか少ない料金で楽しめているんです。

例えば雑誌。
少し前に雑誌読み放題サービスについてブログに投稿しましたが、私が利用しているdマガジンというサービスを利用すると、月額432円で雑誌が読み放題となっています。
このサービスを利用する以前は、雑誌は1冊500円前後のファミ通を偶に買うぐらいだったのですが、これに加入してからは160誌程の雑誌が読み放題となった為、普段は目を通さない様な雑誌も、暇つぶしで読むようになりました。

次にマンガですが、私は所有しているタブレットに2つのアプリをインストールしました。『ジャンプ+』と『マンガワン』です。
『ジャンプ+』はウェブ雑誌で、毎週のようにマンガが自動更新されて、原稿が貯まればコミックが生み出されるというスタイルです。
基本的には最初の1話と最新回とその前話ぐらいが無料で読める状態で、タイトルによってはそれ以前の話も無料で読める仕様になっています。
つまり家にWifiさえ有れば、インストールするだけで雑誌を本屋に買いに行くこと無く自動更新で楽しめるということです。
この様なウェブ雑誌は『ジャンプ+』だけでなく、各社から結構出ていますし、AmazonKindleアプリを入れるだけで自動でついてきたりもします。
今までの常識では、雑誌は毎週本屋に買いに行くものでしたが、現在はタブレットwifi環境さえ有れば家から出ること無く、複数の雑誌を読むことが可能になっています。

先ほど挙げたもう一つのアプリ『マンガワン』は、基本無料で読めるマンガアプリです。
こちらは雑誌ではなく、コミックのようにタイトル毎にまとめられていて、最初から最新話まで全話を通して読むことが可能です。
このアプリの場合は、9時と21時に無料時間が10分ずつ補充され、一日20分に限って無料で漫画を読むことが出来ます。これは累積しない為、12時間以内に使い切る必要が有りますけどね。
また、企画として『おみくじ』なども有り、累積出来る時間が抽選であたります。
私の場合は3分しか当たったことが有りませんが、毎日の様に引くことで無料時間を貯めることが可能になっています。
こういうサービスだと、『昔のタイトルばかりなんでしょ?』と思われる方も少なくないかもしれませんが、実際には現在連載中の新しいタイトルも読むことが出来ます。
私はこのサービスを利用して『モブサイコ100』を全話読みましたし、現在は『闇金ウシジマくん』を読んでいる最中です。
これらのマンガサービスについては、月額料金すら掛からずに無料で楽しむことが出来ます。

次にゲーム。
無料のゲームといえば、スマホアプリの基本無料のゲームを思い浮かべる方も多いと思います。確かに、これらのゲームもやり方次第で無料で長時間楽しめるゲームなのですが、私が凄いと思うのは、据え置き型ゲームのサービスです。
私は据え置き型ゲーム機PlayStationを所有していて、この運営が展開しているPS plusにも加入しています。
このサービスは、期間を選んでお金を支払うことで加入出来るサービスで、私は12 ヶ月利用権 / 4,762 円 +税を購入して利用しています。
加入すると、セーブデータをクラウドで管理出来るなどの細かいサービスもあるのですが、一番凄いと思われるサービスが『フリープレイ』です。
『フリープレイ』は毎月のようにタイトルが更新され、対象となったゲームを無料でDownloadして楽しむことが出来るサービスです。
一応、念のために書いておきますが、試遊版とかそんなものではなく、フルで遊べる現在販売中のタイトルをそのままダウンロード出来ます。
ちなみに私は今月だけで『よるのないくに』『Gravity Daze』『BLAZBLUE CHRONOPHANTASMA EXTEND』『風ノ旅ビト』の4タイトルをダウンロードしましたが、これを実際に購入すると18,000円相当の金額になりますが、それが無料。
そして翌月になれば、また別のタイトルがフリープレイに並びます。
しかも、一度ダウンロードさえしてしまえば、期間に関係なく遊ぶことが可能です。
このサービスを利用すれば、極端な話ソフトは購入せずにPS4のみを購入し、PS+に加入すればゲームし放題ということも可能です。

映画やドラマなどの映像コンテンツについては、テレビで宣伝されているのでご存知の方も多いとは思いますが、動画見放題サービスに加入すれば定額で見放題となります。
私は趣味でネットラジオを頻繁に聴きますが、その中で昔の映像作品が話題に上がることがあるのですが、それらの作品を気軽に見ることが出来る為、結構、重宝していますね。
その他にも、映画館で昔の作品のリメイクや続編が公開されるときなどは、気軽に旧作品を見直すなんてことも出来ますし、オリジナル作品も充実しているため、費用対効果はかなり高いサービスの一つです。

その他の音楽や本については、Amazonプライムに加入していればAmazonミュージックで100万曲聴き放題だったり、Kindleを所有していると、特定の本が毎月1冊無料で読めたりします。
また、Kindle本はセールなどで投げ売りされることが有り、100円台やそれ以下での購入ができたりします。

今回、様々なサービスを紹介してきましたが、これらのサービス(dマガジン・PS plus・NetflixAmazonプライム)に全て加入したとしても、月に2,000円程度しか掛からないんですよ。
しかしその一方で、足りなくなってくるのが時間です。
人間は、普通に生活しているだけで時間を消費していきます。睡眠や食事は勿論ですが、社会人であれば働かなければなりませんし、学生なら勉強をしなくてはいけない。
どんなに金持ちであっても1日は24時間しか無いわけですから、それらの絶対に必要な時間を24時間から差し引くと、残る時間は限られてくるわけです。
これを、可処分時間と呼んだりもしますが、基本的にサービス業というのは、この可処分時間の奪い合いが仕事だったりします。
しかし、先程紹介した様々なサービスによって、その可処分時間は更に圧迫されています。

サービス業はこの残された時間を奪い合うわけですが、奪われる側の大衆は比較対象が多い為、当然コストの相対評価を行います。
今回、紹介したサービスは全て契約しても月に2,000円程度ですが、同程度のお金を他で使うとなると、映画館は1回しかいけませんし、呑みに行くのも1回ぐらいが限度。
車なんて、一回のローン支払いや1ヶ月の駐車料金だけで、今回挙げたサービスが半年~1年も利用できる大金。
月に2000円で出来ることの質が大幅に上昇したわけですが、既存の商品は特に魅力的が増したわけではない。
こうなると、多くの人たちは『この商品やサービスって、こんな金を払ってまで買う価値あるの?』と思うのは当然のことで、特に異常な事が起こっているわけでは無いんですよね。

こう考えると、今の状態を解消するためには、労働環境の改善を行い、可処分時間をいかに伸ばすかということが重要になってくると思われます。
ですが実際の社会では、企業はより製品を売るために過酷なノルマやサービス残業を課すことで、更に可処分時間を減らす方向に進んでいるんですよね。
結果として消耗戦に突入してしまっているわけですが、こんな状態では、近いうちにシステムに不具合が生じるような気がします。

生産性の向上と景気の関係

長い間、日本…というか先進国の多くは、デフレに突入して経済成長しない状態が続いていますね。
それを解消するために、日銀や政府は金融政策を練ったり公共事業で無理やり需要を刺激してみたりと大忙し。
そのわりには、全くといって良い程その効果は薄く、デフレが解消する気配すら感じられません。

これは何故なか。
大半の人は、理由を既に御存知だとは思います。
答えは簡単で、供給過多だからですね。
多くの経済学者は『経済成長の為に生産性の向上を!』なんて主張していますが、その生産性が向上しすぎた状態が今の先進国といえるでしょう。

では何故、、相も変わらずニュースなどでは生産性の向上を求め声が多いのか。
これは、経済学者が経済学で導き出された公式に、世の中をそのまま当てはめているからでしょう。
世の中の状態は変わらない事を前提とし、実際には前提条件が変わっているにも関わらず昔に作り上げられた公式をそのまま当てはめているので、間違ってしまっているのです。

生産性の向上が経済成長につながる。
これは、発展途上国でしか通用しない常識なんですよね。
それを先進国で無理やり適応しようとすると、何かと不都合が出てきてしまう。
これが、今現在、先進国が置かれている状態です。

経済の前提条件は、発展途上と先進国で分けて考えなければ、駄目なんです。
にも関わらず、『生産性の向上を!』と主張しているのは、学者が外に出ずにいることで現在の状況を理解していないからか、今のシステムを維持するために詭弁と分かりながら主張しているかのどちらかなのでしょうね。

では具体的に、途上国と先進国ではどの様に経済状態が違うのかを考えていきましょう。

まず、発展途上国の場合。
道路・電気・ガス・水道といったインフラ整備が全く出来ていない国を例に考えていきましょう。
この様な国の場合、政府が公共事業でインフラ整備を行うことで、経済は爆発的に成長します。
道路ができれば、その道路を使って運送などの経済活動が行われますし、これで賃金が得られるのであれば、バイクや車を購入して運送業に新規参入しようという人達も増える。
発電所が出来れば、電気が安定的に届く範囲には工場などが建てられますし、雇用が生まれます。

何もなかったところにインフラが整備される事で仕事が生まれ、人々が賃金を手にすることで、新たな需要が生まれる。
経済が発展する初期段階の時は、大抵は労働力としての人も販売する商品も足りない状態。
つまりは供給不足の為、物価や賃金が非常に上昇しやすい状態になります。
これを放置すると経済が壊れてしまう可能性が出てきます。
ここで必要なのが、生産性の向上です。生産性が向上することで、企業は同じ人員でより多くのものを生産することが出来るようになりますし、経営的にも安定します。
企業の業績が安定すれば、雇われている従業員の暮らしも安定しますから、消費拡大にもプラスに働くでしょう。
また、基本的に供給不足の社会なので、熟練した社員が他社に引き抜かれてしまうことは企業のダメージになってしまいますから、会社は社員の囲い込みのためにも雇用条件の改善に努めます。
この様に、『何も無いところ』を新規で開発する場合は、公共事業としてのインフラ整備も企業の生産性の向上も、経済にとってはプラスの影響がでます。

しかし、これが先進国の場合ではどうでしょう。

インフラ整備は既に終わっているるので、国がかけるインフラ整備費用の大半は、修繕費となります。
既にあるインフラを修理する場合は、それにともなって経済活動が活発になるわけではありません。
なんなら、道路補修の為の交通規制等で経済にとってマイナスになる場合も有ります。
他のインフラについても同じで、既にインフラが終わっているものを修繕した所で、経済上昇の起爆剤にはなりません。
しかし、修理して無限に使えるわけでもなく放っておくことも出来ない為、定期的な修理は必要になってくる。。
『日本に借金はない!こんなにも資産があるでしょう?』なんてトンデモ理論を主張している経済学者も結構見かけますが、定期的に修繕が必要なうえ売却が出来ないので、むしろ負債と言えなくもない。

では生産性の方だどうなのか。
この供給過剰状態で、企業が生産性を高めればどうなるでしょうか。ある企業が自動生産設備の導入によって生産効率が100倍になったとします。しかし、供給過剰で需要不足の社会では、100倍の商品を生産しても売れません。
生産効率が100倍になっのに販売量が変わらないとなると、社員の数を100分の1にしないと計算が合いません。結果として会社は、大量のリストラを行うことになります。
では、生き残った社員は給料が100倍になるのかと言えばそんなことはありません。利益は経営陣が取り、後は会社が溜め込んで終了です。
サービス業になると、更に倍率は変わってくるでしょう。今までは不動産を買うなり借りるなりして実店舗で販売していたような会社がネット販売に置き換わったとしたら…
効率化は100倍程度ではすまないでしょう。Amazonに潰された本屋などが良い例ですよね。では、Amazon社員は本屋に勤めている人よりも多額の金をもらっているのかといえば、そうではありませんよね
経営陣は別として、倉庫で働いている人達は低賃金で働いています。

これは、生産効率が上昇すればする程、解雇される人が増えることを意味します。労働市場に大量に人だけが供給されると、当然ながら賃金相場は下落します。
こんな状態で得をするのは、またもや企業です。労働市場には人が溢れているわけですから、今まで以上に悪い労働環境でも人は集まってきます。
しかし当然、その様な企業で働いても経済的に豊かになれ無いので、消費活動も抑えられてしまう。

こんな状態で更に生産性を高める為にリストラを行ったとしたら?
経済は良くなるどころか、更に悪くなるでしょう。

途上国と先進国。
2つのケースを見比べればわかりますが、行っていることが同じなのに結果が逆になるのは、前提条件が違っているからです。
途上国は基本的に供給不足で、先進国は需要不足。
前提条件が違う社会で同じ処方箋を出したとしても、うまくいくわけがないんですよね。

例えば、高校生が大学に進学するという目標の為に勉強するというのは、正しい行為でしょう。
しかし、実際に大学に合格した場合は、目標を一つ先に進める必要が出てきます。大学にステージが変わっているのに、大学入試用の勉強をしていても駄目ですよね。
経済もこれと同じで、途上国は先進国の仲間入りをする事を目標として頑張るのは、これはこれで良いでしょう。しかし、既に先進国になっている国々は、一つ先の目標にスライドさせるべきなんです。
それをせずに、今までと同じ行動を行って『おかしいなぁ』なんて言っていても、向かう先は破滅だと思うんですけどね。

【ゲーム紹介】 風ノ旅ビト

今回の投稿はゲーム紹介。紹介するゲームは、【風ノ旅ビト】です。
発売自体は2012年3月15日と、記事を書いている現在(2016年9月)からみると結構昔の作品なのですが、何故、このタイミンで取り上げたのかというと、PS plusに加入していれば2016年10月4日までなら無料でダウンロード出来るフリープレイの対象になったからです。
という事で、私も早速ダウンロードしてプレイしてみたのですが…
かなり面白い!…いや、面白いという言葉では上手く伝えられないですが、プレイした後にいろんな感想や印象を持つ良い作品だと思ったので、紹介させていただくことにしました。

このゲームはダウンロード専用ゲームのようなので、フリープレイ期間を過ぎてからこの投稿を読んで興味を持たれた方がプレイしたい場合、PSNを通してダウンロード購入が必要となります。




簡単にゲームの説明をしてしまうと、雰囲気ゲーというのでしょうか。ゲームの世界観を楽しむ事が主なゲームです。
作品内ではセリフは一切出てこず、世界観の説明もありません。
主人公は、スタート地点から遠くにある『割れ目のある岩山』を目指して進むのですが、その理由も全く分かりません。
主人公以外のキャラクターとして、似たような格好の大きな人達が出てきますが、師匠なのか親なのか、その関係性も不明です。
日本の映像作品は、キャラクターの心情や今置かれている立場、今まであったことや、これから行わなくてはならないことを全てセリフにして話すなんてものが多いですが、この作品はそれとは全く逆といっても良いでしょう。

つまり、全てはプレイヤーの受取方次第ということですね。

雰囲気ゲーといえば『ICO』や『ワンダと巨像』等を想像される方も多いかもしれませんが、確かに背景や空気感を感じることがメインという部分では共通していますが、これらの作品と比べても情報量が少なく、解釈はよりプレイヤーに委ねられる感じです。
操作も、先に挙げた作品よりもシンプルになっており、キャラクターとカメラの操作、ジャンプがメインで、他の操作は、何かしらの印と同時に音を出すぐらいしかありません。
謎解き要素も少なく、倒すべき敵が登場するわけでもない。
本当に、ゲーム内の世界を散策するだけのゲームです。

オンライン要素もあり、同じフィールドを二人で進んでいく事も多々あるのですが、特に協力プレイが必要な場所は無く、ゲーム進行だけで言えば仲間も必要ありません。
作業を手分けして分担し、プレイ時間を短くすることは出来ますが、そもそもプレイ時間自体が2時間かからない程の時間で、制限時間も無い為に急ぐ必要もなかったり。
なのに二人プレイ。
ここでも説明がない為、二人はライバルなのか友達なのかも分からない状態で、関係性の解釈はプレイヤーに委ねられます。

この様に、文字だけで書くと明らかに説明不足な感じのゲーム。
しかしゲームをプレイしていると、情報不足の部分は全く気にならず、映像に引き込まれてしまうから不思議です。
どちらかと言うと、映像作品に近い感じともいえますね。

こんなことを書いてしまうと『じゃぁ、ゲームじゃなくて映像作品でいいじゃん』なんてツッコミも入るかと思いますが…
そうじゃないんですよね。
操作無しに映像としてみた場合は、この作品の良さは半分もわからないでしょう。

今現在いるところとは違ったステージに行くときの、期待や不安感。
初めての場所の散策など、手探り状態で異世界を旅をしている感じは、実際にキャラクターを操作しないと感情移入が難しいと思います。
逆に操作することで、爽快感や不安感、浮遊感が感じ取れるため、より世界が理解出来る作りとなっているんです。

現在は(2016年10月4日まで)無料でダウンロード可能で、プレイ時間も短く手軽に楽しめる作品なので、興味を持たれた方は是非、Downloadしてみては如何でしょうか。

【ゲーム紹介】 よるのないくに

先日のことですが、dマガジンでファミ通を読んでいると、PS+のフリープレイゲームの情報が掲載されていました。
その中に、名前だけは聴いたことがあるけどプレイしたことがないゲーム『よるのないくに』が有ったので、ダウンロードしてプレイしてみました。

という事で今回は、『よるのないくに』の紹介&感想を書いていきます。






このゲームは、コーエイテクモから発売されているアクションRPG
正直、私はコーエーのゲームは信長の野望シリーズぐらいしか知らなかったのですが、戦国ものシリーズ以外にも、この様な雰囲気のゲームも出していたんですね。
よくよく考えれば、無双シリーズも戦国意外で結構出ていますし、アクションRPGは得意なのかもしれません。

ゲームとしては、主人公のアーナスを操作して立ちはだかる敵を倒しながら道を切り開いていくスタイルのアクションゲーム。
特に謎解きといったものはなく、目的地まで進めばストーリーが進むというスタイル。
単独で戦うわけではなく、従魔を召喚して攻撃やサポートを頼むことが出来ます。
従魔は基本的には自立して動く為、操作は不要。召喚しているだけでサポートしてくれる便利なものなので、1画面に4体まで呼び出すことが可能とっています。
呼び出すときにSPというポイントを使いますが、それ以外には特にリスクもない為、ゲーム開始と同時に4体呼び出すというのが基本となる感じです。

プレイしていて他のゲームと違うと感じた点は、1回の冒険時間が15分(後に20分まで伸ばせる)に限られていること。
広いマップの場合は多少焦ったりしますが、大抵の場合は『扉』と呼ばれるものが設置されていて、そこに入るとベースとなっているホテルに瞬間移動でき、次はホテルから扉に瞬間移動できるようになっています。
一回あたりの出撃時間が少ない為、ゲームにそんなに時間を割けない社会人でも楽しめるように設計されているんでしょうかね。

実際にプレイしてみた感想としては、第一印象が『女の子の造形を頑張ってる』って感じでした。
背景は、パッと見た感じPS1でも表現できるような感じで、敵の作り込みもPS4にしては大したことがない感じ。
とはいっても、PS3とPSvitaでも発売されていてPS4専用ではない為、次世代機専用のゲームと比べると見劣りしてしまうのは分かるんですけどね。
それを考慮しても、どことなく手抜き感が有りました。
その一方で、女性の描写の仕方には相当力を入れている感じで、ゲーム作りの労力を女の子に極振りしたようなゲームという印象でしたね。
この様な仕様のせいか、Amazonレビューでは結構、酷評されていたりします。

では、ストーリーやゲームの操作感はどうなのかというと、プレイした感想としては『そこまで悪くない』という印象でした。
ストーリーを進めていくと先が気になりますし、気になるからプレイするという感じで最後まで飽きること無くプレイすることが出来ました。

キャラクターの操作感は非常に簡単、大抵の場合は□ボタン連打で、たまに△ボタンを押す感じ。
プレイしていてストレスが溜まるということはありませんでした。
ただ、操作が簡単ということは自然とゲームが単調になっていくという欠点もあるわけですが、それも特に気にならない作りになっていました。

というのも、このゲームではレベル(通常MAX Lv10)が上昇する度に使用できる装備が増えていき、最終的には、剣・短剣二刀流・銃・鉄槌・長剣の5種類が使用できるようになります。
このゲームはプレイ時間自体が短く、クリア後の追加要素を入れても15時間も有れば完全クリアー可能。
ストーリーのセリフやムービーにも結構時間が使われているため、一つの武器の操作を覚える頃には別の武器が解禁になる流れとなっています。
また、主人公が単独で戦うわけではなく、従魔への支持なども行わなければならない為、常にコントローラーで何らかのコマンドを打っている状態になる為、『ゲームをしている感』が絶えず得られる感じ。

レベル上げなども楽で、最後のダンジョンで30分程度頑張るだけで、従魔のレベルは1からMAXにする事が可能。
主人公のレベルも同様で、ストーリーをこなすだけでそれに応じてレベルが上昇していくので、レベル上げ作業がそれほど必要ないのですが、レベルを最大まで上げる場合でも1時間頑張ればそれぐらいの経験値が手に入ってしまいます。
その為、ストレス無くゲームを進めることが出来るようになっています。

正直なところをいうと、このゲームが定価、もしくは多少の割引価格で販売されていた場合、買うことはないと思います。
しかし、無料でプレイする分には十分楽しめるゲームでしたね。
フリープレイは2016年10月4日までのようなので、PSplusに既に加入している方は、試しにプレイしてみてもよいのではないでしょうか。

アベノミクスと京都と外国人観光客

少し前のことですが、テレビ東京の経済系ニュース番組のWBSで、京都の観光収入が落ち込んでいるというニュースが報じられていました。
もう少し詳しく書くと、安倍政権に変わってからアベノミクスの一環でビザが緩和され、大量に外国人観光客が訪れているにも関わらず、京都の企業の業績は落ち込み、税収減になっている状態。
その一方で、大量に押し寄せる観光客の為に様々な対策を行わなければならないので、経費はかさんでしまう。
その解決策として、新たな税金である観光税を徴収するという話でした。

税金を集める手段としては、寺社仏閣の参拝料に拝観税をプラスしてみたり、観光用のガレージやホテルで料金とは別に観光税を徴収するという話でしたが、参拝料に課税する案は、以前に一度実施しようとした際に寺社仏閣から猛反対を受け、参拝料をとっている施設は参拝中止にして周辺の土産屋を困らせるという暴挙に出たそうなので、出来るだけ受け入れられやすい案を検討しているとのことでした。

このVTRをみて、京都に住む私自身は『そうなんだ。。』といった普通の感想を持ったのですが、ビックリしたのが、コメンテーターの意見。
随分前の放送なので、正確な文言を覚えているわけではありませんが、ニュアンスとしては『観光客が大量に増加して京都に観光に行っているんだから、儲かってないなんてことはありえない。行政は所得把握をしっかりすべき。』といった感じの発言をしたんですよ。

いやぁ。。本当に驚きました。
これって簡単にいえば、京都の税収が下がっているのは、京都人が所得隠しと脱税をしてるからで、行政はしっかり調べて税金を取れば新税の問題もなくなるって事ですよね。
このコメンテーター、京都の何を知って、こんなことを発言したのでしょうか。
何か脱税を裏付けるような証拠でも握っているのでしょうかね。
それなら、是非、税務署に情報を提供することをお勧めしたい。
所得隠しや脱税をしていない身としては、そういう人はサッさと検挙してもらいたいですからね。

東京に住んでいる学者やコメンテーターって、殆ど東京から出たことがないのに、データだけ観て妄想を膨らまし、その妄想をまるで事実かのように話すから困ってしまいますよね。

という事で今回は、京都に住む私から観た京都の景気について書いていきます。

結論から書くと、景気は結構悪い状態で住民税などの税収が落ち込んでいるのは、嘘ではなく理解が出来る感じです。
私は土産物関連の製造業を行っていて、得意先にいろんなメーカーがあります。
そのメーカーに対する売上は年々落ち込んでいて、頑張っている会社でも現状維持で精一杯という状態です。

『それは、お前と関係がある会社だけの話だろう?』なんてツッコミが入るかもしれませんが、多くの土産物メーカーは自社物件で販売しているわけではなく、百貨店やモール・駅ビルといったところに納めています。
隣の店はライバル会社といえども人と人なので、仲良くなることもあるし情報交換を行い、私はそれを聞いたりする事が多いのですがどの業者も皆同じように景気が悪いようです。
実際に、京都の繁華街である四条の京極・寺町通りを歩いてみても、土産物屋には誰も入っておらず、持ち家じゃなければ店舗を維持するのも難しいレベルです。

『それは、お土産物自体がオワコンなんだろう!』なんて、手厳しいツッコミもあると思います。
それは、正直その通りなのかもしれません。
今は旅行に行ったからといって、家族親戚一同に土産物を買って配る習慣も廃れてきていますからね。

では、他の業種はどうなのか。
観光客が土産物を買わなかったとしても、飲食はするでしょう。
旅行客が大量に増えているのなら、それに応じて飲食店の売上も上がっていそうな気がします。

しかし実際はというと、飲食店の景気が良いかというと、そうでも無い。
私は週末だけですが、京都の繁華街の木屋町に10年以上通っています。
基本的に一人で呑み歩くスタイルなので、周りの風景に自然と目が行くのですが…

外国人観光客が増え始めたのと同じ時期から、今まで観たこともない張り紙を色んな所で見るようになりました。
それは、『来店した際は、1人1オーダーはお願いします!』というもの。
この張り紙が何を意味しているのかというと、店に入ってもオーダーしない人間が多いということです。

ひどい場合では、5人以上で押しかけてビールを1杯だけ注文して、残りの4人は水を注文し、長いあいだ店に居座るということも珍しくないようです。
この対策として行ったのが、先ほどの張り紙というわけです。
店は大半が賃料を支払って店舗を借りている状態なので、お金が発生しない客が席を占拠し、その御蔭で他の人間が入れないなんて事になれば、利益を圧迫されます。
また、こういう客を放置しておくと、それを観た金の無い日本の学生なんかが真似をして、余計に悪循環に突入するなんてことにもなってしまいます。
これらを防ぐためにも、張り紙は仕方のないことだったのでしょう。
ただ、張り紙を貼ったからといってバンバンお金を使ってくれるわけもなく、1杯で粘る人が多いようです。

その他にも、レストランで働く人に興味深い話を聴く事が出来ました。
その方の話によると、そのレストランは質の良い料理を出すということで、東京の方から年に数回、観光を兼ねてそのレストランで食事をするという富裕層の方が何組かおられたようです。
わざわざ京都まで食べに来るということで、結構な金額を使ってくれていたようなのですが、ここ最近の大量の外国人観光客によってホテルが全て占拠されていまい、京都に来られないということで、その方々は来なくなったそうです。
では、代わりに外国人観光客がレストランに来て同じように金を使ってくれるのかというと、そんな事は当然ない。
『1人1オーダーお願いします!』と張り紙しないと注文してくれないんですから。

まとめると、大量の外国人観光客が来てくれたおかげで、今まで国内旅行で京都に来てくれていた日本人観光客が締め出されてしまった。
外国人観光客は、目当ての物を爆買いすることは有っても、飲食などで大金を使うことはないので、観光メインの京都は打撃を受けているといったところでしょうか。
儲かっているのは宿泊施設だけなんでしょうが、高さ制限のある京都はそもそも宿泊施設が少ないので、大半の宿泊客は大阪・滋賀・奈良などに宿をとっているため、京都の収入にはならない。

結果としては、京都はアベノミクスで打撃を受けているってことになるんでしょうね。
京都に住む私の印象としては、こんな状態なんですが、東京のコメンテーターにいわせれば、京都人は脱税しているらしいですけども。
まぁ、どちらを信じるかは、アナタ次第ってことで。

雑誌について考える

前回は、雑誌読み放題サービスを利用した感想について書きました。
これと同じような内容を、現実世界でよく合う人に話してみたところ『みんなネットに置き換わっていくね。 そんなに安くなって、利益出るんかな? ますますデフレになるね。』なんて感想を頂きました。

確かにそうですよね。
dマガジンで取り扱っている雑誌の多くは、1冊あたりの単価がdマガジンの月額料金より高い状態。
特に、ファッション誌などのカラー写真が多めでしっかりとした作りになっているものは高く、800円近くするものすら有ります。
800円という事はdマガジンの2ヶ月分の料金に匹敵するわけで、単に情報が欲しいだけの場合、書店で買う意味が見当たりません。

消費者が金銭的に得をするということは、逆の考え方をすれば、出版社側の販売利益は大幅に減少してしまうことになります。
にも関わらず、何故出版社側は、こんな不利なサービスに雑誌を提供しているのでしょうか。

という事で今回は、雑誌について考えていきます。

本屋で雑誌が販売されているということは、売れれば売れただけ出版社の利益になるから、一生懸命記事を書いて、定期的に雑誌を出版しているのだろう。
私は今まで何の疑問もなく、この様な思いで雑誌を購入していました。
ですがこの認識って、そもそも正しいのでしょうか。

よくよくファッション誌などを観てみると、同じ価格で売られている新書と比べると、紙の大きさも4倍近い大きさです。
中身はカラー写真が多く使われていますし、その写真が綺麗に見えるように、紙の質も良い物が使われています。
これで同じ値段で販売。そもそも利益は出ているのでしょうか。

似たようなページ数のカラー写真を多めに使用したムック本の価格を調べてみると、大体の価格が1500~2000円程度と、ファッション誌の倍近い価格。
販売数量などによって製造単価は変わってくるとは思いますが、それでも販売価格が倍というのは差がありすぎですよね。

という事で、本を出版した時の出版社の利益について調べてみました。

google先生に『出版社 雑誌 利益』で検索をかけてみたところ、雑誌ではなく新書についての計算を見つけることが出来ました。
それによると、本の値段の内、書店と取次の取り分が約30%で、残り70%が出版社の取り分ということになるようです。
ただ本は、放っておけば勝手にできるというものではありません。本を制作する為の経費を、ここから差し引く必要があります。
著者への印税が10%で、製造費用が30%、その他販売管理費が20%なので、残りの10%が利益として残るようです。

ただ、これは印刷した全ての本が売れた場合の計算で、実際には売れ残ることも多いようです。
一般的な本の返本率は40%程度なので、重版が決まるほど売れなければ、赤字ということも少なくないようです。

話が新書にずれてしまったので、雑誌の方に引き戻しましょう。
これを雑誌に当てはめた場合、どれぐらいの利益になるのでしょう。
雑誌の場合は、同じような構成のものを毎月・毎週出す為、購入する人も限定されていることが多く、ある程度の販売量が予測可能です。
その為、返品率40%なんてことはないでしょう。
私は『ファミ通』をたまに購入することが有りますが、木曜日発売のものが日曜日には何処にいっても見つけられない状態になる為、ほぼ完売状態と考えても良いかもしれません。

となると、新書と同じ計算が成り立つなら、出版社は10%程度の利益を得ていることになります。
しかしここで問題になってくるのが、雑誌の価格です。

先程も書きましたが、ファッション誌の場合は新書に比べて、紙の大きさや質がかなり上です。
当然、製造コストも上昇します。同じ様な紙を使用したムック本の価格は、先程も書きましたが1500~2000円前後。
このムック本の価格が、新書と同じような返本率40%で採算ギリギリか赤字という計算で付けられた金額だとすると…
雑誌の価格はこの半額に設定されているわけですから、返本が無かったとしても、計算上は返本率50%と同じ計算になってしまいます。

つまりは、刷った分が全部売れたとしても赤字という計算。
ファッション誌の場合、『おまけ』としてバッグやスカーフといったものを付ける場合も有りますから、雑誌販売では利益が出ないと考えても良いでしょう。

では、雑誌販売では利益が出ないのに、何故、出版社は売れば売るほど赤字が膨らむ雑誌を作り続けているのでしょうか。
これは雑誌を読めば簡単に想像できますが、雑誌は、結構な割合を広告が占拠してます、その広告収入によって利益を得ていると考えられます。
特にファッション誌を始めとした『商品』をメインに扱っている雑誌は、メーカーからしても自分たちの商品を知ってもらう手段の一つとなっているので、無くなってしまうと困ってしまう存在です。
その為、自分達の存在を周知してくれる出版社を存続させる意味でも、多額の広告料を支払っているのでしょう。

まとめると、出版社にとって雑誌売上というのは利益に全くつながっておらず、むしろ赤字の状態で、利益の大半は広告収入によって得ているという構図になっています。

で、最初の話題に戻りますが、何故出版社は月額432円で雑誌読み放題なんてサービスに自社のコンテンツを提供するのかというと、そもそも雑誌販売では赤字しか出てなかったからなんですよね。
出版社にとって重要な事は、スポンサーに広告効果が有りますよと示す為の閲覧数だけで、今までは閲覧数を稼ぐ手段が雑誌の販売数を伸ばすことしか無かった状態でした。
それが、技術の進化によって他に閲覧数を伸ばす手段ができたというわけです。

週刊アスキーは紙媒体の発行を全てやめ、電子一本に絞ったようです。
これにより、本を印刷・製本する為の費用が無くなり、実物の商品が無くなったことで、販売管理費も無くなります。
本の出版に係る経費がほぼ無くなる上、dマガジンの様な雑誌読み放題サービスにコンテンツを販売すれば、コンテンツを配信するためのサーバー代を肩代わりしてくれる上にページ閲覧数に応じてお金まで貰えます。
客の方も、一冊づつ購入している時と違って読み放題なわけですから、普段読まないような雑誌にも手が伸びる。
結果として、相乗効果で購読者数が増えることも期待できるので、良いことばかりということになります。

出版社と購読者という関係だけで見れば、読み放題サービスというのは win winの関係になっているんですよね。
もっとも、排除される本屋・取次・印刷・製本・販売管理部門にとっては、面白く無い話でしょうし、この様な事が積み重なってデフレの原因になっているのでしょうけども。
ただ、仕組み自体は非常に良いものなので、『デフレになる!リストラされる業者が可哀想!』といった理由で後退するのは、間違っていると思いますが、これについて書くと長くなりそうなので、また機会があったら書こうと思います。

dマガジンとKindle unlimited に加入してみた

私は過去の投稿で、『動画定額見放題サービスなどが登場し、今後は書籍の見放題サービスも始まるのではないか?』なんて書いたことが有ったのですが、どうやら私の勉強不足のようで、既に雑誌見放題サービスは2年も前から存在していたようです。
この事実を知ったのは、少し前(2016年夏)にWBSで『楽天が雑誌読み放題サービスに参入!』といった感じの特集を観たからです。
特集を最初に観た時は、『とうとう、雑誌読み放題がはじまったか。』なんて感じで余裕を持って観てたのですが、その後『値段は2年前にサービスを開始しているdマガジンよりも安く…』と追加情報が流され、自分の情弱っぷりに布団を頭から被ったまま出たくない衝動に駆られてしまいましたけどね。
その後、調べてみると、楽天と時期を同じくしてAmazonKindle unlimitedという読み放題サービスを開始していることが判明。
世は正に、大読み放題時代に突入って感じになってきていますね。

という事で、情弱の私も時代に取り残されないために、早速、2つのサービスに加入してみました。
1つは『dマガジン』で、もう一つは『Amazon UNLIMITED』です。
楽天については随分前に楽天で買い物をした所、スパム紛いのメールが大量に届くようになってから、楽天関連のサービスは極力使用したくないと思い、今回も見送りました。
ラインナップにファミ通も無かったですしね。

使用してみた感じですが、まず、Kindle unlimitedから書いていきます。
Kindle unlimited』は、雑誌に限らず指定されているタイトルは全部読み放題というサービス。
冊数は、日本語対応のものが12万冊で、洋書を合わせると120万冊が読み放題となり、料金は月額980円となっています。
もの凄い数量が読み放題でこの金額。単純な割り算で考えると1冊あたりの料金ではぶっちぎりの安さでしょう。

実際に使ってみた感想としては、タブレットで操作する場合に検索がし辛い。
私がパッと見渡した感じでは、Kindle unlimitedの対象商品がまとめられているページに簡単に飛ぶことが出来るリンクは発見できませんでした。
その為、Kindleストアでunlimitedと打ち込んで探す必要が有るのですが、ジャンル分けもされておらず、その中には稀に、読み放題対象外の商品が含まれていたりしていて、本を探すのに一苦労といった感じ。
最初から読む本が決まっていれば問題は無いのでしょうが、何を読むのか決まってない状態で好みの作品を探すのには苦労するといった感じでしょうか。

PCサイトの場合はタブレットよりも検索しやすくなっていて、Kindle unlimited用の専用ページが設けられています。
ただ、Amazonのトップページから分かりやすいようにリンクが貼られているわけではないので、自分でブラウザの検索窓に『Kindle unlimited』と打ち込んで探す必要があります。
専用ページでは、おすすめタイトルなどが分かりやすいように並べられていて、カテゴリー分けされているので自力で検索して探しだすよりかは見つけやすくなっています。
また、PCのKindleストアでは、左側に細かいジャンル分けがされていて、絞り込み検索が出来るようになっています。
読み放題対象タイトルだけを表示させることも容易にできる為、現段階では、PCを持っていないと満足に楽しむことが出来ないかもしれません。

実際の本のタイトルですが、私が読みたいなと思っていた本をタイトルを入れて検索してみたところ、何もヒットはしませんでした。
この部分に関しては、人それぞれの好みも有るでしょうから、一概にダメだとは言えませんが、人気タイトルは含まれていない印象でした。
雑誌が読み放題ということでしたが、ファミ通も無かったですし、個人的には、1ヶ月間の無料期間が終わったら解約する予定。

次に『dマガジン』ですが、160誌以上の雑誌が読み放題で月額432円です。
先程のAmazonのサービスに比べると1冊辺りの単価は割高となっています。
ですが、タブレット上での操作は非常に直感的で分かりやすく、使いやすいサービスとなっています。
アプリのホーム画面で160誌の雑誌がカテゴリー分けされている為、目的の雑誌が非常に探しやすくなっています。

また、私はまだ使用していませんが、雑誌記事を切り取ってスクラップしておく様な機能も搭載されているようです。
雑談やブログネタを探す時など、使いこなせると便利そうな機能ですね。

ラインナップに関しては、雑誌がメインということも有り、雑誌に関してはAmazonのサービスに優っています。
ざっと調べた所、ファッション誌では女性誌の『an an』や男性誌で人気の『Leon』
ビジネス系雑誌の『週間ダイヤモンド』『東洋経済』『日経マネー』『エコノミスト』といったものはAmazonでは対象外となっております。
そして結構重要なのが、IT系の『週間アスキー』やゲーム系の王道雑誌『ファミ通』が楽しめるのは、今のところ『dマガジン』だけとなっております。

この手のサービスは、取扱商品数や1誌あたりの単価で考えがちですが、数が多くても読まなければ意味はありません。
今回はほぼ取り上げなかった『楽天マガジン』は、雑誌取り扱い数は200誌と『dマガジン』よりは多いですが、観たことがないようなマイナー雑誌で数を稼いでいる感があり、メジャーどころで読みたい雑誌の数は負けていたりします。
雑誌というのは、世間一般の人と共通認識を持つために読む側面もある為、皆が読んでいる雑誌に目を通すという事も重要になってきます。
そういった意味では、名の通ったタイトル数がどれだけ揃っているかが重要であって、単純なタイトル数だけでは比べることが出来なかったりします。

これはAmazonも同じで、数は多いけれども読みたい本がどれだけ有るかと問われれば、考えこんでしまう様なラインナップとなっています。
その点『dマガジン』は、メジャーどころを抑えてくれている為、その中の1誌でも定期購入しているのであれば、雑誌購入を止めてdマガジンを申し込んだほうが家計としては安上がりとなります。
だって、ファミ通を書店で買えば500円ですが、このサービスだと過去1年分のバックナンバーと1ヶ月内に発売される最新版込みでで432円ですからね。
ファッション誌も同じで、1冊買う値段で他のファッション誌も全部読み放題になってしまいます。

今の世の中は、多くの情報はネットによって無料で手に入れることが出来ます。
しかし、お金を払って手に入れる情報も、それはそれで結構重要だったりするんですよね。
そんな情報誌の情報が月額432円で手に入れる事が出来るっていうのは、結構、画期的なサービスだと思います。
電子書籍でダウンロードなので、書店に買いに行く、読み終えた雑誌を捨てるといった手間がなくなるのも、地味に助かりますよね。

AmazonKindle unlimited もdマガジンも、初回1ヶ月は無料で試せるので、興味が有る方は、一度試してみては如何でしょうか。
既に雑誌を定期購読されている方は、10インチ程度の安いタブレットを買っても、長期的にみれば特になるかも知れませんしね。

【おすすめPodcast紹介】 ラジオ組体操

私の独断と偏見のPodcast紹介コーナー。
第116回。

過去に書いた投稿
タイトル紹介はこちら
エピソード紹介はこちら

今回は、【ラジオ組体操】

ラジオ組体操 Podcast

ラジオ組体操 Podcast

  • ラジオ組体操
  • コメディ・インタビュー
  • ¥0
です。


今回紹介するwebラジオは、【ラジオ組体操】
公式サイトの説明が非常に上手くまとまっているので引用すると『ダメなニュースとアレな話題で無責任に盛り上がる、無意味アクティビティ、ラジオ組体操。アクロバティックでエクストリームな恥的体験を、1%の人たちに。お相手はKとUGでお届けします。
だいたい毎週更新で、長さは気まぐれです。』
というわけで、ダメなニュースとアレな話題を取り上げて、それを元に会話するニュースバラエティな感じの番組です。

配信されているのは『K』さんと『UG』さんの男性二人。
放送時間は一時間前後が多いですね。
更新間隔は週1回の週末更新となっています。

この番組はダメなニュースやアレな話題で主に構成されているわけですが、これだと、あまりにも抽象的なので具体的に書くと、変態と変わった事案で構成されている番組です。
警察などがメールサービスなどで知らせている通報事案や、新聞などに小さく取り上げられている、少し変わった出来事や変態が登場する事件を集めて発表。
その際に、一つ一つの事件に対してコメントを挟んでいくというスタイルで展開していく番組です。

これらのニュースは、ネットを頻繁に見ておられる方などは、ネットニュース等で取り上げられたりするので、馴染みのある方も多いかもしれませんね。
特定のニュースを特化して収拾されているので、アレやダメなニュースを聴き比べ『今週は、声掛けおじさんが多かったな。』『夏休みでも、教師事件て結構多いのね』といった、傾向や季節による事件の多さ等を比べる事も出来たりします。

番組を聞いてみた感想ですが、アレや駄目な話題を取り扱っている放送にもかかわらず、おしゃれな雰囲気が漂っている点が印象的でした。
下ネタや馬鹿な話題を取り上げている番組って他にも多数存在するのですが、その多くが、下品なものが多かったりするんですよ。
酷いものになると変態的なニュースから脱線して、性的な話の方に話題がそれていき、ずっと下ネタを話すなんてことにもなったり…

しかしこの番組では、不思議とイヤラシイ雰囲気は感じないんですよね。
公式サイトには『恥的体験』なんて書いてありますが、むしろ知的で、ちょっとした爽やか感すら漂っています。
話されている内容に注意を払わずに、話されている雰囲気だけをサラッと聞くと、FMラジオを聴いている様な気すらしたり。
元のニュースとの距離感の取り方が、絶妙なんでしょう。
例えるなら、紳士2人が上品に談笑しているので聞き耳をたててみると、『アレな話題や変なニュース』で盛り上がっている感じとでもいうのでしょうかね。
この、元ネタと対するコメントの温度差が、番組の面白さをより引き立てているのではないかと思います。

『面白いコンテンツには、対比構造が含まれている』なんて事を聴いたことが有りますが、正しくそれを実行しているって感じ。
これは言葉で言うのは簡単なんですが、実行するのはかなり難しいと思うんですよね。
特にこの番組の場合は、取り扱っているのが『アレな話題やダメなニュース』
元のニュース自体が破壊力抜群な為、薄いリアクションをしてもニュースの方に目が行ってしまって、印象に残らない。
かといって、ニュースに乗っかる形で話を膨らませていくと対比にならないし、下品な方向に脱線しがちになってしまう。

元のニュースと距離を話しつつ、且つ、ニュースに主役を奪われない形でコメントを行うというのは、かなり頭の回転が早くないと難しいことでしょう。
それを難なく行っている出演者の御両人は、本当に凄い。
このラジオは編集されているのかどうかは分かりませんが、間を置かずにポンポンとコメントが出てきます。
ジャンルの違ったニュースなら比較的楽なことかも知れませんが、1時間中で同じ様なニュースばかりを相当数扱っているのに、ほぼ、コメント内容が被るということもなく、流れるようにコメントをされているのは、単純に感心してしまいます。

また、番組内で取り扱われているニュースについては、公式サイト内に全て記載されています。
これも、ニュースソースがネットに存在するものに関しては、全てリンクを付けて載せるという力の入れよう。
そして公式サイトの方もラジオ番組と同じで、変態ニュースを取り扱っているとは思えないほどのオシャレな仕上がりとなっています。
この雰囲気作りには、ただただ感服してしまいます。

『アレな話題やダメなニュース』が主体ということで毛嫌いされう方もいらっしゃるかもしれませんが、番組のクオリティー自体はかなり高いので、一度聴いてみると、偏見なども取れて楽しめる人も多いと思います。
まだ聴いたことがない方は、ぜひ一度、聴いてみては如何でしょうか。
オススメです!!

【ゲーム紹介】 真・女神転生IV  FINAL (3DS) 

今回紹介するゲームは、【真・女神転生IV FINAL 】です。




このゲームは、真・女神転生IV と同じ世界観のゲームです。
女神転生シリーズを全くやったことがない方の為に簡単に説明をすると、基本的にはドラクエやFFの様なRPGなのですが、舞台となっているのが中世ヨーロッパの様なファンタジー世界ではなく、現在の東京です。
とある人物(シリーズによって人物が変化)によって悪魔召喚プログラムが作られ、それを駆使し、時には悪魔と契約して仲魔にして使役し、時には討ち果たす事で目的を達成していきます。
実際の神話などに登場する悪魔(ゲーム内では神や天使も含めて、全てを悪魔と表現)を使用している点が、他のゲームとは一線を画していますね。
女神転生シリーズは、Persona(ペルソナ)などの外伝を含めると結構な数が出ていますが、その最新作がこの作品です。

ゲームのタイトルは【真・女神転生IV FINAL 】で『Ⅳ』の続編のような印象を受けますが、続編というよりは【4】のNルート確定直後から始まる、アナザー・ストーリーとなっています。
本来、悪魔に殺されて死ぬはずだった少年が、別の悪魔の手を借りて生き延びる選択をした事で、前作のエンディングとは違った結末になる『もう一つの物語』
前作の世界観を補完するような情報が多数出てくるので、これ単体で楽しむよりも前作をプレイした上で遊ぶほうが、キャラクターや世界観に感情移入も出来て楽しめる作りとなっています。

世界観は同じで、結末が変更されている今作品ですが、ゲームのシステムも若干変更されて遊びやすくなっています。
一番の改善点は、難易度でしょう。
前作はバトルの難易度が非常に高く、最初にバトルを学ぶ為のチュートリアルのダンジョンで死にまくる有様。
敵との遭遇はランダムエンカウントでは無くシンボルエンカウントで、『X』ボタンを押してシンボルに刀を当てることで先制が可能なのですが、敵はこちらを見つけ次第、ダッシュで突進してくる為、先制には慣れが必要でした。
死亡した際には三途の川に連れて行かれ、そこで賄賂を渡さないと生き返れないしようとなっていて、持ち金が少ない序盤では直ぐに手詰まりになる事もありました。

しかし今回のFINALでは、この部分がかなり改善されています。
バランス調整がされており、最初のダンジョンで死にまくるといった事はほぼ無くなりました。
不意打ちを受けて敵に先制を取られて死んだとしても、今回は金銭の要求などはなく無料で何度でもコンテニューが可能となっています。
また、仲間との交渉も前回に比べて難易度が下がっており、比較的仲魔にしやすいようになっていたように感じました。
(ゲーム序盤で、悪魔との交渉を有利にすすめる事が出来る機能を入手できる。)
1度仲魔にした悪魔をもう一度仲魔に引き入れる場合は、更に難易度が下がる感じで、交渉のストレスも然程感じること無くプレイできる点は良かったです。

その他にも、細かなシステム等が改善されています。
このゲームでは、メインストリーの他にチャレンジクエストというものが存在します。
チャレンジクエストは無印の『4』でも有ったのですが、前作では各地にあるハンター協会の連携が取れていなかったせいなのか、主人公がスマホを持ってないからなのか、以来の受注をするのに現地の商会まで行って、掲示板をサーチして新規の依頼を受注する必要がありました。
しかし今回は、チャレンジクエストが遂行可能レベルになると同時に、クエストがスマホにメールで送られてくる為、イベントをこなす毎に各地の商会を巡るという面倒くさい行為をしなくて良くなりました。

他には、マップナビ等も改善。
前回は、下画面に映しだされるマップをいつでも動かすことが出来ましたが、見終わった後にイチイチマップをスクロールさせて現在地までマップを戻さなければなりませんでした。
しかし今回は、右上にマップナビのアイコンが追加され、それを押さないとマップのスクロールが出来なくなりました。
今までより1つ手間が増えたわけですが、マップナビを展開している間は時間が止まっている状態になるので、敵に突進される心配もなく、安心してマップを観ることが可能になりました。
また、終了の際にもう一度アイコンを押すわけですが、その際に自動で現在地までマップが引き戻されるため、使い勝手が飛躍的に上昇しました。

悪魔合体も僅かに変更され、2体合体のアイコンが追加されました。
前作まではオススメ合体の中から選ぶか、検索合体で条件を指定し、出てきた合体結果の中から好きなモノを選ぶという方式でした。
今までのシリーズの様に、総当りで試すよりは遥かに便利だったのですが、この方式だと、要らない悪魔同士を合体させてストック数を減らしたい場合、面倒くさかったんですよね。
しかし今回追加された2身合体の登場により、この作業が飛躍的に楽になりました。

この様に、細かい改善によって、無駄にかかっていた時間が削除され、ストレスを感じること無くプレイできる点が良いですね。

肝心のストーリーですが、前回のものよりは長くて倍近いボリュームがありました。
前回の『4』の場合は1周クリアーは35時間程度で、3周しても100時間だったのですが、今回の場合は最初の一周で60時間超え。
システム改善によってサクサク進んでいるはずなのに、このプレイ時間ということで、結構な長さとなっていますね。

ただ、前回と違ってルート分岐が分かりやすくなっており、『4』の時のように選択肢によるポイント制で『ロウ』『カオス』『ニュートラル』が決定するわけではありません。
分岐する質問の答えによって決まるので、選択肢が出るイベントの前にセーブデーターを分けておけば、途中からやり直しをする事で最初の1回で全てのエンディングを観ることも可能になっています。
ストーリーの内容を書いてしまうとネタバレになってしまうので割愛させていただきますが、個人的にはかなり面白いシナリオでした。流石メガテン
といっても今回の『FINAL』は前回に比べるとポップな感じでより楽しみやすいシナリオにはなっていますが、明るく脳天気な話ってわけでもないですし、残酷描写も結構出てくるので、人は選ぶとは思いますけどね。
オカルトが結構好きな人には、かなり楽しめる作品だと思いますし、この作品をプレイすることでオカルトに興味を持つ人も出てくるような作りになっています。

個人的に、かなりお薦めです。

【映画感想】 恋の渦

今回は、Netflixで見つけた映画『恋の渦』を観て思ったことについて書いていきます。
若干ネタバレを含みますので、まだ観ていなくて興味がある方は、先に観てから読まれる事をお勧めします。

この作品は、何かのラジオで発言された『愛の渦』というタイトルを『恋の渦』と聞き間違えて観てしまった作品です。
結果から書くと、作品を観だした直後の感想と、観終えた時の感想がかなり変わる不思議な作品でした。
最初は嫌悪感しか無かったのですが、ストーリーが進んでいくとドンドン引きこまれ、最終的にはちょっとしたカタルシスが得られます。
しかしその後、映画内の人間関係や各キャラクターの正確などを深く掘り下げていくと、ちょっとした恐怖も感じるような、複雑な感情が沸き起こりました。

この作品を簡単に説明すると、最初に登場人物が全員揃って、ホームパーティーを開催します。
イベント開催の名目は、冴えない男友達に女を紹介するというもので、これも友達思いの人達が真剣に開催したというよりも、集まる名目・ネタ的に利用しているという感じ。
そして、その場に集まる人間なんですが…
全員DQN属性の人で、私が最も忌み嫌うタイプの人達なんです。



その人達が集まってパーティーを行うのですが、特に中身があるわけでも無く、一体感があるわけでもない。
ふんぞり返って偉そうにしている奴や、空気を読まずに自分一人で大はしゃぎして空回りしている奴。
それらが、ただただ自分勝手に振る舞い、名目となっている『友達に女性を紹介する』というのも途中からどうでも良くなり、『ウェ~イ』って感じで盛り上がって終了。
この時点で、視聴終了したい気持ちでイッパイになりましたが、見続ければ物語が面白く転がっていくかもしれないと思い、何とか観続けるというのが最初の印象でした。

メインの物語は、このパーティーに参加した人間の、その後を追いかけるという感じで進んでいきます。
日常生活を通して、その人物の性格に焦点を当てるという感じでしょうか。
この部分が、それぞれの人者の評価が二転三転してかなり引きこまれます。

引き込まれるとはいっても、人間的に深いのかというと、そうでもありません。
ビジュアルだけを追い求めている女は、性欲を満たす為に体だけを求める男に惹かれますし、皆から馬鹿にされている男は、自分が偉そうにできるモテそうにない女ととりあえず付き合う。
根拠の無い自身を振りかざすDVっ気のある男は、無能な女と付き合っている。

『映画を見終わった後は、皆お似合いカップルだったんだなぁ』という妙な納得感と、『こういう人達は皆不幸になるんだな』というちょっとしたカタルシスを得られて、『僕は、あんな人達には近づかないでおこう』なんて気分にもなったのですが…
この映画、ここだけでは終わらないんです。
その後も、心に色んな感情が湧いてくるんですよ。

例えば、私が映画を観た直後に沸き起こった、『こういう人達は皆不幸になるんだな』『僕は、あんな人達には近づかないでおこう』という感情。
この感情は、このカテゴリーの人達を無意識に見下していたことから出てきた感情です。
見下し、心理的に距離をとっていたからこそ抱いた思いなんですが、この映画の恐怖は、DQNというフィルターを取って映画と向き合った時に感じ取ることが出来ます。

そして直ぐに、ここで語られている人間関係は、一部の特有の人達だけのものではなく、全ての人達に当てはまることに気がつくんです。
そういう視点を手に入れてから観ると、かなり興味深い映画となりました。

例えば、オラついた俺様系のDVっ気のある『コウジ』と『トモコ』というカップルが登場します。
このカップルの関係が、かなり面白いんです。
コウジは、DVっ気が有ると書きましたが、女性に直接暴力を振るうという行為は一切しません。但し、ネチネチと長時間に渡って説教をするんです。
では女性はどのような性格かというと、いわれればある程度のことはやってくれるという人間。言えばやってくれるんだから、良い娘の様にも思えます。
しかしコウジは、トモコの取る行動をイチイチ指摘し、長時間にわたって文句を言い続けます。

この様な男性を観て、『嫌な男!』と思う女性陣は多いと思います。
しかし、丁寧に映画を観ていくと、男性をこの様な性格に変えたのは女性であることに気が付きます。

トモコは確かに、言ったことはやってくれます。しかし裏を返せば、言わないとやらないんです。
少し考えるだけで分かることも、言われない限り絶対にやりません。
例えば、コウジが留守中に女友達(カオリ)が遊びに来て、そのカオリを狙っている男(タカシ)が『カオリと連絡が取れないから、今、トモコの家にいるなら会いに行くね』と言って押しかけてきます。
しかしカオリは、タカシに会いたくないため、タカシが来る前に帰ってしまいます。それから遅れてタカシがトモコの家(コウジと同棲中)に行くのですが、何故か家にあげて二人っきりで長時間話します。
ちなみにタカシは、最初のパーティーの時に彼氏の目の前でトモコの手をずっと握りながら喋る様な空気の読めない人間。

タカシの目的であるカオリは家を出たのだから、その事を告げて追い返せば問題はないのに、何故か家に迎え入れて男女二人で長時間過ごす。
この様な事をされると、特に嫉妬深い人間でなくても、いい気はしないでしょう。
何故、トモコがその様な行動をとったかというと、『するな』と言われていなかったから。自分の行動によって彼氏がどんな感情を抱くかということは一切、考えません。

こんな調子で、トモコは自分で考えることは一切せず、『やるな』と注意されない行動は何も考えずに行います。
こういう人を相手にした場合、人はどんな行動をとってしまうのでしょうか。
カップルで考えるのがピンと来ない場合、貴方が勤めている職場に配属された部下が、同じ様な事をしたと考えてみてください。

部下は、支持した事はやるが、自分で考えて行動することは一切しない。
『この状況の場合、少し考えれば、取るべき行動は分かるよね?』と説教しても、『すみません』『ごめんなさい』を連呼するだけで、翌日…いや、短い場合では数時間後に全く同じ過ちを犯す。
こういう状況になった場合、『さっきも注意したよね。 すみませんて言ったよね?』と詰め寄っても、再び『すみません』『ごめんなさい』を連呼するだけで、また同じ失敗をする。
こんな状態が数年続くと、『君、毎日の様に「すみません」って謝ってるけど、何を理解したの?何について謝ってるの? あの時も、あのケースも…』と言いたくならないでしょうか。

ここに登場するカップルも同様で、トモコの方は謝るだけで、根本的な改善をしようとは一切思っていない…というか、何が問題で注意されているかが全く理解できない無能な人間。
男性の方は、女性には手をあげられないし、一緒にいたけど、その為には改善して欲しいから、毎日ネチネチと文句を言っているという状態の無限地獄。
男女の価値観が決定的に違う為、別れることが最善の道なんでしょうけども、愛情やら承認欲求やら色んな物が複雑に絡み合って、別れることすら出来ないという現状が書かれていたりします。

他のカップルのケースでも、よくよく考えると身近で当てはまるケースが結構有り、『恐いなぁ』と思える事柄スが映しだされていて、観た後、かなり考えさせられました。
Netflixでいつでも見れる為、興味が有る方は、観てみては如何でしょうか。

魔法にかけられて (後編)

前回の投稿では、現代の魔法がどの様に使われているかについて考えていきました。
kimniy8.hatenablog.com

野菜や食品などに、『オーガニック』『無添加』『遺伝子組み換え』などのワード(呪文)を付け加えるだけで、モノの価値が変化するといったような話でしたね。
オカルト的にいえば魔法になりますが、この価値の変化がプラスになるものを、経済的には付加価値と呼ぶのでしょう。

この話は食品に限った話ではなく、あらゆるものに使われています。
というか、先進国のGDPの成長などは、この様な魔法抜きでは考えられないといっても良いです。

という事で今回は、現代社会における魔法について、もう少し掘り下げて考えていきます。

今の資本主義社会では、お金が中心となって社会を形成しています。
この社会では絶えず経済成長が求められ、GDP成長率の変化に非常に敏感になっています。
ではGDPとは何なのかというと、付加価値の合計。
付加価値とは何なのかというと、既にあるものに価値を付け加える事です。

例えば、既に販売されている材料を購入してきて、製品を造って売りだしたとします。
この時、原材料の合計と製品との間に価格差が生じますよね。
製品を生み出すには手間がかかるので、当然です。
この最終販売価格から経費を差し引いいた価格が、新たに付け加えられた価値分の値段。つまりは付加価値の額となります。

この付加価値ですが、実は値段が決まっていません。
ではどの様にして決まるのか。
単純に品質や作り出す時間で決まるのであれば分かりやすいのですが、実はそうでもないんです。
この価格の決まり方に、魔法が大きく関わってくるんですね。

例えば、この製品に超有名ブランドのロゴが付いていた場合、それだけで価格は跳ね上がります。
ブランドは『弊社では、熟練の職人によって一つ一つ手作りしており…』『我が社は300年間守り続けていた製法を使い…』といった裏付けっぽいものを全面に出し、価値が有ることを主張します。。
このブランドの宣伝文句を聴いて、『ちゃんとした裏付けがあるから当然では?』と思われる人の良い方もいらっしゃるかもしれませんが、書かれている文言がが事実であったとしても、製品が良いという証にはなりません。

熟練の職人を使用するより機械を導入している方が良質な製品を作ることが出来るかもしれないですし、大昔の製法を頑なに守るよりも、現在の科学や最新の知識を投入して最善の方法に改良している方が良いかもしれない。
これらの文言は良品の裏付けにはならないのですが、聴いた人の多くは『私が購入しようとしているものは価値が有るものだ。』と安心感が得られる為、購入してしまう。
この様な企業の行動を、『マーケティング』だとか『ブランディング』というのでしょうが、オカルト的に見てみると、呪文・魔法と言い換えることが出来ます。

先程の例でいえば、『熟練の職人』や『昔から守り続けている製法』といったものは、呪文と言い換えることが出来るでしょう。
商品や梱包のデザインは、魔法陣などの儀式と捉えることが出来ます。
製品を身につけ、優雅な生活を映像や写真によって人々に広める広告塔の芸能人は、巫女の様な存在なのかもしれません。

『キャッチコピー』や『マーケティング』『ブランド力』などの用語を、呪文・魔法陣・魔力といったオカルティックなものに置き換えているだけの言葉遊びのように感じられるかもしれません。
しかし、そもそも前者の用語そのものも、よく分からない現象にそれっぽい名前をつけているだけなんですよね。
現象に名前をつけることで、現象を理解した気になっている。そして、それに何の疑問も持っていないだけで、根本的な部分で働いている『力』については実際には理解できていない。
それなら、わからないということを前提において、『呪文』『魔力』『魔法』といった抽象的な言葉を当てはめて、オカルト的な考え方を受け入れる方が、逆に世の中が見やすくなるのではないでしょうか。

オカルト的な価値観を受け入れた状態で世の中を観ると、製品の本質がより見えやすくなります。
服飾系などの商品は、ふんだんに魔法がかけられているわけですが、『魔法がかけられている』という前提で商品をみることによって、魔法を除外して物の本質が見えやすくなります。
逆に、自分が持っている世間では認知度が低い商品を、魔法をかけることによってワンランク上に魅せることも出来るかもしれません。

これは、人に対しても当てはまります。
カリスマ性が有る人というのは自分に自信を持っていて、堂々と立ち振舞う人が多いわけですが、これもただの雰囲気のようなもので、何かしらの根拠があるわけではありません。
自分に自信を持っていて堂々と振る舞う人を前にすると、人は無意識に、目の前の人物は優秀で過去に成功を積み重ねてきたと勝手に思い、その成功にあやりたい!近づきたい!と思って行動し、結果としてそれが相手のカリスマ性を高めることになっているケースは多いと思います。
しかし、この世には根拠の無い自身を振りかざす人って、数えきれない程いるんですよね。
安っぽい自己啓発本でも、根拠の無い自身を持つことを勧めている内容のものも結構あるようですし。

しかし、このカリスマ性という名前が付いているだけの『あやふや』な物も、魅了の魔法と割りきってしまえば、違った見方が出来るようになります。
そもそもカリスマ性には根拠が無いわけですから、その部分を外し、人物の言動にだけ焦点を当てれば、その人の本当の人となりが解りやすくなります。
テレビには人気者がたくさん出てますが、番組なので当然、演出されて普段よりも多重の魔法がかけられています。
それらの魔法を外して観てみると、案外大したことのない人達が多かったりします。


こうしてみてみると、国の経済から生活の身近なところまで、魔法という『よく分からない力』によって動いていることが分かります。
その『よく分からない力』に対して名前をつけて分かった気になっているのが、今の社会なんですよね。
しかし、そもそもが解らない現象に対して言葉を当てはめて理解した気になっているだけで、根本部分での理解をしていないので、いろんな迷いが生じたり、その隙をついて他者を利用しようとするものが現れてきます。
それならば、いっそのこと、『解らない』事を受け入れてしまうことで、今までとは違ったシンプルな目線で世の中を見直すことが出来るのではないでしょうか。

魔法にかけられて

先日イベント観戦に行き、ブログにも書いた『魔法 vs 科学』のイベントですが、前回書いた以外にも、興味深い事が語られていました。
それが、魔法という考え方について。
kimniy8.hatenablog.com
この話は過去にも書いたことが有るので、このブログを更新の度に読んでくださっている方には、繰り返しになってしまいますが、現在で魔術師が考える魔法と私達が思い描く魔法には、イメージにかなりの乖離があります。
私達が思い浮かべる魔法とは、映画で例えるなら『ハリーポッター』の様なものではないでしょうか。
呪文を唱えたり、魔力を込めることによって魔法を繰り出す。
大掛かりなものになると、魔法陣や生け贄などを用意して、儀式を行うなど。

しかし、現代社会に存在する魔法とは、そういったものではないようです。

では、どんなものを魔法と呼ぶのでしょうか。
先日行われたイベントの例を借用して、説明してみましょう。

スプツニ子さんという方が、人間のフェロモンと同じような物質を発する糸を吐き出す蚕を、遺伝子操作によって創りだすことに成功したようです。
この『人のフェロモン物質を発する糸』を用いてドレスを作ると、『フェロモンを発するドレス』が完成します。
人を魅了するフェロモンをドレス自体が出し続けるわけですから、そのドレスは言い換えれば『モテるドレス』というわけです。
withnews.jp
この、如何にも科学的な裏付けがされたようなドレスですが、科学的には殆ど効果はないようです。
というのも、人にはフェロモンを感じ取る器官は備わってはいるようなのですが、退化しまくっているようで、フェロモンの香りを感じたとしても、さほど影響を受けないようなんです。
つまり、科学的には嘘はないけれども、効果は非常に薄く、誰もが袖を通す事で思い描くような結果が得られるわけではない代物なんです。

科学的な効果が得られない為、多くの科学者が技術的には実現可能だけれども、手を出さなかった分野というわけです。
しかし科学的な効果が得られないとしても、実際に販売されれば、科学的な根拠以上の効果が出てくるケースも出てくると思われます。
この服を購入した人が、『モテる服を着ているんだから、自信を持たないと!』と普段以上に堂々と振る舞い、普段は異性に声をかけることなんて出来ないのに、モテる服を着ているという自身から、積極的に声をかけることが出来る様になる。
結果として本人の立ち振舞が改善されて、本当に持ててしまうというケースです。

プラセボ効果とでもいうのでしょうか。
科学的根拠が無かったとしても、それが人が起こす行動の足しになるのであれば、効果は得られることになります。

現代魔術では、これらの事の全体を踏まえて、『魔法』と呼ぶそうです。
『スプツニ子さんという美しく賢い方が、化学の知識を元にオシャレにデザインしたドレス』
これを着ることで、自分も本当にモテるかも知れないと思い込ませる説得力と、それに伴う効果が魔法というわけです。

科学的知識を呪文と捉え、デザインを魔法陣に置き換える。
そして、本人が持つ雰囲気や外見からくる説得力を魔力と置き換えれば、このドレスは立派な魔法のドレスというわけです。

こういう視点で世の中を見てみると、結構、面白い現象が見えてきます。

例えば食なんてどうでしょう。
『遺伝子組み換え』『オーガニック』『無添加』など、食品の前には何かしらの呪文が付けられています。
それぞれの単語には、正や負のイメージが付いていて、直接、売上や価格に影響を与えますが、これらの呪文には科学的根拠なんてありません。

例えば『遺伝子組み換え』には悪いイメージを持つひとが多いでしょう。
しかし、遺伝子組み換えを厳密に考えると、自然交配による新たな種の登場も遺伝子組換えなわけです。
日本の東北地域は、元々は作物なんて生えない痩せた土地でしたが、品種改良によって痩せた土地でもつくれるように作物を改造しました。
昔は技術力が低かったため、自然交配による品種改良を何度も行い、人間にとって都合の良い種が出来るまで繰り返し作業を行っていたのですが、技術が進んだ現在は、それを科学的に行えるようになりました。
つまり、品種改良と遺伝子組換えは、工程を人が行うか偶然に任せるかの違いでしか無いんです。

品種改良は自然に行われるから、人間の毒になるような成分は絶対に入らないなんて事はありません。
逆もまた然りで、遺伝子組換えだから人に害をなすものが含まれるのかといえば、そうではありません。

しかし、『遺伝子組み換え』は悪いもので、品種改良はそこまで悪いイメージを持たれません。

これに関連し、『オーガニック』が体に良いというイメージがありますが、これも根拠はありません。
『迷惑な進化』という本を読めば分かるのですが、『オーガニック野菜を食べれば健康になれる!』なんてのも、どちらかと言うと精神的なもので、魔法と言っても良いものです。

この話は、オーガニック食材を盲信してきた人にとっては腹立たしい事かもしれませんが、これは、冷静になって考えてみれば理解できると思います。
冷静になって、植物について考えてみましょう。
植物は、そもそもが『人間に食べられる為』に、この世に存在しているわけではありません。

何かしらの動物に自身の実を食べさせることで、種子を遠くまで運んで貰うように進化した植物は、その動物にとっては有効な成分を多く含んだ物かもしれません。
しかし、その実ですら、植物が人間の体にとって何が毒なのかを徹底的に調べて作ったものではありません。
短期的には栄養価が高くて良いが、長期的には毒が蓄積されて死ぬなんてケースもあるかもしれません。
だって植物にとっては、種を含んだ果肉を食べて今の地点よりも離れてくれれば、それで良いわけですから。

これが、球根や根や葉の部分になってくると、更にややこしくなってきます。
というのも、そもそも球根・根・葉というのは、植物にとっては食べられる前提のものではありません。
むしろ、食べられると自身が死んでしまいます。
植物は自身が食べられない為に、それこそ必至に、自身の身を守ることを考えます。
その方法の大半が、体内で毒を生成して食べに来るものを殺すというものです。
よく、ジャガイモの芽は取らないと駄目と言いますが、あれはソラニンという毒が含まれているからです。

にも関わらず、『オーガニック食材を食べだしてから調子が良い! アレルギーも無くなった!』なんて人が出てくるのは、この呪文による魔法が発動しているからなんでしょう。

無添加』なんてのは、更に訳がわかりません。
無添加寿司』なんてのを謳い文句にしているチェーン店が有りますが、そもそも外食の寿司屋で、添加物を入れている寿司屋がどれほどあるのかもわからない。
また、人の死亡率を考えると『添加物』が開発されてからの方が寿命が伸びているんじゃないかとも思えるわけで、本当に体に悪いかどうかもわからない。
でも、『添加物』という言葉の持つ魔力・呪力は強いようで、『無添加』と書いてあるだけで、どことなく安心が得られてしまう人って多いと思います。
そして、実際に体に良いと思い込んで食べる事で、本当に体の調子が良くなるケースが有ったりするから不思議です。

ただの食材であったり料理でしか無いものにワンフレーズ付け加えるだけで、本来そのものが持つ質が変化するというのは、かなり面白いですよね。
…と、食品の例だけでかなり長くなってきたので、続きはまた次回とさせて頂きます。

【イベント潜入】 魔法 vs 科学 in なんば紅鶴

2016年8月14日の事ですが、大阪の味園ビルにあるライブハウスで行われた、【魔法vs科学】というイベントが開催されました。
この番組は、オカルト系の【東京ポッドキャスト】と科学系の【青春あるでひど】の、私が大好きな2つのPodcast番組の合同企画で、オカルト目線と科学目線で一つのテーマについて考えてみようという企画です。

青春あるでひど

青春あるでひど

https://itunes.apple.com/jp/podcast/dong-jingpoddokyasuto/id596242598?mt=2&at=10l8JW&ct=hatenablog

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今回の開催で、延べ4回の開催。
主催者によると、今までのイベントは前座で、これからが本当にやりたかったことのようです。

満を持しての開催ということで、今回のテーマは【死】
科学でもオカルトでも、死は避けて通れないテーマですから、私はイベント前から興味津々状態。
かなりの期待を胸に、大阪まで行ってまいりました。

観た感想としては、単純に『凄かった』です。
イベント自体は3時間ほど行われたのですが、その間中、ビシバシと影響を受け続けてしまいました。
という事で今回は、このイベントのことについて書いていきます。

イベント内では、話があちこちに飛びつつも様々な話をされたのですが、その中でも面白かったのが『死者がこの世の多数派になり、世の中を支配する』といった話でしょうか。
これだけを聞くと、かなりオカルティックな話なので、『何を馬鹿なことを行っているの?幽霊とか科学的に証明されてるの?』なんて反論する方も居らっしゃるでしょう。
ですが実際に話を聞くと、もの凄い説得力がある話で、『未来が楽しみ』『面白い』というもの意外に『恐怖』という感情を抱いてしまいました。

もう少し、具体的に書いていきましょう。
今の世の中は、リアルな空間だけではなく、サイバー空間で人々がつながっています。
Twitterfacebookは勿論ですが、Amazonで何かを購入すると販売履歴は取られていますし、Tポイント等も顧客の販売履歴を集めてビッグデータ化して販売をしていますよね。
私達がなにか困ったときは、とりあえずネットを介してgoogleで調べ物をします。
これらの行動により、私達の行動の大半はデジタル化され、何処かのサーバーに記録されていることになります。

その一方で、最近もう一つ発達してきた技術として、人工知能が存在します。
人工知能は自己学習で学ぶところまで進んでおり、少し前に囲碁で人間を打ち負かしたことでも注目を浴びていますよね。
この人工知能と、先ほどのビッグデータをかけ合わせるととうなるのかというと、将来的に、自分自身よりも自分のことをよく知っている知能がネット上に存在するなんて事も考えられます。

ではこの話が、【死】とどの様に関わってくるのでしょうか。

この事を考える前に、まず人が考える【死】について考えていきましょう。
【死】とは人間が活動を停止する事ですが、今の世の中の場合は、何を持って活動の停止というのかという問題があります。
皆さんの周りにも、実際にはほとんど顔を合わせないけれども、SNSだけでつながっている関係の人が、いらっしゃるのではないでしょうか。

その様な人が亡くなる事をしる機会というのは、更新が止まり続けて『もしかして?』なんて気づき方か、家族の方がログインして死亡したことを伝えるか、リアルで会っている人が報告するぐらいしか知る方法がありません。
逆の言い方をすると、亡くなった状態でも更新が続いていれば、『SNS内では死んだ事にはなっていない。』なんて不思議な事にもなってしまうわけです。

では、本人が死んだ状態で更新が続くという状況はどういう状況なのか。
Twitterなどでは、botなんてものが存在しますよね。
botは、機械による自動発言システムの事で、予め打ち込んでいた言葉をランダムで投稿してくれるシステムです。
コンテンツ制作者が、宣伝を行う為に定型文を定期的に投稿するといった感じで利用されていたりしますよね。

これを応用し、もし仮に、本人が死んだ後も、botが本人が呟きそうなことを自動生成して更新し続けてくれるシステムが有ったとしたらどうでしょう。
今の人工知能は、特定分野に特化した状態では、小説を書くことも絵画を描くことも可能です。
つい先日も、レンブラントの過去の絵画を人工知能におぼえさせることで、レンブラントの新作を人工知能が書いたりもしていましたよね。
SNSの投稿レベルであれば、人工知能を使って自分が書きそうな事をつぶやかせるなんてことは、結構、簡単なことだったりします。

昔は個人でサイトを作って自己主張をしていたものがブログサービスに移行し、それがSNSの登場によって更に簡略化されています。
そしてLINEでは、言葉ですら無く、スタンプのやり取りのみでコミュニケーションがとられる様に変化してきた事を考えると、『自己主張はしたいし、自分に向けてのアクションは欲しいけど、コンテンツ作りは面倒くさい』なんて事を考える人達がいて、その人達のニーズに応えるために、自動で呟いてくれるなんてサービスが登場したとしても、不思議なことではないでしょう。
この様なサービスを申し込んだ上で、その人物が亡くなった場合、本人はこの世に存在しないのにネット上では相変わらず更新が行われてしまいます。
これは言い換えれば、故人の人格がネットワーク上で生き続けている状態とも考えられます。

人格を模写した人工知能が、ネットに溢れる情報の中から故人の好きそうな情報を元にして、発言しそうな内容を自動生成して呟く。
この状態が長い年月続くと、いずれネット内での生者と死者の数の逆転現象が起こるでしょう。

人工知能に人間の思考の癖を覚えさせることで、コンテンツを自動生成出来るようになってくる。
最近のディープラーニング等を観ていると、ネット内で試写が生み出したネタなどを元に人工知能がリアクションを起こし、死者が死者のネタで新たなコンテンツを創りだすなんて世界も、近い将来で起こるかもしれません。
こういう状態になると、企業の広告の手段も変化する可能性が出てきます。

例えば、今は広告手段の一つとしてSNSでバズらせるなんて手法も有りますが、ネットで活発に発信している死者が生者の数を上回って主導権を握った場合、死者のbotに対して販促活動を行い、バズらせる事で話題を呼び、生者の購買意欲を刺激するといった方法も考えられます。
こうなってくると、結果として世の中の主体が死者に移ってしまうという現象が起こることも考えられるわけです。

『そんなのは変だ!』と思われるかもしれませんが、bot自体が自身がbotであることを公開していなければ、更新しているのが人間なのか人工知能なのかは傍から観ている分にはわからないわけです。
資本主義にとって重要なのは、『金が稼げること』なので、大半がbotかも知れない層に働きかけることが広告として有効なのであれば、当然のようにbotにアプローチするでしょう。

こうなると、この世にとっての生者の価値は、生まれ持ったパーソナリティーをネットに吸い取られる苗床ぐらいの価値しか無くなってしまうなんてことにもなるかもしれませんね。
『死者がこの世の多数派になり、世の中を支配する』という文を読むだけでは、かなりオカルト色が強い感じですが、実際に話しを聞くと、現在からもう少しだけ科学が進んだ未来に実際に起こりそうな現実的な話で、かなり刺激を受けました。


今回書いた内容は、私がイベントを聴いて理解できた範囲のことを一部分だけ抜粋して書きましたが、実際のイベントは3時間行われ、内容も多岐に渡っていました。
今後も、どれぐらい先になるかは分かりませんが、イベントは行われると思われるので、興味を持たれた方は、足を運んでみては如何でしょうか。

【イベント潜入】 LOTトークライブイベント ヒューマン

今年(2016年)の8月は、11日に山の日という祭日が出来た為、お盆休みが結構な連休になりました。
それに合わせてなのか、8月中盤にイベントが結構設定されていました。
そんなイベントの1つに、私が普段から聞いている【リビングオンザトーキン(LOT)】のイベントが有ったので、行ってきました。

リビングオンザトーキン(LOT)というのは、ミュージシャンのsasayama.さんと、スタッフのシンザキさんによるPodcast(webラジオ)。
特にテーマがあるわけでもなく、物事を小難しく深く掘り下げることもない。
基本的にはフリートークで、シンザキさんが興味を持っていることや思っている事をsasayama.さんに対して話したりプレゼンしたりし、それに対してsasayama.さんが疑問や感想を投げかけることで、トークが二転三転するというスタイルの番組です。

テーマも無く、漫才のようにネタが決まっているわけでもないので、トークがどの様に転がっていくかが演者すらもわからないという、ちょっとしたハラハラ感。
その状態で、一定の笑いを取らなければ!と頑張る演者の姿を見て、楽しむといった感じでしょうか。

リビングオンザトーキン!!(LOT)

リビングオンザトーキン!!(LOT)

  • SASAYAMA.とシンザキ
  • 趣味
  • ¥0

そんな番組の、今回で9回目?となるイベントが、神戸16bitで開催されたので、参加してまいりました。
INFO 16bit | KOBE 16bit

イベントは16時から。
開始と同時に、おもむろに音楽が流れ出す。
その音楽に乗せてシンザキさんが登場し、その音楽の歌詞と同じジェスチャー行う。
事前に曲のタイトルを知らされていたかどうかはわからないが、意外に早い曲の流れに真剣に、そして必至に合わせようとしている姿は、何故か笑えました。
これは別に見下しているわけでもなく、私自身が人前で必死になって何かを表現することが出来ないことの裏返しなのかもしれません。

そんな感じで笑いながらその光景を観ていると、曲が1番の途中まで差し掛かった所で、後ろのほうで少し騒ぎが有り、『なんだろう?』と思っていると、観客の1人がsasayama.さんに背中を押される形で、強制的に舞台に上げられました。
トークライブの開催側は事前にある程度の心の準備が出来ているからまだしも、なんの前触れもなく、いきなり舞台に上げられた観客のJさん(仮名)の驚きようといったら、とんでもないものだったでしょう。
それがもし私だったら、確実に頭が真っ白になって立ちすくんでいましたね。

しかし、凄いのがJさん。
ドッキリを仕掛けられてのにも関わらず、一瞬で場の状況を理解して、音楽に乗りながらシンザキさんと一緒に踊り出し、最終的には主導権を握って先導するまでになっていました。
最初から舞台に上がっていたシンザキさんも、最初こそ驚いていましたが、コンマ数秒で立てなおして舞台を継続されていたのには驚きました。
これには、ちょっと感動してしまいました。

これも、舞台に上げる人選を間違っていたら、シラけてしまっていたことでしょう。
こんな大胆なことが出来るのも、sasayama.さんという方がいたからこそなんだと思います。

というのも、sasayama.さんという方は、話し方や切り込み方で誤解されている方も居らっしゃるかもしれませんが、私の知る限りにおいて、誰よりも身近にいる方を大切にしてらっしゃる方なんですよね。
関係を持った方がコンテンツを作っている場合は、そのコンテンツをしっかりとチェックされていますし、Twitterなどでコンテンツの感想が有った場合なども、その大半に目を通しておられます。
イベントなどで実際に顔を合わせた時などにも話しかけてくださるので、sasayama.さんに接点がある人のことは、ある程度は知り尽くしている感があるんですよね。
『神は乗り越えられない試練は与えない』なんて言いますが、、知人の事をある程度知り尽くしているsasayama.さんが『大丈夫。』と判断出来た人物だったからこそ、成功したんでしょう。

こうして振り返ってみると、ドッキリ・ファンとの親密度・シンザキさんの想定がsasayama.さんによって変えられるといったLOTの本質が、5分程度のパフォーマンスに全て詰め込まれていたような気さえしてきます。

このパフォーマンスは、動きが中心のコンテンツとなっている為、音声コンテンツであるPodcast等では配信されないでしょう。
行った人だけが楽しさを共有できるという意味では、行って良かったと思いました。
こういった試みは前回ぐらいから行われているようで、おそらく今後も継続していくと思われます。

パフォーマンスの性質上、『待っていればイベントの音声が公開されるから、わざわざ行かなくていいや。』とイベントに参加しない人は、楽しめない仕様になっていますので、普段からこのPodcastを聞いていて興味を持っておられる方は、雰囲気を感じるためにも、一度ぐらいは参加してみても良いのではないでしょうか。

サラッと観ても楽しめて、深く考えるといろいろと考察できるパフォーマンスが終わった後は、シンザキ氏による選手宣誓と、このイベントではお約束となっている差出人不明の手紙の朗読が有り、オープニングは終了。
その後は、1時間程度の本編が3本行われ、エンディングを迎えました。
おそらくこの部分は音声で公開されると思うので、この辺りの部分は割愛させて頂きます。


イベントも無事に終了し、皆でライブハウスを出て一旦待機した後は、交流会のスタートです。
この会が毎回有るかどうかは分からないのですが、私が観覧に行った際には毎回、開催されている交流会ですが、これが結構面白いんです。
sasayama.さんやシンザキさんといった主催者は勿論のこと、一緒に観覧していた人達とも会話を楽しめるのが、このイベントの面白いところなんですよね。
ラジオというメディアは、基本的には一人で聴く事が多い為、他の人と感想やイメージを共有するなんてことは余り行いません。

しかし、イベントで集まってきた人達は、確実に同じラジオを聞いているわけです。
その人達とコミュニケーションが取れる機会があるというのは、結構、面白いんです。

私は電車の都合上、22時過ぎには会場を後にすることが多いのですが、結構遅い時間まで開催されているとの噂なので、『ラジオ仲間が欲しい』人達や、『いつも聞いているパーソナリティーの方と話してみたい!』って方は、参加してみると良いと思いますよ。
イベントの観覧料金は2000円ですが、早めに帰った私でも6時間以上楽しめたので、結構、コストパフォマンスの高いイベントだと思います。
次回は11月の予定のようなので、都合の合う方は、行ってみては如何でしょうか。

【本の紹介】 すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)

今回紹介する本は、芸人のマキタスポーツさんが書かれた、『すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)』です。



マキタスポーツさんといえば、最近ではドラマなどでも見かけるようになりましたが、私が最初に拝見した時は、音楽を用いたネタを披露する芸人の方でした。
どちらかと言うとお笑い寄りの芸をされる方なのですが、私の印象としては、デフォルメして崩しまくったモノマネをして笑いを取るというよりも、少し知的な感じが漂うネタをされる印象の方です。




そんな、マキタスポーツさんについて、少し前にこんな噂を聞きました。
『今流行している曲を大量に集めて、その中の歌詞にどんなワードが使われているかを検証し、泣ける曲を計算して作って、実際にヒットした。』
この話を聴いて、『面白いアプローチだな。』と関心した私は、早速、ネットで検索をかけ、この本に辿り着きました。

実際に読んでみた印象ですが、『すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)』というタイトルだけを観ると、現在のJ-POPを馬鹿にしているようにもとれますが、実際にはそんなことは有りませんでした。
本の出版は、買ってもらわなければ話しにならないので、基本的に過激なタイトルを付けがちなんですが、この作品もその一つと言って良いでしょう。
ではタイトル詐欺なのかというと、そうでもなく、本全体を通して読むと、タイトル通りの内容といった感じ。
これの投稿を読まれている方は、若干、感想がブレているように感じられるかもしれませんが、『タイトルに嘘はないけれども、それほど過激でもなく、J-POPもdisってませんよ。』って事ですね。

読んだ感想ですが、音楽に興味が無い人が読んだとしても、何かしら吸収できる内容になっていると思います。
本の内容をすべて紹介してしまうと営業妨害になりますので書けませんが、かといって、私の表現能力では内容に触れずに書くことは不可能なので、少し内容に触れて書くと、この本には物を創りだす方法が書かれています。

私自身は、音楽に特に詳しいわけでもなく、自身で楽器演奏や作曲などを行うわけでは有りません。
しかし、仕事が製造業であるため、毎日の様にモノの生産には携わっています。
また、ブログという形で自身の考えなどを文章に起こして書いているわけですが、これも大まかに分けるとコンテンツ生産に入るでしょう。

こういった私の視点から読んでも、参考になることや、私自身がこれまで制作する過程で考えてきた事と共通する部分が多く書かれていました。

では、どのようなことが書かれていたのかというと、『無から物を作り出せる人間はいない』という事です。
人が創りだすものという行為は、基本的には『A』という物と『B』という物を組み合わせて、『C』という新しく見えるものを作っているだけです。
何も無いところから『C』を生み出す人はいません。

元となる『A』を、どのような形で『B』と関連付けをするのかというのが、世間一般で言うところのオリジナリティーというわけです。
この、組み合わせや関連付けと言うのは、必ずしも足し算というわけでは有りません。
分かりやすいのは、美術の世界でしょう。
美術は、基本的には従来のものとは違う作品を生み出す歴史です。
昔は、目の前にある被写体を、どの様にしてリアルに書くのかに重点が置かれ、陰影や遠近法等の技術が開発されませいた。
しかし、そこに写真という技術が生まれてしまいました。

被写体をそのまま描き出すという店においては、カメラ以上に手軽で正確なものは有りません。
そこで絵画は、自身が生き残る手段として、ありのままを書くのではなく、『絵である』という事を極端に主張する為に、筆のタッチを残す手法が生まれます。
それが、印象派ですね。

つまり、絵画というものに対してカメラという存在が影響を与えた事によって生み出されたわけです。
美術の世界では、今まで行われていなかったことやタブー視されていた事を、敢えて行う『カウンター』が多く使用される場合が多いですね。
カウンター以外にも、既存のモノの良い点を更に追求して尖らせたり、別角度の視点を導入するなど様々な方法が有りますが、基本的には、『既存のもの』に対してどの様な変化を加えるかという方法で変化が起こっています。
『A』というものに対して『B』という価値観を組み合わせることで、『C』という物を生み出してきたわけです。

この本では、この理論を音楽で実践する為に、どのような行動を起こしたかということが丁寧に解説されています。
本の書き方的に理論重視の為、もしかすると、『自分は音楽を魂で作っているんだ!』なんて主張する人にとっては、面白くないし、神経を逆なでするような内容かもしれません。
しかし、音楽を工業製品と割り切って考えられる人にとっては、参考になる内容だと思いましたね。

ただ注意点としては、ここに書かれているのは『製品の創りだし方』であって、これを読んだからといって、良作が量産できるというものでは有りません。
『A』というものに対して『B』というアプローチをして『C』というものを創りだすという法則ですが、これ自体は間違いではないでしょう。
ですが、より良いものを作るためには、ベースと成る『A』のデータ量が大量に必要になる為、日々の勉強が大切になってくるでしょう。
また、そのベースに対して『B』のアプローチ結果がどのように成るのかといった試行錯誤も必要になってきます。
本の中では簡単そうに紹介されていますが、元となる法則は簡単でも、実践する為には膨大な時間と努力が必要になってくるんですよね。

…と、こういったことが書かれている為、音楽好きで無い人が読んだとしても、得るものはありますし楽しめる内容になっているのではないでしょうか。
文章も読みやすく書かれている為、普段から本に接していない人でも簡単に読むことが出来る仕上がりとなっています。
気になった方は、読んでみては如何でしょうか。