だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

魔法にかけられて (後編)

前回の投稿では、現代の魔法がどの様に使われているかについて考えていきました。
kimniy8.hatenablog.com

野菜や食品などに、『オーガニック』『無添加』『遺伝子組み換え』などのワード(呪文)を付け加えるだけで、モノの価値が変化するといったような話でしたね。
オカルト的にいえば魔法になりますが、この価値の変化がプラスになるものを、経済的には付加価値と呼ぶのでしょう。

この話は食品に限った話ではなく、あらゆるものに使われています。
というか、先進国のGDPの成長などは、この様な魔法抜きでは考えられないといっても良いです。

という事で今回は、現代社会における魔法について、もう少し掘り下げて考えていきます。

今の資本主義社会では、お金が中心となって社会を形成しています。
この社会では絶えず経済成長が求められ、GDP成長率の変化に非常に敏感になっています。
ではGDPとは何なのかというと、付加価値の合計。
付加価値とは何なのかというと、既にあるものに価値を付け加える事です。

例えば、既に販売されている材料を購入してきて、製品を造って売りだしたとします。
この時、原材料の合計と製品との間に価格差が生じますよね。
製品を生み出すには手間がかかるので、当然です。
この最終販売価格から経費を差し引いいた価格が、新たに付け加えられた価値分の値段。つまりは付加価値の額となります。

この付加価値ですが、実は値段が決まっていません。
ではどの様にして決まるのか。
単純に品質や作り出す時間で決まるのであれば分かりやすいのですが、実はそうでもないんです。
この価格の決まり方に、魔法が大きく関わってくるんですね。

例えば、この製品に超有名ブランドのロゴが付いていた場合、それだけで価格は跳ね上がります。
ブランドは『弊社では、熟練の職人によって一つ一つ手作りしており…』『我が社は300年間守り続けていた製法を使い…』といった裏付けっぽいものを全面に出し、価値が有ることを主張します。。
このブランドの宣伝文句を聴いて、『ちゃんとした裏付けがあるから当然では?』と思われる人の良い方もいらっしゃるかもしれませんが、書かれている文言がが事実であったとしても、製品が良いという証にはなりません。

熟練の職人を使用するより機械を導入している方が良質な製品を作ることが出来るかもしれないですし、大昔の製法を頑なに守るよりも、現在の科学や最新の知識を投入して最善の方法に改良している方が良いかもしれない。
これらの文言は良品の裏付けにはならないのですが、聴いた人の多くは『私が購入しようとしているものは価値が有るものだ。』と安心感が得られる為、購入してしまう。
この様な企業の行動を、『マーケティング』だとか『ブランディング』というのでしょうが、オカルト的に見てみると、呪文・魔法と言い換えることが出来ます。

先程の例でいえば、『熟練の職人』や『昔から守り続けている製法』といったものは、呪文と言い換えることが出来るでしょう。
商品や梱包のデザインは、魔法陣などの儀式と捉えることが出来ます。
製品を身につけ、優雅な生活を映像や写真によって人々に広める広告塔の芸能人は、巫女の様な存在なのかもしれません。

『キャッチコピー』や『マーケティング』『ブランド力』などの用語を、呪文・魔法陣・魔力といったオカルティックなものに置き換えているだけの言葉遊びのように感じられるかもしれません。
しかし、そもそも前者の用語そのものも、よく分からない現象にそれっぽい名前をつけているだけなんですよね。
現象に名前をつけることで、現象を理解した気になっている。そして、それに何の疑問も持っていないだけで、根本的な部分で働いている『力』については実際には理解できていない。
それなら、わからないということを前提において、『呪文』『魔力』『魔法』といった抽象的な言葉を当てはめて、オカルト的な考え方を受け入れる方が、逆に世の中が見やすくなるのではないでしょうか。

オカルト的な価値観を受け入れた状態で世の中を観ると、製品の本質がより見えやすくなります。
服飾系などの商品は、ふんだんに魔法がかけられているわけですが、『魔法がかけられている』という前提で商品をみることによって、魔法を除外して物の本質が見えやすくなります。
逆に、自分が持っている世間では認知度が低い商品を、魔法をかけることによってワンランク上に魅せることも出来るかもしれません。

これは、人に対しても当てはまります。
カリスマ性が有る人というのは自分に自信を持っていて、堂々と立ち振舞う人が多いわけですが、これもただの雰囲気のようなもので、何かしらの根拠があるわけではありません。
自分に自信を持っていて堂々と振る舞う人を前にすると、人は無意識に、目の前の人物は優秀で過去に成功を積み重ねてきたと勝手に思い、その成功にあやりたい!近づきたい!と思って行動し、結果としてそれが相手のカリスマ性を高めることになっているケースは多いと思います。
しかし、この世には根拠の無い自身を振りかざす人って、数えきれない程いるんですよね。
安っぽい自己啓発本でも、根拠の無い自身を持つことを勧めている内容のものも結構あるようですし。

しかし、このカリスマ性という名前が付いているだけの『あやふや』な物も、魅了の魔法と割りきってしまえば、違った見方が出来るようになります。
そもそもカリスマ性には根拠が無いわけですから、その部分を外し、人物の言動にだけ焦点を当てれば、その人の本当の人となりが解りやすくなります。
テレビには人気者がたくさん出てますが、番組なので当然、演出されて普段よりも多重の魔法がかけられています。
それらの魔法を外して観てみると、案外大したことのない人達が多かったりします。


こうしてみてみると、国の経済から生活の身近なところまで、魔法という『よく分からない力』によって動いていることが分かります。
その『よく分からない力』に対して名前をつけて分かった気になっているのが、今の社会なんですよね。
しかし、そもそもが解らない現象に対して言葉を当てはめて理解した気になっているだけで、根本部分での理解をしていないので、いろんな迷いが生じたり、その隙をついて他者を利用しようとするものが現れてきます。
それならば、いっそのこと、『解らない』事を受け入れてしまうことで、今までとは違ったシンプルな目線で世の中を見直すことが出来るのではないでしょうか。

魔法にかけられて

先日イベント観戦に行き、ブログにも書いた『魔法 vs 科学』のイベントですが、前回書いた以外にも、興味深い事が語られていました。
それが、魔法という考え方について。
kimniy8.hatenablog.com
この話は過去にも書いたことが有るので、このブログを更新の度に読んでくださっている方には、繰り返しになってしまいますが、現在で魔術師が考える魔法と私達が思い描く魔法には、イメージにかなりの乖離があります。
私達が思い浮かべる魔法とは、映画で例えるなら『ハリーポッター』の様なものではないでしょうか。
呪文を唱えたり、魔力を込めることによって魔法を繰り出す。
大掛かりなものになると、魔法陣や生け贄などを用意して、儀式を行うなど。

しかし、現代社会に存在する魔法とは、そういったものではないようです。

では、どんなものを魔法と呼ぶのでしょうか。
先日行われたイベントの例を借用して、説明してみましょう。

スプツニ子さんという方が、人間のフェロモンと同じような物質を発する糸を吐き出す蚕を、遺伝子操作によって創りだすことに成功したようです。
この『人のフェロモン物質を発する糸』を用いてドレスを作ると、『フェロモンを発するドレス』が完成します。
人を魅了するフェロモンをドレス自体が出し続けるわけですから、そのドレスは言い換えれば『モテるドレス』というわけです。
withnews.jp
この、如何にも科学的な裏付けがされたようなドレスですが、科学的には殆ど効果はないようです。
というのも、人にはフェロモンを感じ取る器官は備わってはいるようなのですが、退化しまくっているようで、フェロモンの香りを感じたとしても、さほど影響を受けないようなんです。
つまり、科学的には嘘はないけれども、効果は非常に薄く、誰もが袖を通す事で思い描くような結果が得られるわけではない代物なんです。

科学的な効果が得られない為、多くの科学者が技術的には実現可能だけれども、手を出さなかった分野というわけです。
しかし科学的な効果が得られないとしても、実際に販売されれば、科学的な根拠以上の効果が出てくるケースも出てくると思われます。
この服を購入した人が、『モテる服を着ているんだから、自信を持たないと!』と普段以上に堂々と振る舞い、普段は異性に声をかけることなんて出来ないのに、モテる服を着ているという自身から、積極的に声をかけることが出来る様になる。
結果として本人の立ち振舞が改善されて、本当に持ててしまうというケースです。

プラセボ効果とでもいうのでしょうか。
科学的根拠が無かったとしても、それが人が起こす行動の足しになるのであれば、効果は得られることになります。

現代魔術では、これらの事の全体を踏まえて、『魔法』と呼ぶそうです。
『スプツニ子さんという美しく賢い方が、化学の知識を元にオシャレにデザインしたドレス』
これを着ることで、自分も本当にモテるかも知れないと思い込ませる説得力と、それに伴う効果が魔法というわけです。

科学的知識を呪文と捉え、デザインを魔法陣に置き換える。
そして、本人が持つ雰囲気や外見からくる説得力を魔力と置き換えれば、このドレスは立派な魔法のドレスというわけです。

こういう視点で世の中を見てみると、結構、面白い現象が見えてきます。

例えば食なんてどうでしょう。
『遺伝子組み換え』『オーガニック』『無添加』など、食品の前には何かしらの呪文が付けられています。
それぞれの単語には、正や負のイメージが付いていて、直接、売上や価格に影響を与えますが、これらの呪文には科学的根拠なんてありません。

例えば『遺伝子組み換え』には悪いイメージを持つひとが多いでしょう。
しかし、遺伝子組み換えを厳密に考えると、自然交配による新たな種の登場も遺伝子組換えなわけです。
日本の東北地域は、元々は作物なんて生えない痩せた土地でしたが、品種改良によって痩せた土地でもつくれるように作物を改造しました。
昔は技術力が低かったため、自然交配による品種改良を何度も行い、人間にとって都合の良い種が出来るまで繰り返し作業を行っていたのですが、技術が進んだ現在は、それを科学的に行えるようになりました。
つまり、品種改良と遺伝子組換えは、工程を人が行うか偶然に任せるかの違いでしか無いんです。

品種改良は自然に行われるから、人間の毒になるような成分は絶対に入らないなんて事はありません。
逆もまた然りで、遺伝子組換えだから人に害をなすものが含まれるのかといえば、そうではありません。

しかし、『遺伝子組み換え』は悪いもので、品種改良はそこまで悪いイメージを持たれません。

これに関連し、『オーガニック』が体に良いというイメージがありますが、これも根拠はありません。
『迷惑な進化』という本を読めば分かるのですが、『オーガニック野菜を食べれば健康になれる!』なんてのも、どちらかと言うと精神的なもので、魔法と言っても良いものです。

この話は、オーガニック食材を盲信してきた人にとっては腹立たしい事かもしれませんが、これは、冷静になって考えてみれば理解できると思います。
冷静になって、植物について考えてみましょう。
植物は、そもそもが『人間に食べられる為』に、この世に存在しているわけではありません。

何かしらの動物に自身の実を食べさせることで、種子を遠くまで運んで貰うように進化した植物は、その動物にとっては有効な成分を多く含んだ物かもしれません。
しかし、その実ですら、植物が人間の体にとって何が毒なのかを徹底的に調べて作ったものではありません。
短期的には栄養価が高くて良いが、長期的には毒が蓄積されて死ぬなんてケースもあるかもしれません。
だって植物にとっては、種を含んだ果肉を食べて今の地点よりも離れてくれれば、それで良いわけですから。

これが、球根や根や葉の部分になってくると、更にややこしくなってきます。
というのも、そもそも球根・根・葉というのは、植物にとっては食べられる前提のものではありません。
むしろ、食べられると自身が死んでしまいます。
植物は自身が食べられない為に、それこそ必至に、自身の身を守ることを考えます。
その方法の大半が、体内で毒を生成して食べに来るものを殺すというものです。
よく、ジャガイモの芽は取らないと駄目と言いますが、あれはソラニンという毒が含まれているからです。

にも関わらず、『オーガニック食材を食べだしてから調子が良い! アレルギーも無くなった!』なんて人が出てくるのは、この呪文による魔法が発動しているからなんでしょう。

無添加』なんてのは、更に訳がわかりません。
無添加寿司』なんてのを謳い文句にしているチェーン店が有りますが、そもそも外食の寿司屋で、添加物を入れている寿司屋がどれほどあるのかもわからない。
また、人の死亡率を考えると『添加物』が開発されてからの方が寿命が伸びているんじゃないかとも思えるわけで、本当に体に悪いかどうかもわからない。
でも、『添加物』という言葉の持つ魔力・呪力は強いようで、『無添加』と書いてあるだけで、どことなく安心が得られてしまう人って多いと思います。
そして、実際に体に良いと思い込んで食べる事で、本当に体の調子が良くなるケースが有ったりするから不思議です。

ただの食材であったり料理でしか無いものにワンフレーズ付け加えるだけで、本来そのものが持つ質が変化するというのは、かなり面白いですよね。
…と、食品の例だけでかなり長くなってきたので、続きはまた次回とさせて頂きます。

【イベント潜入】 魔法 vs 科学 in なんば紅鶴

2016年8月14日の事ですが、大阪の味園ビルにあるライブハウスで行われた、【魔法vs科学】というイベントが開催されました。
この番組は、オカルト系の【東京ポッドキャスト】と科学系の【青春あるでひど】の、私が大好きな2つのPodcast番組の合同企画で、オカルト目線と科学目線で一つのテーマについて考えてみようという企画です。

青春あるでひど

青春あるでひど

https://itunes.apple.com/jp/podcast/dong-jingpoddokyasuto/id596242598?mt=2&at=10l8JW&ct=hatenablog

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今回の開催で、延べ4回の開催。
主催者によると、今までのイベントは前座で、これからが本当にやりたかったことのようです。

満を持しての開催ということで、今回のテーマは【死】
科学でもオカルトでも、死は避けて通れないテーマですから、私はイベント前から興味津々状態。
かなりの期待を胸に、大阪まで行ってまいりました。

観た感想としては、単純に『凄かった』です。
イベント自体は3時間ほど行われたのですが、その間中、ビシバシと影響を受け続けてしまいました。
という事で今回は、このイベントのことについて書いていきます。

イベント内では、話があちこちに飛びつつも様々な話をされたのですが、その中でも面白かったのが『死者がこの世の多数派になり、世の中を支配する』といった話でしょうか。
これだけを聞くと、かなりオカルティックな話なので、『何を馬鹿なことを行っているの?幽霊とか科学的に証明されてるの?』なんて反論する方も居らっしゃるでしょう。
ですが実際に話を聞くと、もの凄い説得力がある話で、『未来が楽しみ』『面白い』というもの意外に『恐怖』という感情を抱いてしまいました。

もう少し、具体的に書いていきましょう。
今の世の中は、リアルな空間だけではなく、サイバー空間で人々がつながっています。
Twitterfacebookは勿論ですが、Amazonで何かを購入すると販売履歴は取られていますし、Tポイント等も顧客の販売履歴を集めてビッグデータ化して販売をしていますよね。
私達がなにか困ったときは、とりあえずネットを介してgoogleで調べ物をします。
これらの行動により、私達の行動の大半はデジタル化され、何処かのサーバーに記録されていることになります。

その一方で、最近もう一つ発達してきた技術として、人工知能が存在します。
人工知能は自己学習で学ぶところまで進んでおり、少し前に囲碁で人間を打ち負かしたことでも注目を浴びていますよね。
この人工知能と、先ほどのビッグデータをかけ合わせるととうなるのかというと、将来的に、自分自身よりも自分のことをよく知っている知能がネット上に存在するなんて事も考えられます。

ではこの話が、【死】とどの様に関わってくるのでしょうか。

この事を考える前に、まず人が考える【死】について考えていきましょう。
【死】とは人間が活動を停止する事ですが、今の世の中の場合は、何を持って活動の停止というのかという問題があります。
皆さんの周りにも、実際にはほとんど顔を合わせないけれども、SNSだけでつながっている関係の人が、いらっしゃるのではないでしょうか。

その様な人が亡くなる事をしる機会というのは、更新が止まり続けて『もしかして?』なんて気づき方か、家族の方がログインして死亡したことを伝えるか、リアルで会っている人が報告するぐらいしか知る方法がありません。
逆の言い方をすると、亡くなった状態でも更新が続いていれば、『SNS内では死んだ事にはなっていない。』なんて不思議な事にもなってしまうわけです。

では、本人が死んだ状態で更新が続くという状況はどういう状況なのか。
Twitterなどでは、botなんてものが存在しますよね。
botは、機械による自動発言システムの事で、予め打ち込んでいた言葉をランダムで投稿してくれるシステムです。
コンテンツ制作者が、宣伝を行う為に定型文を定期的に投稿するといった感じで利用されていたりしますよね。

これを応用し、もし仮に、本人が死んだ後も、botが本人が呟きそうなことを自動生成して更新し続けてくれるシステムが有ったとしたらどうでしょう。
今の人工知能は、特定分野に特化した状態では、小説を書くことも絵画を描くことも可能です。
つい先日も、レンブラントの過去の絵画を人工知能におぼえさせることで、レンブラントの新作を人工知能が書いたりもしていましたよね。
SNSの投稿レベルであれば、人工知能を使って自分が書きそうな事をつぶやかせるなんてことは、結構、簡単なことだったりします。

昔は個人でサイトを作って自己主張をしていたものがブログサービスに移行し、それがSNSの登場によって更に簡略化されています。
そしてLINEでは、言葉ですら無く、スタンプのやり取りのみでコミュニケーションがとられる様に変化してきた事を考えると、『自己主張はしたいし、自分に向けてのアクションは欲しいけど、コンテンツ作りは面倒くさい』なんて事を考える人達がいて、その人達のニーズに応えるために、自動で呟いてくれるなんてサービスが登場したとしても、不思議なことではないでしょう。
この様なサービスを申し込んだ上で、その人物が亡くなった場合、本人はこの世に存在しないのにネット上では相変わらず更新が行われてしまいます。
これは言い換えれば、故人の人格がネットワーク上で生き続けている状態とも考えられます。

人格を模写した人工知能が、ネットに溢れる情報の中から故人の好きそうな情報を元にして、発言しそうな内容を自動生成して呟く。
この状態が長い年月続くと、いずれネット内での生者と死者の数の逆転現象が起こるでしょう。

人工知能に人間の思考の癖を覚えさせることで、コンテンツを自動生成出来るようになってくる。
最近のディープラーニング等を観ていると、ネット内で試写が生み出したネタなどを元に人工知能がリアクションを起こし、死者が死者のネタで新たなコンテンツを創りだすなんて世界も、近い将来で起こるかもしれません。
こういう状態になると、企業の広告の手段も変化する可能性が出てきます。

例えば、今は広告手段の一つとしてSNSでバズらせるなんて手法も有りますが、ネットで活発に発信している死者が生者の数を上回って主導権を握った場合、死者のbotに対して販促活動を行い、バズらせる事で話題を呼び、生者の購買意欲を刺激するといった方法も考えられます。
こうなってくると、結果として世の中の主体が死者に移ってしまうという現象が起こることも考えられるわけです。

『そんなのは変だ!』と思われるかもしれませんが、bot自体が自身がbotであることを公開していなければ、更新しているのが人間なのか人工知能なのかは傍から観ている分にはわからないわけです。
資本主義にとって重要なのは、『金が稼げること』なので、大半がbotかも知れない層に働きかけることが広告として有効なのであれば、当然のようにbotにアプローチするでしょう。

こうなると、この世にとっての生者の価値は、生まれ持ったパーソナリティーをネットに吸い取られる苗床ぐらいの価値しか無くなってしまうなんてことにもなるかもしれませんね。
『死者がこの世の多数派になり、世の中を支配する』という文を読むだけでは、かなりオカルト色が強い感じですが、実際に話しを聞くと、現在からもう少しだけ科学が進んだ未来に実際に起こりそうな現実的な話で、かなり刺激を受けました。


今回書いた内容は、私がイベントを聴いて理解できた範囲のことを一部分だけ抜粋して書きましたが、実際のイベントは3時間行われ、内容も多岐に渡っていました。
今後も、どれぐらい先になるかは分かりませんが、イベントは行われると思われるので、興味を持たれた方は、足を運んでみては如何でしょうか。

【イベント潜入】 LOTトークライブイベント ヒューマン

今年(2016年)の8月は、11日に山の日という祭日が出来た為、お盆休みが結構な連休になりました。
それに合わせてなのか、8月中盤にイベントが結構設定されていました。
そんなイベントの1つに、私が普段から聞いている【リビングオンザトーキン(LOT)】のイベントが有ったので、行ってきました。

リビングオンザトーキン(LOT)というのは、ミュージシャンのsasayama.さんと、スタッフのシンザキさんによるPodcast(webラジオ)。
特にテーマがあるわけでもなく、物事を小難しく深く掘り下げることもない。
基本的にはフリートークで、シンザキさんが興味を持っていることや思っている事をsasayama.さんに対して話したりプレゼンしたりし、それに対してsasayama.さんが疑問や感想を投げかけることで、トークが二転三転するというスタイルの番組です。

テーマも無く、漫才のようにネタが決まっているわけでもないので、トークがどの様に転がっていくかが演者すらもわからないという、ちょっとしたハラハラ感。
その状態で、一定の笑いを取らなければ!と頑張る演者の姿を見て、楽しむといった感じでしょうか。

リビングオンザトーキン!!(LOT)

リビングオンザトーキン!!(LOT)

  • SASAYAMA.とシンザキ
  • 趣味
  • ¥0

そんな番組の、今回で9回目?となるイベントが、神戸16bitで開催されたので、参加してまいりました。
INFO 16bit | KOBE 16bit

イベントは16時から。
開始と同時に、おもむろに音楽が流れ出す。
その音楽に乗せてシンザキさんが登場し、その音楽の歌詞と同じジェスチャー行う。
事前に曲のタイトルを知らされていたかどうかはわからないが、意外に早い曲の流れに真剣に、そして必至に合わせようとしている姿は、何故か笑えました。
これは別に見下しているわけでもなく、私自身が人前で必死になって何かを表現することが出来ないことの裏返しなのかもしれません。

そんな感じで笑いながらその光景を観ていると、曲が1番の途中まで差し掛かった所で、後ろのほうで少し騒ぎが有り、『なんだろう?』と思っていると、観客の1人がsasayama.さんに背中を押される形で、強制的に舞台に上げられました。
トークライブの開催側は事前にある程度の心の準備が出来ているからまだしも、なんの前触れもなく、いきなり舞台に上げられた観客のJさん(仮名)の驚きようといったら、とんでもないものだったでしょう。
それがもし私だったら、確実に頭が真っ白になって立ちすくんでいましたね。

しかし、凄いのがJさん。
ドッキリを仕掛けられてのにも関わらず、一瞬で場の状況を理解して、音楽に乗りながらシンザキさんと一緒に踊り出し、最終的には主導権を握って先導するまでになっていました。
最初から舞台に上がっていたシンザキさんも、最初こそ驚いていましたが、コンマ数秒で立てなおして舞台を継続されていたのには驚きました。
これには、ちょっと感動してしまいました。

これも、舞台に上げる人選を間違っていたら、シラけてしまっていたことでしょう。
こんな大胆なことが出来るのも、sasayama.さんという方がいたからこそなんだと思います。

というのも、sasayama.さんという方は、話し方や切り込み方で誤解されている方も居らっしゃるかもしれませんが、私の知る限りにおいて、誰よりも身近にいる方を大切にしてらっしゃる方なんですよね。
関係を持った方がコンテンツを作っている場合は、そのコンテンツをしっかりとチェックされていますし、Twitterなどでコンテンツの感想が有った場合なども、その大半に目を通しておられます。
イベントなどで実際に顔を合わせた時などにも話しかけてくださるので、sasayama.さんに接点がある人のことは、ある程度は知り尽くしている感があるんですよね。
『神は乗り越えられない試練は与えない』なんて言いますが、、知人の事をある程度知り尽くしているsasayama.さんが『大丈夫。』と判断出来た人物だったからこそ、成功したんでしょう。

こうして振り返ってみると、ドッキリ・ファンとの親密度・シンザキさんの想定がsasayama.さんによって変えられるといったLOTの本質が、5分程度のパフォーマンスに全て詰め込まれていたような気さえしてきます。

このパフォーマンスは、動きが中心のコンテンツとなっている為、音声コンテンツであるPodcast等では配信されないでしょう。
行った人だけが楽しさを共有できるという意味では、行って良かったと思いました。
こういった試みは前回ぐらいから行われているようで、おそらく今後も継続していくと思われます。

パフォーマンスの性質上、『待っていればイベントの音声が公開されるから、わざわざ行かなくていいや。』とイベントに参加しない人は、楽しめない仕様になっていますので、普段からこのPodcastを聞いていて興味を持っておられる方は、雰囲気を感じるためにも、一度ぐらいは参加してみても良いのではないでしょうか。

サラッと観ても楽しめて、深く考えるといろいろと考察できるパフォーマンスが終わった後は、シンザキ氏による選手宣誓と、このイベントではお約束となっている差出人不明の手紙の朗読が有り、オープニングは終了。
その後は、1時間程度の本編が3本行われ、エンディングを迎えました。
おそらくこの部分は音声で公開されると思うので、この辺りの部分は割愛させて頂きます。


イベントも無事に終了し、皆でライブハウスを出て一旦待機した後は、交流会のスタートです。
この会が毎回有るかどうかは分からないのですが、私が観覧に行った際には毎回、開催されている交流会ですが、これが結構面白いんです。
sasayama.さんやシンザキさんといった主催者は勿論のこと、一緒に観覧していた人達とも会話を楽しめるのが、このイベントの面白いところなんですよね。
ラジオというメディアは、基本的には一人で聴く事が多い為、他の人と感想やイメージを共有するなんてことは余り行いません。

しかし、イベントで集まってきた人達は、確実に同じラジオを聞いているわけです。
その人達とコミュニケーションが取れる機会があるというのは、結構、面白いんです。

私は電車の都合上、22時過ぎには会場を後にすることが多いのですが、結構遅い時間まで開催されているとの噂なので、『ラジオ仲間が欲しい』人達や、『いつも聞いているパーソナリティーの方と話してみたい!』って方は、参加してみると良いと思いますよ。
イベントの観覧料金は2000円ですが、早めに帰った私でも6時間以上楽しめたので、結構、コストパフォマンスの高いイベントだと思います。
次回は11月の予定のようなので、都合の合う方は、行ってみては如何でしょうか。

【本の紹介】 すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)

今回紹介する本は、芸人のマキタスポーツさんが書かれた、『すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)』です。



マキタスポーツさんといえば、最近ではドラマなどでも見かけるようになりましたが、私が最初に拝見した時は、音楽を用いたネタを披露する芸人の方でした。
どちらかと言うとお笑い寄りの芸をされる方なのですが、私の印象としては、デフォルメして崩しまくったモノマネをして笑いを取るというよりも、少し知的な感じが漂うネタをされる印象の方です。




そんな、マキタスポーツさんについて、少し前にこんな噂を聞きました。
『今流行している曲を大量に集めて、その中の歌詞にどんなワードが使われているかを検証し、泣ける曲を計算して作って、実際にヒットした。』
この話を聴いて、『面白いアプローチだな。』と関心した私は、早速、ネットで検索をかけ、この本に辿り着きました。

実際に読んでみた印象ですが、『すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)』というタイトルだけを観ると、現在のJ-POPを馬鹿にしているようにもとれますが、実際にはそんなことは有りませんでした。
本の出版は、買ってもらわなければ話しにならないので、基本的に過激なタイトルを付けがちなんですが、この作品もその一つと言って良いでしょう。
ではタイトル詐欺なのかというと、そうでもなく、本全体を通して読むと、タイトル通りの内容といった感じ。
これの投稿を読まれている方は、若干、感想がブレているように感じられるかもしれませんが、『タイトルに嘘はないけれども、それほど過激でもなく、J-POPもdisってませんよ。』って事ですね。

読んだ感想ですが、音楽に興味が無い人が読んだとしても、何かしら吸収できる内容になっていると思います。
本の内容をすべて紹介してしまうと営業妨害になりますので書けませんが、かといって、私の表現能力では内容に触れずに書くことは不可能なので、少し内容に触れて書くと、この本には物を創りだす方法が書かれています。

私自身は、音楽に特に詳しいわけでもなく、自身で楽器演奏や作曲などを行うわけでは有りません。
しかし、仕事が製造業であるため、毎日の様にモノの生産には携わっています。
また、ブログという形で自身の考えなどを文章に起こして書いているわけですが、これも大まかに分けるとコンテンツ生産に入るでしょう。

こういった私の視点から読んでも、参考になることや、私自身がこれまで制作する過程で考えてきた事と共通する部分が多く書かれていました。

では、どのようなことが書かれていたのかというと、『無から物を作り出せる人間はいない』という事です。
人が創りだすものという行為は、基本的には『A』という物と『B』という物を組み合わせて、『C』という新しく見えるものを作っているだけです。
何も無いところから『C』を生み出す人はいません。

元となる『A』を、どのような形で『B』と関連付けをするのかというのが、世間一般で言うところのオリジナリティーというわけです。
この、組み合わせや関連付けと言うのは、必ずしも足し算というわけでは有りません。
分かりやすいのは、美術の世界でしょう。
美術は、基本的には従来のものとは違う作品を生み出す歴史です。
昔は、目の前にある被写体を、どの様にしてリアルに書くのかに重点が置かれ、陰影や遠近法等の技術が開発されませいた。
しかし、そこに写真という技術が生まれてしまいました。

被写体をそのまま描き出すという店においては、カメラ以上に手軽で正確なものは有りません。
そこで絵画は、自身が生き残る手段として、ありのままを書くのではなく、『絵である』という事を極端に主張する為に、筆のタッチを残す手法が生まれます。
それが、印象派ですね。

つまり、絵画というものに対してカメラという存在が影響を与えた事によって生み出されたわけです。
美術の世界では、今まで行われていなかったことやタブー視されていた事を、敢えて行う『カウンター』が多く使用される場合が多いですね。
カウンター以外にも、既存のモノの良い点を更に追求して尖らせたり、別角度の視点を導入するなど様々な方法が有りますが、基本的には、『既存のもの』に対してどの様な変化を加えるかという方法で変化が起こっています。
『A』というものに対して『B』という価値観を組み合わせることで、『C』という物を生み出してきたわけです。

この本では、この理論を音楽で実践する為に、どのような行動を起こしたかということが丁寧に解説されています。
本の書き方的に理論重視の為、もしかすると、『自分は音楽を魂で作っているんだ!』なんて主張する人にとっては、面白くないし、神経を逆なでするような内容かもしれません。
しかし、音楽を工業製品と割り切って考えられる人にとっては、参考になる内容だと思いましたね。

ただ注意点としては、ここに書かれているのは『製品の創りだし方』であって、これを読んだからといって、良作が量産できるというものでは有りません。
『A』というものに対して『B』というアプローチをして『C』というものを創りだすという法則ですが、これ自体は間違いではないでしょう。
ですが、より良いものを作るためには、ベースと成る『A』のデータ量が大量に必要になる為、日々の勉強が大切になってくるでしょう。
また、そのベースに対して『B』のアプローチ結果がどのように成るのかといった試行錯誤も必要になってきます。
本の中では簡単そうに紹介されていますが、元となる法則は簡単でも、実践する為には膨大な時間と努力が必要になってくるんですよね。

…と、こういったことが書かれている為、音楽好きで無い人が読んだとしても、得るものはありますし楽しめる内容になっているのではないでしょうか。
文章も読みやすく書かれている為、普段から本に接していない人でも簡単に読むことが出来る仕上がりとなっています。
気になった方は、読んでみては如何でしょうか。

【ゲーム紹介】 真・女神転生IV  (3DS)

今回紹介するゲームは、真・女神転生IV です。



今年の初め(2016年2月)に、この作品の続編である【真・女神転生IV FINAL】が発売されましたが、今回の記事はその前作となる無印の方ですので、お間違えなく。
女神転生シリーズといえば、多くのマニアックなファンを抱えるシリーズ。
RPGゲームの舞台といえば、中世のヨーロッパのファンタジー世界と相場が決まっていた時代に、現代の東京を舞台にした事で異彩を放っていたゲームです。
その最新作の完結編の良い評価を立て続けに聴き、少し興味を持って値段を調べてみたところ、ベスト盤がでて価格も大きく下がっていたので、購入してみました。

やってみた感想としては最初は『???』って感じ。
というのも先程も書きましたが、このシリーズは、他のゲームメーカーが中世ヨーロッパやそれを基にしたファンタジー世界を舞台にした作品を作っている時に、現代の東京を舞台にして差別化をはかったシリーズ。
にも関わらず、このゲームの最序盤は、中世ヨーロッパのファンタジー世界的な舞台なんですよね。
中央に城がそびえ建ち、そこに住む人達には、『ラグジュアリーズ』と『カジュアリティーズ』という身分制度が存在する。

ラグジュアリーズは、カジュアリティーズを出生の違いだけで見下して差別するという、昔の貴族と平民の様な構図になっています。
この世界では年に一回だけ、特定の年齢に達したもの全員がサムライに成るためのテストを、儀式的に行います。
特に野心もなく、サムライに成る事にこだわりも無かった主人公ですが、サムライの試験に合格してしまい、その後は流されるように物語が展開していく…

正に、昔の王道的なRPGの設定。

正直、私がメガテンシリーズに求めていたのは、こんな王道的なものでは有りませんでした。
基本的にひねくれ者の私は、他のメーカーがやらないような設定で制作されていた事に興味を持っていたんです。
それを今更、こんな王道的な設定にしてしまうとは…と、最初は少々がっかりしてからのスタートでした。

しかし、買って早々にやらなくなるのも、なにか負けたような気がする。
また、私が結構信頼している人達が総じて『面白い!』という感想を漏らしていたのも気になったので、とりあえず続けてみました。
一通り町の人の話を聴いて世界観を理解するように勤め、最初のチュートリアルのダンジョンに突入。
ここまでは、本当によくある感じのRPG。

ダンジョンも闇雲に潜るのではなく、上司が丁寧に達成すべき目標を与えてくれるので、お使いをこなすだけの非常に楽な…
楽な??
『えぇ!!』
ここで問題発生、敵が強すぎる。
最初は自分一人から始まり、メガテンシリーズの醍醐味である悪魔との交渉を行うことで、仲間を増やしていくわけですが…
敵がなかなか交渉に応じず、仲間にならない。
まぁ、簡単に仲間になると、それはそれで楽しさが半減するのでしょうが、最初はこの状態が、とにかくつらい。
交渉が決裂するとターンが敵に移るわけですが、仲間が少ない間は、この時点でゲームオーバーが確定。

仮に仲間を3体集めることに成功しても、敵に先制をとられるとアッサリと全滅してしまう程のゲームバランス。
私の場合は、このチュートリアルのダンジョンでのお使いクエストを消化するだけで、2時間以上を費やする事になりました。

私が想像していた世界観と違い、ゲームバランスも『これでもか!』という程に高く設定されている。
この時点で、やる気が結構削がれてしまいました。
本来ならやめても良かったのですが、『ノクターン』『ソウルハッカーズ』『ペルソナシリーズ』『デジタルデビルサーガ』と、メガテンシリーズをやり続け、マニアとまでは行かずともシリーズのファンである私は、『最後まで見届けよう』と思い、頑張って最初のダンジョンをクリアーしました。

その先に待っていたのは…
正に、驚きの連続でした。
引き込まれるストーリー!魅力的なキャラクター!謎だらけの世界観!!

私が期待していた通りの世界が、初期ダンジョンの先に広がっていました。
これぞメガテン!って感じでしょうか。

ここ最近は、ゲームといえば、高スペックの据え置き機を前提としたオープンワールドが主流になりつつ有り、私もそんなゲームばかりをしていました。
昔ながらのJRPGは時代遅れなんて意見もよく聴きますが、このスタイルのゲームも、シナリオが魅力的であれば充分に楽しめるのだなと、このゲームを通して再確認出来ましたね。

ゲームのプレイヤーに、基本的だけど生きていくために大切な質問を投げつけるのも相変わらずですし、その質問の答えがマルチエンディングに絡んでくるのも今まで通りでは有りますが、それが面白い。
時間のない現在では、この様なJRPG攻略サイトを見て最短距離を進むのが王道なのかもしれないですが、この作品は、是非、何も参考にせずに、自分の思うがままにプレイしてエンディングを見て欲しい作品ですね。
興味を持たれた方は、一度プレイしてみては如何でしょうか。

不動産投資のリスクについて考える (後編)

今回の投稿は前回の続きとなっています。
まだ読まれていない方は、そちらから読んでいただければ幸いです。
kimniy8.hatenablog.com

前回の投稿を簡単に振り返ると、『世間に溢れている不動産投資関連の広告は、メリットだけが過剰に宣伝されていて、リスクが考慮されていませんよ』という内容でした。
宣伝文句通りに確実に儲かるのであれば、わざわざコストをかけて一般人に知らせて投資を募らず、不動産業者が自ら投資を行いますもんね。
という事で今回は、無視されがちなデメリットを考慮した上で、不動産投資について考えていきます。

前回紹介した不動産投資の条件としては
・不動産の運用利回りは6~7%
・土地は業者が独自のネットワークを駆使して好立地で一般の不動産市場に出回っていない掘り出し物を紹介してくれる
・お金がない場合、土地取得と建設費用の全額を貸し付けてくれる金融機関を紹介してくれる
こんな感じの、至れり尽くせりのプランでした。
これを信じるのであれば、20年程度で家賃収入だけで借入金を完済できる計算になります。
20年で家賃収入を生み出してくれる物件が実質無料で手に入るのであれば、誰だってやりたいですよね?

この情報に欠けているのが、不動産投資のリスクです。
では、不動産投資にはどんなリスクがあるのでしょうか。
順を追ってみてみましょう。

1.空室リスク
不動産投資は、自分が所有する物件を他人に貸すことで利益をえるわけですが、借りる人がいなければ収入は有りません。
1棟10戸のアパートで、空室が3室の場合は、収入は3割減となってしまいます。
新築の場合は、部屋が綺麗ということも有って空室率は低く抑えられると思いますが、年数が経てば経つほど条件は悪化するわけですから、空室率は上昇してしまいがちです。

2.家賃引き下げによる収入源。
先程も書きましたが、新築であれば強気の家賃でも入居者を確保できる可能性は有りますが、年数が経てば経つほど建物は老朽化していって入居者を確保するのが難しくなります。
同じ条件の圏内に新たな賃貸マンション・アパートが建てば、客はそちらに流れるわけですから、それらと勝負するためには、家賃を引き下げる必要が出てきます。

これだけを考えても分かりますが、長期的に6~7%の運用利回りを確保するのは、かなりの努力が必要でしょう。
経年劣化などを考えると、収入は年々減少することを考慮する必要があります。
最初の条件では20年程度で完済できると書きましたが、これを考慮すると、完済までの期間は更に伸びる可能性も考えておくべきでしょう。

3.不動産の管理費用です。
不動産投資は、貸したらそれで終わりというわけでは有りません。
住民たちは、何かトラブルがあると大家を頼ってくるわけですから、それらに対処していく必要があります。
この管理を不動産業者に任せる場合は、管理手数料を支払わなくてはなりません。
当然のことですが、手数料分、利益は圧迫されることになります。
『不動産管理会社に手数料を支払いたくないので、自分で管理をする!』って人もいらっしゃるでしょう。
しかし、実際に知り合いで大家をされている方に話を聴いた所、共有スペースの掃除や各トラブルへの対処等を全て自分で行うのであれば、他の仕事の片手間で出来る程、生易しいものではないらしいです。
それこそ、大家業としてやらなければならないようで、拘束時間もそれなりにあるようです。

こうなってくると、話は変わってきますよね。
大家業で拘束されている時間を他の仕事に充てた場合、どれだけ稼げるのかという計算が必要になってきます。

4.対人トラブル
入ってくる入居者がみんな善人で、支払日に確実に家賃を支払ってくれる人ばかりとは限りません。
私が以前、観に行ったトークライブで、『家賃滞納100ヶ月!』と語っている芸人の方がいらっしゃいました。
これが本当のことなのかは知りませんが、この様なトラブルも想定しておく必要があります。
また、トラブルメーカーが入居してきて、周りに迷惑をかけまくるなんて事もあるかもしれません。
こうなると、自身の物件の空室率にも響いてきますね。

5.修繕費
建物というのは実態が有るので、何か有った際に壊れることがあります。
当然、これを修理しないと、ただでさえ毎年下がる物件価値が更に下がる事になりますし、新規入居者を募る際の家賃にも響いてきます。
ただ、修理するには修繕費という経費がかかりますし、災害を予想して保険に入ると、保険料によって利益は更に圧迫されてしまいます。

6.出口戦略
投資は、最終的にどれほどのお金が手元に残っているかで、成功か失敗かが別れます。
例えば債権などは、利率は非常に低いのにもかかわらず人気が高いのは、償還日まで保有していれば、元本がそのまま返ってくるからです。
金などの商品・株などの証券投資などは、元本保証では有りませんが、取引市場が整備されている上、販売されているものに統一感が有る為、売却するのは比較的簡単です。
ソニーの100株は、どの地域の誰が持っていたとしてもソニー株100株以上の価値はなく、金は何処の国の人がが保有していたとしても、提示額の価値しかない)

しかし不動産はどうでしょう。35年ローンが終わり借金も返済した後、その物件を売却しようとしたとします。
その立地の不動産はこの世で一つですし、適正な値段がいくらなのかが不透明です。
周囲の環境と比べて参考価格を出すことは出来ますが、全く同じ立地の土地がない以上、参考でしか有りません。
その為、不動産市場が整備されていたとしても、売れる時期も売却価格も予想がつきにくいです。
また、貴方が売却しようと思っている土地に立っているのは、築35年の老朽化した賃貸物件です。
35年経過した住宅は、日本の場合は資産価値が有りません。
では土地の価格のみでの販売になるのかといえば、そうでも無い。
その土地を購入した人が、そのボロ物件で賃貸業をする為に購入するならまだしも、別の用途で使用する場合は、物件を取り壊す必要があります。
購入してから自身で取り壊すと解体費用分が割高になる為、購入者が余程その土地に執着してないかぎり、更地を購入したほうがマシという事になります。
こうなると、解体費用分を値引きして売却希望額を出す必要も出てきます。

また今の時代、更に気をつけなければならないのが、35年後の不動産市場でしょう。
日本では少子化と東京一極集中が進んでいるため、地方都市の入居希望社や不動産購入者は激減していると予測されます。
その市場で自分が満足する値段で賃貸・売却できるのかという問題があります。

以上のことを考慮すると、不動産投資というのは商品や証券投資の様なものとは違い、賃貸業者の経営者になる事と同意とも考えられます。
賃貸業の経営者となって35年も働いて、結果的に1000万程度の利益を得たとしても、年換算で考えると年収30万円弱となります。
仮に倍儲かったとしても、年60万円。
これが割に合うのかという話ですね。

ここまで苦労し大きなリスクを抱え、この程度の利益しか手に出来ないのであれば、適当な土地を見つけて欲の皮が突っ張った馬鹿に転売する方がよほど効率が良い。
その土地にアパートを建設し、建設費をピンハネ出来れば、更に効率良く低リスクで儲けることが出来る。
これで分かりましたよね。不動産会社がわざわざ高額なTV広告費を支払ってまで、不動産投資を勧めてくる理由が。

…と、今回はリスクを重点的に書きましたが、不動産投資は経営なので、経営手腕が有れば儲けることも可能でしょう。
ただ、少子化で人口減が分かっている今の地合いでは、経営手腕があるのであれば不動産以外の他の事業を始めるほうが、まだ稼ぎやすいような気もしますけどね。

不動産投資のリスクについて考える (前編)

ここ最近、私の済む地域では、またマンション建設が始まりました。
徒歩圏内で既に4棟の建設が行われ、少し落ち着いてきたところでのマンション建設。
ここまで大量に建設して、本当に大丈夫なのかと家主を心配してしまう程です。

という事で今回は、前にも少し書いたことが有りますが、不動産投資について今一度、考えていきます。

この様なマンションラッシュは、私の住む地域だけでなく、全国的に起こっているようです。
建設ラッシュはいつから始まったのか。記憶を辿ると、東北地震だったように思います。
地震津波で多くの家屋が倒壊し、復興需要が盛り上がっている時に政権交代が起こり、安倍政権に変わってからは建設関連の公共事業が更に増え、建設会社の供給のキャパを超えてしまって建設費が高騰。
それに追い打ちを書けるように東京オリンピックが決定し、それに伴う建設需要が重なって、住宅の建設コストが更に高騰。

もともと建設計画を進めていた人達は、これらの事が起こる前は買い手市場の為、ゆっくりと計画を進めていたが、一気に建設コストが上昇した為、建設コストが上昇しきる前に慌てて発注したというところでしょうか。
市場って、本当に面白いですね。
直ぐに手に入ると思っている間は、じっくり検討しようと思うけど、いざ価格が上昇してしまうと、冷静な判断を失って我先にと飛びついてしまう。
政府がインフレを狙っているのも、この様な動きが建設だけでなく全ての消費市場に拡大することを狙ってのことなんでしょうね。

不動産業界も、ここぞとばかりに『土地や頭金が無くても、今直ぐ始められるマンション経営!』『家賃保証で安定した収益を!』なんて聞こえの良いCMを打ちまくり、ここぞとばかりに稼ごうと必死ですね。
そういう広告を目にした欲の皮が突っ張った人達は、儲けたい一心で我先にと不動産屋に向かってしまうかもしれませんが…

その前に深呼吸をし、少し冷静になって考えてみましょう。
冷静さを欠く判断というのは、多くの場合は失敗する可能性が高いんです。
それが、自分の知らない分野の話となると、尚更です。

まず一つ、冷静になって考えて欲しいのが、『不動産業界は何故、儲け話を、わざわざ広告料金を支払ってまで一般の人に伝えようとしているのか。』という事です。
もし仮に、貴方が確実に100万円設ける方法を編み出した場合、その方法を、広告料金を支払ってまで他の人に教えようとするでしょうか?
普通の人間であれば、その儲ける方法を自分一人で実行するはずです。
その方法は儲けが独占できず、且つ、数人がその手法を真似した程度では自分の儲けに影響が出ない場合は、他人には教えないという確約を得た上で仲の良い友達に教えるなり、それなりのお金を授業料という形で貰うなりして教えるのではないでしょうか。

しかし不動産は、親切丁寧に、『土地や頭金が無くても、不動産投資は出来るんですよ!』と多額のお金を広告費として使ってまで、私たちに教えてくれています。

その広告の情報を元にサイトを訪れてみると、本当に至れり尽くせり状態。
なんでも、駅近くの非常に良い立地の土地を紹介してくれて、その土地に物件まで建ててくれる。
しかもこの土地は、一般的な不動産市場に出回っていない、掘り出し物と言っても良い程の好条件の土地。

物件取得の為の頭金がなくても、建設費と土地の取得費用を貸してくれる、金融機関まで紹介してくれる。
全額借金で購入したとしても、借入金は安い場合で1%台で35年ローン。
その一方で、この不動産会社が推薦する土地にアパートを建設すると、6~7%の家賃収入が入る為、差額として5~6%も手にすることが出来る。
少なくとも20年程度で、家賃収入だけでローンを完済できてしまう。
正に、夢の様なプランです。

自分に何の資産も無くても、20年で土地とアパートが実質無料で手に入り、その後の家賃収入は全額、自分のもの。
こんな素敵なプランを広告費を出してまで一般人に教えてくれる不動産会社は、なんて素敵な会社でしょう!!
例えるなら、見ず知らずの人が不意に現れて、『貴方に高級料理をごちそうしますよ。』と貴方を誘い、高級料理店に連れて行ってくれた上に料理を取り皿に分けてくれて、一口サイズにした料理を箸でつまんで口まで運んでくれる様なものです。
こんなにも美味しい話が、あって良いのでしょうか。

皆がこんなにも他人のことを考えて動いてくれるなら、こんなにも素晴らしいことは有りません。
この動きが全世界に広がれば、世の中はもっと暮らしやすい世の中になるでしょう。
しかし世の中は、こんなにも美しいものでは有りません。

美味しい話には裏があるのが世の常です。

この話を冷静に考えてみましょう。
仮に、何年にも渡って安定的に6~7%も稼ぎだす、好立地の土地が有ったとします。
しかもその土地は、不動産市場にも出回っていないような、自分達が見つけ出した掘り出し物。
今すぐに購入するだけの資金がなかったとしても、今の金余りの超低金利の世の中では、担保さえあれば資金調達は容易に出来る状態。
ここまで条件が揃っているのであれば、業者は自分達で購入して運用するのではないでしょうか。

それをわざわざ高額なTV広告を出して他人に進めるということは、実際に運用を行ったとしても、リターンに対して充分なメリットが得られないと考えているからでしょう。

しかし変ですよね。
条件を見る限り、どう考えても儲かることしか考えられないのに、何故なのか。
答えは簡単で、この条件は希望的観測に過ぎず、且つ、デメリットやリスクを無かった事にしているからです。

私は以前、不動産会社で営業をしている人間に話を聴いたことが有りましたが、『聞かれない限り不利になることは言わないので、スマホを持たない老人は良いカモだ。』と言っておりました。
その際、私が『専門家で助言するはずの業者が騙しにかかると、消費者は抵抗できなくて大変だね』とツッコミを入れると、声を荒げて怒鳴られてしまった記憶があります。
当然、そんな人間とはソレっきりですけどね。

このことからも分かる通り、業者はメリットだけを過剰に宣伝し、デメリットは聞かれない限り、極力、伝えないんです。
都合の良い情報で相手の頭を一杯にし、夢の様なビジョンを勝手に妄想させる。
これは一種の情報操作で、洗脳の基本ですよね。

こうなった客は、まだ手にしていない利益の使いみちを考えるのに必死で、リスクの方に目が行かず、契約してしまうというわけです。
では具体的に、不動産投資にはどんなリスクがあるのかを考えていこうと思うのですが…
結構長くなってしまったので、続きはまた次回という事で。

【おすすめPodcast紹介】 ラジオ酒場

私の独断と偏見のPodcast紹介コーナー。
第115回。

過去に書いた投稿
タイトル紹介はこちら
エピソード紹介はこちら

今回は、【ラジオ酒場】

ラジオ酒場

ラジオ酒場

です。


今回紹介するwebラジオは、【ラジオ酒場】
公式サイトの説明を引用すると
『ミナミの某所にあると言われる鄙びた路地裏の雑居ビル、通称「ラジオ酒場」。
その中でひっそりと営まれている場末の社交場「スナックねひ。」「すたんどばーエニグマ」。
そこでは今宵も常連客との他愛のない会話が漫然と繰り広げられている…』

という事で、立ち呑み屋に常連が通い、店主と時事ネタや趣味の話をするという感じの番組です。
小規模な『たかじんのBAR』みたいな感じでしょうか。
Barと言いつつ、訪れる客がみんな烏龍茶1杯で帰ってしまう辺りに若干の心配を感じますが、店側の説明によると、原価率が一番良いようなので、営業には困ってないらしいです。
とは言いつつも、初期はバイトが入っていたのに最近は見かけないところを観ると、やはり経営は苦しいのかもしれません。

配信されている方の紹介ですが、まずは、中近東ラジオを始めとして様々な番組に出演されている、このBarの店長『エニグマ』さん。
そして店に足繁く通う常連客の『JIN@studio荒法師』さん。
その他に、たまに見せに客として訪れたり、別店舗『スナックねひ。』でままを務める『ねひ。』さん。
番組開始当初はバイトとして店に入っていた、『もっち』さんが基本メンバーとなっています。

放送時間についてですが、30分から1時間超と結構幅がありますね。
Barでの会話ということで、盛り上がる時は盛り上がり、そうでない時は淡々と締めくくるって感じなのでしょう。
更新日や更新間隔は不定期で、2~3日で更新される時もあれば、1週間程度空くこともあります。
まぁ、これは仕方がないですよね、だって、水商売ですし。


主な会話のネタですが、一番頻度が高いのが、深夜アニメの話でしょうか。
この番組の放送開始時は、丁度、ガンダムの新作である『鉄血のオルフェンズ』が放送されていた時期なので、放送がある度に1話毎に感想や考察をされていました。
最近(2016年夏)では、今季のアニメを結構な割合で録画し、それを観た上で、独自の視点で評価をされるといった企画も。
深夜アニメを観ない人は分からないかもしれないですが、まとまった本数のアニメの評価を早い段階でしてくれるというのは、結構ありがたいことなんですよね。

何故なら、深夜アニメを観る際に一番重要なのは、どの作品を観るかを決めることだからです。
本数でいうと年間で300本近い作品が放送されている為、全てを消化するのは社会人にとっては時間的に不可能です。
その為、前情報やタイトルや絵柄等で観る作品を絞りこみ、それらを録画して観た後にふるいに掛ける作業を行わなければなりません。
この作業が、地味に辛かったりするんですよね。この様な感想をお持ちの方は、結構多いと思います。
それを代わりにやってくれる様な、この企画は、結構助かったりするんですよね。

一つの作品を追いかけての感想・考察。
また、クールの初めに広範囲の作品を見ての評価をコンパクトに纏めてくるコンテンツは、アニメ好きは勿論のこと、アニメに時間を割きたくないが、情報として流れを知っておきたいという人にも価値が高いコンテンツだと思います。

次に頻繁に話題に出るのが、常連客のJINさんの職場の話ですね。
私は個人的に、自分と直接関係のない職場話が好きだったりします。
どういった客を相手にして、どんな苦労があるのか。職場環境はどんな感じなのか。その業界の景気はどうなのか。その業界ならではの苦労の数々。
数多くの転職をしない限り、他の職場や業界がどの様になっているかは分からないので、それを聴けるというのは、結構、貴重だと思いますね。
話の性質上、愚痴なども多いのですが、単なる愚痴ではなく笑い話として纏められていて、且つ、この手の話は番組の枕部分で短時間で話されているので、聴き手にストレスが貯まらない様な工夫もされていて非常に楽しめます。

その他に話されるのは、時事ネタが多いですね。
店主と常連客の2人で話されることも結構多いのですが、たまにゲストを呼んで、1つの問題について掘り下げて話されることもあります。
プロレス業界の経営戦略といった少々マニアックな話から、今流行のポケモンGOの話まで。
そこら辺のニュース番組よりも詳しく丁寧に話してくれるのが、非常に為になりますね。

地上波のニュースで専門家などを呼んで話を聞く場合、かなりバイアスの掛かった偏った意見を聞かされることが多いと感じますが、この番組は私の聴く限り、結構、中立的な目線で話してくれます。
例えば、イギリスのEU離脱問題の際には、多くの地上波番組やPodcastで、『この先、大混乱になる!イギリス人は何を考えているんだ!』って意見を耳にしましたが、この番組では、『今の段階で騒いでいる人間は、何も分からないで騒いでいる。まだ何も決まってない。』と、至極まっとうな事を仰ってました。
こういう目線を持った人の話す時事ネタは、非常に貴重だと思いますね。

深夜アニメの話題から、今の流行や政治経済についての話まで幅広く、分かりやすく丁寧に話されている番組なので、社会人が雑談ネタを仕入れる目的で聴くには持って来いの番組だと思います。
放送時間もそれほど長くなく、且つ、頻繁に更新されているので、教養を深める為にも是非、聴いてみては如何でしょうか。
お薦めです!!

ポケモンGOで観る株式市場

海外で先行配信された、ポケモンGO
日本でのリリースが発表されて以来、TwitterのTLはポケモンで埋まり、SNSでも大人気。
ワイドショーやニュースなどの情報バラエティーでも、連日のように取り上げられていますね。

そんなゲームですが、生まれついての『ひねくれ者』の私は、ダウンロードすらしていなかったり…
何なら、このタイミングでIngressをやってやろうかと思っている次第であります。

私自身がプレイしていないので、当然、便乗した記事やアンチ記事など書けるはずもありません。
とういことで今回は、ポケモンGOの登場によって引き起こされた株式市場の動きから、相場の動きについて考えていきます。

株式相場って、結構、難しそうなイメージがありますよね。
相場に全く接してこなかった人達の中には、イメージとして、相場を理解する為には数学や経済学を理解し、株式にまつわる情報などを積極的に集めていないと、株価予測どころか値動きすら理解できなさそうと思っている人が、多いのではないでしょうか。

私自身は専門家では有りませんが、少しではありますが、10年以上にわたり、個人で相場の世界に首を突っ込んでいます。
経済ニュースなども毎日接するようにしていますし、経済ネタのブログを書く際に個別に調べたりもするので、自分の意見が言える程度には分かっているつもりです。

そんな私の目から株式相場を観ると、株式相場は緻密な計算のもとに成り立っているわけではなく、細かいニュースや裏情報によって動いているわけでも有りません。
かなり適当な理由で、株価が急激に上下したりします。

そのことがよく分かるのが、今回のpokemon GOによる任天堂の株価の値動きでしょう。

海外で先行リリースされたポケモンGOでしたが、アメリカではいち早く社会現象化し、ダウンロード数も結構伸びたようです。
アプリの社会現象をネタにした動画なども、動画サイトを中心に広がり、遅れてリリースされる日本でもヒット間違いなしと言われていました。
この話題を受けて上昇したのが、任天堂です。

「ポケモノミクス」 なんて言葉が生まれ、任天堂の株価は短期間で上昇し続け、僅か4日で時価総額が1兆3000億円も上昇したようです。
しかしよくよく考えると、この動きって変ですよね?

というのも、今回のポケモンGOですが、任天堂は直接関係が有りません。
ゲームの基本部分の設計はIngressを制作したナイアンティック社で、この会社がポケモンの知的財産を管理する株式会社ポケモンと共同開発したのが、ポケモンGOです。
任天堂は、共同開発者の株式会社ポケモンの株を30%程度保有しているだけの関係に過ぎません。
ポケモンGOが、今後どれ程の売上をあげるかは分かりませんが、共同開発者の株を30%程度保有しているだけで、会社の価値が1兆3000億円も上昇するのでしょうか?

簡単に試算してみましょう。
まず、スマートフォンのアプリ内課金の場合は、Applegoogleのアプリストアを経由しての課金になります。
これらの課金は、それぞれの会社がプラットフォーム提供料という感じで、取引手数料として30%をピンハネします。

単純計算で、残りは70%。
ここから運営に費用を差し引いいたものを、ナイアンティックと株式会社ポケモンで分けることになります。
正直、運営にどれだけお金がかかるかは分かりませんので、今回は考えないものとします。
ナイアンティックと株式会社ポケモンは共同開発者ですが、ゲームの開発・運営と、キャラクターの貸出しの手間を比べると、かかる労力は全然違います。
労力は全く違いますが、この際、利益の分配率は折半と考えましょう。
70%を折半するので、株式会社ポケモンは35%の利益を受け取ることになります。

任天堂は、この35%分の利益を受け取ることが出来る会社の株を30%程度保有しているだけなので、このアプリの利益の10%程度しか受け取れないことになります。
この試算は、ゲームの運営にかかる経費を考えず、労力の違いを考慮せずに折半するという前提での試算なので、実際の利益の反映はこれよりも更に下がるでしょう。

このアプリがどれ程の潜在能力を秘めているかは分かりませんが、10%分の利益を得るだけで時価総額が1兆3000億円も上昇するというのは、明らかに異常です。
では何故、任天堂がここまで話題になって買われてのでしょうか。
答えは簡単で、このゲームの開発から運営まで全てが、『任天堂』によって行われたと市場参加者が勘違いしていたからです。


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海外でリリースされてから、任天堂株が盛り上がり続けている間、私は株式ニュースなどで日々の動向を見聞きしていましたが、『さすが任天堂ですね!』って感じの発言を結構耳にしました。
しかし実際には、運営も開発も、任天堂では有りません。

任天堂も、周囲の余りのはしゃぎっぷりにビックリし、数日後には『このアプリでの連結業績に与える影響は限定的だ』という声明を出す程でした。

この事から分かることは、株式相場の参加者は、正確な情報を元に計算をして行動しているわけではないという事です。
株式市場の参加者が求めているものは、株価が大きく動く材料であって、その情報が正しいか間違っているかは関係が有りません。
株価に影響のない正しい情報よりも、株価を大きく動かす誤報のほうが重要視されるんです。

これは、今に始まったことでは有りません。
よく分からない材料を引っ張り出してきては、それを元に株を売買するということは日々行われている為、毎営業日、株価実況をリアルタイムで行っているラジオNIKKEIの記者などは、『何故、こんな材料で動いてるんでしょうね。』って感想を頻繁に言っていたりします。
これは、非常に正直な感想だと思います。
これを読んでいる社会人方の中には、自分の業界が市場でニュースとして取り上げられるような専門的な仕事をされる方もいらっしゃると思います。
御自身の業界の話が話題になる様なことがあったら、一度、市場で話題がどの様に取り上げられているかを注意深く見てみてください。
きっと、見当違いな捉え方をされていることでしょう。

株式相場というと、かなりの知識と教養が必要で、日々勉強を強いられる印象が有りますが、実際のところは、パチンコを打ちながらワイドショーネタを話しているのと変わらなかったりするんですよね。

ただ、その程度のギャンブルに一般の人達や政府が振り回されてしまう点は、非常に大きな問題とも言えるんですけどね。

今話題のヘリコプターマネーとは??

ここ最近、経済ニュースを聴いていると頻繁に、ある単語を耳にする用になりました。
その言葉とは、『ヘリコプターマネー』
ちょっと前にも騒がれたことがある言葉なのですが、最近、また騒がれ始めているようです。

という事で今回は、ヘリコプターマネーについて考えていきます。

この単語を簡単に説明すると、金融政策の名前です。
今の資本主義社会は緩やかなインフレによって成長していきますが、今の先進国はインフレが起こらず、物価が下がるデフレ状態になってしまって成長が鈍化しています。
そのデフレ状態を解消し、もう一度インフレにしようというのが、このヘリコプターマネーの目的です。

デフレの主な要因は、消費が低迷する事。
何故消費が低迷するのかというと、消費者が何らかの理由でお金を使わないからです。
『じゃぁ、消費者にお金を配れば良いんじゃね?
中央銀行が大量にお札を刷り、そのお札をヘリコプターで空から街にバラ撒こう!!』

って感じで生まれたのが、このヘリコプターマネーです。

この政策ですが、世間で最初に脚光を浴びたのは、前FRB議長のベン・バーナンキ氏がFRB議長に就任した時だったと思います。
バーナンキ氏は、自身が学者時代だった時にヘリコプターマネーを支持していた為、『ヘリコプターベン』という異名で紹介され、その時にこの政策も注目を浴びた記憶があります。

数年前に注目された金融政策が、何故、現在の日本で再び注目を浴びているかというと、そのバーナンキ氏と安倍首相が面会したというニュースが流れたからなんですね。
なんでも安倍首相は、自身のやりたいことをする場合に、その筋の専門家や学者を呼び寄せて話を聴き、『専門家からアドバイスが有った』という名目で実行することが何度か有ったようで、今回のバーナンキ氏との面会も『ヘリコプターマネーを実行するための口実として呼び寄せた?』との憶測を呼び、注目されたようです。

では実際に行う場合は、どの様に実行するのか。
『刷ったお金を、ヘリコプターで空バラ撒く』なんて事が、本当にできるわけでは有りません。
日銀で刷ったお金は、市場を通して何かしらの資産と交換し、流通させる必要があるからです。

では、どんな資産と交換すれば良いのか。
これは、価値が安定していればしている程、良い事になります。

例えば大昔などは、通過を発行するためには、それに対応した『金(ゴールド)』が無ければ駄目でした。
昔の通貨は、紙切れに信用を付けるために、金と紙幣の交換比率を固定していたんです。
この状態であれば、中央銀行は無尽蔵にお金をする事が出来ず、お金をする為には金を調達しなくてはなりません。
紙幣の価値と実物資産である金とを連動させて、紙幣の信用力を維持していたんです。

しかし金本位制も破綻し、通貨発行の条件は引き下げられることになります。
その為、現在では金以外にも株式・不動産・国債・外貨といった、金融商品と引き換えに発行することも可能となっています。

この制度を利用し、日銀に大量の金融商品を購入させることで、大量のお金を引き出し、『政府が使ってしまおう!』というのがヘリコプターマネーです。
経済というのは難しく考えようと思えば難しく出来ますが、単純化すれば需要と供給に辿り着きます。
不景気な状態というのは供給過多で需要が弱い状態なのですから、政府が大量に消費することで需要を増やせば、需給バランスが変化して供給過剰を解消することが出来る。
政府が下支えしてお金を使い続けて、良い具合に好景気のサイクルに入れば、税の増収によって政府の赤字は解消できる!というのが、ヘリコプターマネーの基本的な考え方です。

この話を聴いて、『従来のバラマキ政策とは違うの?』と思われる方も居らっしゃると思いますが、基本的には同じです。
では何が違うのかというと、現状のニュースなどで言われている話をまとめると、資金の調達先が若干違います。

従来のバラマキ政策は、政府が赤字国債を市場で販売する事で、政策実行の為の資金を得ていました。
しかしヘリコプターマネーの場合は、市場で国債を販売するというよりは、中央銀行に引き受けてもらおうという話になっているようです。
勿論、日銀のよる国債の直接買い入れは、法律的に不可能です。
ですが、ヘリコプターマネーを推し進めようとうする勢力の方々は、この部分の法律を変えてでも、日銀に買わせるべきだと主張しています。

何故、日銀による直接買い入れが必要なのかというと、インフレ対策なのでしょう。
日銀は、2%のインフレ目標を立てていますが、仮に従来通りのバラマキ政策をする為に国債を大量発行して実行し、その政策が成功してインフレになった場合、その分だけ国の金利負担が増大します。
というのも、金利というのはインフレに連動しています。
当然ですよね、だって、国債を購入しても1%未満の金利しか付かないのに、土地を購入するだけで価格が毎年2%上昇するなら、国債を購入するよりも土地を購入したほうが、運用的には良い事になります。
インフレ率が2%以上になり、5%・10%と上昇していけば、より現物資産で持つほうが有利になるので、低金利国債は売れなくなります。
日本は、支払い金利と元本の借り換えだけでも凄い量の国債を発行していますが、この発行分の金利を相当高くしないと、市場で国債を捌けなくなってしまいます。

ですが、日銀に買わせればどうでしょう。
例えば、償還期限の無い無期限国債を発行し、それを全額、日銀に買い取らせます。
国債は償還期限が長ければ長いほど支払い金利は上昇しますが、聞いた話によると、日銀が得る金利収入は国に返還されるようなんです。
つまり、仮にヘリコプターマネーが成功してインフレになったとしても、発行している国債の殆どを日銀が購入していれば、支払い金利は実質ゼロという事になるんですよね。

ただ…
政府の借金の大半を日銀が背負うという状況は、誰の目から見ても『財政ファイナンス』です。
簡単にいえば、政府がお金を刷って経済を動かしているのと一緒。
過去に、お金を刷る事で財政難を克服しようとしてきた国は、大抵、ハイパーインフレになって破綻しているんですよね。

これは、当然といえば当然です。
お金は、ただ単に数字を印刷しただけの紙に過ぎません。
その紙に信用力を与えているのは、発行元である中央銀行がそれ相応の資産を保有しているからです。
しかし、その中央銀行が持つ資産の大半が、返済されることの無い債権だったとしたら?
そんな通貨を信用する人間なんて、いませんよね。

今はまだ、実行しようという話にはなってはいませんが、仮にヘリコプターマネーが実行されるような事になれば…
日本は、終わってしまうかもしれませんね。

【本の紹介】 戦争と革命の世界史

今回紹介する本は、『戦争と革命の世界史 (だいわ文庫 H 320-1)』です。



この本は、Amazonで歴史関連の本を適当に観ていた際に、おすすめ商品として紹介されていたのを観て、なんとなく興味を持って購入してみました。
本のタイトルは『戦争と革命の世界史』という事で、本の内容も戦争と革命に特化した内容となっています。

この本は、普通の歴史の本とは少し違った感じで構成されています。
従来の教科書などは、過去から現代に向かって時代が進行していく為、序盤の方では自分の時代とはかけ離れた時代に遡って勉強する必要があります。
しかしこの本は、それらの本とは逆で、近代から過去に遡って行くように書かれているのが特徴ですね。

まず、現代の大きな出来事を解説し、その出来事は何が原因で起こってしまったのかを遡る。
焦点を少し過去の出来事に戻て少し過去の出来事を紹介し、その時の社会情勢や世界の動きを踏まえて解説が行われます。
そして最後には、また、『この出来事が何故起こったのか、その原因は…』という感じで、過去に遡ります。

歴史の中でも結構大きな戦争や革命に焦点を当てて、その原因を探るために過去の出来事や取り巻く雰囲気を勉強していくというスタイルで書かれているのが特徴ですね。

歴史に限らず勉強は興味を持つまでが勝負で、興味さえ持ってしまえば義務感から開放されて、ゲームのように勉強を進められます。
しかし、その『興味をもつ』という状態にするのが、結構難しかったりしますよね。
この本の場合は、最初の章でアメリカで起こった世界同時多発テロを取り上げ、『何故この様な事が起こってしまったのか』という感じで遡っていくように書かれています。
世界同時多発テロが起こったのは最近ですし、余程小さい子供でもない限り、皆さんが生まれてから起こった大事件ですよね。
それを最初の題材に取りあげて、『この事件が起こってしまった原因は…』といった感じで始まるので、普通の歴史の勉強に比べると、興味を持ちやすい作りになっているように思えます。

誰でも、観たこともなく想像することも難しいような5000年前よりも、ついこの間起こった大事件のほうが興味ありますもんね。
そういった意味では、『歴史なんて大昔のこと、何の為に勉強するの? 今の社会を生きていく上で必要あるの?』と疑問を持っている人ほど、歴史と今の社会との関連付けが出来て、引きこまれていくと思います。


この本、タイトルでは『戦争と革命の世界史』となっているので、世界史全般のことが書かれているように思われる方も居らっしゃるかもしれませんが、書かれている範囲は、限定された狭い範囲となっています。
この本自体が新書でページ数も260ページ程、1ページにビッシリ書いているというわけでもなく、1ページ内の文字数を少なくして読みやすさを重視した作りになっている為、仕方がないでしょうね。

歴史の範囲としては、先程も書きましたが、アメリカの同時多発テロから始まり、その事件の首謀者を産んだ中東の歴史へと移っていき、イギリスの産業革命フランス革命などまで遡ります。
現代から徐々に遡って200年ほど掘り下げた所で終了します。
また本の書き方は箇条書きではなく、『この事件が引き起こされる原因は、ここにあった!』といった感じで、一つ一つの出来事を関連付けして一つのストーリーのように書かれている為、そのストーリーに関係のない国は殆ど出てきません。

具体的にどんな国が出てくるのかというと、主に、欧米と中東(主にイラン・イラク)とロシア(ソビエト連邦)。
これらの国を中心に、現代から約200年前程の歴史を物語調に書いてあるので、その他の部分について知りたいと思っている方や、歴史全般について知りたいと思われている方は、注意が必要です。

まとめると、欧米・中東・ロシア(ソ連)の期近200年穂都の歴史を、新書の260ページで、1ページ内にぎっしりと文字を詰め込むこと無く、文字数を少なめにゆったりと書く事で、本が苦手な人でも読みやすく書かれた本という感じでしょうか。
前提となる知識がなくても読むことが出来る為、学生が受験のために読む本というよりも、ここ最近に起こったニュースを理解する為の教養が身につけられるような本になっているので、社会人の人にオススメ出来る本ですね。


本を読んでみた感想…というよりも注意点ですが、この本は基本的に、『欧米憎し!』『諸悪の根源、欧米!』って感じで書かれています。
この本の中でのヨーロッパは、ユーラシア大陸の西の端で、絶えず戦争をしている野蛮な国で、中国や中東に遥かに劣る遅れた国といった感じで紹介されています。
その反面、中国や中東はヨーロッパに比べて文明的に進んでいて、遥かに文化的で進んだ国といった事になっています。

欧米や白人に対する蔑視が強いため、この本だけを読んで歴史を理解しようとすると、少し歪んだ形で認識してしまう可能性もあるかもしれませんね。
確かに産業革命以降、経済発展の為の貿易路確保の為の侵略戦争が欧米主導で行われて来ましたし、酷い事件も沢山あったことは事実でしょう。
ただ、それは偶然にも欧米が他国を制圧できる技術を先に手に入れたからであって、欧米人が野蛮だから起こった出来事と決めつけることは出来ないと思うんですよね。

人間なんて、多少の違いはあっても考えることは似たり寄ったりなので、日本や中国・中東が欧米よりも先に高い技術発展をしていたら、先に攻め込んでいた可能性も大いにあります。
また、近隣諸国と小競り合いを起こして戦争や紛争を繰り広げていたのは、ヨーロッパだけでは有りません。
日本も、数百年に渡って内部で争っていましたし、中国も国を作っては崩壊させています。

人は人種に限らず、大き過ぎる力を持つと他人を見下して攻撃して制圧しようとする人が一定数出てきます。
過去に起こった悲惨な出来事を肯定するわけでは有りませんが、『欧米だから。白人だから』起こった出来事という感じでもないと思うんですよね。
そういった目線で見ると、結構、バイアスの掛かった書かれ方をしている本で、これだけを読んで歴史を理解した気になるのは危険だなとも思いました。

とはいっても今の日本の報道などは、基本的には欧米寄りの姿勢で報道される事が殆ど。
映画をはじめとする各種エンターテイメント等も、欧米のものが中心となってきているので、そんな環境に晒されている私達は、知らず知らずのうちに親欧米のスタンスになりがちです。
そういった人達の目を覚まし、『必ずしも欧米が正しいとは限らない』という視点を与えるという意味では、調度良いぐらいの書き方とも言えるのかもしれないですけどね。

今まで歴史い興味がなく、報道されているニュースを鵜呑みにしてきた人にとっては、良い感じで刺激を与えてくれる本だと思います。
これを読んで興味を持たれた方は、是非、読んでみては如何でしょうか。

祇園祭と、『もてらじ』交流会

先週末(2016年7月16日)のことですが、久しぶりに祇園祭に行ってきました。
祇園祭は、京都の中でも一番の繁華街の河原町周辺で7月の1ヶ月を使って開催される祭り。

私は開催地に近いところに住んでいる為、行こうと思えば簡単に行くことが出来るのですが…
実は数える程しか行ったことが無かったりする祭りだったりします。
というのも、京都の夏は湿度が高くて夜でも暑く、祭り時は特に人口密度も高い為、かなり不快。
それに加え、祭りが行われている範囲が広い為、不快な状態で長時間歩かなければならないので、面倒くさいんですよね。
また、観光地や行事の開催地に近いとろこに住んでいる方にとっては『あるあるネタ』だろうとは思いますが、『いつでも行ける』と思うと、案外、行かなかったりするもんなんです。

そんな祭りに、何故、行ったのかというと、私が普段から愛聴しているラジオ番組『ネットラジオ BS@もてもてラジ袋』のメインパーソナリティーである、『ぶたお』さんが来られるというのをTwitterで知ったからです。

土曜日は基本的に仕事なので、適当に済ませて準備し、18時頃に家を出発。
合流地点を目指しつつ、折角なので祭りも満喫してやろうと、歩行者天国となっている四条通河原町通から西に向かって歩き出しました。

しかし、毎度のことながら人がかなり多い。
『まぁ、祭だしねぇ』と思いながら、山鉾を鑑賞しようと思って左右を見渡すが、なんにも無い…
四条通河原町通から歩行者天国になってはいるが、ただ歩行者天国なだけ。
露天は昔から四条通にはなかった記憶が有りましたが、何のための歩行者天国なのかと思ってしまう程に、山も鉾も無い。

山鉾の配置を覚えているわけではないので昔からこうなのか、それとも、四条通の歩道拡張が原因なのかは分かりませんが、何もない歩行者天国を、ただただ西に歩きました。
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歩くこと、10分程でしょうか。
百貨店の大丸付近に到着した所で、ようやく鉾を確認。
しかし、私と同じように何もない歩行者天国を歩かされた人達は、ここぞとばかりに立ち止まって写真を取ろうとするので、ここで流れが完全にストップ。
『余裕があれば、山鉾を鑑賞してから合流』なんて甘い事を考えていた私ですが、今まで以上の混雑っぷりに心が折れ、四条通から北に抜け出して錦通に入ることに。
脇道に入ると人口密度も少しマシになり、余裕を持って歩くことが出来るようになりました。。
このまま西に進んで山鉾を鑑賞しても良かったのですが、合流地点は大丸近くの立ち呑み屋。

丁度、合流地点近くに着いてしまったので、私にとっての祇園祭はここで終了。
集合場所の立ち呑み屋『百』に行ってきました。

外まで迎えに来てくださった『ぶたお』さんに連れられて店の奥に行くと、そこには既に2人のリスナーさんが既に呑んでおられました。
一人は、『黒太くん』さん。もう一人は、同じ『もてらじ村民』の『ヤジベエ』さん。
軽い自己紹介を済ませた後、乾杯をして呑み会に参加させて頂きました。

この『百』という店。
存在自体はブログなどで知ってはいたのですが、かなり凄い店でした。
何が凄いって、料金システムです。
店のメニューに記されているものは、基本的に100円(税込み108円)です。
ビールはジョッキサイズがダブルになる為、料金hあ216円。
事前に1000円のチケットを購入すると1100円分として利用でき、2000円分のチケット購入で2300円として利用できる為、ただでさえ安いのに更にお得という素敵仕様。。
この日は祇園祭価格ということで、ビール(ダブル)が108円増しで324円になる代わりに、チャージ(108円)が無しになるというシステムに変更していましたが、それでもかなり安いですよね。

『ぶたお』さん達の話によると、元々このお店は昼に弁当販売をしていて、余った惣菜等を販売して食べてもらう為にビールなども売り始めた店のようですね。
(うろ覚えなので、所々、間違っているかも。)
それにしても、この価格で販売していて利益が出るのかが心配になるレベルの安さでした。
その後は、ヤジベエさんが翌日の山鉾巡行に参加するということで帰られたので、3人で呑みながら移動することに。

あてもなく、ビール片手に裏路地を彷徨い歩く3人。

ビールを補給しつつの探索ですが、祇園祭の様に都市のど真ん中で開催される祭りはビールなどがコンビニで定価で購入できる点が非常に良いですね。
普通の祭りの場合は、ビールなども露天で500円とボッタクられますが、祇園祭の場合はそこら中にコンビニがありますし、何か食べたいなら飲食店がある。
また、地元の飲食店が軒先で料理などを提供していたりするので、飲食に困ることがない上に選択肢も広いのも魅力の一つと言って良いでしょう。

普段の河原町周辺、特に裏路地などは人通りが殆ど無い通りなのに、祭りという事でかなりの人で賑わっていました。
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ガレージを併設しているコンビニは、ガレージにテントを貼って飲食できるようにしていたり、酒屋の前では、椅子を出して座って呑んでいる人。
この人通りを利用して、ここぞとばかりに店の商品を売り捌く為にセールをする人など、普段の京都では絶対に見ることが出来ない風景を見ることが出来て、非日常的な祭りの醍醐味を味あわせて頂きました。

その後、東へ東へと歩き続けて木屋町周辺まで辿り着き、休憩がてら『王将』に入店。
餃子とビールを注文し、後はひたすら話していました。
話題はいろいろで、日本とアメリカのアニメやマンガの差などから始まり、和ゲーが何故、アメリカに抜かれて追いつけないのかについて話していた記憶があります。
最終的には、龍が如くの悪口とか龍が如くの悪口とか、後は、龍が如くの悪口とかを話している間に終電の時間が迫ってきたということでお開きに。
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今思い返してみると、話の中心となっている『ぶたお』さんが、話題が途切れそうになると新たな話題を振ったり、話題に対する意見を求められたりというのを自然に行われていて、非常に話しやすかった記憶があります。
その結果として、なんだかんだで6時間ぐらいの呑み会になりましたが、その間、一度も話題が途切れない、非常に楽しい呑み会となりました。
流石は、『もてらじ』のメインパーソナリティー『ぶたお』さんという感じ。
この部分は、コミュニケーションが苦手な私は大いに学ぶ必要があると感じさせられました。

ただ楽しいだけでなく、いろんなことが学べた一日となり、大変満足しました。
また機会があれば、参加してみたいと思える、素晴らしいイベントでした。

学校の授業は、何故つまらないのか。 (後編)

今回の投稿は、前回の続きとなっています。
まだ読まれていない方は、先ずそちらから読まれるよう、お願い致します。
kimniy8.hatenablog.com

また前回も書きましたが、今回の投稿は、学生時代に勉強が嫌いで『つまらない』と感じていた人間の立場から書いています。
勉強が好きで、自分で教科書を読んでいるだけでドンドン成績が上がっていったような人は共感できませんので、そもそも読まないか、勉強嫌いの人がどのように感じていたかを理解してやろうというスタンスで読んで頂けると助かります。

良く、学校の勉強が『つまらない』『嫌い』と感じている人は、勉強の大切さが気がついていないから、やる気が出せなかっただけという話を聴いたりします。
ですが私は、社会人になってから勉強の大切さを痛感し、『このままじゃ駄目だ!』と思って勉強を始めたにもかかわらず、学校で行っているような勉強は『つまらない』と感じで5分で睡魔に襲われたので、勉強が『つまらない』のには他の原因が有るのではないかと思い、自分の感じたことを整理してみました。
結果、大きく分けて3つの原因にたどり着きました。

それがこれ
・暗記に重点が置かれすぎている
・教科書は事実の箇条書きで、単体で理解するのは難しい。
・授業の大半は、教科書の補足説明を教師が黙々と黒板に書き、生徒はそれをノートに書き写すだけで終了する。

(私が社会に出てから勉強しようと思った科目は『歴史』なので、基本的に歴史の勉強について思ったことを書いていきます。)

まず、一番最初の暗記です。
暗記は、勉強においては基本中の基本なので、暗記が必要ないといっているわけでは有りません。
特に理系や英語などは、基礎的な部分の暗記は必須で、暗記しなければ始まらないという事も理解しています。

重要性自体は理解しているのですが、暗記そのものに偏りすぎている気がしてなりません。
歴史などは、年号の暗記をしておくと便利なことかもしれませんが、本当に重要なのは、当時を取り巻く環境がどういう状態で、その中でどのような決断を迫られ、実行したのかが重要なのではないでしょうか。
『歴史は繰り返す』なんて言いますが、人が考える事はそこまで大差がない為、環境が似ていれば、似たような決断を下してしまう場合が多い。
過去に下した決断がが正しい判断なら良いですが、間違っている場合は『同じ間違いを繰り返さない』為にも、歴史を学ぶ必要があります。

しかし、私が学生時代に受けた授業を振り返ると、◯◯年にこの人物がこんな出来事を起こしました。
『ここ重要だから(テストに出るから)暗記しておいて』という授業が大半でした。
そこには物語性もなく、ただただ出来事を丸暗記するだけの作業を押し付けられていたという感じしか受けなかった印象があります。

次に、教科書は事実の箇条書きで、単体で理解するのは難しい。
これは、先ほど書いた暗記の話にもつながるのですが、教科書は基本的に、暗記すべき事柄を箇条書きで書いてあります。
この書き方は、大きな流れを理解して把握している人間が読む場合は、短時間で大きな流れをおさらいできるので、非常に便利な書き方だと思います。
しかし、何の知識もない人間が読む場合、これほど退屈なものは有りません。

ロザンという漫才コンビの宇治原さんは、『教科書には大切なことしか書かれていないのだから、丸暗記すれば良い』と仰っていますが、それが出来るのなら苦労はしないんです。
大抵の人間は、箇条書されたマニュアルのようなものを何冊も暗記するなんて事に労力を使いたくないんです。
というか、『これに書かれている事は重要なので、インストールしておいてね』って、ロボットか?って感じですよね。

ただ教科書自体は、教師の解説が入ることを前提に書かれているので、『教科書を読んだだけで理解が出来ない』という批判は、酷かもしれません。
教師が解説を挟むことで理解できるように作れ!という命令が下っている可能性もありますしね。
それに、日本史にしても世界史にしても、あれだけ長い時間に起こった事で重要な出来事の大半を網羅し、且つ、数百ページで終わらせようと思うと、箇条書きになってしまうのもしかたのないことなのかなと。
冊数を増やして対応するという考えも有りますが、そうすると教科書代が結構な値段になってしまう事も考えられますしね。

こういう事も考慮すると、重要になってくるのが、解説をする教師の役割です。
重要な事が箇条書きで書かれている本を、より理解して覚えやすくする為に解説を加える。
授業が面白くなるつまらないと感じるかは、この解説の良し悪しで決まると言っても過言では有りません。

では学生時代、どのような授業が行われていたのか。
私が覚えている範囲では、教師が黒板に文字を書く。
     ↓
生徒は、黒板に書かれた内容をひたすら書き写す。
     ↓
生徒が書い写し終わると、教師は書いた内容を読んで、若干の注釈を加えるという感じ。
これが何サイクルか繰り返されると、授業が終了するという感じでした。
教師が生徒に背を向けて黒板に文字を書いている時間が結構長く、授業の半分ぐらいは、文字を書いているだけで時間が過ぎていた記憶があります。

教師側には1年間で進めなければならないペース配分などの都合がある事は理解できるのですが、そのペースを守ろうとする余り、『教える』というよりは黒板に書く作業になっていた印象が強いんですよね。
そして、ひと通り書いた後に『ここがテストに出るかもしれない』と暗記を促されて、その部分を覚えるだけ。
これなら、黒板に書く内容を紙に書いてコピーして配ってくれた方が、教師も生徒も書く作業から開放されて、効率が良いようにも思えてしまう。

教科書を読み、黒板を書き写し、指定されたところを丸暗記。
これでは、つまらないと感じて当然のように思います。
この様な授業を受けた人の大半は、学校卒業と同時に授業内容を忘れるでしょう。
全てを網羅する為に重要箇所を箇条書きにして丸暗記を強いた結果、暗記が必要なくなると全てを忘れる。

この様な勉強は、教養を身につけるという点では無意味でしょう。
多くの人の記憶に残らないわけですから。

こんな勉強を数年間かけて行うのであれば、みなもと太郎先生の描く『風雲児たち』(関ヶ原~幕末にかけての歴史漫画)を47巻読破した方が、興味を持って読むことが出来て大まかな流れが理解できる分、はるかに役に立つでしょう。
全体的な大まかな日本の歴史を学ぶのなら、石ノ森章太郎先生の『マンガ 日本の歴史』を読めば良い。
マンガで説明されている程度では、大雑把すぎるという批判も有るかもしれないが、そもそも学校の授業では何も頭に残らないのだから、大雑把にでも残る方が後の人生を考えると良いでしょう。

この差はどうして生まれるのかというと、興味を惹けるかどうかの差だと思います。
漫画の方は、子供の興味を惹く事を中心に考えられて創られていますが、学校の授業や教科書が意識していることは、1年間で進めるべきスケジュールであって、受講する側の興味や理解は2の次になっているからだと思います。

個人的には、どうせ卒業した後は忘れるのであれば、取り扱う範囲を狭く浅くして、余った時間で子どもたちの興味を惹く努力をしたほうが良いのではないかと思います。
興味さえ持てば、人には好奇心が有るんだから、学生の何割かは自発的に本を読むなりして知識を広げるのですから。

学校の勉強は、何故つまらないと感じるのか (前編)

私は学生時代、勉強が大嫌いでした。
昔の記憶なのであやふやな部分も有りますが、学校の勉強時間は非常につまらなかった記憶があります。
また教師や親からも、『学校の勉強なんて社会にでると使わないが、就職に有利だから、進学の為に勉強しろ』と言われた記憶も有り、将来必要のないものを、何故、必死になって覚える必要があるのかが解らず、余計にやる気がなくなった記憶もあります。

しかし、社会人になってから勉強の大切さに気が付き、最近は余裕が有る時などは本を読んで過ごすようになりました。
この様な状態になってから、『学生時代に、まじめに勉強していれば良かったなぁ』などと後悔していたりします。

私の他にも、同じ様に後悔をしている人は多いのではないでしょうか。

実際に社会で生きていると、あらゆる事に学校で覚えた知識が必要だということに気付かされます。
例えば、戦争モノの映画を観た際に、歴史を知らないからアクション部分しか理解できなかったり、美術館に絵画を見に行っても、そもそもの見方が解らなかったり。

前提となる知識がないと物事の表面的な部分しか理解できない事に気がつき、社会に出て初めて勉強の大切さに気がつく事って、結構多いと思うんです。

そんなわけで、暇があって且つ、気分がノッている時には本を読むようになったのですが…
自分で勉強をしようと思うと、無意識のうちに自分の好きな情報だけを集めようとしてしまいます。
これはこれで、全く勉強をしないよりかはマシだと思うのですが、これだと興味のない部分はほぼ手付かず状態になってしまいます。
社会人ということでテストもないので、知識が偏っていても問題無いとは思うのですが、それだと視野が狭まってしまう様にも思うので、出来るだけ全体的な知識も欲しい。

しかし、興味が無い分野だと、そもそもなにから勉強して良いのかすらわからない。
どうすれば良いものかと、しばらく考えていた所、一つの方法を閃きました。
学生時代に勉強するような幅広い知識が重要なのであれば、学校で行うような勉強を行えばよいのではないかと。

幸い今の時代は、youtubeなどの動画配信サービスで、素人の方が授業風の動画を上げていたりします。
また、Amazonでは教科書メーカーが出版している『もう一度学ぶ日本史』なんて本も簡単に購入することが出来ます。

という事で、早速やってみましたよ。『学生時代の勉強』を。
学生当時は全くといって良いほどやる気が有りませんでしたが、今現在は勉強によって得られる知識の重要さもわかっていますし、勉強が自分の視野を広げてくれることを理解しています。
また、誰に強制されているわけでもないのに実行しようと思っているわけですから、やる気も有るといって良いでしょう。

そんな状態でいざ勉強を始めてみると、どうでしょう!

結果、5分で寝れました。

いざ実行してみると、一つの事実に気が付きます。というか、思い出すといったほうが良いのでしょうか。
学校で行っているような勉強が、非常につまらないことに。

という事で前置きが長くなりましたが、今回は、学校の勉強が何故つまらないのかについて、考えていきます。

今回私が行ったのは、歴史の勉強。
勉強はいろんなことに役に立ちますが、その中でも歴史は、映画などのエンターテイメントを楽しむためにも、人と会話をするためにも、先の未来を想像するためにも役に立つと思い、入りやすそうな歴史を選択してみました。

Amazonで、教科書メーカーが出している『もう一度読む』シリーズの日本史と世界史を、早速購入。


   

youtubeで、学校の授業風景っぽい動画をみて、早速勉強してみました。

最初に書いておきますが、私が基本的に無知で馬鹿だという前提で、そのことは棚に上げた上で書いていきます。
『理解できないのは、お前が馬鹿なだけだろ』っていうツッコミを入れたい方もいらっしゃるでしょうが、そもそも勉強は知識のない人間が知識を吸収するために行うもの。
教科書を読んで『楽しい!』なんて思える人は、そもそも勉強についての悩みなんて無いと思うので、私の立場は理解できないと思います。
そういう方は、そもそもこの投稿は読み飛ばすか、温かい目で観てくれるようにお願いします。

と、前置きが長くなり過ぎたので、今回は問題点だけを挙げて、詳しい説明は次回にということにします。
私が感じる学校の勉強についての問題点

・暗記に重点が置かれすぎている
・教科書は事実の箇条書きで、単体で理解するのは難しい。
・授業の大半は、教科書の補足説明を教師が黙々と黒板に書き、生徒はそれをノートに書き写すだけで終了する。

細かく分けるともう少し有るのですが、大きく分けるとこんな感じでしょうか。
という事で、長くなってきたので今回はこの辺りで。
次回、もう少し詳しく書いていきます。